台湾の旧車両

最古のディーゼルカーDR2700型も活躍中

最古のディーゼルカーDR2700型も活躍中

台東行199次普快
台東行199次普快

 いささか旧聞に属しますが、今年の6月に台湾に行きましたので賑やかし程度のものですがアップさせていただきます。関東のデカンショまつり号様とご一緒させていただきました。第一の目的は電化完成後は恐らく淘汰されるであろう旧型客車です。日本製とインド製があり、インド製はドア自動扉のセミクロス車で117系300番台風の車内レイアウトです。日本製はスハ44軽量客車にしたような形す。10系客車で回転クロスの3等車があればこんなんだっただろうというような形です。花蓮発の199次に鳳林から台東まで、台東からは354次で枋寮まで乗りました。旧型客車は大井川以外では久しく乗ってなかったので懐かしく感じました。でも路盤がよいのか乗り心地も悪くなく相当とばします。

 

 台東~枋寮の区間は大武付近が昨夏の台風で鉄橋が流され不通になっていた区間です。まだその災禍の痕が残っていましたが鉄橋が流れるくらいですから相当なものです。台湾は中央部の峻険な山から海まで短く、大雨洪水になると大変です。高雄からは台北までは座席夜行の客車急行で戻ります。グリーン車並みにリクライニングするのですが座席は座席です。寝台があればと思いました。

 

 台北に戻ってからは、釣り掛け式の特急電車に乗ります。イギリス製のEMU100型、イタリア製のEMU300型とも固定窓のリクライニングシートで特急にふさわしい設備です。EMU100型は製造後30年足らずですがもう1編成しかないとか。こちらはM車でも遮音が効いているのか車内はいたって静かですが、EMU300型は豪快な釣り掛け音が轟き釣り掛けファンにはたまりません。名鉄7300でもはたまた80系300番台でもない不思議な世界です。

 

 台湾の鉄道シーンは日本、英国、イタリア、韓国などさまざまな国で作られた車両が活躍し、車両だけでなく日本時代の古い駅舎もまだ大事に使われています。関空から台北までLCCも就航し、行きやすくなりました。また行ければ年明けにでも行こうと思っています。

 

 

夜の高雄駅 台北行きの夜行が停車中
夜の高雄駅 台北行きの夜行が停車中
EMU100型
EMU100型
EMU300型
EMU300型

 

 

 

 

 

1958年上田丸子電鉄 その4


上田丸子電鉄モハ3332

例により藤本哲男氏から、ピタリと勘所を押さえたコメントが頂戴でき、後期高齢者寸前(来年)の老人は痛く感激し、かつ長年の胸の痞えが消えて、心底嬉しく晩酌が「殊の外」すすんだことであった。藤本氏よ、有難う。

で、上田丸子の残りを片付けるが、全部「本物の」電車ばかり。この解説もして頂ければ、老人は望外の幸せでありまする。何卒良しなにお取り計らいあらんことを。


モハ3552


モハ4251

モハ4254

モハ5251

モハ5254

モハ5262

モハ5263 この2両は信濃鉄道の買収国電だ ぐらいはいくらなんでも小生でも分かる

モハ5361 これは東武←総武

ED2111 台車はブリル27E メーカーは坂元工業社?なるところとか

東急から搬入されたばかりの101 仮台車とはいえ旧ガソリンカーのものだから押し潰されそう

同じく102 こっちはブリルMCB摸造台車?

鉄道スケッチ

重い腰を起こして漸く青信号に投稿しようという気になりました。 先輩諸先生や同期のF氏のような奥深い記事、K氏のような外国の紀行は書けませんが、幼い頃に鉄道に憧れたそんなプロモートが出来たら、ええやないかと思うに至り、またやはりJ氏の尻叩きもあって、拙写を披露するところから始めることになりました。 ヨロシク!! 暫くは、鉄道の季節を追っていきます。1年くらいはクオータリー+臨時便を出して行き、その後、色々書いていこうと考えています。 なに、大した学術的なものは一切ありませんから、適当にあしらって頂いて結構と思います。 さて、もう季節は冬に突入ですが、ちょうど秋が終わったので秋からの風景。目的も無く、思いつきで感じた写真を投稿します。 本格的に秋が深まるころ、同期のJ氏に声を掛けました。小生は長らく関東に勤務していて、関西は浦島亀太郎状態であったので、何年ぶりかに加太に行きまへんかと。30年いやもっと経っています。どないなっているやろうかと訪れた写真です。 すでに加太は無人駅で野猿の天下。駅の横になっている柿を食べてホームを我が物に歩く様子に驚きました。あの築堤にも猿の姿が・・・。 この写真は、昔よく通った場所から少し高い禁断の場所から捕ったものです。

