八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part18 ジャカルタの国電 乗り鉄、撮り鉄一人旅 2の2

第10日目 8月5日 ジャカルタの国電 2の2
① Airport 10:00(Taxi)→11:15 BatuCeper11:39(国電)→11:45タンゲラン
② タンゲラン13:00(国電)→13:35 Duri 13:53(客レ)→14:10 Kebayora
③ Kebayora(国電)14:47→TanahAbang→15:20 PondokRannji
④ PondokRannji 15:30→15:50 TanahAbang 16:09→16:57 Kemayoran
⑤ Kemayoran 17:10(Taxi)→17:45 Airport
⑥ ジャカルタ21:55(JL726)→7:25成田(バス)→羽田10:30(JL113)→11:35伊丹

01_地図1▲ ジャカルタ空港からタンゲラン駅への軌跡です。鉄道と交差する踏切から右に曲がればすぐなのですが、T字路になっていて向かう道路がありません。
02_タンゲラン1駅に通じる道も市場にさえぎられていて大きく迂回しなければ辿りつけられません。おそらく乗車した2台のTaxiの運転手は行ったことがなかったのでしょう。この周辺に住まれている住人でないと分からない駅です。

1つ手前の駅、BatuCeperで降りて電車でタンゲランに向かうのがもっとも早く着く、確実な行き方ですね。
空港からインドネシア国電に乗られる方はこのルートをお奨めします。距離的には10数キロです。

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八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part17 ジャカルタの国電 乗り鉄、撮り鉄一人旅 2の1

第10日目 8月5日 ジャカルタの国電 2の1

インドネシアSL撮影の旅では、皆さんが帰国された後、1人最後に残りました。前日に帰国することも出来ましたが、1日違いで航空券代が高くなり、もう1泊しても滞在費用を十分にまかなえるくらいありましたのが理由でした。今日は前回、乗車も撮影もできなかったインドネシアの国電のリベンジです。
さすが疲れも最高潮ですので、朝はホテルでゆっくり朝食をとって荷物を整理してからとしました。深夜の便で帰国しますので、チェックアウトをして、荷物をクロークに預けて10時の出発です。

02_KRL地図3

01_KRL路線図_縮小▲ ジャカルタ都市圏を走行する近郊電車の路線図です。

インドネシアで初めて鉄道が開通したのは1867年8月10日、スマラン~タングン約25キロでした。
しかし、ゲージは標準(1,435㎜)であったために工費に膨大な費用がかかり、不採算になりました。

そのため以降のゲージは狭軌(1,067㎜)が採用されることが多くなりました。狭軌鉄道が最初に開通したのは、ジャカルタからボゴールまでの路線で、上の路線図の中央の赤線区間です。
NIS(蘭印鉄道会社)によって建設され、1873年1月31日に開通しています。またこの区間は1925年に初めて電化された区間でもありました

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保存車両とその現役時代(協賛編)その5

毎度山陽路の話題で恐縮です。今回は片上鉄道DD13552です。1991年(平成3年)7月1日の営業廃止から22年が経ちました。柵原鉱山から片上港に硫化鉱を運ぶ鉱山鉄道として長大編成の貨物列車や朝夕の客車列車など独特の雰囲気の鉄道でした。廃止時には2両のDD13がいたのですがDD13551は終点の柵原のひとつ手前の旧吉ケ原駅跡で動態保存されています。柵原ふれあい鉱山公園として整備された吉ケ原駅に 片上鉄道保存会や地元美咲町所有の11両が大切に保存され、そのうち9両が動態という優等生の保存鉄道です。今回はこのDD13551の紹介ではなく もう1両のDD13552のご紹介です。JR赤穂線西片上駅の南西500mほどの海岸に旧片上駅跡があります。1面の旅客ホーム、機関区、数多くの留置線、そして貨物船に硫化鉱を積み込むためのホッパー設備などがある広大な駅でした。その片隅に今もDD13552が保存というより 保管?されています。まず直近の平成25年9月9日の状況をご紹介します。

