花巻電鉄デハ1型

私が入院している間のシリーズは3回ありました。正確には秋保電鉄の後にトロリーシリーズが1回、ここから昭和20年代の東京私鉄シリーズが始まっていました。抜けた部分の新聞が産経新聞から届くまでに東急5000型の記事を掲載したものですからちょっと間抜けな事になり、関三平先生の編集に水を差したようになり申し訳なく思っています。

ポール電車シリーズの最後はみちのくの名車、花巻電鉄デハ1型です。乗った方は多くはないでしょうが知らない人はいないと思います。私は乗らなかったが見たことがある派です。乗ったらよかった、と悔やんでいます。

京滬(北京~上海)高速鉄道             開業日は7月1日に決定!正式発表!

先日現地にて、鉄路関係者より京濾高速鉄道の開業日を6月28日との情報を得ましたが、本日23日、中国共産党建党90周年にあたる7月1日を正式開とするとの現地報道発表がありました。訂正させていただきます。
尚、以前に6月中に開業と発表したため開通式典は前日の6月30日に行われます。開通式典と開業日が異なるのは日本人には理解しがたいところですが、これが中国です。
最高運転速度のスピードダウンと同様に二転三転と、中々スムーズに発車できない京濾高速鉄道ですが、運行は問題なくお願いしたいものです。1日約90往復が予定されています。
昨日帰国したばかりですので、しばし様子を見てからの初乗車を目指します。

青蛙と赤蛙

東急電鉄初代5000形をなぜ青蛙と言うのだろうか。京都人は市電600形を【青電】と言っていたではないかと、漫才のネタになりそうな話題だ。理屈っぽい江戸人も京都流にすんなり幼児感覚で画期的な新型電車の登場を祝ったのだろう。比良山系一隅の小池が繁殖地として知られている【もりあお蛙】を、息子が小学生の時に見せてやったが、背は青でなく緑であった。

屁理屈はさておいて、1989年GWに九州へ電車の旅をしている。5月2日、仕事を手早く済ませ午後の新幹線で先ず小倉へ、門司港から夜行「かいもん」で西鹿児島へ、午後3時頃に熊本へ移動。翌日午後2時頃に市電で上熊本到着。そこで眼にしたのが【あおがえる】。ピク誌を通じ蛙の上陸は知っていたが、まさか単車で使われているとは……。後の行程もあり走行中の姿は諦め、北熊本の車庫へ向かった。車庫には検修要員の方だけであったが、蛙の運転台増設に至る経過を話していただいた。老人は静岡100形がワンマンカ-となり使われているのだと思っていたのでびっくり仰天となった。休日で要員が2人という事もあり、全身が撮り易い位置への移動は遠慮した。

その4年後、大井川鐵道から伊豆箱根鉄道駿豆本線に行こうと思い、3番電車で新金谷を出発した。吉原で眼にしたのが赤蛙。新幹線利用が多くなった東海道線の旅、岳南鉄道なんて忘れていた。次駅で降りて吉原にトンボ帰り。近郊電車区間並となりこうした事が出来るようになった。戻ってみると次列車が出迎えてくれた。これに乗って途中下車。貨物列車と煙突が背後にあるところで一景、これが今回の一枚となった。その後3回訪れることになった岳南鉄道。2年前の春は雨となり写真どころではなかった。青蛙に復元された編成があると知り終点まで行ってみたが8000系2連のみで、5000系は解体されたのか何処にもなかった。何でも東急電鉄が青蛙については引き取った?とかの話を耳にしたが、どうなのか知りたいものだ。

モノコック構造電車のはしりとして今も現役で残る熊電の2両、今月21日発売のピクトリアル誌№851の表紙を飾っている。米手作市氏の紹介はタイミングばっちり。今後の迷図作家氏の発表を楽しみにしている。河さんのピク誌での国電話も佳境に突入した。

本日は晴天なり、電車をボイコット!

本日は晴天なり、電車をボイコット!

下部が広がり、おっちんすわりの蛙の姿
下部が広がり、おっちんすわりの蛙の姿
この姿が譽・?なのだが、なぜか2パンタとなっている。
この姿が正位なのだが、なぜか2パンタとなっている。
この端面に運転台が増險・?れていた
この端面に運転台が増設されていた
本来こうした2連で走っていると思っていた
本来こうした2連で走っていると思っていた
貨車、煙突、煙の3本柱がここには必要
貨車、煙突、煙の3本柱がここには必要

ユースで巡った鉄道旅 -11-

大社線を行く

回からの山陰つながりで、もう一軒、大社のユースについて触れてみます。出雲大社の参道沿いの「ゑびすや」というユースです。例によってユースの記憶が全く残っていませんが、昭和46年9月、山陰本線で撮影したあと、夕方に投宿、翌日、大社線で撮影しています。
名前からすると、大社の門前旅館に併設されたユースと想像されます。もうすっかり消えてなくなっていると思い、念のため検索してみると、まだ盛業中なのが判明しました。立派なホームページもあり、なんでもユースの場所は、阿国歌舞伎の劇場跡に建てられ、明治の時代から旅館としての歴史を有し、戦後すぐにユースを開設したという老舗のユースだったのです。

社線は、当時、典型的な赤字盲腸線だったが、そこは由緒正しき、出雲大社への参宮路線、ひと味違う列車が走っていた。大社へは、大阪から直通の急行「だいせん」がなんと3往復(夜行2、昼行1)、名古屋からも小浜・宮津線経由で「大社」が運転されていた(すべて大社線内は普通列車)。大阪からの直通急行は、昭和10年から運転されていると言い、わずか7.5キロの路線ながら、歴史と格は違っていた。C11261の逆行で大社駅に到着したのが「だいせん崩れ」の125レ。C11の次位に荷貨客共用貨車で、パレット輸送用のワサフ8000を連結しているのが、この時代を反映している。

戻りの上りとなると、大阪行きは1本のみで、残り大阪・名古屋行きは車両基地のある、出雲市からの発車となるため、大社に到着した列車は、客扱いのまま普通列車として出雲市へ戻って行く。出雲高松駅で下車して、すぐの大カーブで、上記列車の返しとなる126レを捉える。営業はしていないものの、ロネ、ハネ、ロザを連結した、12両編成の豪華な普通列車が出現する。