休みの日にふと、同期のM氏の大和川での阪堺電車の写真を思い出し俄かにどないなっているか見に行きたくなりました。その写真とは40年前のものですので、60前後の人は見たことがあるかもしれません。すでに高速道路の橋が架かっていて往年の風景はありませんでしたが、空が高く、秋やなあ!という天気に恵まれました。歩くのが面倒くさいので、橋のたもとで、空を撮ってみました。

住吉さんへ戻ってみました。ちょうど神輿が練り歩いていました。そんな日本の風景を境内からスナップしました。 メタボになって膝が弱っているのでタイコ橋からの撮影は怖かったですが、神輿の向うにちょうど電車がきました。そんなこととは関係なしに神輿は通過していきます。

秋は抜けるような青空が魅力です。仕事で帰ったときについでに寄りました。 1つめは、ひたちなか海浜鉄道。田んぼの中にある中根駅辺りの風景です。 何?国鉄色ではない?ま、あまり気にしない、きにしない。次の那珂湊には、「たま」ほどではなけど、駅員のねこがいます。そのおさむ君に餌をやって家路につきました。 北関東で天気が良いときは、赤城山がよく見えます。上毛電鉄の赤城山は有名ですが、JRだって裏赤城?が見えます。 快晴の中を115系が走ってきました。 *赤城山と思いますが・・・。違えばばゴメンです。 せっかくここまで来たのですから、吾妻線に行かねばなりません。ちょうどダムの建設場所辺りが川原湯温泉です。車中のおばさんは、この温泉も客が減ったねえ、と言っていました。その近所、渓谷を見下ろす鉄橋に来ました。日本最短のトンネルのあるところにはあと2kmくらいのところです。おりしも湘南色の185系がくるので、写真を撮っていた観光客にお「どうせ撮るなら電車もどうですか}と一緒に撮りました。ちょうど一陣の風が吹いて山間で残り少ない紅葉を散らせて行きます。

関西は秋がもう少し長いようです。 またまた休みの日に。能勢電鉄を訪れました。1時間ほどで大阪に仕事で戻ってきましたが、4連でワンマンなのですね。びっくりです。光風台から坂を上って見ましたが、季節を感じさせるものはkの黄色い花くらいです。あとはポジションがあいません。まあ、これでも秋かな、と1枚撮りました。

さて、小生の自宅は、東海道線、トレインビューの場所に ありますが、実は関東勤務の時に無理して購入した自宅が佐倉にあります。写真は今年(ということにしたかったのですが)ではなく1年前ですが載せます。我が家は丘の上にあり、総武線と成田線の分岐近くにあります。そのためにバラエティーには富みませんが、やはりある意味でトレインビューです。佐倉は朝霧が多いのですが、ちょうど通勤時、霧が上がりかけた中を今はなき初代成田エキスプレスが成田からの客を運んで来ました。乗客はまだ寝ているかも。霧が明けたら晴天です。手持ちのエクスリムで来た瞬間をスナップしました。

こちらは東海道の秋。自宅は線路脇なので、いつでもふらりと出かけることができます。このときも天気が良かったので、JRと阪急を撮りにチャリンコで出ました。ススキがきれいです。

まもなく、ススキの季節が終わり白い冬になります。 冬も鉄道はいろんな表情を見せてくれます。 そんな、景色を拙写ではありますが、お届けしたいと思います。

上田丸子電鉄サハ28について

北陸鉄道に引続き、1958年上田丸子電鉄シリーズが始まり、貴重な画像をワクワクしながら拝見させていただいております。特に「びわこスタイル」のクハ252の写真は見たことがなく、本邦初公開ではないかと思います。

湯口先輩が疑問を呈しておられるサハ28について、私の知る範囲で書いてみたいと思います。湯口先輩が仰せの通り確かにパッと見はガソリンカー改造車に見えますが、書類上は昭和33年6月自社製の新製車となっています。実態は昭和31年6月に廃車になった江ノ電(当時の正式社名は江ノ島鎌倉観光)201の廃車体を購入し、モハ3223に車体を流用したサハ25(元飯山鉄道キハニ5)の台車を組合せて作られた車両です。(11月23日付【10474】1958年上田丸子電鉄で記述されておられる通り)ならば江ノ電の201とは何かということになるのですが、昭和11年に新製された夏季専用の納涼車の車体を、昭和24年東急車両で一般車に改造したもので、僅か7年で廃車になっています。江ノ電時代の201の写真は見たことがありませんが、車体の下部の切れ込みから、扉が両端にあったこと、写真では判りにくいですが扉を埋めた溶接の痕跡、車端の縦長の窓は、確かに元江ノ電の車両であることを示しています。201と同じく納涼車改造の202の写真はRP誌「私鉄車両めぐり・江ノ島鎌倉観光」に掲載されています。
参考までに江ノ電の車両も貼っておきます。

