‘08孫の運動会に行ってきました

昨年に続き、茨城県笠間市立友部小学校の運動会に行ってきました。以下は、その時の成果です。 

 1.真岡鉄道、2120レと6001レ、西田井駅、’08.09.20、撮影:小6T   

 2.同、6001レ、同所、同日、撮影:小6T        

 3.同、6001レ、笹原田-天矢場間、’08.09.23、撮影:小4K       

4.同、6002レ、市塙駅、’08.09.23、撮影:小4K       

今回はお爺さんの写真に良いのがありませんでした。その代り、行きがけに寄ってきた、大井川鉄道です。
 5.大井川鉄道、101レ、福用-大和田間、’08.09.19      

(未承諾広告)その他の写真は、以下のページでご覧下さい。
真岡鉄道
 http://kabutogoe.web.fc2.com/mooka/mooka.html

大井川鉄道
 http://kabutogoe.web.fc2.com/ooigawa/5251.html  

(お節介なお知らせ)
来る1014日は、言わずと知れた鉄道記念日です。NHKFM放送では、前日の1013日(祭日)、『今日は一日鉄道三昧』を放送予定。時間は、午後1時から午前1時までの12時間。リスナーのリクエストで、鉄道唱歌、オネゲルの『パシフィック231』を始め、鉄道効果音も聞けることでしょう。ソニーのテレコやアカイのオープンリールが今も活躍する前期・後期高齢リスナーにとって必聞です。

天然色写真で巡る40年前の九州 (3)

(3)煙の聖地、筑豊・若松

広島から夜行列車で九州入りし、まず筑豊で撮影を開始する。
筑豊炭田を背景に、筑豊は蒸機の一大集積地として知られていた。
出炭のピークは昭和30年代の後半であり、年を追って出炭量は低下していたが、それでもなお石炭は、基幹エネルギーとして日夜採掘され続けていた。
石炭を動力とする蒸機もまだ全盛の時代であった。筑豊本線を例に取ると、DL牽引は急行「天草」のみ。普通列車にはDCも相当数入ってはいたが、あとの客貨はすべて蒸機の牽引であった。しかも、C55、D50、60と言った形式がゴロゴロしている。

石炭の輸送手段は、鉄道と船になるが、その船への積出港として、賑わっていたのが筑豊本線の起点となる若松だった。
若松は、北九州市のなかでは、門司、小倉、戸畑、八幡の区からは洞海湾のひとつ隔てた地にあり、北九州市の繁栄から一人取り残されてきた感がある。
それだけに、石炭と鉄道で気を吐いている若松へは好んでよく訪れた。多くは折尾経由で向かったが、ある時は、若戸大橋を歩いて渡り、ある時は、洞海湾を渡船に乗って、戸畑から若松へ向かったものだ。
構内は網の目のように側線が走り、ハチロクが石炭車の入換えに忙しい。若松機関区は筑豊本線の中枢区として、多くの蒸機を擁してきた。一歩駅を出ると、凸型電機に牽かれた若松市営軌道の貨物列車が、繁華街の併用軌道を行く、と言った鉄道光景が繰り広げられていた。
構内で形式写真の撮影に熱中していると、突然、発車の汽笛が聞こえ、若松発の列車が迫ってきた。あわてて、モノクロ、カラーを取り出し、カラーは片手撮りで写した。門鉄デフのC5546が盛大な煙を吐いてきた。
高校2年生のときに初めて訪れて以降、筑豊へは何度行ったことか。それだけに筑豊の盛衰を見守ってきたという自負もあるだけに、石炭産業が途絶えて以降の筑豊の凋落振りは信じがたいほどだった。
いまは、広大な構内はすべて撤去され、跡地には集合住宅が林立している。駅は、ホーム一面二線だけの簡素な終端駅になった。洋風の駅舎もなくなり、プレハブのような簡易な駅舎になった。石炭の面影が微塵も感じられない駅周辺で、唯一駅前に保存された石炭車が辛うじてかつての繁栄をとどめている。

天然色写真で巡る40年前の九州 (2)

