2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part7 小竹直人企画「綏棱森林鉄路(スイリン森林鉄道)撮影ツアー

第7日目 12月29日

今日から小竹直人先生が企画された「綏棱森林鉄路撮影ツアー」の始まりです。 丁度今夜は満月で、昨日にも増しての綏棱のC2型蒸気機関車とのツーショットが期待できます。ツアーに参加された皆さんは、私を入れての12名と、にぎやかになりました。01_乗車
皆さんは海外鉄のベテランばかりで、頼もしい限りです。半分の方は顔なじみでした。
その中で、遠く駐在先のタイ、バンコクから来られた方もおられました。 何と私がタイに行ってバンコクのファランボーン駅で夜間、SL撮影をしていた時に直ぐ近くにおられたそうです。びっくりです。タイ鉄の話に花が咲きました。 01_林鉄スイリン駅1▲ 7時過ぎに林鉄绥棱站に着きましたが、今日の天気は,、昨日までの快晴がウソのように曇り空で、粉雪が舞っていました。まあ皆さんは、達人ばかりですので、こんな日も慣れたもので、それならそれで撮られるテクニックはお持ちです。すぐに客車に乗り込み荷物を置いてから、出発前の撮影が始まりました。

02_走行1▲ 7:43、林鉄绥棱站を出発して約3キロ、国鉄線と分かれてL字方に進路を変える所で、並木をバックに第1回目の撮影です。 ただ、このC2型蒸気機関車は、今一つ調子が上がらないのか、思いっきり煙を上げて欲しいとの注文に答えてくれません。白い世界に白煙では、ちょっと撮影にはしんどいですね。 続きを読む

天理軽便鉄道が走った。 安堵町歴史民俗資料館

 かつて天理軽便鉄道が法隆寺駅から天理まで走っていましたが、法隆寺から平端までは昭和20年(1945年)2月11日から営業休止となりました。戦争の為に線路がはずされついに昭和27年(1952年)に廃線となったのです。2月11日に天理軽便鉄道法隆寺線が走っていた安堵町歴史民俗資料館で鉄道模型運転会がありましたので行ってきました。例によって法隆寺から廃線跡を写真を撮りながら歩いて行きました。

 _MG_0493

∧ 左側に廃線跡があり、右側は大和路快速が走り抜けていく。

_MG_0490-1

 ∧ 廃線跡に残るレンガ組み 続きを読む

ホームページ投稿不可、コメント送信不可の障害について Part2

各位

前略、デジタル青信号の新規投稿及びコメント障害につきまして、使用されておられますブラウザの問題が浮上してきております。
改めて、障害を受けておられます方々へ、ブラウザ名バージョン名のご連絡を、お願い申し上げます。

デジタル青信号では、現在最新のWordPressを使用しています。
このために古いOSやバージョンでは、各種ページやサービスが正常に表示できない、サービスの機能が利用できないなど、予期せぬ障害が発生する可能性を否定できません。
ご利用のインターネットブラウザが古いバージョンの場合、インターネットブラウザを最新バージョンに変更されることをお奨めいたします。セキュリティも向上します。

Windows XPより前のOSでは、最新のInternet Explorerをご利用できません。詳しくはマイクロソフトのサポートページをご確認ください。
マイクロソフト サポート Internet Explorer サポート ページ

