第8日目 10月19日
6:00、道の駅滑川でいつも通りの起床です。夜明け前の空からは予報通り、雨が降っていました。北陸に来て以来1週間を過ぎましたので、今日は撮影で飛び回るよりゆっくりとした休養が必要です。昨日、「生地」で汲んだ湧水を使って、車内で美味しいコーヒーを入れて、朝のTV放送を見ながら、仕入れておいた朝食を食べます。自宅にいる時と変わらずの久しぶりのゆっくりとした時間を過ごしました。
今日と明日は、2日間フリー乗車券を利用してダブルデッカーエキスプレスと土日祝にしか走らないアルプスエキスプレスの乗り鉄をすることにしています。
ダブルデッカーエキスプレスの朝の休日運用は、平日と違って電鉄富山~立山を往復していますが私は今、滑川にいます。電鉄富山へ行くには、6:35の電車に乗らなければなりませんが、今日はパスです。次の電鉄富山~上市の運用からでもいいやとしました。
滑川を9:21に出る電車に乗れば、ダブルデッカーエキスプレスの電鉄富山発車に間に合います。JR滑川駅に入線してきたEF510-15号機のコンテナ貨物列車を見ながら待ちました。
予定通りに乗車しましたが、何か足りないと気づきました。カメラバックを待合室に忘れていました。次の駅、中滑川で交換する電車に乗って折り返しです。やはり疲れているのか朝から大失態です。
滑川に戻ると待合室に忘れ物はまだありました。早く気が付いて良かったですね。朝からこれでは、今日は気を付けないといけません。
仕切り直しで、次発の滑川9:47の電車に乗車しましたが、電鉄富山の発車にはもう間に合わなくなりました。
でも大丈夫、一つ手前の稲荷町で降りれば、電鉄富山から来るダブルデッカーエキスプレスに乗車できます。
2日間フリー乗車券を購入したいのですが、ワンマンカー運転手は持っていません。お聞きしますと稲荷町駅では購入できますとの返答をいただきましたので、到着後走りましたが市内線フリーきっぷしか売っていません。どうもしっかりとした乗務員教育ができていないようです。朝からダッシュ2回です。疲れました。
ダブルデッカーエキスプレスが入線してきますので諦めて、またホームまで走りました。
① 滑川9:21(122)→9:23西滑川9:25(19)→滑川9:47(24)→10:24稲荷町
② 稲荷町10:27(1025)→10:48上市10:52(1026)→11:16電鉄富山
▲ 2階席に上がりますと京阪時代と変わらぬ2+2の集団離反配置です。
スイッチバックが多い欧州鉄路ではこの座席スタイルを多く見かけます。富山地方鉄道本線は、立山でスイッチバックしますのでこの方が良いのですね。▲ 1階席は、2+1固定シートの同じ集団離反配置。特急運用時の2号車は、全席210円の割増料金になっています。この路線は車窓が売りの1つでもあります。2階席はその価値十分には思えますが、他の席は1号車、3号車と変わりありません。割増料金を支払って乗車する客がいるのでしょうか?
東海道新幹線には、かつて2階建車両がありましたが、2階はグリーン席に、1階は普通席にしてありました。1階は他の普通席車両の2+3と違っての2+2の座席配置で、座席幅がゆったりとしていたのでお得感があり、東京出張の時は好んで乗車していました。それを考えると心配です。
車掌さんが乗車しておられましたので全線2日フリー乗車券を求めましたら、「持っていません。」と、返答が来ました。先ほど稲荷町で降りて買い求めたがなかった。ではどこで売っているのか。この列車の終着駅の上市ではあるのかを聞きますと、「分からない。」と言い、「滑川から乗車されたのなら、稲荷町までと稲荷町から上市までの運賃を支払ってください。」と、請求がきました。
おいおい、それはないだろう。それでは重複払いになる。私はどこで売っているのか教えて欲しいと聞いているのだと言うと、「誰から稲荷町に売っていると聞かれたのですか。」と、話を転換してきました。..
