梅田の外回り鐵

KAWANAKAです。

HCDでJRFの志水氏から、梅田の貨物駅は3月にオシマイになりますで、ほいで貨物線も地下にするか検討してるので梅田の貨物駅の福島寄りの踏切がなくなるかも知れまへん、という。梅田の貨物駅跡はものすごい変貌で、4~5億の億ションが完売になったり(うっかり買い忘れた??)で、この光景は今しか撮れないということや。

以前から少しづつ時間を作って外回り鐵をしていたが、あと、4ヶ月程と聞けば、ピッチを上げるしかない。というわけで先日撮った写真と併せてUPしましょう。

先ず、市内を訪問した時にチョイと回り道。先ほど言った福島寄りの踏切から東海道線の下を潜って環状線の外回り線の外に至る貨物線。ここを安治川口から梅田駅に入る貨物を撮るのは注目の写真であるけれど、ここでは余命少ない381くろしおを載せましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

安治川口は貨物はまだ扱うそうなので、しばらく撮れるが、環状線野田駅では安直に捉えることができるので、場所の移動に制約がある外回り族にはありがたい。これです。

 

 

 

 

 

 

 

 

環状線の電車をすり抜けて貨物がやってくる。

次に、遠隔地からやってくる人が梅田貨物駅を見渡せる場所があります。有名な空中庭園からでも良いが、ヒルトンホテルが特等です。この写真はエグゼクティブフロア(滅多に泊まれないが)からの写真で、併せて大阪駅を発着する列車も見ることができます。ちょうど特急はるかが通過中。夜は夜で素晴らしい夜景が見れるので懐に余裕がある人や出張旅費で賄える人は泊まってみると良いと思いますが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、梅田貨物には入れ替えのDE10が張り切っていて、運がよければ走り回っている姿を目の当たりに見ることができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが夜になると、梅田貨物ならではの風景を堪能できます。貨物駅の脇には道路があってフェンスになっているので、この上にカメラを上げると写真が撮れるという訳です。時々同業者に会うけれど数は多くないので、撮り放題。ちょうど381くろしおが来た。コンテナ貨物に光が当たって綺麗です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何といっても、梅田貨物駅の主人公は貨物機。ここから出発する列車は丁度撮影に好都合な場所にいることが多いので、存分撮ることができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今週の週は丁度、撮影に適した天候でありました。梅田の光が雲に反射していい雰囲気です。

この列車を反対側から撮ろうとしていたら旨い具合に、283くろしおが来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

段々、寒くなってくるのでキツイが機会があれば通っていく積もりである。みなさんも如何でしょう。なお、三脚は使えませんので重い目をして持っていかないよう。

ついでですので、このあとは環状線に回って紀勢特急と環状線を纏めて撮ることがあります。小生は鉄橋がある大正が好きで良く帰りに依る。付録で申し訳ないが、ここも貨物はないけれど捨て難い。丁度283が通過したのでその一コマを。丁度お月さんも出てきて何とも言えない雰囲気を醸し出した。撮りようによっては、天王寺からきた列車を止めることができるのでやってみては?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東欧のたび(その3)

タトラ山をめぐる鉄道

ポーランドのポズナンからはスロバキアのタトラ山に向かいました。ポズナンからポプラドタトリまでは500kmくらいですが、もちろん直通の列車などはなく、15時からの移動ではその日のうちに着きません。とりあえず、ブロツアフまで移動して1泊することにしていました。移動で初めての町に行く場合、暗くなるとホテルを探すのにも困るのでこの季節、18時には目的地に着くようにしています。ところが、乗った列車は原因不明で、1時間余り遅れ、おまけにコンパートメントの照明がつかず、真っ暗な中でいつ着くのかわからず、不安な思いをしました。

翌朝ブロツアフからスロバキアへの移動は一旦チェコに入り、4回の乗換えをして、9時間の行程、乗り継ぎ時間は15分というところもあり今回の旅程の中で一番の難関です。ブロツアフから1時間ほど行ったオポーレからはローカル線で、旧型の電車が走っています。各駅停車でスピードはせいぜい60kmくらいかと思われますが、路盤が悪いのも相まって、すさまじい振動です。

ボフミンで乗り換えたチェコの列車

これが終点のボフミンからチェコに入るとなめらかな走りになり、車両もきれい、またポーランドではパスを見せると、不思議そうに眺め回して、本来押すべきスタンプを押してくれなかったのが、ここではすぐにスタンプを押してくれた上、「スロバキアに行くのか?それならトリネッツで乗換えだ」と親切に言ってくれます。途中遅れのため気をもみましたが、何とか3度の乗換えをしてスロバキアに入りました。 続きを読む