(追記)
新規投稿及びコメント障害につきましては、受けられた方々の肝心な状況が伝わって来ませんので、管理者まで直接ご連絡ください。よろしくお願い申し上げます。

冬の箱根路

箱根に行ってきました。昔から箱根の山は旅人の難所とされてきましたが。近年は小田急グループのロマンスカ、ケーブルカー、ロープウェイ、観光船、バスを利用できる「箱根フリーキップ」もあり気軽に行ける観光地となっています。ロマンスカー(はこね3号)から箱根登山鉄道に乗り継ぎ 急こう配、急カーブの線路を上っていきます。1001-2201-1002の3連の山登りの様子です。DSC_1318
モーターの音も軽やかに 強羅まで乗車しました。
次の電車は 旧型の104-106の2連でした。pict-箱根DSC_1361
強羅到着直前の踏切です。昔ながらのお土産屋さんが並んでいます。
その後箱根登山ケーブルカーに乗り、早雲山から箱根ロープウェイで大涌谷乗り継ぎ桃源台へ、途中富士山がきれいに見えていました。
pict-箱根DSC_1502
このロープウェイはロープ2本ですので風に強いそうです。
途中の姥子駅の前に昔懐かしい「かご」が保存されていました。ロマンスカー色がなつかしいですね。
pict-箱根DSC_1442
雪景色がきれいでした。
桃源台10:50発の海賊船で元箱根へ
pict-箱根DSC_1566
その昔 中学校の修学旅行で観光船に乗ったことを思い出しました。159系「こまどり」と品川から富士駅までバスの旅でした。
その後バスと電車で再び強羅へ。再びケーブルカーで箱根美術館へ。
pict-箱根DSC_1602
シーズンオフにもかかわらず多くの観光客を集めています。1921年開業、ケーブルカーとしては生駒に次ぐ日本2番目だそうです。2両編成の新型車になっています。
その後彫刻の森美術館に寄り、一度は行ってみたいと思っていた宮ノ下の富士屋ホテルへ、4時集合の館内案内ツアーに間に合いました。明治の香りのホテルはさすがでした。

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2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part6 兴隆森林鉄路(興隆森林鉄道)、綏棱森林鉄路(スイリン森林鉄道)

第6日目 12月28日

兴隆镇9:21(K7029次)→10:58綏棱

今日は、早朝にレールバスを撮った後、列車で綏棱森林鉄路へと向かいます。
01_レールバス
02_レールバス6:00、林鉄兴隆站に参りましたが、レールバスの到着はまだです。
前照灯は見えていますがこちらへ来る気配がないので行ってみますと、運材を満載した貨車が脱線を起こして、車庫からくるレールバスを通せん坊をしていました。
無理やり押してスペースを空けてポイントを切り替えて脱出しましたが、脱線は日常的なようですね。
6:33、手間取りましたが、何とか踏切前の停車位置に来て乗客を乗せます。
今日のお客はまだ少ないようです。

02_レールバス車内▲ 6:45、待たせておいたチャーター車で龙家站を目指しました。
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2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part5 兴隆森林鉄路(興隆森林鉄道)

第5日目 12月27日 2の2

午後からはC2型蒸気機関車をチャーターしてのフォトランです。林業局関係者も同乗して林鉄兴隆站を出発しました。20_C2林鉄スイリン駅

21_運材車▲ 長春嶺站までは、後ろ向きの牽引です。7両の空の運材車を用意してもらいました。 途中で止まって撮る予定でしたが、夕日をバックに撮れる復路を優先しようとになりました。 11月に訪問した綏棱と違って勾配区間やカーブもあって、撮影ポイントはありそうです。 続きを読む

2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part4 兴隆森林鉄路(興隆森林鉄道)

第5日目 12月27日 2の1

01_到着今日は、昨夜着かれた丸谷氏とK井さんと3人で兴隆森林鉄路の撮影です。蒸気機関車チャーターは午後からとなっていますので、午前中はレールバス撮影です。
早朝起きで6時には林鉄兴隆駅へと向かいました。6:30にはレールバスが発車します。
6:10、車庫からレールバスが到着しました。03_レールバス_スイリン駅▲ 鉄路と街路が交差する踏切前に停車しました。ホームはありません。夜明け前の暗闇の中、待っておられた乗客の皆さんは、たくさんの荷物を持って乗り込まれました。昨日見た大きなレールバスとは違って、中型ですので、ぎっしり満員でした。
DATA;Nikon800E ズーム48㎜、F4.2、1/8、ISO6400、-0.3段 外温-30℃
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タバコのばら売り

