1958年8月上田丸子電鉄その2

前回ご覧いただいたのは旧飯山鉄道が最初に導入したキハニ1~5(定員60人)の「成れの果て」ばかりであった。飯山はその4年後、今度は手荷物室なし、100人乗り、ウォーケシャ6RB装着のキハ101、102をやはり日車東京支店から購入する。この2両も1944年6月1日の買収で省記号番号は与えられず、飯山時代のキハ101、102のままでほぼ使わなかった。廃車は1948年6月22日。上田丸子電鉄が1949年にキハ101を購入してハフ101を経てハフ41に、翌年102がサハ42に。


上田丸子電鉄サハ41←ハフ101←省キハ101←飯山鉄道キハ101

サハ41
サハ41 台車の補強が目立つ

サハ42←省キハ102←飯山鉄道キハ102

ハフ41←ハフ101←省キハ101←飯山鉄道キハ101

飯山のキハ101は1941年代燃化で木炭瓦斯発生路を片側運転室反対側に炉室を作って納めた。これは私鉄では極めて珍しい例で、他には淡路鉄道キハニ5しかない。ただ国鉄キハ41000形式はやはり室内に、それもシンダガス発生炉を設置していた。欧州でも室内例は少なくなく、新製時から車体中央に炉室を持つものすらあった。ついでながら、木炭による代燃はフランスが本場で、早くから実用化し、日本陸軍は昭和初期にフランスから代燃自動車を購入して研究(真似)をし、陸式なる、薪による乾式炉(瓦斯発生時加水せず、薪の水分を使う)を開発していた。
 

サハ253←クハ1502←相模鉄道クハ1502←サハ52←ホハ52←キハ52←キハ42

これは相模鉄道のキハ42→キハ52が出自である。戦前最後まで「びわこ」スタイルのディーゼルカーだったが、当時ディーゼルでの代燃化技術がなく、客車化→制御車化されていた。台車は通常の菱枠だが、ご覧のように随分とリブを付した補強がなされ、端梁もついている。また妻面がこのように改造されると、内燃動車ファンを自認していても、咄嗟に前身を言い当てることが出来ない。


「びわこ」スタイルのままのクハ252←相模鉄道クハ1501←サハ50←ホハ50←キハ50←キハ40


モハ3224←モハ3222←サハ26←東武鉄道キハ21←省キハ40300←キハ36470←秋田鉄道ジハ6

これは旧飯山キハニ1~5と殆ど同じと思われるだろうが、2扉車で、手荷物扉(右)幅が960mm、客扉は750mm。同系だが客扉を1か所なくし、狭い扉側に小窓1個を設けて辻褄を合わせている。機関がブダBTUと強力だが背高のため床高が1,270mmと高かったが、上田丸子での電動車化の際手前の飯山車と合わされた。勿論台車は電車用に履き替えている。

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