 
サハ28 昭和42年3月28日  上田

 


107、110 昭和45年3月12日  極楽寺
いずれも昭和6年川崎車輌製であるが、主電動機が107は37.3kw×2、110は44.7kw×2である。車端に縦長の窓が設置されている。

【番外】電動貨車2 昭和45年3月12日  極楽寺

 
元東急のデト3011(大正11年汽車会社製)を昭和22年に購入したもので、当初荷台に乗客を満載して営業運転をしたこともあると言われている。昭和45年3月31日付けで廃車されたため間一髪でセーフであった。

1958年上田丸子電鉄その3


上田丸子電鉄サハ41←ハフ101←省キハ101←飯山鉄道キハ101

半月開いてしまったが、その3を続ける。旧飯山鉄道のガソリンカーは、第二陣が記号番号もキハ101、102と大きくなっただけではなく、手荷物室がなくなって100人乗り、17.5トンと大型化。機関もウォーケシャ6RBに強化され、端面も2枚窓半流に。なお飯山鉄道ではキハ101のみ代燃化し、それも片側運転室反対側(妻面から窓2個)をベニヤ板で仕切って炉室にして、木炭瓦斯発生炉を床上に設置。当然ながら定員が7人減少した。ヨーロッパには代燃炉室内設置例も結構あるが、我国では鉄道省キハ41000のシンダガス代燃化、私鉄では淡路鉄道と飯山の2例しかない。


サハ42←省キハ102←飯山鉄道キハ102

台車は当然に菱枠だが、端梁を設け、軸箱守とステーで結ぶなどの補強は上田丸子にきてからであろう。連結器も簡易連結器から通常の下作用に交換されているが、車体はよく原形を保っている。


サハ41
サハ252←相模鉄道クハ1501←クハ1051←サハ50←ホハ50←神中鉄道キハ50←キハ40

サハ252は日車東京支店製「びわこ」スタイルのディーゼルカー、神中鉄道キハ40で、よく改番を重ねている。やはり菱枠台車に端梁や鋼板リブを付すなど、加工強化されている。同型だったサハ253は端面を改造しているため、前身がすぐにはピンと来ず、しばしの間悩んだ記憶がある。


クハ253←相模鉄道クハ1502←クハ1052←サハ52←ホハ52←神中鉄道キハ52←キハ42
クハ253 「びわこ」スタイルを残すクハ252とは全く同じ出自だったが こっちは端面を改造しているのでまるっきり違う車両に見える

戦前もっともディーゼルカーが成功したのは、一番遅くに採用した神中鉄道であった。機関に国産品を選び、メーカーの指導が直接受けられたことが大きいと思われる。この80人乗り車は日立649-R2を装着していたが、大型バスやトラック用として、ある程度ではあっても量産され、それだけ供給側も使用データーや経験があったのである。

因みに戦前の国鉄は、ディーゼル車は機関車も動車も、ことごとく失敗―それも手ひどい―した。機関がそれだけのために新たに開発された、未熟もいいとこの不完全品だったのが最大原因である。見方を変えれば、国鉄工作局の仲良しグループ(要は退職者を受け入れ、かつ陸軍肝煎りの「統制機関」開発競争に敗退した負け組でもあった)である新潟鉄工所を中心とした内燃メーカーが、ロクなディーゼル機関を開発できなかったことでもあった。


クハ253連結面 これが「びわこ」スタイルの流線型だったとは思えまい

サハ28 誰が見てもどこかのガソリンカーの成れの果てと思うだろうが その実???

サハ27は東武鉄道キハ30←神中鉄道キハ30で、モハ3121←モハ311←モハ301←善光寺白馬電鉄ゼ100と同型(ディーゼルカーだから床高は20mm高いが)車だが、1番違いのサハ28はご覧の通りの姿で、前歴不詳。車体幅が狭く、かなりの軽量というか簡易な車体で、誰が見てもガソリンカーの成れの果てと思うだろうが、これが難物なのである。台車は間違いなく内燃動車用で、片側は偏心しているから、余計幻惑される。

故吉川文夫氏に尋ねても、ウーン、江ノ島から買ったというんだが、よく分からんのだ、との返事しかもらえなかった。少なくともこれに該当すべき内燃動車は存在しない。小林宇一郎「上田丸子電鉄」鉄道ピクトリアル164号でも、「実は江ノ島鎌倉観光から購入したもの」「出入り口は折り戸だったという」と歯切れの悪い説明しかされず、要するに地元の先輩でも分からないのである。欲求不満がつのるではないか。どなたか解説してくださらんか。

中国の新幹線に豪華なCRH380B登場予定!

