50年前の撮影地を歩く -12-

D61を訪ねて

先日、別の鉄道趣味の会合で、私とほぼ同年代の方と、北海道の話をすることがありました。昨年末に廃止された留萌線の留萌~増毛に話が及ぶと、お互いに訪れたのは、つい最近であることが分かりました。若い時代に何度か北海道へ行ったものの、9600しか走らない同区間は訪問する対象ではありませんでした。その点、同じ留萌線でも深川~留萌には、当時の蒸機ではいちばん希少なD61が走っていて何度か訪れたものでした。
今回は、現在も留萌線の残存区間として営業中の留萌~深川の50年前をたどってみます。

留萌だけに配置のD61、前照灯を保護するツララ切りがあった。

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2016年 西方見聞録 Part27 ウクライナの蒸気機関車を撮る②

第12日目 9月29日 その2

▲ 10:57 撮影地② Google座標; 48.268067, 24.373678
ヤシン( Ясіня )からからはチャーター列車に連結された1両の作業車に乗って移動です。両側石橋に真ん中は鉄橋を組み合わせた橋を行く列車の撮影シーンのようです。
今まで経験した海外鉄道撮影ではリーダーがあらかじめ調査の上で決めたお薦め撮影地を回るようになっています。撮影地についてからは参加者各自に気に入ったアングルを探し求めて決めます。参加者からもう一度とアンコールがあった時は、再度繰り返しをしてもらえます。そ
して今回もアンコール要望がありました。
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2016年 西方見聞録 Part26 ウクライナの蒸気機関車を撮る①

第12日目 9月29日 その1
5:30 まだ夜明け前の早朝にボロフタ駅前Vorokhta)に集合です。列車に乗って行くのかと思いきやチャーターバスに乗車でした。

どこを走っているのかさっぱりわからない山間の道を約49㌔、約1時間余りを走り、ようやく薄明るくなった7時前に目的地に着きました。
行きましょうと向かったのは苦手な山の斜面です。朝から上り坂とは辛い1日の始まりでした。
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2016年 西方見聞録 Part25 スイス(チューリッヒ)からウクライナ(リヴィウ)への搭乗記

第11日目 9月28日

今回の旅ではフィンランド⇒スイス⇒オーストリア⇒ドイツと4ケ国を訪問してきましたが次は5番目の国、ウクライナです。

【 ウクライナ 】
長い間ソビエト連邦の国でしたが1991年ソ連崩壊に伴い独立しました。1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原発事故で有名になっている国ですが今回は反対側の南寄りのルーマニア国境に近い地方を訪ねます。
全体の国土は日本の約1.6倍ですが人口は約4,520万人、ウクライナ人が人口の約78%を占めてロシア人は約17%、在留邦人は193名(2015年10月1日)とわずかな現状です。
独占する国営のウクライナ国鉄は、ロシアと同じ1,524㎜ゲージ路線が23,350㌔(電化率約39%)、1,435㎜ゲージ路線が201㌔(全線電化)と、そこそこはあります。しかし、欧州各国の鉄道とはゲージ幅が違っていますので直通する国際列車はなく、同じゲージのキエフ・モスクワ間の1日1本だけしかありません。運行されている列車はソ連時代の年代物ばかりのようで高速化もされてもいません。どんな古い車両と会えるのかも楽しみでした。私にとっては世界で24番目の訪問国です。
▲ チューリッヒからウクライナリヴィウまで直行するフライトはありません。オーストリアウイーンでトランジットして向かいましたが、丸1日を要しました。

チューリッヒZRH7:40(OS568)⇒9:30ウイーンVIE13:00(OS381)⇒15:15リヴィウLWD
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宇島鉄道廃線跡訪問

平成29年1月19日

昭和11年に廃止された宇島鉄道。この線の存在を知ったのは最近でした。タイミング良く前職の同期が退職後故郷の豊前市観光協会に就職、豊前市の観光素材を訪ねるとともに廃線跡でそれと解るポイントに案内していただきました。

中唐原駅跡 農家の農機具等の倉庫として使われていたと思われる朽ちた小屋が残っています。遠方からでも見える山裾に立つ小屋、近づくと看板立っていました。

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2016年 西方見聞録 Part24 ゴッタルゴ峠を撮る④

第10日目 9月27日

今日は終日Cで撮った後明日のウクライナ行きに備えてチューリッヒ空港近くのホテルに移動します。ゴッタルゴ峠の撮影場所は前日までとは違ってループの真ん中で撮ることにしましたが午前中はチュウリッヒ側のエルストフェルト駅近くまで下りて狙うことにしました。ゲシェネンからは約19㌔の下山です。
▲ 10:19 撮影地① Google座標; 46.804670, 8.665620
最初に来たのはイタリア方面行のRe420-269-3が牽引するタンク車編成の貨物列車です。

