第4日目 6月3日 その2
12:17 城端線撮影から約40分弱、北陸高速道を走り富山地方鉄道不二越上滝線の開発~月岡の水田地帯に到着しました。不二越上滝線は3回目の訪問になります。全線は17.3㌔ありますが、布市辺りまでは市内住宅地区を走りますので撮影地はなく、田園が広がる上掘~岩峅寺で気に入っています開発~月岡を選びました。
この辺りは散居村が多く、出雲平野の「築地松(ついじまつ)」と同じく、暴風・防雪対策のために住居の周りには屋敷林「垣入 ( かいにょ ) 」が設置されています。これを入れて撮ることにしました。
▲ 12:40 開発~月岡 Google座標; 36.630039, 137.255710
東急から来た17480系(元8590系)モハ17484+モハ17483)、岩峅寺行き621レです。
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「紀行文」カテゴリーアーカイブ
2016年 初夏の北陸路一人旅 Part4 城端線
43年前の越美北線
ぶんしゅう殿の越前路の旅が連載され、なつかしく拝見しています。1973年(昭和48年)3月に越美北線を訪ねた際に追いかけたカマ28651が九頭竜湖に保存されていることを初めて知りました。以下は白山の山なみがまだ真っ白な3月15日の撮影です。
水害で橋が流され、長く不通となって廃線も話題になったのは確かこの橋だったように思いますが、ウロ覚えです。
2016年 初夏の北陸路一人旅 Part3 白川郷、城端線
富山に行ったがや
昨年は西条に「白牡丹」を飲みに行ったじゃけん、今度は富山で、ちょっこし遠い黒部へ行くことになったがや。ということで、6月4日の午後12時に電鉄富山駅に集合したやちゃ。しかし、第一日本語弁の大阪弁と違って、第二日本語弁の富山弁で書いていくのはかなり難しちゃ。もう富山弁で書くのはやめとくが。
2016年 初夏の北陸路一人旅 Part2 越美北線の麦秋
第2日目 6月1日
7:30 昨日は久しぶりの304㌔の長距離ドライブが効いたのか疲れていました。朝1番の始発から撮影を始めるつもりでしたが熟睡で遅くの起床です。2番列車は10時以降になりますので、熱いコーヒーを入れてゆっくりと朝食を取ってからの出発にしました。
今日の撮影の最初の目的地は麦畑としました。福井は米どころですが転作による小麦の栽培も盛んな所で、昨日も水田と交互する場所が見かけました。小麦の生産量は北海道が最も多く全国の50%以上を占めていますが福井県も№5の生産地です。
小麦は秋から初冬に種をまき初夏に収穫期を迎えます。そして黄金色に実った麦畑は「麦秋」と呼ばれています。薄緑色になった水田と違ったコントラストを見せてくれています。
大野付近が多く見かけられましたので、今日は麦秋の中を行くDCを撮りたいと撮影ポイントを探すことから始めました。
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熊本市電 たったの4日で運転再開
熊本、大分両県の皆様、震災を心からお見舞い申し上げますと共に、一日も早い復旧を祈念しています。
震災から1ヶ月が過ぎた今週、テレビで熊本市電が、壊れた路面などを直ちに修理し、震災からたったの4日で運転を復活させたと知りました。その上、全国から集まったボランティアを無賃で輸送したそうです。
そんな映像を見て、半世紀前のフィルムを取り出してみました。1963年当時の熊本市電と熊本市街の様子です。その後長崎電軌に移った171、172号機の在りし日の姿もありました。長崎電軌の171号機は先日INUBUSE氏から現況報告がありました。1963年、3回生の春休み3週間、九州を周遊し鉄道三昧の日々を過ごした時のフィルムです。
(系統、停留場などは当時の名前または表記のままです。)
▼熊本城前 ②系統・健軍線(熊本駅-健軍町間)(健軍町行き) 120型 1963.3.27 07202
軌道の向こう坪井川を越え、長塀と瀬戸口門が、その向こうに田子櫓など、左奥隅に天守閣が見えます。市電はこの先すぐで右折して、通町(とおりまち)筋に進みます。
【現在】Google Earth 3D で確認すると、現在もこの場所はほとんど変らずにお城が望めそうでした。

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大井川の新緑
2年振りに大井川を訪れました。実は昨年も同志社の高分子化学ゼミの仲間と行ったのですが、SL牽引列車に乗り寸又峡に泊まり、接阻峡など観光中心 でしたので、鉄道沿線の大井川をゆっくり眺めることは出来ませんでした。今年は大井川水系の中でも、筆者が最も好きな塩郷から下泉間3.1km をゆっくり見て歩きました。五月晴れに山々は新緑に萌え、大井川も真っ青でした。
先ず、塩郷にある清流公園に立ち寄りました。