被災地の鉄道は いま -3-

石巻線の列車に乗って前谷地に到着した。ここから分岐する気仙沼線は、私にとっては初めての乗車となる。隣のホームに停車中の気仙沼線2975Dに乗る。キハ110の単行列車は11時13分に発車、旧北上川に沿って北上を続け、車窓には肥沃な光景が広がる。5駅分、20分余りの乗車で柳津に到着、列車の運転はここまで、以後は気仙沼まで延々と代行バスの旅となる。

気仙沼線(1)

気仙沼線の前谷地~柳津~志津川~気仙沼間72.8キロのうち、海岸部を走る柳津~気仙沼間55.3キロは、津波で壊滅的な被害を受け今も不通のままである。

同区間は、震災以降、ミヤコーバスによる振替輸送を行っていたが、仮復旧としてBRT(Bus Rapid Transit バス高速輸送システム)による列車代行化の準備を進めていたが、一部区間で専用道が完成したため、沿線学校の2学期開始に合わせ8月20日よりJR東日本による列車代行バスの暫定営業を開始した。列車時代の同区間には、10往復の列車が設定されていたが、代行バスは、ほぼ1時間ヘッド、通しで15往復、気仙沼~本吉間では24往復と増発されている。

振替輸送の際はバス料金が適用されていたが、代行バスの場合はJR運賃となり、手にした乗り放題切符でも通しで乗ることができる。柳津駅前には代行バスが待っていた。整理員に聞くと、気仙沼まで2時間以上掛かるという、いささかうんざりする答えが返ってきた。

前谷地から乗った2975Dの車内、平日の昼間とあって、わずか3名の乗客だった。▲▲前谷地~柳津で気になっていたのは「のの岳」の駅名、昭和43年の開業当時、平仮名を組み合わせた駅名はたいへん珍しかった。調べると、付近に駅名の由来となった箟岳(ののだけ)がある。難解な漢字のため、平仮名にしたようだ。

柳津の手前で、北上川の本流を渡る。川面に青空が反射していた。ここまでは地震の影響など微塵も感じられなかった。乗車20分余りで柳津駅に到着。島式ホームにログハウス風の駅舎、列車はここまでで、駅前に待機する代行バスに乗り換え

柳津駅前に停車する代行バス。バス事業者はJR東日本で、JRバス東北ではない。JR東日本直営のバス事業は初めてのこととなる。営業車両は全部で18両あり、すべて首都圏の中古バスを購入して、塗り替えて使用している。年内の本格運行時に、増発、ハイブリッド車両が予定されているため、中古の導入となったようだ。なお、運行は、ミヤコーバスに委託している。代行バスは柳津を出るとすぐ一般国道45号に入る。原則、鉄道駅に接近した国道上に代行バスの停留所が設けられている。鉄道駅で言えば陸前戸倉から海岸が見えた。建物がいっさい残っていない、荒涼とした風景がずっと車窓に続くことになる。

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信貴電の不思議 改訂版

デジ青掲示板のトラブルにより「信貴電の不思議」が消えてしまいましたが、原稿が残っていましたので復活することにいたしました。ただ、そのままでは芸がないので追加して「信貴電の不思議 改訂版」としました。

 信貴山下駅から先の第2期工事でも複線化工事を行ったことを示すもの以外に、天理参考館で購入した絵葉書に信貴山下駅で撮影された51形53号電車の写真があり、これがどのような電車か調べてみました。そして、平群駅にある信貴電の名残、東ケーブルの写真などを追加しました。

彼岸花の咲く頃
彼岸花の咲く頃 平隆寺前を行く

 それでは消えてしまった部分から。

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11・11 ホームカミンクデー行われる

同志社創立137周年を記念した、ホームカミングデーが11月11日(日)に今出川キャンパスで行われ、クローバー会でも3部に分けて行事を行いました。あいにくの雨にもめげず、多くの会員が参加し、朝から晩まで賑やかに楽しく一日を過ごしました。

▲第一部 京阪旧3000系乗車会  3000系クラシックに乗車、先頭車の運転室かぶりつき席を独占して、大阪から京都まで、名残の乗車を楽しみました。

▲第二部 会合(至誠館34番教室)  前半は、会からのお知らせ、会員の近況報告、スライド映写会など。現役会員も同じ至誠館で模型運転会を実施。OB・現役が、同じ館の中で共に活動するのは、同志社広しと言えども鉄道同好会だけでした。

後半は、当会会員の志水仁さん(JR貨物北海道支社勤務)による講演「迂回輸送で石油を運べ」。震災直後、被災地へ向け磐越西線経由で石油輸送に、自らが指導・調整・添乗に携わった知られざる秘話、質疑応答を行った某老人が思わず涙ぐむほどの感動的な講演でした。これには、志水さんのゼミ生同窓生、もと鉄道同好会顧問の斉藤尚久先生にも聴講していただきました。