電化前の呉線

昭和44年3月7日、九州へ向けて出発した。大学1年から2年にかけての春休みで、例によって均一周遊券を目いっぱい使って九州を駆け巡り、次第に姿を消そうとする蒸機を撮りまくろうという目論見である。
九州は高校生時代に2回行って、ほとんどの機関区を巡り、形式写真を撮影をしているので、今回は、駅間の撮影地を採り入れた旅となった。
と言ってもいきなり目的地へ向かうことはしない。当時は“行きがけの駄賃”がいくらでもあった。今回は、電化間近の呉線へ行くことにし、夜行列車で西下、糸崎で下車、区で夜間撮影ののち、早朝の呉線安芸幸崎に着いた。
呉線は地図では海岸沿いを走っているが、実際行くとなかなか海沿いは見つからない。そんななかで、安芸幸崎~須波間は海岸にへばりつくように走っている。なかでもちょうど中間地点付近は、ミカン山になっていて、高低も自由に変えられ、背後には波穏やかな瀬戸内海を入れることができる。地図で見ると、江若の模型作りで名高い西村雅幸さんの自宅は、ここから山ひとつ越えたところのようだ。
山陽本線が完全電化後も、呉線にはC59、C62が残り、大型蒸機の競演が見られた。山陽本線のセノハチの勾配を回避するため、沿線人口の多い呉線経由の優等列車も多かった。東京~広島間の「安芸」はその代表的列車で、この年からは、急行としては異例のヘッドマーク付きの蒸機牽引となった。しかし、昭和45年10月完成を目指して電化工事が始まり、この区間でもポールの建植が始まった。やってきたのは、3両だけ残ったC59の牽く京都発鳥栖行の1043荷物列車であった。
このカラーを撮影後、三脚の撤収中にカメラの取付けネジをうっかり落としてしまった。周りをいくら探しても見つからない。このネジがないと三脚は、単なる伸縮する3本の棒になってしまう。結局、初日からして、無用の長物をずっと持ち歩くことになり、いささか気の重いスタートとなった。

C59164の牽く荷物列車
 
C59164の牽く荷物列車

CRHの旅Ⅱ Part5 T16北京西駅へ

大地を北へと向かう静かな走行音だけが聞こえる朝を、車中で迎えました。午前6時過ぎ、朝雲からのわずかな陽ざしが見える車窓は、1面のとうもろこし畑が広がっていました。

 

途中からの乗客もなく、私だけの個室だったようです。洗面を済まし、餐車が営業を開始する7時まで、淡々たる風景が続く車窓をうっとりと、過ごしました。

 さあ、今日の菜単は、何かなあと期待して餐車(食堂車)に向かいました。まだ誰も来ていません。餐車乗務員が、テーブルに座って、菜単票に手書きで、朝の菜単(メニュー)を書いています。

 3種類の菜単です。迷わずお粥と目玉焼きがのった焼きそばを注文しました。20(32)です。菜単は、毎日変わります。バイキングの時もあります。各列車のコックによって、任されているそうです。 続きを読む

天然色写真で巡る40年前の九州(1)

(1)まえがき -フジかサクラか-

旧掲示板に、昭和43年、初めて訪れた北海道で撮影したカラースライドを画像復元して発表しました。今回から、その続編として昭和44年春に九州を訪れた際に撮影したカラースライドを、性懲りもなく発表することにしました。すっかり忘れ去った遠い過去の事象が、文字と写真で改めて表現すると、生き生きと蘇ってくるのです。これぞ掲示板の魅力だと考えます。
前回も今回も、一眼レフに入れたモノクロフィルムを主体に、カラースライドはEEカメラで、ここぞという時にだけ撮っていました。ただ違うのは、前回はフジ、今回はサクラのカラースライドを使用したことです。
この40年間、両者は同じ条件(と言ってもほったらかしに近い)で保存しています。ところが、その結果はたいへん対照的なのです。
色調については、フジはほんど色が抜け、復元が不可能なぐらい褪色しているのに対し、サクラは褪色も見られるものの、フジほどではありません。完璧に違うのは、カビの発生です。フジには大なり小なりすべてにカビが見られるものの、サクラにはほとんどカビがありません。
当時の国産カラーフィルムの評価は、フジのほうが高く、シェアも占めていました。サクラは二流品の評価で、価格も少し安かったように思います。
しかし、サクラのほうが、明らかに防褪色、防黴性といった保存性能は優れていたのでしょう。
ものの評価というのは目先だけで惑わされてはならない、長い目でじっくり見定めることが肝要だとの思いをこの例で改めて思いました。
せっかく優れた技術を持っていながらフィルム事業からは撤退したサクラ(現コニカミノルタ)はつくづく惜しいことをしたと痛感しています。