大社線の中間駅は、出雲高松、荒茅の2駅のみ。126レを撮ったあと、少し歩いて、出雲名物の築地松の見える地点で、128レを待って、C11261+無蓋車+客車を撮る。混合列車が、この時代でもまだ運転されていた。米子区のC11は、全機シールドビームで、回転式火の粉止めを付けた姿は、末路を暗示しているようだった。

ユース宿泊に先立つ7年前にも、臨時急行「伯耆」に乗って、大社線に乗っている。以前にも記したが、その牽引機はC51、それも化粧煙突の米子区の80号機だった。カーブに差し掛かると、窓から乗り出してハーフサイズのカメラで編成を撮っている。中学3年生にとっては精一杯の撮影行為だった。大社線では、この出雲高松~荒茅間のこのカーブが唯一で、あとはすべて直線で、上記126レを捉えた位置と同じだった。なお、戻りの列車は、キハ06の単行だった。

昭和46年訪問時は、出雲高松駅で128レに乗って出雲市へ向かい、大社線を離れる。駅は棒線一本のみの駅。格式のある参宮路線も、次第に輸送密度が低下してきた。大社駅へ降りても、出雲大社へは1.5キロほど歩かねばならず、参拝客は徐々に自動車、バスへ転移していく。結局、特定地交線の第三次廃止路線に指定され、平成2年4月に廃止となる。出雲高松駅ホーム跡は今も残っているという。

有名な大社駅の駅舎は、大正13年に全面的に改築された二代目である。著名な社寺の最寄り駅を、社寺を模した駅舎とすることが、流行った時代の産物でもあった。大社線の廃止の前年、平成元年に乗ったキハ40単行の列車は110%の混雑で、大社駅も最後の賑わいを見せていた。

大社駅には、翌年の廃止の予告看板が早くも掲げられ、廃止前のイベントが行われていた。大社造りと称される二層屋根の神殿風の駅舎は、廃止後も線路とともに残され、国の重要文化財にも指定されている。その後の廃線跡は、ほとんどがサイクリング道として整備されている。

京滬(北京~上海)高速鉄道 開業日は6月28日に決定

注目の中国版新幹線、京滬(北京~上海)高速鉄道の開業日は未公表ながら現地で確認しましたところ6月28日に決定したとの情報を得ました。

上海虹橋駅に行ってみますと、すでにビジネスクラス専用のラウンジの準備が行われておりました。




東急のアバンギャルドな5000型

アバンギャルドを知らなかったので調べました。“前衛的”だそうです。

前回は人気がなかったようですが今回は大東京の渋谷駅前にある人気者です。皆様の薀蓄を楽しみにしております。なお、前回の秋保電鉄のあと、今回の東急までの間に三回の掲載がありましたが私が入院中だったため未投稿です。順次投稿いたします。

2011年 春から夏への中国鉄路の旅 Part10  平庄煤礦鉄路から阜新煤礦鉄路へ

第8日目 5月25日

① 平庄9:32(4210次)→16:14阜新

今日は阜新までの337キロをゆっくりと6時間42分、表定速度50.3km/hで向かいます。叶赤線を終点の叶柏寿まで走り、ここから錦承線を途中の义县から分岐した新义線と3路線を走行していきます。
出発までゆっくりとホテルの朝食を食べておりましたら、お二人が撮影から戻ってこられました。朝5時頃に部屋の窓からお出かけが見えていました。O氏は昨日の列車の半分が切り離されて五峰站に留置されていたので、ひょっとしたら朝に回送機がやってきて1ヶ月に1度走るかどうかと言われた五家鎮に向かって行くのではと期待して向かわれたそうです。

昨日私が帰った後、その路線をロケハンされると撮影ポイントが数多くあったのでどうしても撮りたかったと言われました。残念ながら昨日も今日朝も望みは叶えられなかったと悔しがっておられましたが、気迫には頭が下がります。一方、F先生ももっと早くに装煤站ヤード方面に向かわれていました。 朝焼けの空をバックにしての撮影にのぞまれたそうです。元々風景写真を撮っておられた写真家らしい発想です。お二人にかかっては私はまだまだひよっこだなあと思いました。

この2日間でロケハンで歩いた経験をもとに路線図を作成しましたのでご覧ください。
▲ 黄色が平庄煤礦鉄路の路線図です。距離が分かりませんが、中国鉄路の平庄~平庄南間が9キロです。目安にしてください。
中央司令室がある装煤站に行かれる場合は、近くに燕京ビール工場がありますので、Taxi運転手に伝えれば行けます。正門前が線路と交差する踏切になっています。
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ゆりかもめ


建設中の東京湾ゲートブリッジ(恐竜橋)をバックに走る「ゆりかもめ」

4月中旬より勤務場所が「浜松町」から「お台場」に変わった。
新橋から「ゆりかもめ」に乗車するが、お台場海浜公園まで7キロの運賃は310円である。ちなみに6カ月の通勤定期代は50220円で会社的に小さくないコスト増である。私的には通勤時間の増、会社的にはコスト増で良いこと何もなく、あるとすれば唯一「ゆりかもめ」に乗れることだけである。当初は率先して最前部座席に座っていたが、今では空いている座席に座っている。最前部座席の2人掛けの通路側は空いていることが多い。
「ゆりかもめ」のごとき「新交通システム」は趣味の対象にはなり得ないと思っていたが、毎日乗っていると、製造年による差異等が目につき結構面白い。間もなく迎える勤務先からの「戦力外通告」後は、乗車機会は滅多にないだろうし、今のうちに観察、撮影しておくのも悪くはないと思い、コンデジを持参して通勤帰りや外出時に適当に撮影している。
「ゆりかもめ」の紹介かたがた、撮影した画像等をご覧いただければと思う。

【沿 革】
台場地区と都心部を結ぶ交通機関として平成7年11月1日新橋~有明間11.9㎞を開業した。当初の新橋駅は現在よりも100m程手前にあり、平成13年3月22日現在位置まで延伸された。平成18年3月27日有明~豊洲間2.7㎞が延伸開業し、東京メトロ有楽町線、東武東上線、西武池袋線沿線からお台場地区へのアクセスが確立した。