▲第三部 懇親会(京都平安ホテル)  OB30名に現役会員5名も参加して行われ、夜の更けるまで、和やかに賑やかに行われました。

ホームカミングデー終了、そして締めくくりは同志社EVE

11月11日(日)、ホームカミングデーでの鉄道同好会の展示は無事に終了いたしました。計146人の方々にお越しいただき、当会の誇る展示を思いゆくままに楽しんで頂けたと感じています。OBの皆様、ご声援ありがとうございました。
寒梅館夏まつり、三条イベント、船場まつり、ホームカミングデーと4つの大イベントが終わり、今年も残すは今月下旬の同志社EVEのみとなりました。私が渉外担当になったことがつい最近のように思えます。楽しいことはすぐに過ぎ去ってしまう・・・。今年、時の流れをより速く感じたのは“楽しい”イベントが多かったためでしょう。後輩たちには本当に感謝しています。
さて、同志社EVEですが、展示内容等詳細は分かり次第ご報告させて頂きます。今回は、展示日程と展示教室の紹介のみに留めておきます。ご了承をお願いいたします。

同志社EVE 11月26日(月)~28日(水) 扶桑館104教室にて(←去年の展示場所とは異なります)
11月26日(月) 10:00~20:00
11月27日(火) 10:00~20:00
11月28日(水) 10:00~18:30
変更等が生じましたら、逐次お伝えいたします


 

保存されているEB10

米手作市様より、9月24日【23961】「60年前のエコカー・バッテリーカー」のタイトルで、関 三平様の「昭和の電車」シリーズ「宮崎交通チハ100形」を紹介されているが、その中で「そういえば昭和の初めに国鉄が非電化区間用に蓄電池機関車AB10型、後に電装されてEB10型になった事もありましたね。」と記されている。そのEB10の1号機が廃車後解体を免れ東京都内で保存されているので紹介したい。

(1)EB101
AB10形→EB10形は、蓄電池機関車として昭和2年2両新製され、車体と機械部分は汽車製造、電気部分は芝浦製作所が製作して非電化の須賀貨物線(王子~須賀、王子~下十条)で使用された。6年に電化されたため、芝浦製作所で電気機関車に改造され、46年3月廃止になるまで使用され47年2月廃車になったが、EB101のみ解体を免れ、東京都府中市の「郷土の森交通遊園」で保存されている。
車体は比較的良好な状態を保っているが、運転室の機器類は無残にも破壊されている。

【参考】現役時代のEB101/ (40-3-17) 田端


「汽車製造」の銘板

「芝浦製作所」の銘板

(2)その他の保存車両
EB101の他に、D51296、都電6191、京王バスが保存されているので紹介する。
①D51296
EB101と同じレールの上に保存されている。昭和14年川崎重工兵庫工場製で、秋田、坂町、直江津、長岡と日本海側で使用され、その後新鶴見に転属、最後は青森で47年3月27日付で廃車になった。EB101共々屋根の下で保存されているため、保存状態は比較的良好である。

②都電6191
昭和25年日本車輌製で、説明板によると当初南千住車庫に配置され、45年8月荒川車庫に転属、53年4月に廃車になり、54年7月から当地で保存されている。現在補修工事中であるが、こちらも比較的良好な状態である。



③京王バス
比較的新しい車両で、11年式KC‐JP250NTN、元の登録番号「練馬200か26」で、中野営業所に配置されていた。方向幕は当地で保存時に取り替えられている。
JP型バスは、平成4年10月西鉄北九州線砂津~黒崎駅前間廃止時の代替バスを新製する際に日産ディーゼル、西鉄、西日本車体工業の3社が共同開発した車両で、JM系中型車の車体を延伸して大型車並にしたものである。

「郷土の森交通遊園」の行き方は、京王電鉄府中駅または分倍河原駅から「郷土の森体育館行」の京王バスに乗り、終点で降りれば目の前である。(バスは昼間30分間隔)行った日は分倍河原駅をバスが発車した直後で、バス待ちをしていたおばさんから「歩いても25分位で次のバスを待つより早いよ」と言われて歩いたが30分以上かかった。
裏ワザは分倍河原駅からサントリービール工場の見学者送迎バス(無料)に乗り工場見学、プレミアムモルツの試飲後、歩いて行けば10分位で到着する。工場見学は予約者優先であるが、飛び込みでも空きがあれば可能である。事前に電話予約する方が確実で当日予約も可能である。工場休業日は見学が中止となり、バスも運行されないので注意が必要である。また、府中本町駅からは徒歩25分位で到着する。