フジとサクラのカラースライド

 

CRHの旅Ⅱ Part4 京九鉄道初乗車

これからが、今回の旅の本番、香港返還に合わせて1996に開通した京九鉄道広州駅~北京西駅2300km、約21時間の初乗車の始まりです。

 

200891317:15、急いでホームに上がりました。既にT16は、ホームに着いていました。客車の行き先サボを見ると、何と海南島三亜駅からの車両です。前もって時刻表は見ていましたが、気が付きませんでした。

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CRHの旅Ⅱ Part3 シンセンから広州へ

中国では、旧暦の815日に中秋節を迎えます。街中いたるところで、月餅(げっぺい)を売っています。月に見立てた丸い平たい形は、各地でも同じですが、中に入っている(具)に違いがあります。中秋節には、家族で満月を見ながら食べる習慣です。これが、日本に伝わり月見団子になったそうです。

有名な店では、並んで買う客もあります。知人、親戚に贈ったり、会社でも社員に配るのが習慣になっています。私も駐在時によくもらいましたが、甘党ではありませんので、あまり食しませんでした。

立派な箱に入っているのは、結構な値段がします。利益率の高い商品ですので、1年の利益の殆どを稼ぐ店もあると聞きました。

今年は、913日から、3日間が休みになっていました。3連休ともなると、列車に乗って出かける客が増えます。いくら頻繁にCRHが走っているとは言え、当日の切符売場は、大混雑となると予想しました。

前日に羅湖で、ホテルのチェックアウト後の13:00過ぎの広州行きのCRHの空席を探してもらいました。窓口のおばさんは、キーボードをたたきながら、13:00D716の次は、14:38発のD778しかないと、CRT画面を見せながら言います。不測の事態を考慮して、13:00発にしました。

鉄ちゃんなのに、自分で時刻表を見て、列車指定をすれば良いと言われる方が多いでしょうが、下記の8月発刊の時刻表をよく見て下さい。

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CRHの旅Ⅱ Part2 香港鉄路博物館

十分な睡眠を取った深圳での翌日、香港に入国して、香港鉄路博物館を目指しました。香港鉄路博物館は、太和駅大埔墟駅の中間にあります。前回は、近い太和駅で下車しましたが、今回は、市場や繁華街のある大埔墟駅で下車して向かいました。採りたての魚介類魚市場や野菜市場がたくさんあり、グルメ党の私には、見ているだけでも、とても楽しい所です。

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CRHの旅Ⅱ Part1 旅立ち

久方ぶりの投稿になります。会社内での業務内容がかわったために慣れぬ事で難儀をしております。この2ケ月間は、まともに休みを取れずで、治らぬ病の頚椎ヘルニアが悪化し、糖尿値も上がり、狭心症と併せて、担当医からは、このまま続けると、本当に生命の保証すらできないと言われる始末です。長期の休暇を勧められ、やむなく休みを取って、まずはストレスを取り除くことにしました。

 鉄ちゃんのストレス発散には、鉄道に乗る事が1番です。目的地は、大きな心で迎えてくれる旅慣れた大地、中国です。前回見学に行ったのにも関わらず、休館日で悔しい思いをした香港鉄路博物館を、第1視察候補地に、その後は、71日に開業した北京天津間300km/hの城際鉄道乗車を目指す事にしました。 続きを読む

おじん2人ヨーロッパ軽便 その23-2

マン島鉄道 その2

マン島は淡路島より少し狭く、人口はその半分—面積572平方キロ、約7万5,000人。勿論英語だが、かつて断絶したマンクス語も最近は文化として一部復活しているとか。元来がケルト系で、地域柄当然ヴァイキングの侵略・殖民も。

一般には100年も続く通常道路60kmでのモーターサイクルレースと、独特のマンクスキャット(尻尾がないかごく短く、後足が前足より長い。大昔ノアの 箱舟に乗り遅れかけ、前足を扉にはさまれ折損したのが由来)が有名。この猫をデザインしたキャットコインも有名で、相棒も記念に銀行で両替しゲットした。

首都ダグラスの地形は南が崖のようにそそりたち、その高台に Douglas Steam Railway のダグラス駅がある。美しい煉瓦建の駅舎にさらに門があり、まるでテーマパークの入口である。勿論ショップがあり、本やグッズが買える。