【運 転】
現行のダイヤは平成18年3月24日に改正のもので、平日は早朝、深夜7~10分、朝夕ラッシュ時3~4分、昼間5分、土・休日は、早朝、深夜7~10分、昼間4分間隔となっているが、現在は原発事故の影響により節電ダイヤにより運行されており、朝夕ラッシュ時4分、昼間は平日、休日共に6分間隔である。
始発は新橋駅6時、豊洲駅5時41分と他の鉄道各線と比較すると遅い。終発は新橋、豊洲ともに0時30分(ともに有明止)となっている。(ちなみに私が利用する金町駅の上り始発は4時32分(北千住行)、下り最終は1時13分(松戸行)である)全線の標準所要時間は31分である。早朝、深夜のみ有人運転、それ以外の時間帯は無人運転である。但し、有明駅から車両基地への入出庫は有人運転である。

【運 賃】
運賃は対キロ制で2㎞まで180円、3~5㎞240円、6~8㎞310円、9㎞~15㎞370円である。新橋からの運賃は竹芝まで180円、芝浦埠頭まで240円、台場まで310円、船の科学館以遠は370円、豊洲からは有明テニスの森まで180円、青海まで240円、お台場海浜公園まで310円、芝浦埠頭以遠370円となっている。ちなみにレインボーブリッジを挟む芝浦埠頭~お台場海浜公園間は3.9㎞あり、1駅で240円である。1日乗車券が800円で新橋~豊洲間を通しで乗る客は極めて少ないと思われる。新橋~豊洲間はJRで有楽町まで行き、メトロ有楽町線に乗り換えると130円+160円の290円。更に安い直通ルートは、新橋~業平橋間の都バス「業10」で200円である。

【車 両】
全編成6両固定編成で、平成7年開業時から10年までの間に作られてサイリスタチョッパ制御の7000系18編成と平成11年から18年に作られたVVVFインバータ制御車7200系8編成、計26編成在籍する。
編成と車号の関係は2桁目と3桁目は編成番号を表し、4桁目は号車を表している。例えばトップナンバーの編成であれば
豊洲方から 7011-7012-7013-7014-7015-7016 となっている。
製造年度と編成の関係は以下の通りである。

7000系(1~3次車まで)
1次車 13編成(7011――7016 ~ 7131――7136)/平成7年新橋~有明間開業時に新製した。座席はお台場への行楽客を意識して先頭車の先頭部を除きオール4人掛クロスシートである。シート間隔がクモハ51並に狭く、通勤客は窓際から詰めて着席するが、昼間の一般客は立客がいてもワンボックスに2~3人しか座っていないことが多い。

 


2次車 2編成(7141――7146 ~ 7151――7156)/平成9年新製。
1次車とほぼ同様である。

 
3次車 3編成(7161――7166 ~ 7181――7186)/平成10年新製。
スタイルは1、2次と変わらないが、車内が大きく変化し、扉間の座席がクロスシートと3人掛ロングシートが交互の配置となり、正面にレインボーのストライブが入った。また、ドアが1、2次車がプラグドアに対し、3次車以降は外吊ドアとなった。

 

7200系(4~6次車まで)
4次車 3編成(7211――7216 ~ 7231――7236)/平成11年新製。
制御装置がVVVFインバータに変更されたため、形式が7200形となった。スタイルや座席配置は3次車と同様である。外観からは判らないが722編成から案内車輪が2軸から4軸に変更になった。

 
5次車 3編成(7241――7246 ~ 7261――7266)/平成13年に新製。スタイルや座席配置は4次車と変わらないが、正面のレインボーのデザインが変更された。

 
6次車 2編成(7271――7276 ~ 7281――7286)/平成17年に新製で、翌年3月27日有明~豊洲間の延伸開業に備えて増備された。座席配置が大きく変わり、豊洲方面に向かって左側クロスシート、右側ロングシートとなり、クロスシート部は4人掛と2人掛となった。居住性は向上したが座席定員は減少した。

 



保線車両

【バスとの競合】


お台場と都心を結ぶ都バスの路線が存在し「ゆりかもめ」とはライバル関係にある。運賃は200円均一と安く、所要時間は渋滞がなければ「ゆりかもめ」と変わらないが、本数の点で劣っている。「お台場」=「ゆりかもめ」のイメージを持つ人が多く、利用者は主に地元の人(特に敬老パス使用の老人)が中心である
東京ビックサイトで大きなイベントが開催される時は、東京駅と浜松町駅から臨時バスが大増発され「ゆりかもめ」共々満員で乗客を運び補完関係にある。

〔海01〕
メトロ東西線、都営大江戸線の門前仲町駅から豊洲、お台場海浜公園、船の科学館の各駅を経由してりんかい線の東京テレポート駅を結んでいる。お台場海浜公園駅と東京テレポート駅は徒歩でも7分程度であるが、バスは台場駅、船の科学館駅、テレコムセンター駅とお台場地区を一巡する。お台場海浜公園駅~豊洲駅間の所要時間は15~20分(ゆりかもめ18分)平日の昼間は10分間隔(同6分間隔)、運賃200円(同310円)と、運転間隔以外はゆりかもめより優位に立っている。しかも門前仲町駅から直通するため更に優位である。但し土休日の昼間は15分間隔のため、やや不利である。

 
17年式日野(J-BUS)PJ-KV234L1

 
21年式いすゞ(J-BUS)PJ-LV234L2
〔虹01〕
浜松町駅バスターミナルから、竹芝桟橋、日の出桟橋を通り、レインボーブリッジを渡り、お台場海浜公園駅、船の科学館駅、パレットタウンを経由して東京ビックサイトを結び、一部の便はりんかい線の国際展示場駅まで行く。
お台場地区から浜松町に行くは、「ゆりかもめ」の竹芝で降りて約10分歩くか、新橋でJRか都営浅草線に乗換える必要があり、浜松町に直通するメリットは大きい。昼間の運転間隔は平日20分、土休日15分である。イベント時に運行される臨時便は、途中ノンストップで、船の科学館等を経由せずに直接レインボーブリッジを渡るため、浜松町までの所要時間は約15分である。
余談になるが、港区の公共施設が多数存在する田町、三田地区へのバスの便がなく、芝浦埠頭で降りて約20分歩くか、新橋からJR、都営浅草線の利用となるため、港区でコミュニティーバスを計画しているようである。


