今日は、信楽駅に行って参りました。目的は、鉄印帳と信楽高原鐵道の鉄印の入手です。午後に用事があったため、信楽駅ではたったの6分の滞在で折り返しの貴生川行きに乗車。次はもっとゆっくりしようと思います。
鉄印帳は、簡潔にいえば御朱印帳の鉄道版です。ちなみに、近場で鉄印を入手できるのは、信楽高原鐵道のほかに京都丹後鉄道、北条鉄道、智頭急行、伊勢鉄道があります。体力に自信のある方、御「鉄印」巡りなどはいかがでしょうか。 続きを読む
今日は、信楽駅に行って参りました。目的は、鉄印帳と信楽高原鐵道の鉄印の入手です。午後に用事があったため、信楽駅ではたったの6分の滞在で折り返しの貴生川行きに乗車。次はもっとゆっくりしようと思います。
鉄印帳は、簡潔にいえば御朱印帳の鉄道版です。ちなみに、近場で鉄印を入手できるのは、信楽高原鐵道のほかに京都丹後鉄道、北条鉄道、智頭急行、伊勢鉄道があります。体力に自信のある方、御「鉄印」巡りなどはいかがでしょうか。 続きを読む
鹿児島交通
長かった「九州の蒸機」もホントの最終回となりました。今回は私が見た唯一の私鉄蒸機、鹿児島交通です。ただ現役での活躍はとうの昔に終わっており、機関区のある加世田に、赤錆を浮かべた廃車体が、ズラリと放置されていた、墓場のような光景でした。以前、準特急さんからも、1967年に訪問された時の寄稿があります。私は、その2年後の1969年の訪問ですが、顔ぶれが少し違っていて、改めて写真を中心に紹介していきます。現在、加世田駅跡は、鹿児島交通加世田バスセンターとなり、南薩鉄道記念館もあり、野外に保存車両も展示されています。
▲鹿児島交通(枕崎~伊集院49.6km)の中間にあった加世田、ここに機関区があって、ホームからも稼働車と廃車体が同居する風景が一望できた。廃車体が長く放置されていたのは、大井川鐵道のように、蒸機を復活して観光資源にしたいという思惑もあったと言うが、その思いもむなしく昭和59年に大雨で被害が出て、復旧されることなく、廃止されてしまった。
信州と言えば山国で勾配区間に挑むD51の姿がイメージされる。小海線、飯山線、大糸線などローカル線はC56の活躍が有名であったが、中央本線、篠ノ井線、信越本線等主要幹線はスイッチバックで苦闘するD51の重連が思い出されC57等軽快な旅客用パシフッィク機の出る幕はなかった。D51が多く活躍した信州の路線では中央西線が電化が遅かった関係もあり、最後まで残ったカマが保存されている例が多くD51209もそのような一つであった。保存場所はD51の活躍した路線ではなく、旧型国電で人気があった飯田線の伊那市下車徒歩15分くらいにある伊奈公園という見晴らしのいい緑に囲まれた高台にある。屋根がない分保存状態はよくない。
D51209は1939(昭和14)年、鉄道省浜松工場の製造で新製後は浜松に配属、以降1945(昭和20)年11月多治見、1955(昭和30)年稲沢第一で活躍、1973(昭和48)年7月中津川で廃車されるまで一貫して中部圏で活躍した。
2018.07.08 伊奈公園保存のD51209 赤ナンバープレートで集煙装置を外しての保存で煙突が短い ▼
冒頭D51は山岳区間で奮闘と書いたがこれは雪の中を下る姿でいただけない 1973(昭和48)年1月15日贄川付近下り貨物牽引D51209[中津川]▼
今回はED40となります。アプト区間といえばED42を想い浮かべるのですが、国産初の本線用電気機関車で、片側運転台というのは初めて知りました。
(朝日新聞 2020.11.20)


九州からまたまた小ネタで失礼します。福岡市東区の貝塚公園に20系客車が展示されています。すぐ近くに住む小学生が荒れ果てた車両の保存に向けてクラウドファンディングを立ち上げ、地元では話題になりました。
ここ貝塚公園は西鉄市内線の貝塚線(現在は地下鉄貝塚線)と西鉄宮地嶽線(現貝塚線)の接続駅貝塚駅からすぐのところ。その昔は競輪場で貝塚駅も競輪場前と呼ばれていました。少年は門司港~西鹿児島の急行かいもんに想いを馳せていたようですが、私は昭和44年博多~東京、上りのあさかぜに父親と乗車してからの想いです。食堂車で朝定食が500円、その中にオートミールなるものを食べたことが印象に残っています。
