40年前の内灘駅

ぶんしゅう殿の北陸一人旅シリーズを楽しく拝見しております。北鉄浅野川線内灘駅のカットを見て、40年前を思い出しました。昭和48年7月23日にDRFCのメンバーと尾小屋鉄道、東洋活性白土を訪ねた際に立ち寄っています。誰と一緒だったかが判然としませんが・・・。

内灘駅全景

内灘駅全景

ぶんしゅう殿の写真では右手奥にホームがあるようですが、この時は手前にホーム、奥に留置線でした。左手にもう1線分岐していますが、この線路が昭和49年8月に廃止された 粟ケ崎海岸まで行っていた線路です。正式な廃止は昭和49年ですが、訪れたこの時点でも線路上に木が生い茂る廃線状態でした。

朽ちかけた駅名標

朽ちかけた駅名標

 当時 クラブ内で廃線跡を訪ねるのがちょっとしたはやりで、この時も廃線跡を歩くことになりました。暑い陽ざしのなかを1.3Km砂丘を越えて歩きました。

砂丘を越えて伸びる廃線跡

砂丘を越えて伸びる廃線跡

架線柱も架線もそのまま、レールも延々と続くのですが、写真のように林になり線路上は歩けませんでした。大正年間に粟ヶ崎遊園地という大娯楽センターが作られ、広大な砂丘に動物園、野球場、料亭、更には大劇場まで作られ 何と粟ヶ崎少女歌劇団まで組織されて 北陸の宝塚を目指したそうです。しかし戦時中に軍に接収されて夢は潰えてしまったようです。戦後は金沢市内から海岸駅まで直通電車も走ったそうです。この区間の運行が廃止されたのがいつなのかはわかりません。 

海岸駅の終端 車止め

海岸駅の終端 車止め

ようやく着いた粟ヶ崎海岸駅跡は砂防林の中で砂に埋まっていて、終端の車止めが砂丘から飛び出していました。線路は2線あったようですが全景を撮影できるような状況ではなかったと記憶しています。すぐ海だったと思うのですが 海の風景は全く記憶にありません。現在の地図を見ると砂丘地帯は一大住宅地に変貌し 道路も整備されているようですね。廃駅跡を見届けて 汗を拭き拭き今来た道を内灘まで戻ったのは遠い昔の思い出となりました。

4 thoughts on “40年前の内灘駅

  1. いつも地方鉄道を訪問する時はかつての鉄道地図を持っていきます。この時も海岸線まで路線があったと廃線跡を探しましたが、内灘駅から先は西村君の投稿された通り住宅地に変貌されていて痕跡など探しようもない状態でした。
    昔の内灘駅の写真を見させていただきましたが、真ん中にあったホームはなく変わっています。でもまだ駅がなくなっていないだけでも良しとしないといけないのでしょうね。

  2. ぶんしゅう様
    廃線跡を気にされていたのですね。40年も経っているのですから 痕跡がないのが普通でしょう。金沢側が地下というのも驚きでした。引き続きのレポートを楽しみにしております。

  3. 西村雅幸様

    内灘~粟ヶ崎海岸間を電車が最後に走ったのは、昭和47年8月31日で、翌日の9月1日付で休止となっています。
    正式な廃止は昭和49年7月8日で、訪れられた昭和48年7月は正式な廃止前のため、レール等が残っていたものと思われます。

    3年前の平成22年11月12日【10260】に、昭和46年の状況を投稿していますので参考にして下さい。

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