10年式日野KC-HU2RCE 
/方向幕にレインボーブリッジが描かれている。

 
19年式日野(J-BUS)PKJ-KU234L2
〔都05〕
東京駅から有楽町駅、銀座4丁目を通り晴海埠頭を結んでいるが、一部の便が土、休日の昼間のみ勝どき駅から分岐して東京テレポート駅まで運転される。本数は少なく約1時間に1本である。終日10~15分間隔で運転されても良さそうに思うが、「ゆりかもめ」に遠慮しているのだろう。
〔都16〕
東京駅八重洲口より月島駅、豊洲駅、深川車庫、有明を通り東京ビックサイトを結んでいる。観光、商業施設のある台場駅の方には行かない。昼間約15分間隔運行されるが八重洲口の始発7時50分、終発17時23分とほぼ日中のみで、他の時間帯は深川車庫止まりである。ビックサイトで大きなイベント開催時には途中ノンストップの直行便が多数運行される。
〔波01出入〕
品川駅からレインボーブリッジを渡り、お台場海浜公園駅を通り東京テレポート駅を結ぶ系統であるが、本来の「波01」(東京テレポート駅~中央防波堤)の出入庫便で平日7往復、土曜祝日3往復半の運転で日曜日運休する。尚、本来の「波01」は土曜と祝日は平日並みに運行されるが、日曜日は僅か1往復のみである。

 
21年式日野(J-BUS)BJG-HUJLFP
〔急行05、急行06〕
「急行05」は錦糸町駅から新木場駅、パレットタウンを経由して日本科学未来館、「急行06」は森下駅から豊洲駅、パレットタウンを経由して日本科学未来館を結んでいる。土曜日、日曜、祝日の昼間約30分間隔で運行される。

 〔京浜急行バス〕
大井町駅から青物横丁駅を通り、首都高速道路湾岸線に入り東京湾海底トンネルを潜り抜けフジテレビ前、台場駅、東京テレポート駅を経由して船の科学館を結んでいる。大井町駅~フジテレビ前間17分と早いが日中の運転間隔が40分のため便利とはいえないが、京急、東急沿線で積極的にPRすれば乗客は増えるのではないだろうか。出入庫系統として大森駅発着便が5往復運行されている。有料道路を走行するが運賃は210円均一である。

 
19年式いすゞ(J-BUS)PJ-LV234L1
横浜駅から首都高速道路湾岸線、東京湾海底トンネルを通りお台場海浜公園駅、東京テレポート駅経由東京ビックサイト行が約1時間間隔で運転されている。観光バスタイプの車両が使用され運賃は800円である。お台場海浜公園駅まで42分、東京ビックサイトまで55分である。ちなみに同一区間を「ゆりかもめ」と「JR」を乗継ぐと運賃820円、所要時間約1時間とほぼ互角である。

 

〔東京ベイシャトル〕

東京テレポート駅からホテル、商業施設、観光施設等を巡回し運賃は無料である。運行にかかる経費はお台場地区の企業や観光施設の協賛金で賄っている。運行時間は11時から19時頃まで約15分間隔の運行である。車両はドイツのネオプラン社とニュージーランドのデザインライン社製が使用されている。運転開始時刻が遅い、運転間隔が15分とやや長いことを差引いても、外国製のバスで無料というのはインパクトが大きい。以前、上野浅草間で運行されていた2階建バスを使用していたことがあったが、乗降に時間がかかる、バリアフリー対応でないこと等で中止となった。

 
ニュージーランド デザインライン社製

 


ドイツ ネオプラン社製

【その他】
〔お台場ダッシュ〕
飯田線の「下山ダッシュ」は有名であるが、「ゆりかもめ」には「お台場ダッシュ」がある。お台場海浜公園駅で降りて青海駅までダッシュし、先程降りた電車に再度乗るというものである。同区間には「台場」「船の科学館」「テレコムセンター」と3つの駅があり、距離にして3.2㎞、所要時間は7分である。一方同区間の直線距離は約800mでしかも迷うことのない一本道のため少し走れば余裕で成功する。
「下山ダッシュ」は、下山村駅から5つ先の伊那上郷駅までの間、直線距離約2㎞を走る。高低差70mの上り勾配で、途中迷い易い箇所がある等難易度は高い。一方電車はその間6.9kmに鼎、切石、飯田、桜町と停車するが、飯田駅での停車時間の長い電車でないと難しいようである。どちらの「ダッシュ」も足に自信のある方は挑戦されては如何だろうか。
〔大船渡線〕
「ゆりかもめ」のことを「大船渡線」と呼ぶ人がいる。お台場地区の観光、商業施設を迂回するため急カーブの連続である。「大船渡線」との決定的に違いは政治路線でないこと。私自身、電話で会社までの道順を聞かれた時、思わず「新橋で大船渡線に乗換えて」と言ってしまった。
〔お台場地区の特徴〕
お台場地区は観光、商業施設の他、オフィスビル、高層マンション、イベント会場等が混在しているため、朝夕のラッシュ時には、オフィスビルへの通勤客、逆に都心への通勤・通学客、昼間は観光客、買物客で終日に亘り乗客が多い。東京ビックサイトでの大規模イベント時は超満員になる。単年度決算では黒字であるが累積赤字を解消するまでには至っていない。

【沿線風景】


汐留駅を発車する新橋行


レインボーブリッジを通過中の新橋行


お台場海浜公園駅付近


お台場海浜公園駅に進入する新橋行


船の科学館駅に進入する豊洲行


船の科学館駅に侵入する新橋行/バックは青函連絡船羊蹄丸、これに乗船して北海道に行かれた方も多いと思う。

2011年 春から夏への中国鉄路の旅 Part9  平庄煤礦鉄路を走る上遊型 その3

第7日目 5月24日
約束どおり5時半に白タクは迎えに来てくれました。 F先生は五峰站ヤード付近で下車されましたが、O氏と私は平庄南站近くに小高い山がありましたので、ここで朝日を浴びた上遊牽引列車を撮りたいと向かいました。

▲ 5:46、中国鉄路叶赤線を走行する長編成の石炭列車。バックが黄色になっているのは、黄砂と朝日の影響です。平庄南站手前の踏切で撮りましたが、この路線は単線ながら列車が頻繁に通過します。撮影位置はこちらです。標高525m地点。

6:04、標高約585m(鉄路との標高差60m)の小高い山に登りますと、眼下に平庄南站そして昨日撮っていた橋が見えますが、残念ながら霞んでいました。7:50前後に来るかもしれない平庄煤礦鉄路の列車を待つついでに中国鉄路の列車も撮ることにしました。(撮影場所はこちらへ)

