JRの特急車両は趣味誌によく取り上げられる。個性ある私鉄の特急も同様でかつては速度比較もよく見られた。それに比べて私鉄の急行は沿線住民にとっては重要な位置づけにありながら趣味上は地味な存在であまり話題にならなかった。そこで学生時代に乗車した阪急京都線の急行を取り上げてみた。その理由はとにかく速かった記憶があり、私鉄の急行では一番表定速度が高かったのではないかと思っているからである。他社のちょっとした特急よりも速かったのではないかとも思う。速いといえば近鉄大阪線急行も速かった。両者を比較してみると私の手元にある時刻表で京都線の急行の速度がわかる最も古いのは1976年7月号で河原町を22時40分発が梅田23時24分着で47.7kmを44分で走り、表定速度は65.1km/hである。梅田23時40分発河原町行きも45分で表定63.6km/hある。早朝の河原町6時発は48分かかり表定速度59.6km/hである。昼間時もこれに近い速度で走ったのではないかと推察する。また、1980年10月5日発行の保育社「日本の私鉄阪急」では標準所要時間47分で表定速度は60.9km/hとある。一方、近鉄大阪線は1968年11月の時刻表を見ると上本町6時10分発宇治山田8時21分着で137.3kmを2時間11分で走破し、宇治山田20時22発も上本町22時33分着で同じ2時間11分で表定速度は62.9km/hある。近鉄大阪線は青山越え等連続するアップダウンと単線区間の存在がありハンデがあったが、鶴橋~大和八木間ノンストップなど今では考えられないほど停車駅が少なかった。阪急の場合は新京阪鉄道が高速運転に向くような車両や線路を用意し山間部の勾配区間もないので停車駅がそこそこ(停車駅は十三、淡路、茨木市、高槻市、桂、西院、大宮、烏丸でラッシュ時長岡天神にも停車した)あるにもかかわらず表定速度が高かったものと思われる。
それでは阪急京都線の思い出の急行運用の車両を順に見ていく。
まず1300系。神宝線1010、1100系の京都線バージョンである。この日1300系急行4連を2本撮影しているが、これが私が撮った最初で最後の急行運用の姿で、この後の1300系の撮影は4連の本線や千里線の普通列車ばかりである。吊り掛け式モーターの710型に続くカルダン車として登場しクロスシート車もあったが優等列車に使われた時代は短かった。既にあの有名な2800系の計画があったからかもしれない。1300系は晩年は宝塚線1200系に組み込まれたものもあったという。一度その姿は見たかった。
1965.09.30 大山崎~長岡天神間 河原町行き急行後部1305▼

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