96も展示されていますが、こちらの説明はありません。間近で見ると塗装が剥げ落ち痛々しさが感じられました。門司港の九州鉄道記念館に移せればと思うのですが記念館自体の経営も逼迫している最中、それも叶わないな・・・と感じました。

たった三日間の写真展が終わってから、三日間以上も経ってしまい、報告するのも気が引けるのですが、 “ヒマを持て余して困っている方だけ限定”と本欄でご案内した京都市電写真展、多くのクローバー会員の皆さん、またいつもコメントをいただくサポーターの皆さんに来場していただきました。改めて、御礼を申し上げます。
▲繁華街の裏通りの極小スペース、ふだんなら5、6人でも多いぐらいのスペースに、一時は十数人にご来場いただき、“密”どころではない、超過密な状態で見ていただいた。今回はテーマを絞り「秋、そして冬へ。」として、この季節に似合うシーンで構成、従来展示の流用もあったが、約半数は新規プリントして入れ替えた。
横須賀線の電車運転は30系に始まり、32系へとバトンタッチされたが、不幸な戦争前後の混乱期を経て1951(昭和26)年3月には70系のスカ形電車が登場した。
しかし、在来車両の有効利用を命題としていたと考えられ、此の時期良く対比される湘南電車が新車のみで構成されていたのに対して横須賀線については新系列車両としてはモハ70、クハ76、サロ46(後のサロ75)のみで、当初はその製造両数も最小数であった。それに不足する車両は在来車を充当する事とし、関西から供給されたモハ42、モハ43、サハ48の他にそれまでの32系時代に活躍したクハ47、サロ45、サロ15が混結運用された。
第5日目 11月6日
6:40 昨朝は道の駅までの所要時間を読み違え、一本列車を撮り逃がしました。最終日の今朝は遅れてはならない。早めの出発しようとフロントに降りてチェックアウトです。すると朝食の用意はできていますのでお食べになって下さいとご親切なお言葉をいただきました。朝食は7時からとチェックインの際に受けていますので諦めていましたが折角のご好意です。さあっと朝食をいただいて出発しました。
8:17 しかし今朝も磐越自動車道会津若松ICへ向かう会津市内の道は混み合い予定より遅れて「道の駅 尾瀬街道みしま宿」到着です。次の列車の通過時刻は 9:01です。お立ち台のCポイントへ上がると既に同業者の方がおられました。今朝7時台の川霧の様子はどうでしたかとお聞きしますと「辺り1面霧が立ち込めて鉄橋は全く見えなかった。がっかりでした。」と、申されました。やっぱりここでの撮影はバクチ状況のようで難しそうです。運次第になると改めて思いました。
今日は最終日なのでもう少し上のDポイントまで上がりますと約20名の方々が三脚を立てて準備中です。今回2日間見た中では最も多い撮影者でした。
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第3日目 11月4日
6:20 昨夜の雨も止み青空が広がるさわやかな朝を迎えました。仕入れておいたサンドイッチを食べての朝食を済ますと道の駅から正面に見える鉄道駅に向かいました。



▲ 6:45 池月駅に到着。1面2線の交換駅、岩出山~ 川渡間 を延伸開業した1914年(大正3年)4月19日、同時開業したが1971年(昭和46年)11月30日からは無人駅になっています。池月の名前の由来は源頼朝愛用の名馬から来ています。1180年、源氏復興を目指し鎌倉へと向かう途中で野営したこの地の源頼朝の前に突然現れたこの野馬は、「池に映る月影のよう」であったことから「池月」と名付けられ、頼朝の乗馬となりました。以降この地区は伊達藩の隠し牧場ともなり、明治天皇にも奉仕した名馬金華山号を輩出しています。