▲ 6:16、最初に撮影した和諧号重連の長編成の石炭列車。

▲ 7:57、平庄南站に進入する大連発赤峰行きのK7351次。

▲ 8:51、叶柏寿発通遼行きの6327次が到着。平庄南站は、平庄煤礦鉄路と中国鉄路との接続站で貨物ヤードもあります。平庄站より規模は大きい站ですが、1日当たり発着する客車列車は上下共各3本のみでこれが下りの1番列車です。


▲ 8:52、平庄に来る時に乗車した赤峰発山海関行きのK7384次。これも上りの1番列車で6327次と平庄南站で停車交換します。今日は行李車を連結していない7両編成でした。蒸気時代のこの叶赤線は前進型が走っていたそうです。この場所で遠くから白煙をなびかせながらの走行を見たかった、撮ってみたかったと思いました。

9:00までO氏と二人で約3時間粘ってみましたが、平庄煤礦鉄路には1本の列車も走行しません。そろそろ諦め時だと意見が一致しましたので下山しました。五峰站に向かって道路を歩いているとワゴン車が走ってきたので手を上げると止まってくれました。どうやらここでは交通機関が少ないので、走っている車は手をあげれば止まって乗せてくれるようです。もちろんタダではなく町までなら20元(市内~平庄南間)と決まっています。
インターネット検索では装煤站から立井站間は1往復の運用があるようだとの記事しかないので行ってみたいとO氏との希望と一致しましたので、昨日私のみが行った装煤站へ運転手に頼みました。


9:40、装煤站ヤードに到着。SY0400、1052、1425号機の3台はいますが、1487号機はいません。中央司令室に聞きに行ってみましたが担当者は不在で知る事はできませんでした。

先に立井方向に進んでいたO氏を見ると、ヤード内で人海戦術で路盤工事をしている保線員の責任者に捕まっています。急いで行ってみるとここから先は通行不可と制止をされています。
お任せください。こんな時はゆっくりにっこり笑っての対応が効き目あります。いつもと同様に「私達の趣味はこの立派な蒸気機関車を撮影する事です。日本からそのために来ています。撮影は中央司令室で了解してもらっています。」と説明してタバコを薦めますと喜んで吸ってくれました。後は私たちは朋友ですと握手すれば完了です。

タバコを薦める事は中国での初対面の挨拶ですが、逆に1本が1箱、そして1ケースとなり最後は金銭にまで進んだ樺南鉄路の悪例もあります。出来ればやりたくありませんが、お金も要求してきましたのでこの場合の緊急対応です。日本の鉄ちゃんも訪れる時は後に続く人の事も考えて甘い対応はしないでください。この国の人民は一度甘い汁を吸うとそれが当たり前になってエスカレートしてしまう事もあるのです。

ヤードを過ぎると有人踏切がありましたので通過記録簿を見せてもらいましたが、今日はまだ通過していません。昨日見たダイヤグラムでは装煤8:45→9:35立井11:50→12:30、装煤14:25→14:50三井15:58→16:30装煤がありましたので午前中には1往復は来るだろうと思い待つ事にしました。
O氏はカーブを曲がった畑の中の直線区間で、私は先の林の中を目指しました。

10:44、新緑の林の中で珍しく綺麗な水が流れている所がありましたので汚れた手を洗って線路際の犬走りに戻ると汽笛もなくSY0400号機が単機バック運転で突然にやってきました。シャッターは切りましたが、もう1つです。その後まああ気に入った場所がありましたので折り返しを待つ事にしました。近くで汽笛の音は何回も聞こえるのですが中々来ません。


12:31、待つ事1時間45分。ようやくSY0400号機が戻ってきましたがセキの牽引はなくまたも単機です。今回は単機回送ばかりでまともに石炭列車は撮影出来ていません。(撮影場所はこちらへ)

O氏と中々上手くいかないなあと嘆きながら近くに食堂を探しました。
庶民食堂で昼食後、Taxiを捕まえて再び平庄南站へと向かいました。


14:44、 平庄南站到着。ホーム2本3線の交換駅です。ローカル駅とあって窓口は1ヶ所だけですが、ホームは広く、ヤードでは東風4型3877号機が入替をしていました。やがて長編成の石炭列車が到着しました。

▲ 撮影していますと、作業を終わって側線に引き上げた運転手が手招きしています。中に入れてもらって運転席内を見学させてくださいました。中には電熱器も備えられていてお湯も沸かせます。

通称「緑亀」と言われる東風4型電気式ディーゼル機関車は、1974年から約3,500台余りが量産されました。1980kwの出力を誇り、貨物用4B型(最高速度100km/h)、客車用4A型(最高速度120km/h)の他、出力アップした4C型、4CK型、4D型もあります。最近は強力な新型DL和諧号も量産されていますが、今なお中国鉄路の非区電化区間の主力DLです。車体色は濃い緑色ですが、帯は水色と黄色があり前者は「スイカ」後者は「カボチャ」と愛称されています。

石炭列車を待っていましたが夕刻になっても来ません。ここの運行には振られっぱなしです。明日は朝に平庄を離れて阜新へと向かいます。これまでかと諦めだした時に今までと違った方向から汽笛が聞こえてきました。

五峰駅から分岐して五家鎮へと向かう鉄路からです。この路線は信号所の担当者もめったに走行しない。走っても1ヶ月に1回もあるかないかですと言われていました。
17:10、全力で音の聞こえる方向に向かうと林を抜けて人民が畑を耕す中を長編成の石炭列車が姿を現しました。(撮影場所はこちらへ)

▲ 17;25、列車は五峰駅ヤードに入り、スイッチバックで機回しをした後に築堤を上がって向かってきました。牽引するのはどこに行ったのかと行方を捜していたSY1425号機でした。大地に残された蒸気機関車が走る平庄煤礦鉄路の1シーンです。(撮影場所はこちらへ)

ひたすら来ない列車を終日辛抱強く待っておられたF先生、私と右往左往して平庄南站手前で降りられ待っておられたO氏もガッツポーズです。変哲もない上遊型が牽引する石炭列車ですが、ようやく撮れたとの感激は3人にはありました。
F先生は満足げに今日はこれでいいと帰られました。O氏と私は帰路の発車を見たいと残りました。しばらくすると本線に空のセキを牽引した DF5型1797号機が平庄南站に入選して来て、SY1425号機と双方の石炭列車の機交換を行いました。