立 ち寄るのは三度目ですが、上の板張りモニュメントと下の歌碑を改めて撮影したかったのです。大井川の今昔や『水を返せ運動』などを読み、知るにつけ大井川 の風景をもっと撮影しておきたくなりました。この公園は線路沿いの狭い土地を利用して作られており、良いカーブ位置に建っているのですが、公園とSL列車 を一枚に収めることは不可能です。なお、想像ですがひょっとしたら昔の塩郷駅がこの場所だったのではと思いました。昭和53年製作の寅さんシリーズ第22 作『噂の寅次郎』に出てくる塩郷駅は、島式ホームで線路が2本あったのですから。その痕跡をさがしてもそれらしき場所が他に見当たりませんので。
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備後路の新緑を追う 2016年 Part6 福塩線を撮る
新尾道から入り三次を中心に芸備線・福塩線・三江線と西村さんとご一緒に回った「備後路の新緑を追う 2016年」も最後の掲載となりました。3月末から桜の開花・満開も良かったですが新緑を追いかけての旅も実り多く来年も参りたいと思っております。下記の地図のピンマークがカメラのGPSが記録した今回の撮影地点です。西村さんには大変お世話になりましてありがとうございました。今年はまた稲穂が垂れる実りの頃、また紅葉のシーズン、そして初雪が降る頃に再訪したいと思っておりますのでよろしくお願い申し上げます。
では、今回の旅の最後の投稿をさせていただきます。

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出雲坂根の一宿は駅長官舎、半世紀前
デジ青は木次線で大賑わいです。今更筆者の同じような画像は二番煎じと思い、皆さんの画像を閲覧する読者を決めていましたが、その内ムズムズし始め、西村さんの『出雲坂根今昔』を見て、三段画像なら比較してみようと、油に更に火を付けたく、投稿におよびました。学生時代最後の冬休み、名古屋の住職見習い(当時3回生)と二人の撮影紀行の話です。
★昭和38年12月30日
前々日、伯備線布原信号場付近で撮影後、住職見習いの友人(その後著名な毎日新聞記者となる)が住む湯の郷温泉に泊めて貰い、翌日の午後、出雲坂根駅に降りたったのです。
▼客427レ(松江発備後落合行き) 機C56104【木】 出雲坂根駅に進入直前。
スイッチバック二段目にあたる坂から登ってくる列車を見下ろしました。

備後路の新緑を追う 2016年 Part5 三江線を撮る
第3日目 5月7日 その2
朝の福塩線・芸備線撮影後は、混み合う三次市内を迂回して三江線の対岸を走る375号線を北上します。
▲ 9:04 撮影地 Google座標; 34.807227, 132.777060
走っていますと長谷~船佐で江津発三次行きの1番列車423Dが走ってくるのが見えました。まさか間に合うとは思っていなかったので車を停めて急な山の斜面を行くDC2連(キハ120-357・315)を撮ります。前回来た時には連日とも単車運行でしたが今日は2連です。後部は団体扱いではなく一般客扱いで運行されています。30%程度の乗車率でした。
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備後路の新緑を追う 2016年 Part4 朝の福塩線・芸備線を撮る
第3日目 5月7日 その1
今日は朝に福塩線・福塩線を撮ります。時刻表をご覧のとおり、昼間は運行が少ない両線ですが、5:00~8:30には上下計7本が撮れますので頑張って4時半起きです。
▲ 上は西村さん作成の福塩線ダイヤグラムです。西村さんは、初めての撮影地に赴く時にはダイヤグラムを作成した後、地図やGoogleの航空写真とストリートビュを見ながら仮想撮影ポイントを見つけていかれるそうです。私も初めての地で撮影する際は、列車乗車でロケハンとダイヤグラムを作成する事を常としていますがダイヤグラム作成だけでも1日はたっぷりと必要です。今回は西村さんにお任せして、事前に撮影候補地をリストアップしていただけました。ご面倒をおかけしていますが助かります。ありがとうございます。
今日の最初の撮影地は、三良坂~吉舎です。朝食はホテルで食べられる時間ではありませんので途中のコンビニで買うことにして出発しました。
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木次線2
さて三井野原でのステホは暑からず寒からず、気持ちよく寝させていただいたが、何やら周囲がおかしく、むっくり起き上がって一驚。このさして広からぬ三井野原無人駅のプラットホームが、何と夏休みラジオ体操会場と化し、開拓部落の子供たちと、世話役の大人が20人ばかり、体操をしていた。その真ん中の待合室で若者が一人、炊事道具をおっ拡げて安眠をむさぼっていたのだから、皆の衆気が散って体操に身が入らない。これには恐縮し、世話役さんに会釈して早々に荷物と、我ながら美味ならざる夕食(の食い残し)を片付け、リュックを担いで撮影に。先ずは上り初発の備後落合6時42分発416D出雲横田行き、キハ025で、乗客はそれでも数人あった。
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木次線 出雲坂根のスイッチバック