こりゃダメですね。年寄喧嘩せずです。「車掌さん、あなたと話していても喧嘩になります。折角楽しい旅に来ているのに私も好い気はしません。駅員のいる駅で降りますので、降りたら責任者とお話します。そうしませんか。」と、申して了解していただきましたが、普通の客なら許されないと思いますよ。
いったい、この電鉄はどういう社員教育をしているのでしょうかね。いくら立派な車両を入れても乗務員がこれでは、ダブルデッカーエキスプレスが泣いていますよ。
列車は上市で折り返して、電鉄富山へ戻ります。どうせなら電鉄富山で買えばいいやと、沿線の一味違った車窓を見ながら乗車を楽しみました。
結局、全線2日フリー乗車券は、電鉄富山を降りた時に改札口で申し出ますと、何の問題もなく、すんなりと買うことができました。
ダブルデッカーエキスプレスの次の運用は、12:14発の宇奈月温泉行きの特急UN5列車です。約2時間の待ち時間がありますので、その間を利用して市内軌道線でまだ乗っていない3系統の環状線の乗り鉄をすることにしました。
環状線は、バリアフリー化して成功した富山ライトレイルに学び、一旦は廃止された市内環状線を同じコンセプトで復活開業させました。走るのは、富山ライトレイルや万葉線と同じ新潟トランシス社製2車体連接LRV(超低床車)です。
11:41 ちょうど駅前停留所にLRVが参りましたので乗車しました。
▲ 今までの路面電車のように乗りにくさはありません。大きな窓で車内は明るく乗り心地も良くて快適です。フランクフルトやミュンヘンで乗ったLRV同様の雰囲気で町を快走します。
③ 富山駅前11:41(環状線)→12:03富山駅前
④ 電鉄富山12:14(うなづき5号)→13:19宇奈月温泉
約20分の環状線乗車で駅前に戻りました。ホームでは、ダブルデッカーエキスプレスがお待ちです。
▲ 外観は京阪時代の京都三大祭の1つ、時代祭の行列が描かれたままで、エレガン都 エクスプレスとしての趣が残されています。
まずは、車掌さんから座席指定券を買い求めます。席は勿論2階席窓側、2階のお客はグループ連れが2組と親子連れが1組だけで約半分の乗車率です。
さっそく弁当を広げます。今日の昼食は電鉄富山駅内のマリエとやまで物色した可愛いお弁当です。
▲ 1時間5分のダブルデッカーエキスプレスの乗り鉄旅を楽しみ宇奈月温泉に到着。黒部渓谷鉄道宇奈月駅に行ってみました。紅葉真っ盛りなら込み合わない平日に乗ってみたいと思っていましたが、今年の紅葉はまだまだで、1週間は遅れているそうです。20~30分間隔でトロッコ電車は発車していますが、空席は結構ありました。
⑤ 宇奈月温泉13:52(うなづき10号)→14:56電鉄富山
再びダブルデッカーエキスプレスに乗って折り返しで電鉄富山へと向かいます。
復路の乗客も往路同様で、上市でスイッチバックする際に席を代えられました。
電鉄富山に着きますと、車掌さんはヘッドマークの特急表示をカバーで隠されます。今日のダブルデッカーエキスプレスの運用はこれで終了。明日朝の仕業に備えて車庫に引き上げていきました。
朝降っていた雨は午後から止みました。夕焼けが見えるかどうか分かりませんが、白山連峰に夕日があたれば良い光景になるだろうと、常願寺川鉄橋に行ってみることにしました。
⑤ 電鉄富山15:13(145)→15:21越中荏原
▲ 乗車したのは、14760系1979年製、14763+14764の富山地方鉄道特急色編成です。乗車客はパラパラで宇奈月温泉に向かいます。
▲ 15:21 常願寺川鉄橋の手前の越中荏原で下車しました。ここから鉄橋までは徒歩約10分です。
▲ 16:30 横浜から飛行機で来たという鉄ちゃんと2人で待つこと約1時間。通過時間になりカメラを構えましたが、来たのはアルプスエキスプレスではなく、14773+14774の2両編成です。
ヘッドマークは付いていますので「うなづき号」に間違いありませんが、16010系ではありません。どうしたのでしょうか。
横浜から来た青年は、午前中の運用を撮った時は、アルプスエキスプレスの編成でだったと言います。午後の運用ですり替わってしまったようです。
16:51 日没間際には雲の切れ間から夕陽が見えてきました。空が夕日に薄く染まるまで待ってのカットで引き上げました。
⑥ 越中荏原17:09(334)→電鉄富山/富山駅前17:25→17:33西町
電鉄富山到着後は市内線の夜間撮影をすることにしました。
▲ 17:39 西町交差点を富山駅前へ向かう7021号車。ズームで流し撮りに挑戦しましたが、ピントは合ったもののシャッタースピードが速すぎましたね。
【DATA】 ズーム44㎜ F4.2 1/50秒 ISO6400 露出補正-0.3段
▲ 18:02 富山城をバックに撮りたいと大学モール前で待ちました。
【DATA】 ズーム90㎜ F5.3 1/20秒 ISO1600 露出補正-0.3段