ぶんしゅう氏はタイでのタバコばら売りに驚いておられましたが、我等が母校同支社大生協では半世紀前(老人は1957年入学)ばら売りをしていました。普段は「いこい」(20本40円)でしたが、その日の気分で、「ピース」(フイルターつきなんぞなく両切り、10本40円)や、一番高い「富士」(10本50円だったか)なんぞを、1本とか2本とかを買いました。ところが専売公社にバレ、止めないと煙草販売資格を取り消すと脅かされ、中止になりました。神戸に就職し、自由労働者が仕事を求めて集まる場所では、やはり煙草ばら売りが行われており、懐かしく?想い出したことでした。

画像分類考

鉄鈍爺(てつのろじい)と発します。

総本家青信号特派員氏が「写真整理学」を投稿されています。
https://drfc-ob.com/wp/?p=21266
https://drfc-ob.com/wp/?p=21287
https://drfc-ob.com/wp/?p=21792
https://drfc-ob.com/wp/?p=21912

私は鉄道模型を作っていました。(現在は完成品を走らせる烏合の衆と化していますが:苦笑)
模型を作るには設計図や車両細部の写真などの資料集めから始めます。
設計図は実物図面が入手出来れば良いのですが、趣味誌の模型設計図も結構使えます。それ等が無い時は形式図から主要寸法を得て、細かい寸法は写真から割り出します。
自分が作りたい車両が現存する場合は実車の撮影や採寸が可能ですが、もう廃車解体されている場合は過去に撮影した写真を使ったり鉄道関係の書籍や写真などから漁ります。

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ホームぺージ投稿不可、コメント送信不可の障害について

各位

いつもデジタル青信号をご利用いただきましてありがとうございました。
皆様方のご支援、ご協力をいただきまして、デジタル青信号も13年目を迎えることができております。あつくお礼を申し上げます。

さて、最近ご投稿をいただいております投稿会員の方より投稿が不可、またコメントをいただいております外部及び会員の方より、コメント不可になっているとの障害のご連絡を受けました。
大変ご迷惑をおかけしており、まことに申し訳ございません。

現在、調査を進めておりますが、問題なく可能な方と不可能な方に分かれておりまして、未だ原因解明に至っておりません。
デジタル青信号は、昨今のインターネット状況の変化に対応すべく、投稿プログラムを最新バージョンに一新いたしました。この更新過程で予期せぬ問題が発生したと思われます。

つきましては、障害を受けておられます方々からの下記のご連絡をいただきたくお願いします。また、大阪通信員様からは、Windows XPを使用しているが、障害を受けているとのご報告があります。Windows XPを使用されている方のご報告もいただきたくよろしくお願い申し上げます。

【ご連絡をいただきたい事項】
① ご使用されているOS名 (例; Windows XP、Windows Vista、Windows 7 など)
② ブラウザ名 (例; Internet Explorer、Safari、GoogleChrome、Firefoxなど。)
③ お名前、ご連絡先(電話番号、メールアドレス)
追記:
④ エラーメッセージ(Inter server errorなど)

【連絡先】
下記のメールアドレスまでご連絡をお願いします。

大変お手数をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。

2月9日追記:
以下のメッセージが表示される場合は、掲示板を設置しているサーバへの過負荷が原因と思われます。その場合は、ツールバーの更新ボタンをクリックしてください。

スクリーンショット 2013-02-09 14.24.03

2月9日追記:
サーバへの負荷軽減のため、SuperCacheプラグインを導入しました。
見た目の上での変化はありませんが、多少の速度向上とエラー頻度の低下が見込めると思います。

2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part3 京广高速鉄路、兴隆森林鉄路(興隆森林鉄道)

第4日目 12月26日

哈尔滨9:25(K7063次)→11:01兴隆镇

02_ぼうや02_ぼうや2▲ 兴隆镇に向かう列車で一緒だったおばあさんと元気そうなお孫さん。14号車と4号車を間違えて乗車されたそうで、席がありません。優しいお嬢さんが自分の座っていた席を譲られました。また立たれていたお嬢さんに同行していただいた趙さんが、私の席をどうぞと譲られました。
譲り合いの連鎖がありました。優しい人民の様子を見ていて、朝からとてもすがすがしい気分をいただきました。趙さんは、荷棚に溢れる大きな荷物も整理されていました。さすが旅行社に勤める人物です。よく気が付かれていました。
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会長を訪ねて