Re420型電気機関車 】
戦後増大して来た鉄道輸送に対して輸送力不足となり1964年に新たな次世代本線用として設計され試作機が登場した交流電気機関車。軸配置Bo’Bo’、定格出力は4650kW、1969年から量産機が生産開始されて1985年まで276機が製造されています。

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2016年 西方見聞録 Part23 ゴッタルゴ峠を撮る③

第9日目 9月26日 その2

午後からは撮影場所をロイス川近くに場所を替えて撮ります。アルプスもバックに入れたかったのですが雲がかかってしまいました。
▲ 14:13 ゴッタルゴ峠越えの定番、Re620形+Re420形の重連が牽引するコンテナ列車です。3重連かと思いきや、Alpenzähmer 189-108号機が回送で付いています。

長大編成とあってRe420形の後補機も付いていました。
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2016年 西方見聞録 Part22 ゴッタルゴ峠を撮る②

第9日目 9月26日 その1

今日は3日前と同じくゴッタルゴ峠の撮影です。前回は晴れてはいましたが雲が多く、撮ってもまだらになる事が多かったので雲なし快晴を望みました。
▲ 9:51 前回と同じ撮影ポイントへと徒歩で上がって山間に日差しがさすのを待ちます。やって来たのは、2両の客車を牽引した違った車体色の電気機関車の編成です。色からするとイタリア国鉄のように思えます。客車も特別なように見えます。何のための列車なのでしょうか?
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尾道に山陽鉄道の痕跡を探して

昨年末に糸崎及び糸崎以東に残る山陽鉄道時代のレンガ積み橋台を3回に分けてご紹介しました。年が明けて次は三原以西を詳細にチェックしようと思っていたのですが、西に向かうと時代は新しくなり、東に向かうと時代を遡ることになりますので、古い方を優先することにして まず尾道市内を歩いてみることにしました。尾道市街地での見どころはレンガ積み橋台もさることながら、山陽鉄道の社紋入りの敷地境界杭です。実はこの境界杭については、2003年10月に発行されたJTBキャンブックス「鉄道廃線跡を歩くNo.10」のなかで 山陽鉄道に造詣の深い長船友則氏が「尾道周辺の山陽鉄道境界杭」という現地レポート記事を載せておられます。これを読んで 一度自分でも現物を確認しようと思いながら10数年が経ってしまい、ようやく実現したというわけです。

尾道駅から線路に沿って東に歩くことにしました。長船氏のレポートを頼りにまず最初の地点「千光寺前踏切」付近の境界杭を探しました。ここは線路の山側です。意外と簡単に見つかったので さい先良しと次の地点に向かいました。しかし帰宅して写真を確認すると どうも別物だったようで、本物はどうやら草むらの中に隠れていたようです。残念! ここから東に10mほど行った歩道沿いの花壇の中にも境界杭がありました。

平成29年1月11日  花壇の中の境界杭

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2016年 西方見聞録 Part21 ブタハタール鉄道「豚のしっぽ鉄道」を撮る

第8日目 9月25

今朝の楽しみはドイツ版余部鉄橋の上をどんな蒸気機関車が走ってくるかでした。

▲ 9:10 撮影地③ Google座標; 47.819024, 8.553502
朝食を終えてホテル前でカメラを構えて待つことしばし、鉄橋を渡る音が聞こえてきました。東側の起点駅Blumberg-Zollhausから列車は発車するのですが機関区は西側のフュッツェン (Fützen )にありますので1番列車の牽引機は回送されます。青く晴れた空の下、風もなく綺麗に白煙を残しながら単機回送のD型タンク機が来ました。
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2016年 西方見聞録 Part20 ブレゲンツァーワルト鉄道を撮る

第7日目 9月24

【ブレゲンツァーワルト鉄道(Bregenzerwaldbahn)】
今日はオーストリアの保存鉄道ブレゲンツァーワルを訪ねます。
この鉄路は伐採木材と旅客輸送のために1902年に開業、ボーデン湖の港ブレゲンツ(Bregenz)からベーツァウBezauを結ぶ延長35.33㌔、760㎜ボスニアゲージの狭軌鉄道でした。1980年に谷間を走る区間が崖崩れで寸断され、再び復活することはありませんでした。現在は最奥部のシュワルツェンベルクベーツァウの約5㌔で保存鉄道として運行しています。
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2016年 西方見聞録 Part19 フルカ・オーバーアルプ鉄道、フルカ山岳蒸気鉄道を撮る

