「八重の桜」号

NHK大河ドラマ「八重の桜」も新政府軍の猛攻撃により会津が降伏し、舞台は京都に移った。これからは同志社人としては目が離せないが、どういうストーリーになるのか楽しみでもあり、心配でもある。

ところで、昨年福島県内を車でまわった時に会津鉄道の車両を少しだけ撮ってみた。あとでその写真をよく見ると「八重の桜」のPRが車体にあった。大河ドラマで放映されるのを機会に地元に震災で減った観光客を呼び込もうとの試みである。また、東武鉄道に乗り入れの「AIZUマウントエクスプレス」の車両にも同じようなPRがあったので今夏再度撮影したものを含め「八重の桜」号を発表する。

2012.7.21 会津鉄道芦ノ牧温泉17:00 快速「AIZUマウントエクスプレス」鬼怒川温泉発会津若松行きAT601+AT651↓

s-12.7.21芦ノ牧温泉AT601+AT651

2012.7.21 17:40 会津鉄道会津長野~養鱒公園 会津田島発会津若松行きAT551+AT501↓

s-12.7.21 会津長野AT551+AT501←

「AIZUマウントエクスプレス」の東武日光までの乗り入れは2012年3月17日から始まった。この列車は東武日光11時1分着折り返し11時37分発のため東京からでも余裕を持って撮影できる。2013.8.21 東武日光線上今市~東武日光  東武日光発会津若松行きAT701+AT751↓

s-13.8.26上今市~日光

同一列車の広告部分 少し見づらいが宣伝の文言が入っている ↓

s-13.8.26八重広告上今市AT751+AT701

八重の夫新島襄は安中藩の出身で東京生まれ。その実家は信越本線の安中の近くにある。ここは総本家青信号特派員さんと訪問したことがあり、案内の方に丁寧な説明を受けたが、総本家さんの話によると線路は安中の街の南側にあり、新島襄の実家は北側にあるため駅からは、随分と歩いたとのことである。年寄り二人が行くことができたので歩けない距離ではなく未だの方は一度訪問して見てはいかがですか。

2012.9.2 新島襄の実家に近い安中~磯部を行くD51498「SL碓氷」↓

s-12.9.2SL碓氷

「八重の桜」の京都に移っての最初の舞台は八重が先生となる女紅場である。その近くで生まれ育った付属高校出身でバリバリの同志社人であり京都市電等の著作も多い総本家青信号特派員さんに八重ゆかりの地京都編の紹介を是非お願いしたい。

「八重の桜」号」への4件のフィードバック

  1. クローバー会会長と共に同中卒業ですが、1年の宗教では新島伝を学びましたが、八重さんの事は終わりの方で1時間だけだったと思います。看護婦だった話を覚えています。女紅場の後身であった府一の校舎が解体されるそうで、いま反対運動が起こっています。老人は洛北高校進学となりましたが、1930年建設の校舎の一部は残ったようです。京都では昭和初期建設の建物が姿を消していきますが、琴電では大正の車体が3両、立派にお役目を果たしています。京都市電の500、600、700の車体は大正、昭和初期、昭和後期の原型を損なうことなく残してほしいと願っています。そして台車、車輪、燈具も時代を象徴するものです。

  2. 準特急さま
    “八重の桜”号、拝見しました。会津鉄道はまだ乗ったことはありませんが、“バリバリ”の同志社人として、敬意を表さなければと思いました。
    安中の新島襄旧邸は、EF55のラストランの時に、空いた時間を利用して行ったことを覚えています。このあたり、碓井川が東西に流れ、南側を信越本線、安中駅、北側を中山道、市街地があり、旧邸はその市街地のはずれにありました。北側へ渡る橋がなかなか見つからず、ずいぶん歩き回りました。
    でも訪れた旧邸では、“同志社出身です”と言うと、案内の方にずいぶん歓迎してもらいました。ここでも、新島襄に対する並々ならぬ知識を持っておられた準特急さんを改めてに感服した次第です。
    「京都編」は、これから挑戦します。しばらくお待ちください。

  3. 乙訓の老人様および「しまかぜ」でお会いした方へ
    近鉄「しまかぜ」乗車並びに大宴会ではお世話になりました。その後雨にも負けず四日市市内に残る軽便の撮影に挑戦されたとかお聞きしました。メンテ等が大変ですが、古い建物や車両を見ると便利過ぎて何か余裕のないこの時代に一瞬ホッとします。老人様の卒業校は京都一中であった洛北高校、女紅場は後の京都一女から鴨沂高校で、後者では校舎建て替え反対運動が起こっているようですね。某県の某三流高校卒の私としては歴史の舞台での一流校卒の先輩方(DRFCには洛北卒の方が1年先輩に二人おられます)は羨ましき限りです。そういえば「しまかぜ」の私の隣でご一緒させていただいた某社社長さんも某県のトップ校の卒業でしたね。最近は横文字の投稿ネームが出てこないようですが、このコメント見てますかな。クローバー会会長さんもお元気な様子を拝見させていただきました。是非デジ青で再度大暴れしてください。

    総本家青信号特派員様
    並々ならぬ知識はありません。昨年青森で写真展を開催した時、同志社青森県人会の方から新島襄が嵐で足止め食ったのが青森県内であったことを始めて教えてもらったくらいです。会津の八重生誕地と函館の新島襄出航の地は行ったことがあります。最近は歳のせいかいろいろと歴史的な場所に行くのが好きになりましたが、学生時代は歴史に全く興味がなく、京都に4年間いながら宇治の平等院や金閣寺は数年前、清水の舞台は昨年始めて見た次第です。京都では桂、四宮、近江神宮前、向日町、梅小路によく行きました。東京の人は京都が好きで新幹線で日帰りとか1~2泊で出かけており、そういう人からは京都に4年間住んでいて何をしていたのかとよく言われます。何れにしましても京都の中心に住んでおられた総本家さんの「京都編」に期待しております。

  4. 準特急様

    「しまかぜ」ではお久しぶりにお目にかかることが出来、お元気なお姿に加え、久しぶりに準特急節の響きに酔い、室町BOXにタイムスリップさせて頂きました。その上「しまかぜ」の乗り心地は快適で、正直もっと乗っていたかったです。
    このような会を催して下さった方々に感謝いっぱいです。有り難うございました。

    「八重の桜」毎週欠かさず見ております。京都編が始まりましたが、京都でのロケはなく、東京のスタジオで撮影されているようですね。ほんまもんの京都が写らないのは残念ですが、これからを楽しみにしております。

    「会津マウントエクスプレス」や会津鉄道を拝見して、機会があれば是非とも会津と東武日光間を地酒でも傾けながら、乗り鉄を楽しみたいと思います。

    「SL碓氷」の写真も素敵ですね。日本の原風景の稲穂と客車に惹かれますし、SLの煙の完璧さ、間違いなく準特急様作品と得心いたしました。

    総本家様の作品の素晴らしさも{すごいなー」と感心するばかりですが、このお二人とも気力等々お若いお若い・・・「年寄り二人」それはありませんで~

    しまかぜ宴会を元陸上自衛隊一佐と途中退席させて頂き失礼いたしましたが、お陰様で、外宮、猿田彦神社、内宮とお参りをすることが出来ました。帰りの伊勢志摩ライナーから、宮川鉄橋で撮影に勤しむ皆様の勇姿に思わず手を振ってしまいました。

    いろいろ有り難うございました。必ずデジ青は楽しみに拝見させて頂いております。

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