 梅小路公園に計画されている路面電車が蓄電池電源と分かり、お嘆きのクローバー会会長を訪ねる。会長が団体記念写真の撮影で糊口をしのいでいる西本願寺で待ち合わせ、鉄道趣味者らしく近くの東急ホテルへと向かい西洋料理の昼食とする。会長は胆嚢や腎臓を摘出しているも、お元気でにこやかで、しきりに架線集電しない路面電車計画や折角保存した市電を公園の売店に使うなどの京都市の暴挙に立腹の様子。蓄電池は流行のリチウムイオン電池らしい。梅小路の近所の電池屋が入れ智慧を和服着流し市長に吹き込んだのだらうか。B787のように火を噴かねば良いが。
 この掲示板のことにも話がおよび、長老の投稿がなく如何されているのか、冬眠されてるのか、入院されてるのか、お寺参りをされているのか、ご家族から丁重に扱われているのか、ベランダに監禁されておられないか、会長の心配はつきない。かくいう通信員にも投稿が無いように思うがと、婉曲にいやみをお聞きするので、食卓の勘定書をそっと手許に曳きご馳走することでお慰めすることに。
 なお、掲示板の投稿に対するコメントは製造会社が異なる二種のWinXP機からはどちらもコメントが書き込めない。別なる会社のWin7機からはコメントできることが帰ってから判明。何かの原因があるかもしれませんが、XP愛用者もお見捨てにならぬようお願いいたします。
 会の運営にも会長は色々と腐心されておられる様子ですが、商人や町会長の経験を生かして、楽しめるクローバー会にしていただけるでしょう。
 大宮通を南下し帰途につくと、東海道線山陰線をまたぐ高架橋を渡ることになる。何故かいまでも京都市電の架線柱が二本残っているが、なんでだろう。ここを通るときや新幹線の車窓から眺めて、在りし日の市電を思い出す。
 梅小路公園の路面電車計画もただ走らすだけでは長続きせず、水族館と新しく計画の交通科学館を結ぶ移動手段になると良いのだが。

大宮通陸橋遺物

可部線電化延伸 正式決定

元旦のおめでたいニュースとして28185にて紹介しましたが、去る2月4日にJR西日本と広島市が可部線可部-河戸間の電化延伸を正式に発表しました。廃止された路線が一部とは言え復活するのは全国初の例となります。今年度中に着工し、2015年春の運行開始となります。中国新聞2月5日朝刊1面の記事を添付します。

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大阪市電801型

久しぶりに大阪通信員氏にお目にかかりました。
なんでもボロクチがあって京都へ来られたとか。一流ホテルで豪華なフランス料理のフルコースをごちそうになりました。
その時、「掲示板に大阪市電の801をのせますからご意見を聞かせて下さい」と申し上げましたところ、「コメントを投稿しようとしてもコメント欄に書き込めへん。どうなってるんや?」とおっしゃいますので、ちゃんと会員登録してますか?とおたずねしましたが、よくわかってられないようでした。なんでも、トップページのヘルプ欄に投稿の手順を順序を追って書いてほしい、A4サイズでプリントすることを考えてほしいなどと口走っておられるので、そのままにして帰ってきました。管理人さん、後はよろしくお願い致します。
大阪市電801号_NEW
大阪市電801号(文)_NEW

 

大鉄電車

最近、近鉄南大阪線が注目されてきました、5801は小学生頃から見覚えのある車両で、2色塗装も覚えています。また元北田辺の住人としては何か資料はないかと思い、昔の沿線案内を引っ張りだしてきました。昭和8年頃の資料ですが、駅名も周辺の私鉄の様子も全く違います。大鉄1大鉄2大鉄3

車両の写真が無くて申し訳ありませんが、一つの遺産?としてご覧ください。

2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part2 哈大高速鉄道初乗車 大連北駅、ハルピン西駅