デジタル青信号をご愛読の皆様方、またご投稿者の皆さま方、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
ぶんしゅうは今年も投稿を続けさせていただきますが最近はボケが進行して来たのか、また初訪問の所が多く、中々記事がまとまらず投稿が遅れてばかりで申し訳ございません。加えて今回の旅ではカメラに取り付けた撮影場所記録をするGPSが不調で機能せず、もしもに備えてGPSロガーも用意していたのですがデータが飛んでしまう不運に見舞われました。こうなるとお手上げで、記憶を掘り起こしながら自力で行うしかなく、ボケ老人にはとても時間のかかる問題となりました。

第6日目 9月23日 その2

12:00 一旦ホテルに戻ってチェックアウトを行ってから荷物を載せて峠を目指しました。
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半世紀前の山陽電軌、併せて街の新旧対比(2)

半世紀前の下関市街を駆け抜けた山陽電軌の電車たち。前回は彦島口から出発して、魚の街下関市中を通り、唐戸交差点まで来ました。今回は唐戸から車庫のあった東駅までと、長関線の終点長府駅、途中の海岸べり壇ノ浦付近を眺めます。引き続き下関市街の現在の姿をgoogle Earth て懐かしんでみました。
▼唐戸電停の200型202号。三角交差点tの北側頂点の位置です。東駅への折り返しもできました。右手後方は商店街。 06517
▼広島相互銀行(現在の山口銀行)、南部町(なべちょう)付近を行く市内線下関駅行き512号。 06519
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2016年 西方見聞録 Part18 ゴッタルド峠を撮る①

【 ゴッタルゴ峠の鉄道 】
ヨーロッパ中央部を東西に横切るアルプス山脈を越える峠の1つに1220年に開通したスイスとイタリアを結ぶゴッタゴ峠(海抜2,108m)があります。アルフレッド・エッシャーによりこの峠を越える私鉄「ゴッタルゴ鉄道」が1871年11月1日に設立され、ゲシェネン(Göschenen、海抜1,106m)とティチーノ州アイロロ(Airolo、海抜1,142m)間の約15㌔に及ぶゴッタルド鉄道トンネルGotthardtunnel)等の難工事及び資金難をも乗り越えて1882年6月1日に開業しました。最高急勾配は26‰、この工事の岩山を掘削するために圧縮空気を使った削岩機が開発され初使用されています。アルフレッド・エッシャーのこの功績をたたえてチューリッヒ中央駅の正面には彼の銅像が建築されました。
ゴッタルゴ鉄道は、1909年に国有化、1920年に電化され、ミュンヘンミラノ間には1961年に国際特急電車TEEが走り高速化されています。
そして更なる輸送力アップ、所要時間短縮のために新たに世界最長のゴッタルドベーストンネルGotthard-Basistunnel)57.104㌔が掘削されました。既に貫通完成し、最高速度250km/h運行での営業運転は12月から始まります。
特急や貨物列車等の殆どの列車は新線を走る様になり在来線はローカル列車のみと予測されていますので今回は旧線を走行する列車を最後に撮影する機会となりました。
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半世紀前の山陽電軌、併せて街の新旧対比(1)

半世紀前、1962(昭和37)年3月、筆者が2回生の時、九州に渡る前の一日、下関市内で山陽電軌を眺めていました。その時の画像を整理しながら、停留所や、背景の建物、街の様子が、現在どんな風になっているか、google earth で眺めました。車両と併せて街の新旧対比をも紹介します。

先ずは山陽電軌道の位置です。
▼山陽電軌道路線概要
南から、大和町(やまとまち)線、市内線、幡生線、長関線からなっています。但し車輌の行き先表示板は市内線と長関線の二本立てでしたので、紹介はこれに従います
▼下関駅前、国鉄下関駅の正面に相対する位置でなく、駅の左手(北西方向)に偏っていました。画面左手方向は下関駅西口を経て彦島口に向かい、右方向へ進めば、市内唐戸、長府駅へ。車両は長関線長府駅行き800型802号。 以下日付はいずれも1962.3.20 06422
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2016年 西方見聞録 Part17 チューリッヒからゴッタルド峠へ

また長い旅に出ておりまして、長らく投稿を中断しておりました。申し訳ございません。もう1週間もすれば新年を迎える時節となって訪問時期とは3ケ月も過ぎてしまっていますが、「2016年 西方見聞録」の投稿を再開させていただきます。よろしくお願い申し上げます。