平成25年9月9日撮影

平成25年9月9日撮影

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八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part16 Purwosari駅機関庫とソロ街角散歩

第9日目 8月4日 Purwosari 駅機関庫とソロのグデ市場

ソロはジャワ島の中心部に位置します。正式名は1745年、マタラム王国の王都がソロ(Solo)の地に移され名付けられた「スラカルタ」ですが、今もかつての名前で呼ばれています。
1749年には王位継承争いが勃発、王都はスラカルタジョグジャカルタに分裂して、王宮が2つ存在する結果となりました。宮廷文化が残る古都で訪れる観光客も多いそうですが、私はそういったものには関心がありません。日頃家事をしていますので、関心があるのは庶民の暮らしです。暮らしを分かるには市場に行って食材を見るのが一番です。
今日は、タクシマド製糖工場へ行かれるO氏とMさんを見送ってから、アリフさんに知っておられる『ペチャ』を予約していました。
ところが約束の時間になっても来ません。これが『ゴム時間』なのでしょうが、午後からはジャカルタに戻るフライトがありますので、時間を取られるのは困ります。ホテルのお姉さんに頼んでアリフさんに電話をしてもらいました。約40分も遅れての出発でした。

00_地図202_ペキャ▲ 今日の午前中の軌跡です。
まずはPurwosari 駅の機関区を見てみたいと向かいました。

01_温度

朝の温度は20℃、とてもすがすがしく、こんな時に乗るペチャは最高です。
ホテルからは、地道をゆっくりと走り、約4キロ強を約20分で到着しました。

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八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Partr14 タクシマド(PG.Tasikumadu)製糖工場

第8日目 8月3日 その2 タクシマド製糖工場

ソロ市内線撮影後は、昨夜行ったタクシマド製糖工場へと再び向かいました。
10;25、Purwosari 駅から約40分で到着です。今日も雲一つなく晴れあがっています。夕暮れの『ギラリ』が期待できます。

01_ヤード1[googlemap lat=”-7.57809″ lng=”110.931893″ align=”left” width=”300px” height=”200px” zoom=”17″ type=”G_SATELLITE_MAP”]Tasikmadu, Karanganyar, Jawa Tengah 57721 インドネシア[/googlemap]▲ 左側後方に見えるのは積替え場のクレーンです。ここでトラックからローリーへと積替えて、右側の工場ヤードへと牽引します。
タクシマド製糖工場では、積替えと工場へのヤードが平行して隣り合わせになっていますので、満載ローリー編成を一旦ヤード外に出してからスイッチバックで押し込みます。
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保存車両とその現役時代(協賛編)その4

岡山臨港鉄道をもう1両ご紹介します。先のDL102号機から歩いて5分ほどのところにキハ7003がきれいな状態で保存、かつ利用されています。岡山市南区千鳥町7-7 ちどり保育園の園庭にあります。

キハ7003 平成25年9月9日 ちどり保育園にて

キハ7003 平成25年9月9日 ちどり保育園にて

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八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part13 ソロ(Solo)市内線

第8日目 8月3日 その1 ソロ市内線

08_住民の皆さん6▲ 我々がチャーターした列車がSoloKota 駅に到着すると、付近の住民の皆さんが一斉に集まってこられます。子供たちにとっては、絶好の動く遊び場です。列車は、たちまち子供たちに占領されてしまいました。

今日は午前中、ソロ市内を走るチャーター列車撮影、その後は再びタクシマド製糖工場へと向かいます。
01_地図3ソロ市内線は、本線の、Purwosari から分岐して、約33キロ南にあるWonogiri(ウォノギリ)へと向かう支線です。

Purwosari 駅を発車すると、右へ大きくカーブして本線から離れていきます。
そして市内のメインロードを横切り、道路端を行く併用軌道です。
約5キロを自動車やバイク等と一緒に走ります。

少し行きますと、SoloKota 駅へと進入します。
昨年はここから河を超える鉄橋の向こうまで行きましたが、今年はこの支線自体が運休しており、SoloKota 駅までとのことです。