(3)周辺の保存車両
小金井公園に保存されているC57と隣接する江戸東京たてもの園の都電7514も同じ日に見学したので報告する。

①C57186+スハフ322146
柵の中にあり屋根は無いが状態は良い。柵の中に入って間近で見学できるのは3月から10月の日祝日の10時~16時までで、それ以外は柵外からの見学となる。
C57186の経歴は昭和21年9月三菱重工業三原工場で新製され新潟区に配置、日本海側で戦後の復興輸送に活躍して40年代に九州に転属、人吉、宮崎から49年6月旭川に転属して50年2月28日付で廃車になった。現役時代に九州、北海道で撮影された方もおられるのではなかろうか。

スハフ32146は昭和10年3月梅鉢鐵工所で新製。最終配置は飯田町客車区で49年10月12日で廃車になった。貫通路は雨水侵入防止のため閉鎖されている。車内には立ち入れないが損傷はなく状態は良い。



  「梅鉢鉄工場」の銘板が健在

②都電7514
昭和37年新潟鉄工所製。7500形は都電最盛期の最後の新車として20両新製された。7514は当初他の7500形と共に青山車庫に配置され、6(渋谷駅~六本木~新橋~汐留)、9(渋谷駅~赤坂見附~銀座4丁目~浜町中ノ橋)、10(渋谷駅~九段下~須田町)で使用。43年9月系統及び青山車庫廃止により江東区の柳島車庫に転属。57年11月、23(柳島~江東区役所前~月島通8丁目)、24(柳島~浅草~上野駅~須田町)及び柳島車庫廃止により荒川車庫に転属した。荒川線ワンマン化の際、7509と共に改造対象から外され53年4月27日付けで廃車となった。7514のみ解体されずに荒川車庫内に保存されていたが、平成11年に当地に移された。7500形の原形車として貴重な存在で車内立入りも可能である。



③ボンネットバス
昭和44年式いすゞTSD43、車体は北村製作所製のバスで全輪駆動車である。航空自衛隊境港気象観測班で使用され、廃車後福山自動車時計博物館で整備された。映画撮影のため昭和26年~34年までの都バスの塗装になっており、イベント時に園内で運転されている。

小金井公園と江戸東京たてもの園の行き方は、武蔵小金井駅または東小金井駅から小金井市のコミュニティバス(COCOバス)に乗り、「たてもの園入口」下車、徒歩10分である。
「江戸東京たてもの園」は現地保存が不可能な歴史的建造物を当地に移設し、復元、保存、展示を目的としており、その方面に興味のある方にとっては1日では見学しきれないと思われる。
写真右は丸二商店(荒物屋)、左は花市生花店で、いずれも昭和初期の建造物である。入園料400円(満65歳以上は200円)が必要である。

 

浜大津イベントを振り返って

土曜、日曜だけの4日間開催でしたが、有料入場者数400余人ということで無事終了致しました。丁度1年前の江若3駅のジオラマ展示に続く第2弾として、実質11ケ月間で製作しましたが、この間多くの皆様から物心両面にわたるご支援があったればこそ実現できたと改めて感謝しています。本当にありがとうございました。
 併設された滋賀鉄道模型愛好会レイアウトへの来場者も含めてのアンケートですが、回収した126人分のアンケートを整理してみました。
1.来客の住所
   ・大津市内    61人(49%)
   ・滋賀県内    32人(26%)
   ・滋賀県外    32人(26%) 東京、千葉、埼玉、京阪神、奈良
2.年齢
   ・10歳未満     6人  滋賀模型愛好会への来客?
   ・10歳代      5人
   ・20歳代      4人
   ・30歳代     21人
   ・40歳代     22人
   ・50歳代     34人
   ・60歳代     19人
   ・70歳代     11人
   ・80歳以上     4人
3.イベントの情報源
   ・新聞記事          35人(27、28日に5紙に掲載),効果大
   ・ポスター、チラシ、広報  32人
   ・インターネット        24人
   ・その他 友人など口コミ  23人
   ・通りがかりに立ち寄った   9人
4.昨年のイベントに
   ・来た      20人(17%)
   ・来ていない  98人(83%) リピーターは少ない
5.このジオラマを今後どうすれば良いかと意見を聞いたところ
   22人の方が「永久保存」「常設」希望と書いて頂いていました。

 アンケート集約結果は以上ですが、40年前の記憶がない30代、40代の方が熱心にご覧頂いたこと、介護福祉士の青年が 会場に来たくても来られない老人のために是非写真を撮って帰って 施設で見せてあげたいと申し出られたことが強く印象に残りました。更には 昨今 はるか昔の写真やジオラマを見せることで認知症の改善を図る療法があることを知ったこと、あるいは模型で再現した喫茶店や飲み屋さんが現在も盛業中で、それぞれのお店で杯を傾けられたのも思い出に残る出来事でした。
 以上簡単ではありますが、ご報告と御礼とさせて頂きます。