現在、滬杭高速鉄道を走る次世代の超高速列車CRH380Aが営業列車としては世界最速となる486.1km/hを達成したことは先日ご報告いたしましたが、このほど京滬高速鉄道用CRH380Bが新たに加わると発表がありました。

CRH380Aとの相違点は
①今までのCRHシリーズの動力分散式ではなく、TGV同様の両端が電動車の16両編成。
② 中間車14両は、1等車が3両、2等車10両、食堂車1両の編成。定員は1004人。
③目玉として、3両の1等車の内1両は、「はやぶさ」のグランクラス 以上のハイグレードシート(180度リクライニング・液晶TV付き)を設置。
④CRH380A、380Bとも来年2010年10月1日までに開業予定の上海~北京間京滬高速鉄道に使用予定。

以上が現地報道されている内容ですが、どうして今までの分散式を採用しなかったのか不思議ですね。先頭車はどんなフロントノーズになるのか楽しみです。
全長1,318キロを約4時間で走行する予定ですので、表定速度は300~330km/hにもなります。380km/hの連続走行が必要です。
「はやぶさ」のグランクラスにも驚きましたが、CRH380Bも飛行機のファーストクラス同様となると、是非とも乗車してみたいです。運賃ですが、2等が約600元(約7,500円)になるだろうとの推測が出ています。特等は3倍だと1,800元(約22,500円)ですが、車内サービスも国際線の飛行機並みに豪華車内食あり、アルコール飲み放題を含めての飲料サービスも実施されれば乗車する価値は充分あります。

秋の中国一人旅2010年 Part15 南京地下鉄

第14日目 11月3日
① 上海10:00(G7010)→11:15南京
② 南京16:05(G7149)→18:04上海虹橋

今日は、滬寧高速鉄道に乗車して、南京に着きました。南京は通過した回数は数え切れないくらい多いのですが、下りた事のない街です。今回初めて下り立ち、ホームでCRH撮影後、南京地铁の初乗車を目指しました。
【南京地铁】

① 2005年9月に1号線迈皋桥~奥体中心間21.72キロ(地下線14.33キロ、地上・高架線7.39キロ)が開業。途中站は21站(地下17站、地上・高架5站)です。
② 全線、1435㎜軌道、直流1500V架線集電式。
③ 2010年5月に1号線の安德门から分岐して南中国药科大学に向かう南延線25.08キロが開業。車両運用が直通なので、号線名を新たに名称しないのでしょうか、分りづらいところです。途中站は15站(地下8站、高架7站)、但し高鉄南京南站は未開業です。
④ 同じく2010年5月に2号線油坊桥~马群間25.27キロと2号線東延線马群~经天路間12.68キロ、途中站は26站の合計37.95キロも開業。2010年11月30日現在での総路線長は、84.68キロとなっています。
⑤ 現在長江を渡る1号線西延線と来年2010年10月1日改行予定の京滬高速鉄道南京南站と市内を結ぶ3号線浦口林场~江宁九龙湖間40.188キロ、途中站28站(地下27站、高架1站)が、工事に入っています。
⑥ その他市内を縦横に走る地铁網や、郊外へと向かう軽軌路線も計画にあり、数10年後には現在の北京や上海並みになるそうです。

薄暗いB1Fコンコースの改札口を出て、明るいB2Fの地铁コンコースへと向かいます。全国的に規格化されたコンコースは、どこに行っても同じで特徴は少ないのですが、ホームに下りると駅名が香港メトロ調の筆書体です。これは好印象でした。


まずはICカードを購入して鉄路站から近い地上站で、走行写真が撮れる迈皋桥站方向に乗車しました。

ホーム端から見た待機線です。将来は、この先に4站延伸されます。

屋根付き高架站の迈皋桥站、地上駅前広場には花壇もありよく整備されています。車両はアルストーム製で、各駅にはホームドアが設置されて安全にも配慮されています。

続いて、1駅手前の红山动物园へ移動してトンネルから出て来たところ狙いますが、入っていく方が良さそうです。1号線はY字形になっていて、安德门で奥体中心と中国药科大学行きに分離します。4~6分間隔で双方への列車が発着しています。乗り間違いのないようにドア横窓には、大きな行先名ステッカーが貼ってあります。
この站ではホームドアと車両ドアともホーム係員が、車掌と安全確認を行ってからホーム側から開閉を していました。停車発車時に時間的ロスは出ますが、安全確認が1番です。


安德门站は2面3線ホームですが、分岐するホームは片面式で、2方向から到着して同方向に向かう線が両面ホームです。普通は、逆でしょう。乗客に対して乗車する番線を指定すべきです。理解に苦しむ不可思議な站ホームです。