第3日目 12月25日

① ホテル7:30(Taxi・18キロ)→8:00大连北站
② 大连北8:44(D1307次)→14:30哈尔滨西
③ 哈尔滨西站14:50(Taxi)→15:10哈尔滨駅前

昨夜ホテルに帰ってからフロントのお姉さんに、大连北站に行くBusの系統を聞きましたら、「大连北站?、そんな站はないよ!聞いたことがない。」とのお返事です。
12月1日に新しい哈大高速鉄路が開業した。大连に新しくできた站ですと説明しても「不知道」です。ホテルのフロントマンなのに、不勉強だなと思いましたが、ここは中国です。フロントマンの程度はこんなものです。
近くに旅行社の事務所がありましたので、行って聞くと、「私はまだ行ったことはないですが、できたのは知っています。しかし、市内からそこへ行くBusがあるのかどうかまでは知りません。」 と、まあまあ、まともな返事が返ってきました。

大连北站は、瀋陽大连を結ぶ在来線の瀋大線に建設されました。大连站からは4つ目の駅で、15.9キロに位置します。しかし、現在は哈大高速鉄路の駅として使用されていて、在来線の列車は止まらず、すべて通過します。列車で行くこともできません。

02_DSC_6324仕方ありません。今日はTaxiで行くことにしました。問題はTaxiの運転手が知っているかどうかでしたが、今の大连站よりもっと手前に駅ができていた等々を説明しますと、行ったことはないが、行ってみようとの中国人らしい返事です。大丈夫ではありませんが、他のTaxiに乗り換えても同じだろうと、任せました。
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みどりの山手線

INUBUSEです。
西の方では 最近単色の電車は珍しくないようですが 最近山手線でこんな色の電車が走っています。
pict-みどりDSC_0290
103系電車誕生50周年の記念電車で2013年1月16日から12月28日までの約1年間とのことです。

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一編成のみで 遠くから正面を見るとよくわかりません。

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車両番号は旧国鉄時代の文字、車内もいろいろ展示されているそうで、しばらく我々を楽しませてくれそうです。
2013年1月24日 田町にて

近鉄南大阪線 モ5801形

5805 42-10-14道明寺
モ5805+モ5652(2両ユニット改造前)/(42-10-14) 道明寺

 関 三平氏の「昭和の電車」は、年が明けて阪急201+251から始まり、阪神1001形と続き、今回は近鉄南大阪線のモ5801形の流線形モ5805・5806であった。

元々鋼体化改造車は「羊頭狗肉」の最たるものであるが、近鉄の場合は、極力お金をかけずに流用可能な部品はすべて流用したためスタイルは今一であったが、最初からショートリリーフと割り切れば、目的は十分達成したと言えるだろう。

モ5801形
南大阪線の前身、大阪鉄道が大阪天王寺~河内長野間の電車運転開始時、デイ1形として大正12年川崎造船所で13両新製された。
昭和7年デイ2、14年デイ12は、事故復旧時に鋼体化改造され、18年関西急行合併時の改番でモ5601形となり、デイ1→モ5601、デイ3~11→モ5603~5611、デイ13→モ5602に、鋼体化改造車はモ5612形となり、デイ2はモ5612、デイ12はモ5613となった。

戦後24年にモ5607が火災に遭い、復旧時に鋼体化改造され、モ5631形モ5631となった。

木製車体のまま残った10両は、30年と31年に近畿車両で鋼体化改造され、モ5801形となり、モ5601~5606→モ5801~5806、モ5608~5610→モ5808~5810、モ5611→モ5807となった。

鋼体化改造車でも奈良線のモ460形は、当時標準色のダークグリーン1色であったが、モ5801形は、車体のみであるが新車をアピールするため、関 三平氏のイラストの通りマルーンとクリームのツートンカラーであった。34年に標準色になったが、快速「かもしか号」に使用するモ5805+モ5808+モ5806は淡緑色に塗られた。尚、快速「かもしか号」は、35年に転換クロスシートのモ5820形(モ5821~5824)に置き換えられた。(モ5820形は、とんでもなく複雑怪奇な経歴も持ち主で、関 三平氏から紹介があれば解説したい)