第5日目 9月22日

2日間にわたってチューリッヒのトラムに乗りましたのでどんな街並みを走っているのかだいたい分かるようになりました。今日はまだ乗っていない路線ともう一度乗ってみたい路線に乗車してから本隊と合流するスイス鉄道の名所、ゴッタルド峠へと向かうことにしました。

ホテルで荷造りを済ませてからキャリアーを有料ロッカーに預けて中央駅に向かいリマト川沿いを撮りながら歩いて3系統が走るハイム通りと来ました。
▲ 10:43 他の通りとは違って車が多く歩道側からは撮れません。道路中央にある電停”Neumarkt”からの撮影です。後方の古い建造物を入れてみました。
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 秋の北海道 鉄道ひとり旅 【7】

長万部13時16分発のキハ150-13単行の2943Dに乗車して、“ヤマ線”の乗車が始まります。最後にヤマ線に乗ったのが昭和47年3月なので、44年ぶりの乗車でした。発車時に乗車人数を数えると17人、意外に乗っているなと思った瞬間、次駅、二股は、データでは一日平均乗降数0人台なのに、なんと5人も下車、黒松内でも数人が下車して、車内は6、7人になりました。現在は、上下9本の普通列車が運転されています。44年前も普通列車は、上下12本の運転で本数はやや減った程度です。しかし、当時は、優等列車が上下10本も運転され、まだ幹線の面影を残していましたが、札幌~凾館の通し運転が、すべて室蘭線に移ってしまい、現在では皆無、完全なローカル線になってしまいました。そして、いよいよ、勾配区間に掛かり始め、高度を稼ぐために右に左にカーブして、後志の山々に挑みます。今回の旅行で、いちばん確かめたかった、いまは無き上目名駅跡に差し掛かります。

列車の前部に陣取って上目名駅跡を注視

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 秋の北海道 鉄道ひとり旅 【6】

長万部駅では乗り換え時間が2時間近くあります。撮るような列車もない時は、街歩きに限りますが、外を見渡してもシャッター通りが続くばかりで、期待した成果も見込まれないようなので、駅にある、みやげ販売を兼ねた観光案内所で聞き込みをします。ここで、思いもしなかった情報が入りました。つぎのダイヤ改正で、長万部町にある7つの駅のうち、北豊津、蕨岱の2駅が廃止になるということでした。聞いたときは衝撃が走りましたが、先週発表されたJR北海道の2017年3月14日のダイヤ改正のプレスリリースで、「ご利用の少ない駅を廃止します」と明示されており、今となってはスクープでも何でもありませんが、過去に撮影もしたことのある2つの駅が廃止になるのは、驚きのニュースでした。
大沼~森の前後にある、東山・姫川・桂川も廃止される。写真は、車内から見た姫川駅

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 秋の北海道 鉄道ひとり旅 【5】

“秋”の報告のはずが、すっかり冬になってしまいました。先を急ぐことにします。今回は、過去に訪れた長万部駅の様子を集めてみました。初めて北海道を訪れた昭和43年8月、青函連絡船で函館に着いて、五稜郭機関区を訪れたあと、長万部に午後着きました。以後、長万部では、乗り換え、機関区訪問、食事、はたまたステーションホテルと、ずいぶんお世話になりました。長万部と聞いて、まず浮かぶのは、前回のようにC62重連の出発・到着駅であることですが、さすがに道南のジャンクションだけあって、さまざまなシーンが見られたものでした。

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可部線延伸区間を歩く

来年春に可部・あき亀山間1.6Kmが延伸開業予定で、今月23日からは試運転も始まることになっています。可部・三段峡間が廃止されたのは13年前の2003年(平成15年)12月1日。一旦廃止された区間が一部とは言え再び開業するのはJRになってから初めてということで話題になっています。今回延伸される区間は廃止後そのままの姿で残されていましたので、様子を見に平成23年の夏に廃線跡の一部を歩いたことがありました。それから5年が経ち、再起も近いということで再び訪ねてみました。廃線跡歩きは各地で何度も経験していますが、開業前歩きは初めてです。なお廃線跡歩きは通常路盤内を歩くことが多いのですが、今回はもちろん線路内ではなく 線路につかず離れずの道路歩きです。

まずは可部駅の風景の比較から。

平成23年7月15日 5年前の可部駅3番ホーム かつてこのホームから気動車が三段峡に向かっていた。構内踏切を渡って左手のバス乗り場に行けた。

平成28年12月12日 構内踏切は廃止され 跨線橋が完成。線路のカーブが緩和され、ホームの先端も左へカーブ。

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