今日の撮影は站ホームからにして全線乗車予定でしたが、中华门站手前で城壁を抜ける絶景ポイントが見えました。撮影意欲が沸き立ち、途中から引き返して中华门站へ戻り下車しました。

中华门站は、中国鉄路の在来線南京南站とオーバークロスしています。金網の向こうを覗いてみましたが使用されているようには見えませんでした。それもそのはず、「南京南站」と言う駅名は、京滬高速鉄道に場所は違えどあるのです。高架站を下りて行って見ましたが閉鎖されています。駅名を譲り渡して廃駅となったようです。

地図を見ながら中华门へと向かいました。途中で美味しそうな蒸した中華ちまきや赤飯を見つけましたので、いつものように買って昼食としました。いずれも1.5元(約19円)です。街路樹のトンネルを抜けると堀があり橋の向こうには高い城壁がありました。


明の時代に建造された南京城は周囲34キロの城壁に守られています。34もの門があり、中华门は最も大きく要塞化された城門です。南京を巡る攻防は、常にこの中华门を巡っての攻防と言われています。金山门には城内中央に通じる鉄路が近代に引かれていました。今は、門も線路もなく線路跡は「鉄路北街」と道路名で残っています。早速、入場料25元(約313円)を支払って城壁に上がってみました。


ゆっくりと見学しながら歩くこと約40分で撮影ポイントに到着。中华门站を発車して城壁を抜けて三山街站へ向かう6両編成です。道路横のマンションに上がれば城壁から出てくる列車を撮れるのですが、今回は挑戦できませんでした。

反対側は三山街站から地上へと出て中华门站へと向かう列車が見下ろせます。

2号線との乗換の新街口站。この辺りの地上が繁華街のようで、コンコースにもエキチカストアが並んでいます。2号線乗車もしたかったのですが、ホーム見学まででタイムアウトです。全線乗車は次回としました。

南京地下鉄は、距離制ではなく、目的地までの駅数で運賃が決められています。使いやすいタッチパネル式の自動切符販売機です。

今夜は今回の一人旅最後の夜です。上海虹橋站到着後は、大好物の豫園の小籠包で締めくくる事にしました。先日は2階で座って食しましたが、庶民価格の外売りもあってテイクアウトもできます。豫園の夜景を楽しみながらゆっくりとしました。

今日も よく歩きました。ホテルに戻ってから常宿にされている日本人出張者からのご推薦の按摩に行き、2時間コース108元(約1,350円)で疲れた身体を揉み解してもらいました。  Part16(帰国)へ続く

秋の中国一人旅2010年 Part14 滬寧高速鉄道

第14日目 11月3日
① 上海10:00(G7010)→11:15南京
② 南京16:05(G7149)→18:04上海虹橋

今日は、2010年7月1日に開業した滬寧高速鉄道に乗車して、往路は上海から南京へ、復路は上海虹橋行きと少しルートを変えて往復します。
【滬寧高速鉄道】

2008年7月1日、中国鉄路の中でも最も列車本数密度が高く、輸送力の限界に達している上海~南京間の打開策として、鉄道部と江蘇省、上海市は共同出資で高速旅客専用線の建設計画を立ち上げました。そして驚愕のわずか2年間で総延長300キロの路線を完成、今年2010年7月1日に開業しました。
設計最高速度は、350km/hで、21箇所の駅が設置されていますが、日本の新幹線「こだま」のように各駅停車する列車はなく、各列車とも別々の停車站を設定しています。滬寧高速鉄道の列車番号は、G7000番台が振り当てられました。南京~上海・上海虹橋間に使用される車両は当初、CRH2C、CRH3でした。

開業時より合肥・六安・汉口・武昌・武漢~上海南間のCRH(動車組)が上海南から上海虹橋発着に変更され、8月21日の時刻改正では、北京南・天津~上海・杭州間の夜行寝台電車CRH1E-WG上海虹橋発着に変更され入線してきました。10月26日滬杭高速鉄道の開業により杭州からのCRH380Aも加わっています。1日当たりの列車本数は、209本にもなっています。東海道幹線の名古屋~大阪間213本に匹敵する過密度です。

上海~南京間
の所要時間は、以前の最短2時間14分から1時間15分へと約1時間の短縮が計られました。ただ、運賃は2等車93元→146元に1.57倍、1等車112元→233元に2.08倍とアップされ、利用者からアップ率が高すぎるとの不評の声が上がり、7月11日以降の切符販売停止された事がありました。
これは、スピードアップされたものの速いノンストップ列車本数が少なく、途中停車する列車では1時間50分台と以前との時間差が少なく、それでは運賃の安い在来線に残るCRH(動車組)列車に乗ろうとする利用者が殺到したためと言われています。また、上海站と市内から遠い上海虹橋站の両方から発着しているのも問題となりました。確かに上海站から地铁で上海虹橋站までは30分はかかりますので、これでは、短縮時間は相殺されて、高額運賃だけが残ります。このために早くも8月12日に時刻改正が行われノンストップ列車が上海站から16往復、上海虹橋站から4往復運転される事になりました。