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保存車両とその現役時代(協賛編)その3

国鉄蒸機だけでは息切れしますので、私鉄に手を伸ばしました。今回は岡山臨港鉄道のディーゼル機関車102号機です。終戦間近の昭和19年に軍需工場の専用線として11月に着工したものの、終戦を迎え結局昭和22年2月に汽車会社の専用線として開通したのが岡山臨港鉄道のルーツです。昭和59年12月30日に廃止されました。廃止時点で5両のディーゼル機関車が在籍、江若から来たDD1352もその中の1両です。その5両のうち102号機が現在も良好な状態で保存されています。場所は岡山市南区海岸通2丁目の岡山臨港倉庫運輸の玄関先です。同社は車庫のあった南岡山で現在も盛業中の岡山臨港鉄道の後継会社です。

102号機 平成25年9月9日 岡山市南区にて

102号機 平成25年9月9日 岡山市南区にて

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保存車両とその現役時代(協賛編)その2

今回は皆様おなじみのC575です。姫路市御立(みたち)交通公園に保存されています。姫路城の北西約4Km 夢前川畔にあり、子供たちが自転車などで走るコースになっていて 交差点や立体交差がある自動車教習所のミニ版のような公園でした。その公園の片隅にあるのですが、なぜか周辺の大木がすべて伐採されていて、撮影にはもってこいでしたが、公園の光景としては異様でした。

C575 平成25年9月7日 姫路市御立交通公園にて

C575 平成25年9月7日 姫路市御立交通公園にて

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保存車両とその現役時代(協賛編)その1

準特急殿の「保存蒸機とその現役時代」を毎回楽しく拝見している一人です。保存の様子とその現役時代の両方を自ら撮影した車両は蒸機に限らず思いのほか無いもので、準特急殿の情報量に圧倒されております。今回クルマで京都まで走る機会があり、高速道路を走り続ける単調さがイヤなので、沿線の保存車両を調べておいて 立ち寄りながら往復しました。その結果 私にも準特急殿のマネができるネタができましたので ご紹介したいと思います。なお蒸機と限定してしまうと苦しいので あえて「保存車両」としました。まずはC11200です。場所は兵庫県たつの市中川原公園です。山陽道龍野インターを降りてすぐの便利な場所です。屋根の無い状態ながら非常に良い保存状態でした。C11200-3

C11200-1

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八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part13 タクシマド(PG.Tasikumadu)製糖工場

第7日目 8月2日 その4 タクシマド製糖工場

01_地図17時過ぎにタクシマド製糖工場へと向かいます。途中の通り道は、眼下に町が見渡せる山岳を行くスカイラインに決まりましたが、買い物に出かけたアリフさんが中々戻ってきません。陽が沈んでしまう夕闇前には行きたいのですが・・・・。
ようやく戻ってきましたが、体調のすぐれない方のためにと忘れずにと頼んだ、ポカリスエットを買い忘れる始末にリーダーのO氏もしっかりしてくれと呆れ顔です。

O氏は何度もこの地を訪れておられた先輩から 『 インドネシアには、ゴム時間がある。気を付けるように。』と、教えられたそうですが、次の行動のための時間を考えていません。肝心な事が抜けてしまうのは本人の性格だと思いますが、時間の管理ができないのは、トラベルエージェントとしては問題です。

製造管理の総責任者でもあったリーダーのO氏は、その都度に厳格な時間管理を要求されます。我々同行者にとっては頼もしい限りで、これまでの行動にはその度にチェックを入れられて、アリフさんのミスを未然に防ぎ、救われました。経緯がどうであろうとも常に結果のみを追い求められる営業畑を歩いてきた私にとっては、経緯の時間の大切さも改めて知る機会でもありました。ただ顧客に接した時の集中力だけは磨きぬきましたので、鉄道写真撮影の際には大いに役立ちました。唯一誇れる社会生活での収穫だったのかも・・・。

