駅を旅する 〈4〉

折尾

若松から筑豊本線で洞海湾沿いに走って20分ほどで折尾に到着する。筑豊本線は地上、鹿児島本線は築堤上にあり、十字に交差する。

明治24年、筑豊本線の前身である筑豊興業鉄道が開業、半年遅れで、鹿児島本線の前身である九州鉄道が開業した。当時は、現在地と違うところに、それぞれの折尾駅が設置されたが、明治28年に現在地に共同駅が設けられた。日本で最初の立体交差駅だと言われている。さきごろ解体された洋風駅舎は、大正5年建築の二代目だが、随所に煉瓦造りの連絡通路が残され、開業当時の面影が残されていた。

初めて九州に上陸した昭和42年、鹿児島本線の折尾駅に降りて、地上の筑豊本線ホームへ向かった。そこで眼に飛び込んだのが、先端の低いホームに待機するC55が朝陽に浮かぶ姿だった。C55は初めて見る形式だ。朝の柔らかな日差しのなか、ドレーンに包まれたスポーク動輪を通して向かいのホームが透けて見えるではないか-。その後、何度も筑豊へ向かわせた、原動力となった。

先述のように、いま折尾駅は、大規模な連続立体化の工事に入っている。現在駅の北側の高架上に、一体化した鹿児島本線、筑豊本線の同一ホームができる。乗り換えの利便性はウンと向上するが、私の九州への原体験でもある折尾駅は、まもなく姿を消そうとしている。

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◀駅前道路から折尾駅を見通す。「荷物預所」「大衆食堂」と駅前の必須アイテムが連なる。人々の服装や道路から、なにやら終戦直後のように見えなくもないが、レッキとした昭和40年代後半の撮影。(昭和47年11月)折尾IMG_0002sy▲筑豊本線の下りホームに到着する、C5519〔若〕の牽く733レ。なお、鹿児島本線黒崎方から筑豊本線中間方へ向かう短絡線には駅がなく、同線を通る直通列車は、折尾は通過扱いだったが、昭和63年に、短絡線上にホームが設けられ、鷹見口と呼ばれている。(昭和45年9月)

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