「都電荒川線の日」2012


10月21日(日曜日)荒川車庫で「都電荒川線の日」のイベントが実施された。今年は、昨年「7510」を改造して作られた「花100」にハロウィンの装飾をして展示された。
車庫内で展示されたのみで営業線での運転はなかった。

ハロウィン号
9月29日~10月31日の間、「9002」の車内にハロウィンの装飾をして「ハロウィン」号として運転された。

荒川車庫前 (24-10-21)  ハロウィンの小さな看板が取り付けられている。
      ハローウィン風に装飾された車内で子供には大人気とか。


車内の電光掲示板(電気式紙芝居とも言う)

荒川線の近況等について
7000形20両(7001~7003、7005、7007、7008、7010、7013、7015、7016、7018、7019、7022~7026、7029~7031)、8500形5両(8501~8505)、9000形2両(9001、9002)、8800形10両(8801~8810)、花100形1両(花101)の38両が在籍している。昼間の運転間隔は5~6分間隔で約20両が稼働している。土休日は特に乗客が多い大塚駅前~町屋駅前間を中心に増発されるので25~30両程度稼働する。ほぼ中間地点の飛鳥山、王子駅前で約1時間立っていると稼働車を全車撮影することが可能である。
ダイヤは7000形に合わせて引いてあり、8500、9000、8800形は性能を持て余している。信号待ちのロスが多いため、電車優先信号にすることにより全線で7~10分程度のスピードアップは可能と思われるので是非実行していただきたい。

荒川区役所前 (24-10-18)

町屋駅前~町屋2丁目 (24-10-8)

町屋駅前~町屋2丁目 (24-10-8)

町屋駅前 (24-10-8)

荒川営業所の横断幕

8800形のラッピング車
今年の4月頃から8800にラッピング車が登場した。現在8802、8803、8804、8806、8808の5両に実施されている。


クハ79


仙石線 陸前富山~陸前大塚 (49-4-29) クハ79230

関 三平さんの「昭和の電車」は、長く続いた「モハ63形シリーズ」が6月25日の京成電鉄モハ109号で終了となり、改造連接車も終わって、今回から戦前の古豪シリーズが始まり、第1回目として近鉄南大阪線のモ6601形が紹介された。一方小生の超鈍足「モハ63形シリーズ」は第4回目の「クハ79」を解説する。

(Ⅰ)鋼体化改造グループ
昭和9年から17年にかけて、17mの木製車の車体を新製の半鋼製車体に乗せ換える、いわゆる鋼体化改造が施行され、モハ50形(後のクモハ11形400番代)132両、クハ65形(後のクハ16形400番代)221両、サハ75形(サハ17形300番代)21両が誕生した。翌18年には身延線用の2扉セミクロスのモハ62形(後のクモハ14形100番代)、クハ77形(後のクハ18形0番代)が各3両作られた。
戦時中の輸送力の増強のため、鋼体化改造車を17m3扉車から20m4扉車とすることになり、昭和19年に25両計画(当初の計画では33両)されたが、終戦までに完成したのは2、4、5、9、12、16、24、25の8両に留まり以降の改造は中止となった。また、5と9は戦災で焼失したため戦後まで残った車両は6両であった。
時節柄、造作は大幅に簡略化され、2、4、9以外は天井板がなくタル木がむき出し、ラストナンバーの25は最低で座席は12名分しかなく、内張りは戸袋部以外窓から下は省略されていた。沢柳健一氏が撮影された写真がよく趣味誌に掲載されているのでご覧になられた方も多いのではなかろうか。
台枠は最初の2、4、9は木製車のものを延長して使用したが、それ以降は新製された。台車は木製車時代のTR10、TR11を流用したが、戦後24以外はTR23に履き替えた。
当初は東京地区で使用されたが、昭和39年9月、何を勘違いしたのか4、12、16、24、25の5両がなんと明石区に転属して本線緩行に使用された。当時ピク誌の「車両の動き」欄でこの驚愕の事実を知り「何考えてんねん」と思った。
以下、写真と共に解説する。

79002/ (46-9-16)  放出
大正9年天野工場製のクハ15006を昭和19年5月大宮工場で鋼体化改造。東京地区で使用後、26年11月淀川区に転属、29年3月宮原、32年9月高槻、35年10月淀川区と転属して、36年11月環状線101系化で東京に戻り下十条へ、45年12月再度関西入りして淀川区で片町線に使用。一度だけ乗ったが、とにかくボロボロであった。オレンジ色に塗り替えられることなく47年1月24日付で廃車になった。

79004/ 上(43-4-20)  大阪 下(50-2-2)  広島/呉線使用時
大正9年天野工場製のクハ15009を昭和19年6月大宮工場で鋼体化改造。東京地区で使用後、39年9月明石区に転属、41年10月高槻へ、44年10月東京に戻り中原区から12月に青梅区へ、翌年の45年6月呉線電化時に幡生工場でトイレを設置して広島区へ、47年1月には窓の2段アルミサッシ化が実施された。呉線新性能化後可部線で使用され、59年10月3日付で廃車になった。