30年に改造されたモ5801~5804は、奈良線モ460形の一部と同様、運転台側正面2枚窓であったが、42年から44年にかけて貫通扉が設置された。31年に改造されたモ5805~5810の内、モ5805と5806の2両は、張上げ屋根で当時の奈良線特急車800形類似の流線型正面2枚窓、モ5807~5810は、張上げ屋根で正面貫通扉付であった。奇数車は吉野向き、偶数車は阿倍野向きで運転台寄りにパンタが付き、元吉野鉄道の木製車デハ二100形→モニ5161形を鋼体化改造したサ5701、5702の2両を合わせた12両で、M+T+M×2本、M+M+M×2本を組んだ。ちなみに関 三平氏のイラストはモ5805+モ5808+モ5806である。(単独Mのため固定編成ではなく、中間車を外した2連のこともあった)

41年頃から奇数車+偶数車の2両ユニット化改造が行われ、モ5801+モ5802、モ5803+モ5804、モ5805+モ5810、モ5807+モ5806、モ5809+モ5808の2両固定編成となり、パンタグラフの奇数車連結面への移設、偶数車の撤去が実施された。

新型車の増備により、46年に養老線に転属して主力として活躍したが、モ5801、5802、5805~5810が54年、モ5803、5804が55年に廃車になった。
モ5801/ (42-8-20) 古市
5801 42-8-20古市

モ5801+モ5802+モ5803+モ5804 /(45-10-4) 西大垣
5801 45-10-4
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2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part1 北京空港鉄路切符売場、大連路面電車

第1・2日目 12月23日、24日

① 長岡天神5:09(阪急)→南茨木(モノレール)→大阪空港
② 伊丹7:06(JL102)→8:10羽田9:10(JL023)→12:20北京
③ 北京空港17:20(Bus)→18:40北京站20:27(Z79次)→翌日7:28大連

いつもと同じルートで北京空港に降り立ちました。そして今日は、いつもと違って空港内にあるという鉄路切符売場で、今晩乗車する大連への列車切符の購入しなければなりません。
切符売場は、2012年11月15日に設置されたのですが、インターネットで調べてもまだ行った人の記事はなく、私も分かりません。いったいどこにあるのかと調べていくと、国際線第3ターミナルの4階にあるらししとのニュース記事がありました。しかし、到着ロビーなら分かりますが、搭乗するための出発ロビーとは解せません。ダメなら駅で買えばいいやと探してみました。01_鉄道切符発売所▲ 4階出発ロビーの見取図です。情報ではL22カウンターにあるはずです。13:02、2階到着ロビーからEVで4階に上がり、L地区のカウンターに行きますと、直ぐに見つかりました。
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微笑みの国、タイ王国鉄道の旅 Part12 ART(エアポート・レール・リンク)、BTS(スカイトレイン)とSRT(タイ国鉄)の撮影) 帰国

第11、12日目 12月12日、13日

① 18:33(APL)→バンコク空港00:40(JL728)→翌日07;50関空
② 関空(南海)→難波(地下鉄)→梅田/大阪→長岡京

今日は、タイ滞在最終日です。Y崎さんは14:50のフライトで成田へ、私は翌日になりますが、00:40のフライトで関空へと別れての帰国となります。
早朝に起床、まだY崎さんはお休みでしたので一人で、ホテル下のSRT線路上へと朝食前の散歩撮影に出かけてみました。
01_バタヤイ07_満員の372列車▲ 8:02、通勤用客車4両を中に挟んだ9両編成の満員の通勤列車がやってきました。牽引機は、1980製Alsthom製の4223号機です。121.78キロ離れた中部にあるプラーチーンブリー(Prachin Buri)からの372列車です。定刻より約10分遅れの運行でした。

03_支度

▲ 線路脇では、明るい顔をしたお兄さんが、売りに行く食材の支度を始めておられました。まずはお米の炊き出しです。
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