チャーター車は夕暮れの中を走り出しました。タクシマド製糖工場へは2,000m超の山が立ちふさぎます。気温もぐんぐん冷えてきて車の窓をオープンにしていられません。急坂の続く曲がりくねったスカイウェーを登り切った所で降りました。標高は約1900mです。眼下に遠くの町の明かりを見ましたが、100万ドルの夜景には程遠く、これはジャワ島中央ですから仕方がないですね。
その代り、夜空に輝く星は素晴らしく、よく見えました。

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八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part12 パゴッタン(PG.Pagottan)製糖工場 訂正と追加

第7日目 8月2日 その4 パゴッタン(PG.Pagottan)製糖工場 ※追加

Part12で投稿させていただきましたパゴッタン製糖工場のE型無火機関車につきまして、 「7号車の動輪部分です。ロッドは4軸のみに連結されていますが、5軸目は内部の歯車で伝達されています。」 と掲載しました。
しかしながら団長様より、『 ロッドがかかっているのは中央3軸だけではないでしょうか? 』とのご指摘のコメントを受けました。
確認しますと確かにご指摘のとおりです。メカについてよく分かっておらず、間違いがありましたこと申し訳なく、失礼をしました。ここに訂正させていただきます。

10_ロッド▲ 7号車の動輪部分です。ロッドにかかっているのは確かに中央3軸だけで、前後の2軸は内部で歯車によって伝達されています。小さな身体で重いローリーを牽引する製糖工場の機関車です。動輪は多くなります。そして急カーブの多い路線を走りますので、曲がりやすくするために、このような複雑な機能を持っているそうです。

間違いは、もう1つありました。
「 8号機を横から見たカットです。帰国後にTJさんからお聞きしましたが、この機関車たちはすべて無火機関車に改造されています。・・・・・・」と掲載しましたが、O氏より 『 ファイアレス(無火機関車)を指摘したのは、TJさんでなく、小生の先輩のKC氏です。彼は、小型ロコのマニアで昭和30年代に北海道の甜菜糖工場南大東島のさとうきび工場にも行っておられます。
JAWAには30年以上も前から20回以上行かれています。その彼から、ファイアレスだよと指摘されたのです。それを、今回の参加者に伝えたのです。・・・・』 とのメールが参りました。又聞きだったようで、KC様TJ様にも失礼いたしました。申し訳ございません。訂正させていただきます。

O氏からは、2009年に訪問された時に撮られた、まだ蒸気機関車だった頃の写真を送っていただいております。掲載了解もいただいておりますので、ご覧ください。

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八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part11 パゴッタン(PG.Pagottan)製糖工場

第7日目 8月2日 その3 パゴッタン(PG.Pagottan)製糖工場

01_カニゴロ→パゴッタン_地図01_パゴッタン製糖工場_地図[googlemap lat=”-7.704421139480215″ lng=”111.53778433799744″ align=”left” width=”300px” height=”250px” zoom=”17″ type=”G_SATELLITE_MAP”]インドネシア[/googlemap]
▲ カニゴロ製糖工場撮影後は、近くにあるパゴッタン製糖工場へと向かいました。
16:25、約15分で到着しました。

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八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part10 カニゴロ(PG KANIGORO)製糖工場

第7日目 8月2日 その2 カニゴロ(PG KANIGORO)製糖工場

01_カニゴロへの地図

02_昼食飲茶1チェプー森林鉄道訪問後は南へと向かいました。
午後からは、カニゴロ製糖工場、次にパゴタン(PG.Pagottan)製糖工場を訪問してタクシマド製糖工場にて夜撮となります。

14:00、途中、お腹が減ってきましたので中華料理屋を探してもらって入りましたが、何とインドネシアでは珍しく、飲茶があります。
これは感激です。

お給仕していただいたのは、インドネシア美女のお二人。
いっそう美味しく、いろいろと注文して、たらふく食しました。

15:07、昼食後は、チェプーから約80キロにあるカニゴロ製糖工場に着きました。

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八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part9 チェプー(Cepu)森林鉄道

