新緑の北海道 余話-6-

倶知安 今昔

酷暑が続く毎日ですが、今日から9月、今さら”新緑”とは時期遅れも甚だしいのですが、これで最終とします。
ぶんしゅうさんとの北海道の最終日は、日高本線鵡川を出発し、室蘭本線で寝台特急を撮り、フェリー出航の小樽へ向かうコースでした。多少遠回りになるものの、旧胆振線沿いのルートを走ります。長い裾野を広げる羊蹄山が、初夏の青空に美しい姿を見せると、車は倶知安駅前に到着しました。
40年前、山手にあるユースを拠点に、DRFCの仲間とともにC62を追った思い出の駅でもありました。

倶知安駅も、道内のほかの駅と同じく、きれいに整備はされているものの、乗降客はほとんどなく閑散としていた。駅の裏手にあった機関区はとうの昔になくなり、公園化されていて、駅は単純な2面3線式になっていた。発着する列車も優等列車は1本もなく、単行のキハ40が日中は2時間に1本程度の発着。ヤマ線と言われる函館本線小樽~長万部間の凋落ぶりを感じずにはいられなかった。

これは40年前の倶知安駅の賑わい。キハ22に乗り降りする客でホームはあふれている。貫通扉を開け、係員が待機して、これから増結作業が始まろうとしている。北海道名物の気動車の解併結は、以前ほど複雑なものはないものの、現在でも行われていた。

駅に隣接して機関区があった。アーチ状の門標がある北海道独特のスタイル、胆振・岩内線のキューロク、本線用のD51がいて、ホームからもよく眺められた。手前に見えるちっこいタンク車は、10トン積みのタ600形、当時の国鉄貨車の中では最小部類の貨車で、ほとんどが道内封じ込め用として使用されていた。

C62重連の「ていね」が夕刻の倶知安駅に停車している。「ていね」は、撮ってよし、乗ってよしの列車で、重連が吐き出すシンダーの洗礼を受け、音と匂いで五感を刺激されながら、今は亡き一年先輩のKさんとともに長万部から着いた。跨線橋を渡り、何気にホームを見ると、C62がブロアーを吹き上げ、まもなく発車しようとするところだった。

上り「ていね」は、12時9分に倶知安に到着する。4分間の停車時間を利用して機関車は、給水、火床の整理に忙しい。「ていね」は当時客車8両編成、機関車も入れると、ホームもハミ出してしまう。広い構内で発車を待つ姿をやや低い位置から眺めたC62は、王者の風格であった。ツバメマークのデフの向こうには羊蹄山も見えた。

倶知安を有名にしたのは何と言っても下り「ていね」の発車シーンだろう。18時27分、夏なら薄暮、冬ならとっぷり暮れた中、水銀灯に照らされ巨体が、煙と音が織り成す、すさまじい発車シーンを見せてくれる。夜間撮影の楽しさも教えてくれた。これが終わると、凍て付いた道を滑りそうになりながらユースへの道を急ぐのが常だった。