以前に上海リニアをご紹介しました際に中国人は時間よりお金を日本人以上に考える。「Time is money」は、一般の中国人には通用しません。目的地に多少早く着いてもそれは早く出発する事で解決する。必要ないお金を使う意味はない。乗換も面倒だと結論付けてしまい以後もリニアの乗車率は増加していません。途中までの開業だった地铁2号線も2010年4月8日に虹橋空港と浦東国際空港間が全線開通(路線長;60キロ、所要時間;1時間52分、駅数;30駅)、時間はそれなりにかかりますが乗換不要(注意;広蘭路~浦東国際空港は同じホーム上で向かいの車両へ乗換が必要)、運賃は全区間乗車で9元(約113円)と約5分の1となると、益々苦戦を強いられてきました。

まあ、リニアは海外旅行に行く旅行者が使用する非日常的な交通機関ですが、滬寧高速鉄道の方は、多くのビジネス客の他にも沿線に苏州(蘇州)や无錫(無錫)といった有名観光地があり、観光客も多い日常的な交通機関です。様子を見て割引や値下げがあるかもしれませんが、同様に高すぎると言われた广州南~武漢間の武広高鐡も運賃値下げなしですので、期待は難しそうです。
また上海市内の住居は高騰し過ぎたので、富裕層でなくとも中級者層は苏州(最短31分)、无錫(最短43分)へと転居、住宅購入をしての新幹線通勤族が現れてきています。元々利用者が多い路線でしたので、運賃高騰は仕方がないと諦められるでしょう。

それよりも注目されている上海~北京間の京滬高速鉄道の開業は来年2011年10月1日が予定されています。滬寧高速鉄道とは異なる別線で、何と上海~南京間には在来線と2本の超高速鉄道が並行して走る事になります。運賃は同一になるのでしょうか? また列車ダイヤはどうなるでしょうか?
滬寧高速鉄道は最高速度350km/hですが、京滬高速鉄道は最高速度380km/h以上と言われています。CRH380Aが昨日同様以上の走りを見せれば、所要時間も短縮なります。そうなると滬寧高速鉄道は、通勤鉄道や幾分安い運賃の鉄道として対応せざるを得なくなると思います。いずれにしても結論は1年後にでます。一体どうなるのか楽しみですね。

既にこの路線は天津からのD341次に乗車した際に南京から乗り入れていましたので乗車済みですが、昼間の列車ではなったので、改めての乗車となりました。

【滬寧高速鉄道に初乗車】
地铁で上海鉄路站に向かいますが、昨日のように長い間の途中停車はご免です。昨日より余裕を持ってホテルを出ました。路線も東安路站からですと7号線と1号線を乗換した方が早く着きますが、乗換なし途中から高架線になる4号線にしました。24分乗車で上海鉄路站に到着です。通常は表の南口から乗車しますが、リニューアルされた反対側の北口が近いので視察も含めてこちら側にしました。


上は、東安路の地上口ですが、公安が立っています。万博終了後は交通案内人(ボランティア)が立つそうです。乗車時にX線の荷物点検をしますが、これも警備員が他都市の地铁より厳重でした。下は、3・4号線が共有試用する上海鉄路站です。虹橋路から宝山路までの区間は、3号線と高架区間の線路を共有していますが、乗客が激増していますので分離されます。


昨日視察に来たのは、正面玄関の南口でしたが、地铁3・4号線が発着する方は、北口です。まだ全体が未完成ですが、駅前広場は綺麗に整備されて広大です。春節(旧正月)ともなれば、ここにもテント村が出来るんでしょうね。

自動切符売場は南口にもありましたが、窓口があるのは北口のみです。まだ閑散期ですので、窓口は半分しか開いていません。並ぶ利用客もそんなに多くありません。電光掲示板で長距離列車の残席を見ましたが、当日の軟臥下鋪も結構空いていましたので、次回は上海発も考慮の対象になってきました。

まだ工事中のところもありますが、駅前広場も整備され広く、切符売場窓口はこちらに変わっています。站コンコースに入って本屋を探しましたら、ようやく大判の全国版2010年10月号時刻表を見つけました。今日からの販売だそうです。これで、7月号と比べての変化がわかります。

左が上海鉄路局管轄区内の列車時刻表(5元=63円)、右が全国版時刻表(10元ー125円)ですが、表紙は2009年からず~と同じです。どちらも中国鉄道出版社発行ですが、左側は他局の駅では売っていません。