▲ 18:11、カーブして入線してくる所をホームから狙ってみました。夜とはいえ車が走っていますので、シャッターチャンスが難しいところでした。
【DATA】 ズーム45㎜ F4.2 1/60秒 ISO6400 露出補正-0.3段
⑦ 大学モール前18:14→18:28富山駅前
▲ 18:29 富山駅前に戻って、再度ズーム流しです。これもピントはバッチリなのですが、シャッタースピードが速すぎました。電車のスピードは20km/h前後ですので1/4~8秒ぐらいまで遅くしないと狙い通りの写真にはならないようです。次回に頑張りましょう。
【DATA】 ズーム62㎜ F4.8 1/50秒 ISO3600 露出補正-0.3段
⑧ 電鉄富山18:42(急行)→19:17滑川
駅前のスーパーで夕食のお買い物をしてから、停めておいたぶんしゅう7号に乗って、今日の宿営地は2日連続の道の駅滑川です。
明日はアルプスエキスプレスの乗り鉄旅です。今日のように代替車両でないことを祈りつつ就寝しました。 Part9へ続く
社員教育ということころで、老人の常だが大昔の記憶が突然蘇った。確か大学生活もあと僅かの1960年12月のある日、やはり突然に北海道に行き、簡易軌道レールバスの図面を入手したい願望が生じた。と言って金があるわけでなし。で、それまでささやかに溜めていた切手(見返り美人や月に雁など、結構な値段で)を全部売り飛ばし、その足で北海道均一周遊券(勿論学割で)を買い、その晩大阪駅まで出かけて(座るため)急行日本海に乗った。車内では素足に古下駄で、その下駄は函館で捨て、ゴム長に履き替えたが。
従前の均一周遊券は準急、急行券が含まれず、別に買わねばならないが、その代わり安く、貧乏学生は一切かような列車に乗らず、すべて各停列車で済ませた。それがこの時初めて急行も乗り放題になリ、当然一挙に高額になった。仕方がないからせっせと急行や準急に乗ることになる。
ところが均一周遊券をそのように改変=値上げしながら、その情報・教育が北海道の駅員乗務員に「全く」周知・徹底されていなかったのである。流石に札幌ではなかったと記憶するが、その他では駅という駅、検札の度、駅員と車掌との喧嘩を繰り返すことになった。深夜の駅でも陸橋階段下で駅員が待ち構えており、急行券分を払え、と迫る。馬鹿ぬかすな、その分ちゃんと払っとるわい。二重取りしくさるな!と怒鳴っても、相手は知らないのだから、2人束になって強硬に支払いを迫り、立ち回りに近くなったことすらある。 警官でも来ればより面白いことになったのだが。
周遊券第2券片の裏注意書きの2には、「普通急行列車、純急行列車(列車指定のものについては、急行列車の指定を受けた場合に限る。)を利用することができます。又、特別急行列車と普通急行券の差額を支払って、特別急行列車を利用することもできます。」と明記はされている。
券面の裏を見せても、印刷は8ポの小さい活字で、しかも薄暗いホームでは読めないのだが、とにもかくにも、助役ですら、均一周遊券に急行料金が含まれるようになったことを知らないのである。
真冬に北海道に来る奴など、(その時では)居るまいというので、職員指導がなされていなかったのだろうか。それとも本社営業局が、現地指導をしないまま発売を急いだか。
学生最後の1961年3月にも均一周遊券で北海道に行ったが、この時は流石に苦情が山積していたと見え、周遊券の第3券片として、「北海道周遊券専用急行券」が付され、駅員や車掌と喧嘩はせずに済んだ。
湯口大先輩様、コメントをいただきまして、ありがとうございます。
いつの時代にも社内での周知徹底が行われていないケースがあるものなのですね。あの時代、頭数だけは揃っていて厳格だったと思います国鉄ですら、新しい切符販売サービスについては、できていなかったのには驚きです。また均一周遊券が以前はもっと安いかわりに準急や急行に乗れなかったとは初めて知りました。
新しい周遊券となったばかりですと当時、約50万人前後はいたと思われます職員に教育が徹底されるのは、まず無理だったのでしょうね。
私の場合は、父が生前の頃は国鉄職員でしたので、切符は8割引き、準急・急行自由席券はタダ、特急・寝台・グリーン券は半額でしたので、経路の重ならない連続切符を作成して旅に出かけていました。今なら絶対に許されない事ですが、ある時は重複する区間の列車に乗車してもいました。検札に来た車掌は切符に押された職員家族を証明する印を見て、大目にしていただけました。当時は、まだ「国鉄一家」でしたので、家族特権があったようで、切符に関してのトラブルは皆無でした。ただ、父が亡くなってからはそんな特権も一緒になくなり、均一周遊券を買っての旅となりました。どうすれば均一周遊券を上手く使いこなせるかの裏ワザ等をDRFC各位からご教授していただいたことを覚えています。