第7日目 8月2日 その1 チェプー(Cepu)森林鉄道

06_日の出の歓迎▲ 6:16、朝日が差し込みだしたチェプーの森の中、早起き一家が総出で、笑顔いっぱいの歓迎で迎えてくださいました。近くの子供たちも一緒です。今日も朝から元気をいただいてからの撮影開始です。ありがとうございました。 

01_チェプー森林鉄道路線図▲ 今日の午前中は、かつてインドネシアに分布する貴重なチーク材を運んだチェプー森林鉄道を初めて訪れます。レール幅は1067㎜の狭軌です。どんな蒸気機関車に出会えるか楽しみです。上の地図は今日の軌跡です。いつものようにO氏からご提供いただいたGPS地図を原本に作成しました。ご紹介させていただきます写真と合わせてご覧ください。
黄色の線が今回乗車しましたチェプー森林鉄道の路線図です。緑色の線は廃線になったようで、今回乗車できませんでしたが、Google地図で辿ってみました。機関区からの標高差は乗車できた終点までで約80m、路線距離は約15キロだろうと思われます。丸印の番号は降りて撮影したポイントです。

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八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part 8 スラギからチェプー(Cepu)へ

第6日目 8月1日 スラギ製糖工場からチェプー
① ホテル(チャーター車)→スラギ製糖工場→セマラン国鉄駅
② セマラン17:05(170列車)→21:15チェプー01_地図_スラギ→チェプー1スラギ製糖工場撮影後は、チャーター車にのって、チェプー(Cepu)へと向かいます。
移動距離は約260キロ。順調にいけば約7時間程度の所要時間だろうと思われます。
今回の当初プランではラック式鉄道で有名な「Ambarawa」へ向かう予定で進めていましたが、7月半ばになって「Ambarawa」は、チャーターしてもフォトランを認めなくなった。」との情報が、飛び込んできました。
リーダーのO氏が現地ガイドのアリフさんに確認を取られますと、「フォトランはできるが、Ambarawa保存鉄道は国営で、公務員の勤務時間は9時から16時である。よってチャーターはこの時間内に限られる。」と、調査返答がありました。
昨年は14時過ぎから乗り鉄旅を、そして夕焼けを狙って18時過ぎまでチャーターしました。16時までのチャーターとなると肝心な夕焼けでの撮影ができません。リベンジしたかった”ギラリ”も見られません。貴重なラック式鉄道ですので乗り鉄でも楽しめますが、期待感は半減以下になります。参加者皆さんの意見を聞かれてから代替案として浮上してきたチェプー(Cepu)森林鉄道に変更することに決まりました。チェプーには、かつて優良高級材のチーク材を運搬していた森林鉄道があったそうです。現在は伐採禁止となって廃線になっていましたが、この度観光用として復活したそうです。森林鉄道大好きな私としては大歓迎です。
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駅を旅する 〈11〉

長崎

長崎本線の終点、長崎である。

最初に訪れたとき、三角屋根に時計台を備えていた駅舎は三代目で、原爆被災から4年後の昭和24年にできたと言う。現在では、完全な終端式の駅となっているが、当初は、通過式の配線だった。その先に長崎港駅があり、もっと以前は旅客営業も行っていたが、訪れた当時は、貨物のみ扱っていた。

駅に隣接して長崎機関区、客貨車区があったが、当時は配置機関車がなく、鳥栖、早岐の機関車が出入りしていた。ターンテーブルの周りに扇形庫はなく、たいへん広々した機関区だった。

長崎港への貨物線は、昭和62年、国鉄民営化時に廃止され、平成12年には、現在の四代目駅舎が建設され、終端式の構造に改められた。

以前は、長崎始発の東京・大阪方面の優等列車が運転され、駅の格を高めていたが、平成20年に特急「あかつき」が廃止以後、すべて九州内のみの運転となっている。

また2022年開業予定の九州新幹線の長崎乗り入れに向けて、駅の立体化工事と周辺の整理事業が進行中で、もと長崎機関区・客貨車区、現在の長崎運輸センターの移転が焦点だったが、早岐駅と構内への移転が決定したと言う。