改札が始まりホームに下りるとCRH2-082CとCRH2-080の2ユニット16両編成です。
①ZE20820+②ZE208202+③ZE208203+④ZE208204+⑤ZEC208205+⑥ZE208206+⑦ZY208207(1等車)+⑧ZE208200と⑨ZE208001+⑩ZE208002+⑪ZE208003+⑫ZE208001+⑬ZEC208005+⑭ZE208006+⑮ZY208007+⑯ZE208000

7面13線の上海駅。ここが北京站と言われても分らない程、中国鉄路站のデザインは、画一化しています。各ホームは到着した長距離夜行寝台列車で満杯です。

10:00、満員の乗客を乗せて定刻発車、終着南京まではノンストップです。発車11分後に300km/hを突破、18分後に330km/hに到達しましたが、頭打ちでCRH380A並みに350km/h連続走行はありませんでした。昨日のCRH380Aの走行が圧巻だっただけに、ちょっと拍子抜けでしたが、南京まで300キロを1時間15分、表定速度240km/hの走行で定刻11:15に到着しました。1年後はもっと速くに着ける京滬高速鉄道が走ります。東海道新幹線が日本経済発展に重要な役割を果たしたように、中国鉄路の新幹線建設そして高速化は更なる経済発展を強烈に推し進めると思われます。

同じ移動式売店車がズラリと並ぶ南京駅ホームです。

列車が到着すると、直ぐに車体・窓ガラスの水洗いが人海戦術で始まります。日本と違い片道だけでも相当な汚れです。それだけ空気汚染が多いということなんでしょうね。いつもマスクは必需しています。

南京駅でズラリと並ぶ高速電車トリオ

左は、CRH380A。右は、CRH3。

【復路】




▲ 南京駅前広場も広大です。地下鉄視察が終わった後に見てみましたが、駅前広場から夕陽が見えるのは初めてです。発車時間を忘れて、しばし見入っていましたので大慌てで乗車しました。


復路の列車はCRH3でした。ノンストップを選択したと思っていたのですが、5駅も途中停車する列車で2時間もかかってしまいました。
復路は、①ZEG60141+②ZE601402+③ZY601403+④ZY601404+⑤ZEC601405+⑥ZE601406+⑦ZZE601407+⑧ZED601400
昼間、初乗車した南京地下鉄につきましては、次の投稿で行わせていただきます。
Part15へ続く

電車・バスでまわる「歩くまち・京都」京都フリーパス

京都市が音頭をとって、お得な?1日乗車券が今月11日~来年3月23日まで発売され通用期間となる。そこで通用区間について検証してみることにした。先ず【鉄道】全線OK:市営地下鉄、叡電、嵐電、一部区間:近鉄・京都~向島、京阪・出町柳~中書島、阪急・河原町~洛西口、桂~嵐山、となっている。京福のケーブル、ロープウェイや京阪京津線が外れたのは仕方ないないとして、京阪宇治線・中書島~六地蔵を適用外としたのはなぜだろう。六地蔵で少し歩けば周回コースとなり、今話題の寺田屋を始め「新酒ブーム」に沸く伏見へ呼び込めるのに・・・・・・。そして【バス】市バス:定期観光を除く全線、京阪バス:定期観光、比叡山線、比叡平線、松井山手線を除く山科、醍醐、中書島地区(該当地区までは市営地下鉄を利用、京都バス:市バス市内均一区間及び広河原線鞍馬温泉以南と岩倉、大原、嵐山地区(大原地区は小出石以南?)。これで京都盆地は雲ケ畑地区以外は含まれる。比叡山線、嵐山高雄線は省かれる。京都シティバス:中書島、淀地区、京阪京都交通:中山営業所全線(京都市内)、西日本JRバス:京都駅~栂尾、阪急バス:向日営業所全線(阪急電鉄との接続駅は洛西口だが、東向日まで150円で清算すれば大原野神社、勝持寺・花の寺、十輪寺、善峰寺に、長岡天神で180円で清算すれば光明寺、乙訓寺に行ける)、ヤサカバス:全線、となっている。通用期間1日、価格:2,000円(小児の設定はなし)ここまで来て「なにっ!」となった。ちょっと高いやおまへんか!市バス1日乗車券500円、それに地下鉄全線つけて+700円で1200円、それが京都市交通局以外を付けたら800円アップとは何ぼにも高い!郊外観光に出たら近場で半日、鞍馬や大原行ったら1日がかりが相場や、しかも冬場、寒い京都や皆さん山の麓までいかはらへん。1000円にして気楽に利用してもらって「京都はええとこどした」と、言ってもらえるように出来ませんか。老人はアムステルダム、ウィーンで24時間キップを利用したことがあるが、ユーロが130円時で700円ぐらいやった。フランクフルト アム マインではゾーン2で前記ぐらい。ベルリン、デュッセルドルフ、その他、ホテルの宿泊カードが市内交通機関のフリーパスとなっているところもあった。【損して得を取れ】の類で、一考を要する価格設定であると思う。折角スルッと関西シリーズで好評を得ているのに、何とかしないと企画倒れになってしまう。京都市長の考え一つや思う。帯をしっかり締めなはれ!