いつもコメントをいただいておりますクモハ73106東ウラさんから出雲坂根のスイッチバックでC56形が活躍した当時の貴重な写真をいただきましたので掲載させていただきます。カラーでいただきましたが退色劣化激しく、私の技術ではどうやっても復元不可能でしたのでモノクロにてなりました。
木次線1
ついこの間倉吉線で盛り上がったばかりが、今度はどうやら木次線の同様兆しが察知されるので、「兵庫・鷹取工・高砂工・姫路」はひとまず中休みして木次線を。
倉吉線でも参加させて頂いたが、その前の日は木次線を撮影していたのである。1963年8月11日姫新線東觜崎でキハ04やC11牽引ローカル列車等を撮り、備後落合の名物駅長モンクマこと、門田熊太郎氏の宿舎にわらじならぬキャラバンシューズを脱ぐ。面識はなかったが、何かの関わりから泊って結構とのことで、一宿ニ飯に甘えさせて頂いた次第であった。業務用ダイヤを芸備線、木次線とも頂戴し、大いに助けられた。
備後路の新緑を追う 2016年 Part3 木次線・奥出雲おろち号・芸備線も撮る
第2日目 5月6日 その2
比婆山温泉の宿を見てからも備後落合へと車を進めます。国道314号線は木次線に並行していますので所々でレールが見えます。そしてトンネルに入る直前で西村さんから「ここ良いですね」と見られた場所に停車しました。かつて山を迂回していた旧道跡です。その向こうに鉄橋が見えました。
▲ 13:03 Google座標; 35.022221,133.122550
旧道に車を停めて先に進んでみましたが右方向は木々が生い茂ってレールは隠されています。左も同様でこれではおろち号全編成を撮影することが出来ませんが、自然に戻りつつある旧道のと合わせて山間を行く鉄路の雰囲気が出ています。前2両でも良いかなとアングルを組みました。 続きを読む
備後路の新緑を追う 2016年 Part2 木次線・奥出雲おろち号を撮る
第2日目 5月6日 その1
▲ 6:00 宿泊している奥出雲多根自然博物館では昨夜の夕食は、通りを隔てた温泉施設のお食事処でしたが、朝食は最上階の8階レストランで用意されています。周辺では最も高い建物ですので一望できます。朝起きての心配は空模様でしたので、見に行ってみました。
昨日のように青空は見えず雨が落ちてきてもおかしくない曇り模様です。今日は厳しい撮影になりそうに思えました。
おばさん4名が厨房で朝ご飯の用意をされています。朝食は7時からですが、コーヒーをいただき、「もうすぐ出来上がるから来て待っていただいてもいいですよ。」と案内されました。部屋に戻って西村さんを呼びに行きました。
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備後路の新緑を追う 2016年 Part1 尾道鉄道、木次線・奥出雲おろち号を撮る
三江線、津軽鉄道に続いては若葉映える新緑の備後路を目指しました。ご案内役はご当地に永住されるようになった西村さんにお願いして、ご愛車を出していただき3日間を駆け巡りました。
第1日目 5月5日
① 長岡京5:29(快速)⇒7:30姫路7:40(こだま731号)⇒8:45新尾道
当初の出発は5月7日を予定していましたが天気予報の具合がよくありません。急遽5日出発に切りあげることになりましたが、5月連休中は新幹線の格安回数券が使えません。おとなびも急で手配できないので最も安くて向かう手段は姫路まで快速で行ってこだまに乗り換えるのが1番でした。
8:45 約3時間余りをかけて新尾道着。重いカメラバックとキャリアケースを持って降りますが、新尾道駅は、下りエスカレーターもエレベーターもありません。長い階段を降りるしかない不便な駅です。バリアフリーとはなっていない駅が新幹線駅にあるとはショッキングでした。
西村さんのお迎えを受けて新尾道駅からの備後路出発です。 続きを読む
奥津軽、春の1人旅 桜満開の津軽鉄道 Part4 芦野公園を撮る
朝5時に起きて真っ先にロビーへ行きました。そして地元新聞の東奥日報を広げて「高さ7㍍からの桜360°」を見ました。
実は昨日芦野公園で撮影中に興味深いものを見てしまい、列車が来る間に東奥日報のカメラマンに製作した経緯等をお聞きしていました。
興味深いものは長~い高さ7mもある三脚です。この三脚は写真スタジオでよく使用されています米Mabfrotto製のライトスタンドを屋外用に組み合わせを変えたものです。中々よく考えたものですね。
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奥津軽、春の1人旅 桜満開の津軽鉄道 Part3 奥津軽の春の絶景を撮る
昨日日曜日はあまりに多い花見客だったので、平日の月曜日に回した芦野公園、桜のトンネルを行く”走れメロス号”2連、狙った通りのアングルでバッチリと決まりました。ロケハンもバッチリできたので今日は春爛漫の津軽鉄道を撮りまくります。
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