SY1425号機はDF5型から受け取った60両余りのセキを牽引して五峰駅ヤードに向かって行きました。
私はこれで満足でしたが、まだ期待できる何かがあるかもとO氏は残られました。3人で大地で残る蒸気機関車を求めて旅を続けていますが、具体的な行動はあくまで各自のマイペースを尊重する事が重要と認識していました。   Part10  へ続く

中国版新幹線のビジネスシート車

早速今日17日の朝日新聞の朝刊に中国版新幹線のビジネスシート車の記事が掲載されえいました。
16日にマスコミ公開されましたので、今回はスピーディーな報道です。 記事の内容も間違いない。ただサービス内容が具体的ではありません。
ちなみに運賃ですが、飛行機の正規運賃だとファーストクラスで2,830元 (AirChina)、エコノミーで610~1100元(格安航空券がでる時はもっと安い)です。所要時間は2時間10分、新幹線だと2倍強の時間がかかりますが人民はどちらを選択していくのか….?
当分は珍しいもの好きな人民ですので新幹線乗車を選ぶでしょうが、富裕層はともかく一般の人民はしばらくすると安い方へと流ますので、この勝負の成り行きに注目したいところです 。コストパフォーマンス無縁の人民ですが新たに言葉が生まれるかも….。
ビジネスシート車には是非とも乗車したいので、近々にご報告させていただきます。

京沪(北京~上海)中国版新幹線開業決定!

上海(上海虹桥)と北京(北京南)を結ぶ京沪高速鉄道のダイヤと運賃が発表なりました。

① 開業日;2011年6月末(具体的な日は記載がない) 多分20~30日だろう。
② 最高速度300km/hと250km/hの両方が運行され運賃が違っています。
③ 最短列車は1,318キロを4時間48分で走り、表定速度274.6km/hです。
④ 注目の運賃は、300km/h列車では、ビジネス・展望車が1,750元(約22,500円)、1等車935元(約12,000円)、2等車555元(約7,200円)となっています。250km/h列車がそれぞれ1,220元、650元、410元と30%ほど安くなっています。
⑤ 使用される車両は、CRH380A(8両編成)、CRH380AL(16両編成)、CRH380BL(16両編成)ですが、250km/h対応は他の路線からの乗り入れもあってCRH各種のオンパレードになるようです。

19日から22日まで上海に行ってきますので切符が売っていたら買っておきたいと思っております。なければ夏の楽しみにとっておきます。

現地情報はこちらです。

電鉄の節電

先日来、関西電力が鉄道各社に節電を要請している事が報道されている。お得意先であり、株主である先に要請をしているが、政府がお触れを出した東京電力の場合と異なり、少し遠慮がちであるように見受けられる。15%の時は戸惑い、5%なら何とかなるとも報じられた。今朝の新聞では10%となった。さて、【13585】で須磨の大人が28年前、カナダ・エドモントン市に長期出張した話を披露してくれた。老人もその頃(1980年1月)、ドイツ・フランクフルト等に業界視察と交流と言う名目で10日間出張したことを思い出した。彼が出張先で、自動車から電車撮影したことを知り敬服している。あの電車はドイツ製で、今や世界で話題となっているLRT のLRV、その”さきがけ”となったものである。彼が28年前に撮影した連接車は、1968年に試作車が出現した。車体はデュワーグ社の製造によるもので、形式はU2、1単位の車体長は23m(連結面間は約24.8m)、巾2.65m、自重29.5t、座席定員64人、出力150kw×2となっている。

老人はフランクフルト4日目に自由行動が許され、吉谷先輩から聞かされていた路下電車探訪をする事にした。前日、市内地図を中央駅の書店で仕入れ、ホテルマンに地下鉄の乗り場を地図にマークしてもらったら、中央駅地下から北の方向目がけてのルートがそうであった。西駅を出てしばらくすると地上に出て国鉄線と合流し専用軌道となった。住宅街の一部は併用軌道、そのうち地下に潜り終点。地上に出てみると市の中心部であった。この時乗ったのがU2であった。真っ赤をベースに腰部をアイボリ-とした、派手な外部塗色はとても印象的であった。そして街並み拝見を始めたのだが、ゲーテ大学近くの交差点でU2が1単位で停車しているのを見つけバカチョンで撮った。今回探して見たけれどもフィルムは出てきたが、写真は見付からない。そこで1990年5月、サンディエゴでのU2をお目にかける。赤1色である。南へはメキシコ国境へ向うが、市街地を外れると貨物線を利用したところもあった。後に東へ延びたルートには行っていないが、大陸横断鉄道の最南端ルートになっているとかで、今もDL牽引の貨物列車との併用区間が随所にあるとか……。U2が登場した頃はまだ超低床車、ステップレスなんて話題になっていなかった。

ここで本題。U2形は2車体連接車で非貫通両運型である。閑散時は1単位でも走れる。今回、関電に節電を要請された電鉄各社は、最も電気を消費するのは列車運行に関わる鉄道部門であろう。間引き運転、ダイヤ変更、減車と、いろんな方法が考えられているが結論はまだのようだ。阪急京阪線の昼間時、「空気を運ぶ車内に見慣れている」老人は、8両固定編成で本線上を走っている普通や準急は果たして減車出来るのかと、ピクトリアル誌の「阪急特集号」を取り出してみた。神宝線共に、以外に生きている運転台付の中間車があることが分った。南海も大丈夫。近鉄は増結用の2連が多い。深刻なのは京阪と阪神だ。京阪は輸送力大増強時代、2600系を除き7、8連固定に編成替えをした結果、中間運転台を客室に改造してしまった。阪神も同様で、大阪なんば線用の1000系が登場する迄は、武庫川線用を除き4、6両編成しかなかった。山陽も神戸電鉄も然り。となると減車可能は阪急、近鉄、南海ぐらいのもので、他は相変わらず「空気を運ぶ」電車が残るようだ。JRは?

