東欧のたび(その2)

ヴォルシチンのSL

ヴァイスヴァッサーで軽便を堪能した後、次に訪れたのはポーランドのボズナンです。ベルリンからインターシティーで3時間足らずで行くことができます。この町から西に80kmはなれたヴォルシチンに機関庫があり、ここを基点に2004年ごろまでは1日に区間運転も入れて10往復ほどのSLが走っていました。2005年からは2方向3往復に減り、昨年は一時的に5往復になったものの、今年の運行はポズナンとヴォルシチンの間で2往復のみになっています。まずポズナンに14:54に到着する列車を駅で待ち受けることにしました。

ポズナン駅に進入

ポズナンの駅は大改造中で一部の線路は新しい駅側で運行を始めていますが、ヴォルシチンへの路線は旧駅側に入り、3aというはずれのホームに入ります。しばらく待っていると遠くから汽笛が聞こえ、OL49型のSLが2両の客車を引いてやってきました。OL49型は2-6-2の車輪配置で1750mmの動輪を持った堂々たる機関車です。まずは実際にSLが走っていることが確認できて一安心、列車からはぱらぱらと乗客が降りてきますが、同業者らしいのは見かけませんでした。

ポズナンを発車するOL49型

翌朝のポズナン発車は9:15、昨日と同じホームをぞろぞろと人が歩いて行くものの、隣の電車の乗客と、駅の勤務者でしょうかそのままホームを通り過ぎる人が多く、ヴォルシチン行きに乗ったのはわずかで、一番前のボックス席を占領しました。久しぶりのSL列車の乗車、煙の匂いと蒸気の音に少し興奮しました。ポズナンは大きな駅で次のPoznan Debiecまではいくつもポイントを越えて、ゆっくりと走ります。3つ目のWiry あたりからポーランドらしい草原が線路の両側に広がります。40分ほど走ったSteszewで結構な乗車があり、私のボックスにも人が乗ってきました。1時間あまりたったGrodzisk wikpでも多くの乗り降りがあり、ほぼ席が埋まるような状態でヴォルシチンへと進みます。沿線はなだらかな起伏のある草原が続き、途中、草原に三脚を立てている同業者を3人見かけました。ヴォルシチンの手前で大きく右にカーブすると機関区が見えてきて程なく終着のヴォルシチンに到着しました。

ヴォルシチンに停車中のOL49

駅から機関区までは歩いて10分くらい、途中道沿いに赤錆の出た廃車群が並んでいます。

機関区の入り口には英語とポーランド語で機関庫の紹介と、5月の初めにパレードがあり多くのレールファンが集まるなどを書いた看板が立っています。これを読んでいると、制服を着た男が中に入れと手招きします。本によると入場料がいるらしいので入り口はどこかと聞くと、「俺について来い、どこで写真をとってもいいぞ」みたいなことを言っているようです。お言葉に甘えて、中に入り転車台の周りで写真を撮っていました。

しばらくするとまたさっきの男がやってきて、ついて来いと言います。男はそのまま建物の中に入り、更衣室のような部屋のロッカーを開けて、ポーランド国鉄の帽子を取り出して、60ズローチで買わないかと言います。どうみても個人のロッカーにあり、官給品を横流ししているような感じです。また、DVDを取り出して、これも60ズローチで買わないかと言ってきます。あわせて3000円程度、高いと思いましたが、実は行きの車内の検札で、持っていたヨーロッパイーストパスを見せると、車掌がこれは使えないと言ったのを、そんなことはないと突っぱねると、車掌は言葉の通じないのもあってあきらめて行ってしまいました。駅で降りて確認すると、この路線は国鉄から分離された第三セクターのようなもので、やはりパスは使えないらしいということがわかりました。この罪滅ぼしもあって、言値で買いましたが、半額でと言ってもいけそうな感じでした。

機関区の入り口

機関区は小規模ですが8線ある扇形庫と転車台、詰所などが一通りそろっています。石炭はクレーンのバケットでつかんで積み込みます。機関区の中は勝手にどこに入っても良く、何も言われません。1時間ほどの間、ゆっくりと写真を撮りました。最後に、博物館と書いてあるところに入ると5ズローチの入場料をとられましたが、そこには特に博物館らしい展示はなく、これがどうも、機関区への入場料だったようです。尚、扇形庫の中には動かせる状態の機関車が少なくとも3台はあり、外で煙を上げている2台を合わせて、5台の稼動が確認できました。