長崎IMG_0031sy▲鳥栖のところでも触れたように、昭和42年の訪問時、長崎本線の優等列車はDD51化されていたが、臨時列車はまだ鳥栖区のC60が牽いていた。長崎駅でも、C6026[鳥]の牽く大阪行き急行「第二玄海」の発車をとらえた。これを、鉄道ピクトリアルのトピックフォトに投稿したところ、初採用となった。高校2年生だった。嬉しくなって、学校へ持って行って、みんなに見せた。この号だけがボロボロになって、いまもその時の感動を伝えている。(昭和42年)長崎IMG_0033sy▲長崎駅前の風景。路面電車はバスに隠れてしまったが、その分、自動車が時代を語っている。その後に、付近にペディストリアンデッキが設置され、見通しが悪くなった。(昭和42年)

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八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part7 PG.SRAGI(スラギ製糖工場)

第6日目 8月1日 スラギ製糖工場

01_子供たち▲ ヤードの中を自転車3人乗りで、笑顔で走る仲良し3人組。兄弟なのでしょうかね。
東南アジアで訪問したタイ、ミャンマーやインドネシアではいつも笑顔が見られます。いずれも発展途上国です。発展していくとなぜか笑顔が消えていくようにも感じました。どうしてでしょうかね

今日は朝からスラギ製糖工場へと向かいます。ホテルからは約20キロ、8時前に到着しました。01_地図101_地図2[googlemap lat=”-6.925510900148495″ lng=”109.55952644348145″ align=”Left” width=”300px” height=”250px” zoom=”16″ type=”G_SATELLITE_MAP”]Pekalongan, Central Java, インドネシア[/googlemap]
▲ スラギ製糖工場は、スンバルハルジョ製糖工場のようにフィールドへと走行する路線は既に廃線となっていますが、現役蒸気機関車も多く、とても広いヤードが広がっています。私が見た中でも1番大きく、取扱い量も最大と思えました。

地図上のGoogleをクリックしていただきますと大きな地図になります。

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八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part6 PG.SUMBERHARJO(スンバルハルジョ製糖工場)

第5日目 7月31日 スンバルハルジョ製糖工場

00_こどもたち▲ 指令所前で集まってきた子供たち。昨年もいました美少女は、背が高くなり、一段と綺麗になっていました。一緒に連れてきているのは妹さんでしょうか、幼い子供の守りもできるいいお姉さんです。

06_ひつじ▲ 今日はもう1カット。バイク、自転車、大型車と頻繁に往来が多い道ですが、現れたヒツジさん。マイペースが僕の持ち味と悠然と横断していきます。シュガートレインが道路横に走る昼下がりの、のどかな光景でした。

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駅を旅する 〈10〉

佐賀 

九州7県の県庁所在市なかで、佐賀は、格段に目立たない都市だ。人口規模も少なく、確たる観光資源もない。

駅も同様だ。佐賀線(昭和62年廃止)、唐津線が分岐するものの、それほど目玉の列車や車輌が撮れる訳でもない。私も、熊本以上に撮影点数は少なく、これと言った印象はないままに終わっている。佐賀には佐賀青年会館というユースホステルがあって、そこに一泊した際に撮った程度だった。佐賀IMG_0034sysy▲地上の佐賀駅2番ホームに到着した、佐世保発鳥栖行き426レ。C57124[早]牽引。現在、駅は高架化されている。この列車に乗って、前記の鳥栖機関区へ向かった。どこでも撮れる、特徴のない写真だが、美しく整備された早岐区のC57に朝陽が当たり、打ち水されたホーム、売店、佐賀らしい「サロンパス」の看板、背後の跨線橋、と当時の幹線の主要駅の風情が随所に出ていると私は思っている。(昭和42年)

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