列車は案外少なく1日4〜5往復。5〜11月のみ運行で、現在島の鉄軌道はすべて観光用。ダイヤ等もインターネットで知ることができる。
http://www.iomguide.com/transportation.php
かつてダグラスの町にはサンフランシスコのようなケーブルカーもあったらしい。

天気が悪いが、まずは2泊のリーズナブルホテル確保を。目の前に路上駐車可能で手ごろな宿だが、何と1人1泊60ポンドと抜かしくさった。これが実に15ポンドまで値切れたのだから、吹っかけにも程がある。雲助は世界中にいる。

鉄道線路の両側はことごとく、戦車でもない限り突破など絶対出来ない物々しい生垣で、列車の半分が完全に隠れてしまうから、撮影場所が殆ど得られず、開放 的なのはわずかに駅構内のみ。これは先回にも書いた羊が線路に入り込まないためだが、どこでも撮影できる農業国は天国である。


踏切も先回紹介したが、普段は鉄柵で閉ざして羊の侵入を防ぎ、列車が来る時だけ90度回転させ道路を塞ぐ。その傍に建つ小屋は、かつて踏切警手の宿舎だっ たのだろう。道が狭いと扉は片開きだが、踏切の数だけ人手が必然だから、絶対数が極めて少なく、無人踏切は立体交差以外あり得ない。

放牧地も同様厳重に囲われているが、非牧畜農地・農家に接している線路だと有刺鉄線だけになる。とある農家で老夫婦に、撮影のため敷地に入らしてくれと頼んでみた。気軽にOKが出、やっと列車が撮影できたが、これ以上の横勝ち構図は高い足場がない限り無理である。

その後その農夫はティーか、カッフィーかと尋ね、お茶をご馳走してくれた。農家といっても、南側壁にはショーウインド顔負けの大きなガラス窓があり、居間 でくつろぎながらからアイリッシュ海が見下ろせるのである。冬なら相当に厳しい風雨に曝されると見え、日本なら当然開閉できるところだが、分厚いガラスは 嵌め殺しだった。

おじん2人ヨーロッパ軽便 その22-9

IL TRENINO VERDE サルディーニャ島緑の列車 サッサリ

翌朝オルメダで朝の列車を撮りそのままサッサリ目指す。アルゲーロ-サッサリ約25kmには11(休日は6)往復の列車が、ほぼ一時間毎程度に設定され、所要は約35分。距離は少し迂回になっても、国道291号だと半時間足らず。

サッサリはこの島でカリアーリに次ぐ二番目の大都市で、人口約12.5万人、地勢的に一部コルシカ語も使われているとか。標準軌間と950mm軽便とが同じ駅に共存し、一部三線式になっている線もある。


一コマ目は本屋に接した行き止まり式のナローのホームで、右側の線が1435、950mmの三線式。この駅にはナローだけでもアルゲーロ、ソルソ、ヌル ヴィへの3線が集中し着発する。後者ははるかテンピオを経て島の東北のパラウに達する長大な路線だが、日常運行はヌルヴィまで。

隣接してかなり大規模な車両基地があり、撮影を申し出ると気楽にOK。ここにも整備して稼動状態のブレダ製1Cタンク機が2両、おなじみ流線型「鯰」や新しいDC、客車も一体何時使うのかと思うぐらいどっさり。イタリア特有の落書きも盛んである。



駅前広場は盛大に掘り起こし中だが、驚いたことに路面電車のレールを敷設していたのである。軌間は950mm、同じ車両基地に引き込まれており、3コマ目 のバックに高い鉄製ポールが並んでいるのは、この架線柱なのであった。ただし何時開通するかは言葉が不自由で分からないまま。街中も部分的にレールが敷か れ、あるいは架線柱も建てられているが架線は張ってない。


車に戻って一旦ソルソを目指したが、道に迷い半時間ぐらいウロウロ。結局最初の道が正解で、小さいが小奇麗な町だった。さらにヌルヴィへ行ってみる。地図での127号線は細くぐにゃぐにゃで覚悟がいったが、走ってみるとバリバリで、さほど時間もかからず。

オシロを経由してサッサリに戻り、相棒のツアコンが日本でインターネット予約していたホテルへ。駅から離れているが、付近が碁盤の目状だったのですぐ見付かった。シャワーを浴び、洗濯後手ぶらでカメラだけ持ちヌルヴィ往復を目指した。