489を流す

先週末のことになりますが、久しぶりに489系ボンネット編成が東海道線に姿を見せました。修学旅行の団体列車として金沢~大阪間を走ったものです。大阪行きの回送は、ぶんしゅうさんと山崎で待ち受けようとしていたところ、ダイヤを読み違えで寸前のところでアウト! 戻りの金沢行きを日没後の山崎駅で辛うじて写すことができました。

金沢総合車両所の489系ボンネット編成は、ことし3月改正で最後の定期運用「能登」から離脱しましたが、残った1編成は、特急の代走をしたり、団体列車で東京・大阪・京都へも来たり、予想外の活躍を続けています。
「臨時」表示ではありますが、ボンネットの姿、いいものです。自分自身が鉄道に目覚めた頃から走っている、50年間続くスタイルを見ると、つい鉄道少年だった時代のことを思い返したりします。
今まで489系ボンネット編成を、好んで撮りに行きましたが、時々、流し撮りをして楽しんでいます。流すことによってボンネット部がより強調され、DT32系台車の上に大きな車体が乗って、下回りがスコンと透けて見えるのが大好きです。
もちろんすべて成功するわけではなく、目も当てられない写真のほうが多いのですが、それだけに決まった時は快感です。撮りためた中からいくつかを紹介しましょう。

流し撮りの基本は、数を稼ぐことから始まる。一日10数往復も「雷鳥」が運転されていた時代、居住地近くの山崎~長岡京間には、流し撮りに適した真横から狙える区間がいくつかあり、よく自転車に乗って行ったものだ。「雷鳥」編成には、スカート部に切り欠きがあり、美観を損ねているが、真横なら、それも気にならない。この写真は、乗務員ドア付近は確かに止まっているが、アタマは流れてしまっている。斜めから撮る場合、止まるのは一点だけで、それをアタマに持ってくるのはなかなか難しい。

薄暮時に「しらさぎ」を流し撮りをする。露出の厳しい時間帯だけに、その低速シャッターがちょうど流し撮りに使える。北陸本線田村付近、バックは琵琶湖岸であり、空で抜くこともできる。当時、「しらさぎ」もボンネットだった。しかも「雷鳥」と違って、連結器カバーも付いたオリジナルのボンネットだ。前照灯を輝かせ、夕闇迫る湖東路を名古屋へ急ぐ姿である。

「能登」の廃止後も、今年の春は波動用として、ボンネットは、しばしば京都・大阪へ顔を見せた。ところが、ヘッドマークは良くて「臨時」、下手をすると、マークなしの蛍光灯むき出しの姿で、絵にならないこと夥しく、正面勝ちの撮影では全くサマにならない。そんな時、サイドからの流し撮りは有効な方法である。山崎付近でバックに緑を入れ、国鉄色が引き立つようにした。

ここで、流し撮りの方法をひとつ‥。カメラの流し方は、巷のハウツウどおり、腰を基点にして、上半身を振る抜く、野球のスイングと同じだ。つぎにシャッター速度だが、上ると成功率は高まるが、バックが流れない。私としては、確実に決めたいときは1/125S、成功率は低くなるがバックをより流したい場合は1/60S以下としている。それと、連続シャッターを使用する場合、高速ではなく、低速を選択している。高速連写だと、ほとんど幕が下りたままでファインダー視野から対象物が確認できないが、低速だと、幕の開閉の間にしっかり対象を眼で追うことができる。この春も、琵琶湖をバックに1/125Sで真横の編成を抜いてみた。

阪堺電車 モ101形

引続き国電の「クハ76形」あたりが紹介されるのかと思っていたところ「阪堺電車モ101形」でした。深い二重屋根の重厚なスタイルは路面電車の傑作の一つと思います。最終的な廃車が昭和42年ですので、乗車、撮影はギリギリ間に合いました。撮影したのは、初めて上町線を訪れた昭和39年11月で、その後廃車になるまで阪堺線は何度か訪れていますが、撮影はこの時のみです。

 
モ117

 
モ113

 
モ170(この時点で既にパンタ化され、連結器は取り外されていた)

 
モ235(台車を振り替え低床化している)

 
モ352(モ101の電装品を流用して作られた)

 
モ504(この時点では連結器が残っていた)

いずれも昭和39年11月3日 姫松で撮影。