79012/ (39-10-24) 京都
大正10年日本車輌製のクハ15039を昭和20年1月大井工場で鋼体化改造。東京地区で使用後、39年9月明石区に転属、41年10月高槻へ、48年9月18日付で廃車になった。

79016/ 画像なし
明治45年新橋工場製のクハ19043を昭和19年11月大井工場で鋼体化改造。東京地区で使用後、39年9月明石区に転属、41年10月高槻へ、その後阪和線に転属して48年1月23日付で廃車になった。

 79024/ 上(42-1-6)  下(41-8-25) 京都
大正14年日本車輌製のサハ17019を昭和20年9月大井工場で鋼体化改造。東京地区で使用後、39年9月明石区に転属、41年10月高槻へ、42年6月15日付で廃車になった。
この車のみ台車がTR11のままで、フワフワした感じの乗り心地であった。吹田工場で運転台窓のHゴム化、球形通風器の取付けが行われたが、グループでは最も早く廃車になった。

79025/ (44-5-30) 京都
大正3年大宮工場製のモユニ2003を昭和20年1月大井工場で鋼体化改造。国電史上接客設備が最悪の車両であったが当初横須賀線で使用された。東京地区で使用後、39年9月明石区に転属、41年10月高槻へ。44年12月に東京に舞い戻り、武蔵中原から房総地区電化により津田沼に移動。50年4月14日付で廃車になった。
房総地区電化時、東京、関西から掻き集めた4扉車が使用され、乗客からヒンシュクを買ったが、113系に置換えられて面目を一新した。ところが近年113系老朽化により元京浜東北線の209系に置換えられ、また4扉車になった。唯、今回は両端がセミクロス車で編成中に必ずトイレ付車が連結されているので、73系の時よりいくらかマシである。

(2)63形グループ
モハ63形には、運転台機器はあるがモーターの無いクモハ63形(クハ代用)、運転台機器、モーターもなくサハ状態のサモハ63形(サハ代用)が存在したが、これらを整備の上、昭和27年から28年にかけて76両を正式にクハ79形として100~250(偶数のみ)を付番した。当然車両の向きはすべて偶数向きである。
両数が多いので代表的な車両のみ紹介する。

79100  (48-4-30)  仙石線下馬
昭和19年8月川崎車輌でサモハ63002として新製。27年11月大宮工場で改造して現車号に。東京地区で使用後、仙石線に転属して51年5月20日付で廃車。

79104  (48-7-1)  鳳
昭和19年11月川崎車輌でサモハ63006として新製。27年11月大宮工場で改造して現車号に。東京地区で使用後、42年9月阪和線に転属して49年10月1日付で廃車。

79132  (47-1-9)  鳳
昭和21年10月汽車会社でサモハ63234として新製。28年2月大宮工場で改造して現車号に。東京地区で使用後、43年3月阪和線に転属して47年4月28日付で廃車。

79136  (49-5-27)  大阪
昭和21年4月近畿車両でサモハ63296として新製。28年3月大宮工場で改造して現車号に。東京地区で使用後、46年1月高槻に転属して大阪緩行で使用後51年1月29日付で廃車。大阪緩行としては比較的遅くまで残った。(最終運行日は51年2月26日)

79152  (48-4-30)  仙石線下馬
昭和21年6月近畿車輌でサモハ63314として新製。28年1月大宮工場で改造して現車号に。東京地区で使用後、仙石線に転属して54年10月22日付で廃車。

79154  (48-4-30)  仙石線下馬
昭和21年6月近畿車輌でサモハ63316として新製。27年8月大宮工場で改造して現車号に。東京地区で使用後、仙石線に転属して55年11月15日付で廃車。

79160  (50-3-23)  南武線稲城長沼
昭和21年7月近畿車輌でサモハ63330として新製。28年2月大宮工場で改造して現車号に。東京地区各線で使用され、最後は南武線中原区で53年1月17日付で廃車。

79166  (48-2-2)  青梅
昭和21年7月近畿車輌でサモハ63336として新製。28年2月大宮工場で改造して現車号に。東京地区各線で使用後、最後は青梅区で51年12月21日付で廃車。

79172  (51-2-25)  上越線群馬総社
昭和21年8月近畿車輌でサモハ63344として新製。28年2月大宮工場で改造して現車号に。東京地区で使用後、新前橋区に転属して高崎~水上間、高崎~桐生簡で使用後51年3月15日付で廃車。

79190  (43-9-7)  東神奈川
昭和21年9月川崎車輌でサモハ63378として新製。27年8月大宮工場で改造して現車号に。東京地区各線で使用され、最後は横浜線で52年11月30日付で廃車。