ドイツでは地下線でも運転される車両は、貫通式であることが義務付けられていないようだ。そこでU2はラッシュ時3単位で地下線運用されている。路下のため急カーブもある。連結部は長いリーチを生かし急カーブにも対応している。とてもじゃないけれど貫通幌など装備できない。でもこれが効を奏して、簡単に増解結可能となり、効率良い運用が可能となる。節電電車の一つであろう。話題がこじつけとなり申し訳ない。

3単位連結すると65.4mになる

3単位連結すると65.4mになる

陽気な女性運転手の投げ繧・?スを頂戴する
陽気な女性運転手の投げキッスを頂戴する
路面から車内の床まで4段ある
路面から車内の床まで4段ある

2011年 春から夏への中国鉄路の旅 Part8  平庄煤礦鉄路を走る上遊型 その2

第6日目 5月23日 続編
五峰駅の周辺は住宅になっていて、中に食堂が1軒ありました。冷たいビールを頼みましたがありません。仕方ないのでホットビールで一息つけました。

▲ 人影もないヤードになぜに鉄条柵があるのかと不思議に思っていましたら、羊の集団がやって来ました。放牧の進入防止のためだったのですね。

昼ごはんを食べ終わる頃に汽笛が聞こえてきました。O氏の狙いは当たったたなあと思いましたが、蒸気が走るのは確認出来ましたので安心です。
たっぷりと食べれましたので行動開始です。F先生はヤード向うの築堤で午後はゆっくりと撮ってみたいと向かわれました。 一方私は、逆方向がどうなっているのかが気になりましたので、こちらを選択しました。12:50、分かれてすぐにおり返しの上遊1425号機が単機回送で戻ってきました。
Taxiで来る時に踏切手前を回って側道を行きましたが、その踏切に着きました。有人踏切で踏切番がおられましたので小屋に入らせていただいて列車情報を聞きました。ここでも信号所と同様に列車司令室からの指示が無線で入ると言われ、通過記録簿を見せていただきました。踏切の場所はこちらです。

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2011年 春から夏への中国鉄路の旅 Part7  平庄煤礦鉄路を走る上遊型 その1

第6日目 5月23日

① 北京北20:59(2559次)→6:38赤峰
② 赤峰7:33(K7384次)→8:38平庄

2559次は寝台のみの編成でした。丁度乗車日は日曜日、北京に買い物や遊びに行ってきた若者が多く、私の乗った硬座寝台の3段寝台6席のコーナーは私以外は全員若い女性でした。座席が取り難かったわけです。
▲ 5時過ぎにはもう明るくなって、車窓には小高い山々が広がっています。今日は快晴です。終着1時間前には列車乗務員が「換票」(寝台券と切符の交換)に来ました。
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とっておきの写真

撮影会では皆様にお世話になりました。電車まつりには鉄道アイドルの斉藤雪乃さんが来ており、丁度撮影会の終わりかけで「最後ですよ~。」の声につられて思わず行ってしまいました。そこをみなさんに見られていたようで写真を出すことになってしまいました。取り敢えず、3枚アップします。ご笑覧ください。 

2011年春から夏への中国鉄路の旅 Part6  河南省建材廠を走るC2型 その5

第5日目 5月22日

①  
榮陽(Bus・Taxi)→11:40郑州站
② 郑州12:19(D136次)→17:22北京西(Taxi)→12:56北京北站
③ 北京北20:59(2559次)→6:38赤峰

昨夜は部屋に戻ってからも郑州鉄道日記さんと夜遅くまで話し込みましたので爆睡、朝6時にお二人にノックされた音も夢の中でした。ゆっくりと目覚めましたので、7時半ごろに通ったC2型単機回送も部屋の窓から見ました。車庫ヤードでの作業がなかったのでいつもより早い通過でした。
今日は12:19発の列車に乗車しますので、11時半には郑州站には着かなければなりません。遠くには行けないのでレンガ橋付近での撮影としました。
▲ 左は2番列車の復路(撮影場所はこちらへ)、右は1番列車の復路(撮影場所はこちらへ)です。森林鉄道の感じで撮りましたが、曇り空では新緑がもう一つでした。

▲ 2番列車の往路です。今日は水鏡になりましたが暖かかったので煙はでません。鉄道写真はこれだから難しい。(撮影場所はこちらへ)
レンガ橋での撮影は同じ場所だけでしたが、煙が出る冬場でしたら朝の撮影場所は反対側が最適です。朝焼けをバックに理想的な写真が撮れるでしょう。ただ朝焼けになるかどうかは運しだいです。 続きを読む

28年前のエドモントン その2

連日日中(緯度が高いから3時から夜10時ごろまで明るい)は調査に走り回り、夜は夜で延々と喧嘩腰の議論(皆過労と睡眠不足で気が立っている)が重なって雰囲気ギスギス・チームワーク良好ならず。これではいかん、休息も必要と、2交代で32時間ずつの息抜きを提案し、満場一致で可決。半数ずつ、日をずらし正午以降エドモントンを出発し、翌日20時までに帰って来て会議に参加せよ、という次第。

第1班5人は2台のレンタカーに分乗し、国道2号線を一路南へカルガリー目指す。特段に広い片側3車線のモーターウェイだが、中央の分離帯?の幅が100mぐらいあり、のんびり牛が草を食んでいる。カルガリーまで約250km、3時間程だが、一直線に半時間以上走っても、景色は殆ど変わらない。


速度は遅い貨物列車 機関車は総括制御で車掌も前頭機関車に乗っている

並行してカナダ国鉄の線路があるのに、タダでもらった50万1道路地図には記載がない。これは後年ヨーロッパでも同じ体験をした。幸いデイゼル機関車3重連の貨物列車とすれ違ったが、話には聞いていた列車の速度は遅い。貨車はタンカーばかりで、そう長くもなかったが、この時点ではまだコンテナーはまだ普及していなかった。現在なら長いコンテナー列車が走っていることだろう。

このときはかなり遅くバンフーに到着し、バンフー・スプリングスホテルに投宿。超有名だが、全木造の、ドラキュラかお化けが出ても不思議のない古い古い、ミシミシする大きな建物で、カナディアン・ロッキー観光客誘致のため、鉄道会社が開設したものである。扉も蹴破れそうな代物で、宿泊料だけが実に立派であった。

因みに予約は応援に来ていたシアトル駐在員が電話でしてくれたが、その際身分保障にクレジットカードの番号を要求され、唯一所持していた駐在員(彼は泊まらないが)の番号を申告してOK。この当時すでに米国圏では個人小切手からカードの時代になっていたわけで、日本は約20年遅れている。