Ty-1型青色のクレーンで給炭する

見学を終えて、駅に戻ろうとすると、帽子とDVDを売りつけた男が機関車の運転台にいて、「ポズナンまで帰るのか?ポズナンまで200ズローチ(5000円程度)出せば運転席に添乗させてやる」と言うのです。機関区の中で運転席に乗せてくれるというのは本にも書いてありましたが、まさか実際の運行で添乗までできるとは思いませんでした。持ち合わせもなく断りましたが、この男、次のポズナン行きの機関士で、ヴォルシチンの駅で乗る前に機関車の写真を撮っていると、また声をかけてきて100ズローチにするけれどどうかと言ってきました。結局断ったものの、後から考えるとちょっと乗ってみるのも良い経験だったかと後悔しました。

ヴォルシチンのSLは風前の灯かと思っていましたが、当面運行は続けられるようで、ヨーロッパで唯一、定期路線で大型SLが走るこの場所はもう一度訪れる価値がありそうです。

東欧のたび(その2)」への2件のフィードバック

  1. 大津の86様
    懐かしく拝見させていただきました。私がWolstynに行ったのは97年5月の単独旅行と02年5月の逗子のTさんとの弥次喜多道中の時です。主力はその当時からOl49型であり、機関庫へ向かう道路の横に錆びついた廃車体が居たのも同じです。他にTKt48型タンク機、Pm36型、Ty51型等が有火状態でした。道路横の廃車体はTy42、Ty51等でした。もうひとつ同じなのは職員の物売りで、私もだまされて新品の製造銘板を買ってしまいました。また、PoznanからWolstynへのOl49の運転室には日本人のマニアが居ました。私はぶんしゅうさんでお馴染みの中国長兵山の上游型蒸機は若干運転したことがあります。前回のコメントで東欧は暗い感じと書きましたが、確かに駅前に店がなく、冷えていないジュースやうまくないハンバーグで昼食をとった記憶があり、全体に貧乏な感じでした。ただ、東欧はパリやロンドンと異なって白人が多く、貧乏であっても顔のつくりが綺麗なためか貧乏に見えないのが不思議です。列車内で昼間から脚を開いてビールをラッパ飲みしている中年のご婦人と話をしたことがありますが、やはりアジア人とは顔のつくりが違います。また別の車内で若い兵隊さんにポーランドで鉄道撮影が禁止されているのは何故かと質問をしたら、長いこと考えて「It’s a secret」と訳のわからぬ回答がありました。楽しい話もありました。Tさんと夜遅い列車でWarszawaからPoznanに向かっている時、事故か何かで列車が長いこと停まってしまったのです。車内はどうなるのか不安な中で少しざわめきが起こりました。ポーランドの若い女優が近くにいることがわかったです。私が話しかけたら「Do you know me?」と喋ってきたので勿論名前は知らないが「of course」と言って一緒に写真を撮りました。しばらくすると救援列車が来て全員一度線路に降りてその救援列車に乗り移りPoznanのホテルは深夜に到着しました。この翌日がOl49の蒸機列車の旅でした。

  2. 準特急様
    コメントありがとうございました。’97年に行かれたとのこと、当時はまだ壁崩壊からまだ日も浅く、いろいろ御不自由もあったことかと思います。今回感じたのは、どこでも英語が通じるようになったのと、全体に雰囲気が明るくなり、各国の特徴はあるものの、(最近は呼び方までこの地域は東欧でなく中欧と呼ばれているようですが、)西、東という区別はあまり感じなくなりました。
    ただ、職員の物売りは伝統でしょうか、あの熱心さには笑ってしまいました。
    また、ビールラッパ飲み云々と書かれていましたが、そういえば、今回は昼間から街角でビールや、ウォッカを飲んでいる姿は見かけませんでした。30数年前は酔っ払いがうろついていたり、工場でも夜勤になると、ポケットに入れたウォッカのビンを出してきて、一緒に飲もうと言われたり、大変でした。自由化とともに酒の量も減ったのでしょうか。
    いろいろ貴重な体験されているご様子、お話お伺いできるのを楽しみにしております。

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