79202  (47-2-17)  鶴見線浅野
昭和21年10月川崎車輌でサモハ63438として新製。27年9月大宮工場で改造して現車号に。東京地区各線で使用され、最後は鶴見線で51年1月29日付で廃車。

79204  (48-4-30) 仙石線下馬
昭和21年11月川崎車輌でサモハ63442として新製。27年9月大宮工場で改造して現車号に。東京地区で使用後、仙石線に転属して55年3月11日付で廃車。

79216  (50-1-6)  京都
昭和19年11月田中車輛でサモハ63009として新製。27年9月大宮工場で改造して現車号に。東京地区で使用後、40年2月明石に転属、44年12月高槻に転属して大阪緩行で使用後50年7月25日付で廃車。

79222  (48-7-14)  大阪
昭和21年8月日本車輛でサモハ63075として新製。28年5月大宮工場で改造して現車号に。東京地区で使用後、41年4月明石に転属、45年1月高槻に転属して大阪緩行で使用後50年6月20日付で廃車。

79224  (47-2-17)  鶴見線浅野~新芝浦
昭和21年8月日本車輛でサモハ63071として新製。28年6月大宮工場で改造して現車号に。東京地区各線で使用され、最後は鶴見線で50年6月20日付で廃車。

79238  (47-2-20)  大阪
昭和21年8月日本車輛でサモハ63083として新製。28年7月大宮工場で改造して現車号に。東京地区各線で使用され、最後は鶴見線で50年3月22日付で廃車。
写真は関西地区から東京地区に転属する車両の受け取りに来た時のものである。撮影時の所属は南浦和区であった。

引続きモハ72形についても時期を見て解説する。

東欧のたび(その2)

ヴォルシチンのSL

ヴァイスヴァッサーで軽便を堪能した後、次に訪れたのはポーランドのボズナンです。ベルリンからインターシティーで3時間足らずで行くことができます。この町から西に80kmはなれたヴォルシチンに機関庫があり、ここを基点に2004年ごろまでは1日に区間運転も入れて10往復ほどのSLが走っていました。2005年からは2方向3往復に減り、昨年は一時的に5往復になったものの、今年の運行はポズナンとヴォルシチンの間で2往復のみになっています。まずポズナンに14:54に到着する列車を駅で待ち受けることにしました。

ポズナン駅に進入

ポズナンの駅は大改造中で一部の線路は新しい駅側で運行を始めていますが、ヴォルシチンへの路線は旧駅側に入り、3aというはずれのホームに入ります。しばらく待っていると遠くから汽笛が聞こえ、OL49型のSLが2両の客車を引いてやってきました。OL49型は2-6-2の車輪配置で1750mmの動輪を持った堂々たる機関車です。まずは実際にSLが走っていることが確認できて一安心、列車からはぱらぱらと乗客が降りてきますが、同業者らしいのは見かけませんでした。

ポズナンを発車するOL49型

翌朝のポズナン発車は9:15、昨日と同じホームをぞろぞろと人が歩いて行くものの、隣の電車の乗客と、駅の勤務者でしょうかそのままホームを通り過ぎる人が多く、ヴォルシチン行きに乗ったのはわずかで、一番前のボックス席を占領しました。久しぶりのSL列車の乗車、煙の匂いと蒸気の音に少し興奮しました。ポズナンは大きな駅で次のPoznan Debiecまではいくつもポイントを越えて、ゆっくりと走ります。3つ目のWiry あたりからポーランドらしい草原が線路の両側に広がります。40分ほど走ったSteszewで結構な乗車があり、私のボックスにも人が乗ってきました。1時間あまりたったGrodzisk wikpでも多くの乗り降りがあり、ほぼ席が埋まるような状態でヴォルシチンへと進みます。沿線はなだらかな起伏のある草原が続き、途中、草原に三脚を立てている同業者を3人見かけました。ヴォルシチンの手前で大きく右にカーブすると機関区が見えてきて程なく終着のヴォルシチンに到着しました。

ヴォルシチンに停車中のOL49

駅から機関区までは歩いて10分くらい、途中道沿いに赤錆の出た廃車群が並んでいます。

機関区の入り口には英語とポーランド語で機関庫の紹介と、5月の初めにパレードがあり多くのレールファンが集まるなどを書いた看板が立っています。これを読んでいると、制服を着た男が中に入れと手招きします。本によると入場料がいるらしいので入り口はどこかと聞くと、「俺について来い、どこで写真をとってもいいぞ」みたいなことを言っているようです。お言葉に甘えて、中に入り転車台の周りで写真を撮っていました。