バンフーの町で遅い夕食をとったが、同行者1名の「たっての希望」で日本人経営レストランへ。ところがメニュー記載価格が日本語と英語とでかなりの格差があるではないか。日本人は値段に頓着なく、涙を流して日本食を食うからだというが、経営者の根性が心底情けない。

時間を惜しみ、高い宿泊料は勿体無いが早朝から出立し、睡眠不足のままカナディアン・ロッキーの早駆けツアーに。ジャスパーを経て、何とか全走行350km以上、刻限までにエドモントンの安ホテルに戻った。生れて初めて氷河も実体験したが、現実はそう綺麗な「富士の白雪」でもなく、案外汚れているものと得心した。これははるか後年見た北欧でも同じだった。


巨大な職用車(だろう) こんなサイドキューポラーで何ほどの視野が確保できるのか

エドモントン駅構内


これも巨大で重い手荷物車 魚腹台枠で恐らく床にはコンクリートが敷いてあるはず

そのほか寸暇を盗んで、本来用事のないエドモントン駅も秘かにひと覗き。巨大な客車が僅かにいた。3軸台車が放り出してあり、ギヤボックスがついている。気動車の駆動軸(古い3軸ボギー客車にエンジンを搭載した例がある)にしてはやたら脆弱だと思ったが、これは車軸発電機だった。サンパチ豪雪の際、ベルト駆動の車軸発電機が凍結して充電できず、バッテリーが消耗して電気が消えた経験があるが、やはり豪雪地帯では、それなりの設備がなされていることを痛感する。


手前に伸びる軸は車軸発電機用

話は前後する(要は小生の興味の順である)が、エドモントン市ではEdomonton Transit と称する、2車体3台車の高床式トラムが一部開通したばかりで、メイン競技場へのアクセスであり、バス同様関係者はIDカードがあれば無料で乗れる。北国だから冷房はなく窓は嵌め殺し、上部のみ内側に少し開く。これを3編成つないで運行していたが、大会が終われば恐らく2両か4両になるのだろう。




2011年春から夏への中国鉄路の旅 Part5  河南省建材廠を走るC2型 その4

撮影機材はNIKON300Sを使用しています。オプションのGPSを装着していますので、撮影場所をGoogleマップで見ることが出来ますが、今まで投稿原稿にリンクする方法が分かりませんでした。我が家のパソコン先生が帰宅しましたので頼み込んで教えてもらいました。今回よりリンクさせていただきますので、(場所地図はこちらをクリックしてください。ご覧いただけます。緑の矢印が撮影場所です。

第4日目 5月21日
今日は頼りになるゲストをお迎えします。地元で働いておられる鄭州鉄道日記さんです。彼とは昨年芭石鉄道の帰りの郑州から乗車した广州行きの夜行寝台列車で、同じコンパーメントで一緒になるという中々ない出会いで知り会って以降、中国鉄路についての現地情報を教えてもらっています。前もってご連絡を入れておきましたら、土日曜日なら仕事はお休みなので行きますとのお返事をいただきました。

来られるのは昼頃なので、まず列車が今日は走るのかの確認をするため車庫に向かいました。(場所地図はこちら

しかし、残念ながら車庫はシーンと静まりかえっていて、2台ともおいてありました。
仕方がないので近くの中国鉄路榮陽駅に行ってみる事にしました。車庫前の人民に聞きますと、真っ直ぐ行って線路手前を右に行くと分かるです。真っ直ぐ歩くと鉄路と立体交差していましたので、地上部分を進み撮影できる場所を捜しました。
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阪堺電車撮影会開催!

6月12日DRFC-OB クローバー会では、阪堺電車(阪堺電気軌道株式会社)の撮影会を開催いたしました。
当初参加者は3名のみで少し寂しいかなと思っていましたが、当日になって3名が飛び入り参加され、また丁度「第13回電車祭り」も開催されていまして、賑やかな撮影会となりました。


鉄ちゃんよりも親子連れが多く、いかにも大阪下町の庶民に根付いた路面電車です。

雨が降り出しましたので、浜寺公園駅まで乗車、沿線3ヶ所で撮影を楽しんだ後は皆そろっての懇親会を開催しました。
次回は、利用客が減ってきている「北タンゴ鉄道を応援する」撮影会を開催いたします。時期は、紅葉の秋を考えておりますので、今回参加されなかった皆様方も振るってのご参加をよろしくお願い申し上げます。

後ほど、デジタル青信号の表紙を飾っていただいております893-2さんから、飛びきりのお写真をご披露していただけるそうですのでお楽しみに!

2011年 春から夏への中国鉄路の旅 Part4 河南省建材廠を走るC2型 その3

総本家様、朝方まですごい雨でしたがあかってきて青空が見え出しました。絶好の撮影日和となるといいですね。皆様方も雨上がりの路面電車撮影に飛び込みご参加してはいかがですか。6月12日(日)13時、 阪堺線恵美須町駅に集合(地下鉄堺筋線恵美須町下車4番出口すぐ)にてお待ちしております。途中参加も歓迎します!

第3日目 5月20日
ホテルの近くに食堂はあっても朝食時は営業していません。仕方がないので3人とも1F売店でカップラーメンを毎朝用意してもらうことにしました。
昨夜の打ち合わせで撮影場所は各自で決めることにしました。朝食後はそれぞれの望む撮影地へ、F先生とO氏は車庫方面に向かわれました。一方私はレンガ橋で昨日撮りそこねた上り列車を撮ることです。
ところが始発列車が出発する8時以降に汽笛が何回か聞こえたのですが、その後待てどくらせどやってきません。どうなったのだろうと心配しますが、確かめようがなく、じっと待つしか方法はありませんでした。
やきもきしているとお2人が戻ってこられました。昨日の最終列車は私の視界から遠ざかった後にトロッコ1台が脱線したそうです。その日は切り離してそのままに、残った前方の編成を牽引して荷降ろし場に向かって運転終了。今日朝はこの残されたトロッコを線路上に戻す作業をして車庫へ回送していたので、手間取ったと聞かされました。この作業を見てみたかったです。

▲ 8:55、ようやく上り列車が来ましたが、期待していた煙はほんの少し、池もさざなみがたって水鏡になりません。夕方の上りに期待して先に積出場に向かわれたF先生の後を追いました。ロケハンと、昨日新幹線とナローゲージを一緒に撮ろうと約束した張ご夫妻とお会いするためでもありました。 続きを読む