北京〜天津の高速鉄道試運転

北京駅からの続編です。
約50分遅れで、CRH2のD545列車は発車しました。しかし、いつもと違っての30〜50km/h程度の徐行走行です。オリンピックに向けて建築中の北京南駅周辺では、最徐行でした。


反対側の席でしたが、見るとCRH3、CRH2-300が4編成止まっていました。試運転が順調に開始されている事を確認できました。明日からの撮影を期待して、ようなく安心して天津まで眠れました。

天津駅は、北京南駅同様に急ピッチでの工事中でした。やはり最徐行での走行です。ここでも、CRH3と、CRH2-300が4編成止まっていました。天津臨時駅にも北京駅同様に最徐行が続き、回復運転なくさらに遅れての到着でした。改札口を出ると、タクシーの客引きが群がってきます。前の天津駅でも同様でしたが、メーターを倒さずの料金交渉が全てです。まともなタクシーは1台もいません。路線バスもありませんので、ここは諦めざるをえません。常宿のホテルまで、30元(480日本円)で、交渉成立しました。普通にメーターどおりだと20数元ですので、まあまあの料金で、ぼったくりでもありません。それよりも重いスーツケースは、持ってくれますので、助かります。チップ程度の課金と割り切りました。

中国の鉄道駅や空港では、こんな事は普通にある事です。日本のタクシーと比べて高額の料金でもありません。初めて行かれる方は、諦めて荷物を持ってくれる程度のサービス料金と思って下さい。ただ、市内から駅や空港までは、メーターを倒して、歓迎の乗車となります。長距離は、運転手の望むところです。時には、どこかの官庁同様に、お茶を買ってくれたり、たばこを勧めたりの大サービスを受ける事も珍しくありません。必ず、次の日はどこへ行くのかと聞いてきます。1日チャーターしても、200〜400元と、超格安にしてくれることもあります。チベット問題や、毒入り餃子事件で、悪印象が強くなっている中国ですが、1対1になった時の中国人は、むしろ親切で日本人には、忘れて去られた優しさすらあります。

私から言わせれば、関本ジュニアが体験した、中国鉄道の旅に巡り合った人々が、本当の大地の人々です。誇張された悪い部分だけの報道だけで判断せずに、もっともっと中国に行かれて、本当の事を自ら感じて欲しいと思っております。きっと、忘れていた事を感じさせてくれます。私は、そんな大地が大好きです。

話を戻して、8月1日開業が決まっている北京〜天津間の高速鉄道ですが、規制や監視の厳しい北京での撮影は諦めて、天津駅付近にしました。天津駅を発車すると、直ぐに高架軌道線が続いて、撮影は不可能です。そもそも、どこを走行しているのか地図さえありません。タクシーをチャータしようとしましたが、運転手もどこを走っているのか行った事がないとの返事です。
仕方ありません、取り合えず工事中の天津駅に向かい下車して、そこからは歩いて撮影ポイントを探しました。

駅全体を見渡せるマンションを見つけました。守衛に日本からわざわざ取材に来たと頼みましたが、屋上に上がるのは禁止している。公安に見つかったら私も罰せられると、了解がもらえません。無茶を承知で工事現場に入り、線路際での撮影を試みました。丁度、昼休みで監視員も不在です。CRHは、5分おきでの試運転がされていました。
決死の思いで撮影したのが下記の写真です。しかし、駅方面から公安がやってきて、撮影禁止を告げられました。やむなく、撮影を諦めましたが、貴重な数コマは撮れました。

情報では、シーメンス社製のCRH3と、はやて改造型のCRH2-300が合わせて10編成運用に着くそうです。ただ、CRH2-300は6編成が確認できていますので、5:5なのか6:4なのかは不明です。CRH2とCRH2-300との外観上の違いは、パンタの風切り板がついている事と、連結幌が密閉型に変更されている点、そして車両間に蛇行防止装置が新設置されているかです。

出力は、在来型4M4Tから6M2Tに増強されています。ドイツ型が良いのか、日本型が良いのか、試される場です。8月1日には、日本でも開通が報道されるでしょう。
直ぐにでも初乗車をしてみたい私ですが、業務多忙を極め、訪中できるのは、オリンピックが終わってから、早くても9月中旬になりそうです。誰か行かれた方は、ご一報を下さい。