しばらくするとまたさっきの男がやってきて、ついて来いと言います。男はそのまま建物の中に入り、更衣室のような部屋のロッカーを開けて、ポーランド国鉄の帽子を取り出して、60ズローチで買わないかと言います。どうみても個人のロッカーにあり、官給品を横流ししているような感じです。また、DVDを取り出して、これも60ズローチで買わないかと言ってきます。あわせて3000円程度、高いと思いましたが、実は行きの車内の検札で、持っていたヨーロッパイーストパスを見せると、車掌がこれは使えないと言ったのを、そんなことはないと突っぱねると、車掌は言葉の通じないのもあってあきらめて行ってしまいました。駅で降りて確認すると、この路線は国鉄から分離された第三セクターのようなもので、やはりパスは使えないらしいということがわかりました。この罪滅ぼしもあって、言値で買いましたが、半額でと言ってもいけそうな感じでした。

機関区の入り口

機関区は小規模ですが8線ある扇形庫と転車台、詰所などが一通りそろっています。石炭はクレーンのバケットでつかんで積み込みます。機関区の中は勝手にどこに入っても良く、何も言われません。1時間ほどの間、ゆっくりと写真を撮りました。最後に、博物館と書いてあるところに入ると5ズローチの入場料をとられましたが、そこには特に博物館らしい展示はなく、これがどうも、機関区への入場料だったようです。尚、扇形庫の中には動かせる状態の機関車が少なくとも3台はあり、外で煙を上げている2台を合わせて、5台の稼動が確認できました。

Ty-1型青色のクレーンで給炭する

見学を終えて、駅に戻ろうとすると、帽子とDVDを売りつけた男が機関車の運転台にいて、「ポズナンまで帰るのか?ポズナンまで200ズローチ(5000円程度)出せば運転席に添乗させてやる」と言うのです。機関区の中で運転席に乗せてくれるというのは本にも書いてありましたが、まさか実際の運行で添乗までできるとは思いませんでした。持ち合わせもなく断りましたが、この男、次のポズナン行きの機関士で、ヴォルシチンの駅で乗る前に機関車の写真を撮っていると、また声をかけてきて100ズローチにするけれどどうかと言ってきました。結局断ったものの、後から考えるとちょっと乗ってみるのも良い経験だったかと後悔しました。

ヴォルシチンのSLは風前の灯かと思っていましたが、当面運行は続けられるようで、ヨーロッパで唯一、定期路線で大型SLが走るこの場所はもう一度訪れる価値がありそうです。

2ちゃんねるの記事から

悪評高い、2ちゃんねるですが、時々おもしろい投稿があります。これに対する書き込みにも傑作なのがありますのでご紹介します。

まず、元になった読売の記事
>青森県深浦町で昨年11月、JR五能線の線路上に敷かれたアルミ板に列車が衝突して停止した 事故で、鰺ヶ沢署は2日、アルミ板を敷いた男2人を過失往来危険の疑いで地検弘前支部に 書類送検した。
2人は「車で線路を越えるために板を敷いた」と容疑を認めている。JR側とは示談が成立して いるという。
発表によると、書類送検されたのは同町の農業の男(77)と、知人で中泊町の農業の男(71)。
現場周辺には踏切がなく、男らは「線路裏の山に向かう近道として、以前から板を敷くことが
あった。列車が来るとは思わなかった」と話している。
▽読売新聞

これに対する書き込み
●これって、アルミ板がレール2本に 触れた時点で通電して 保安機が電車が居ると認識するから 後続は止まるんじゃないの?
●豆知識 青森では、電車、列車という単語は使わず、汽車と言う
●そもそもアルミ板敷いた時点で軌道短絡するだろ
●既に電車が当該閉塞の信号機内方に入ってたら意味ないね。 田舎線区だから一閉塞も長いだろうし。 そもそも自動閉塞なのかも分からんが。
●五能線は特殊自動閉塞 停車場以外に軌道回路はない
●アルミは電気を通さないんだが。 そもそもレールは電圧0ボルトで触っても問題なし。
●鉄道会社側も勝手に横断されるくらいなら踏切作りたいわけだが、 国交省が踏切の新設を禁止しているんだよ

などと申しております。

懇親会と運転会

今般、レイル誌への江若の記事執筆者と元模型班の有志が集い、祇園の「デゴイチ」で懇親会と模型の運転会が開催されました。

 

例によって顔面加工を施しています。 

 花の金曜日夜のゴールデンタイムに会場の手配と関係者への連絡をしてくださった、幹事役のTさんに謝意を表するとともに、残念ながら所用で参加されなかった方への報告とします。

 

江若鉄道全駅スケッチ

今日の毎日新聞滋賀版にこんな記事が出ていました。11月3日には62枚全部のスケッチが見られますが、それ以外に13日~30日は各駅1枚のスケッチが見られるそうです。11月3日は浜大津のイベント、京阪錦織車庫のイベントがあり、少し遠いですが、この時期に行われるのも何かの縁、いかがなものでしょうか。