保存蒸機といっても駅前、公園、学校等に保存されている静態保存機に対し、イベントなどに使用される動態保存機もある。今回から動態保存機も発表に加えさせていただく。
まず、JR東日本の高崎で上越線水上、信越本線横川を中心に時々関東各地等にも出向いているD51498を見てみる。
D51498は1940(昭和15)年11月24日当時の鉄道省鷹取工場で製造された。新製配置は岡山で、その後1951(昭和26)年12月に平、1963(昭和38)年10月に長岡第一、1966(昭和41)年3月に新津、1972(昭和47)年3月に坂町に配属され同年12月に廃車されている。廃車される前の1972(昭和47)年10月には鉄道100周年記念のイベントとして八高線で最後の走行をし、同年12月に上越線後閑駅前に保存された。その後、JR内で蒸気機関車を復活させる気運が盛り上がりⅮ51498が抜擢された。1988(昭和63)年後閑を出発して大宮工場で復活の整備が進められ今日につながるイベント運行が行われている。
2015.8.15 真夏の炎天下上越線津久田駅付近を行く水上行きD51498▼
第2日目 11月3日
早朝6時前、明るくなってきた「道の駅 会津尾瀬街道みしま」で目覚めました。
6:06に只見川第一鉄橋を通過する列車を撮りたいのですが、鉄橋を見下ろせるという絶景のビューポイントへと続く遊歩道にはどうやって行ったらいいのかが初めての訪問なので分かりません。乳白の川霧が立ち込める道の駅の中を動き回り左往右往状態で、鉄橋を渡っていく走行音を聞きました。
6:26 昨夜到着時にロケハンしておくべきだったなあと反省しながら、ようやくお立ち台への遊歩道を見つけ駆けあがってみましたが川霧が立ち込めてハッキリとは見えません。これでは定刻にお立ち台まで行けても撮れなかったなあと自己満でした。
◀ お立ち台への上がり道は階段状に整備されてはいましたが結構急で日ごろ歩きなれていない高齢者には一気には上がれません。途中で休み、息を整えてからでないと難しいものがありました。
次の列車は7時台です。一旦、車へと戻り昨夜コンビニで仕入れておいたサンドイッチで朝食です。
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蒸機と殆んど縁のないような所に保存されている戦時型D511119。場所は小田急線愛甲石田駅からバスで20分の厚木市森の里若宮公園であるが、車で行ったのでそのアプローチはあまりよく覚えいない。
D511119は1944(昭和19)年8月名古屋の日本車両で製造。製造番号は1308。最初の配属は平で戦後1949年8月新鶴見、1954年7月大宮、その後高山を経て1962(昭和37)年6月に渡道する。鷲別、追分両区に所属して室蘭本線を中心に活躍。1976年3月の蒸機末期に廃車された。厚木というD51に縁のない場所に保存されたが、屋根もあり保存状態は良好であった。ただ、防護網で足回りが写らないのは残念であった。特徴は戦時設計の角形ドームや船底テンダ-で、ギーズルエゼクターの細長い煙突に加えて旋回窓、予備灯、切り詰めデフ等はその後施工された。
2014.07.08 厚木市に保存中のⅮ511119 ▼
現役時代の写真はクモハ73106東ウラさんから提供頂いた。デフレクター(除煙板)の切り詰めが行われていない1970年3月3日岩見沢での撮影である。

前回より
これらの70系横須賀線電車については、程無く『スカ形』と呼ばれるようになったが、その外部塗装は窓まわりをクリーム色とし、窓の上下は紺色とも言われるブルーが採用され、それは沿線の鎌倉や逗子の砂浜と海を表しているとも言われ、落ち着いた雰囲気をたたえていた。
この塗色は先輩格の80系湘南電車が沿線の『みかん』をイメージして窓まわりにオレンジ色を使用し、窓の上下をグリーンとした派手な印象とは対照的であった。
先頭車前面のデザインについては大形2枚窓の湘南電車とは相似形であったが、実は湘南電車の前面については2枚窓に落ち着く迄に次のような変遷があった。
クハ86の第1次車(20両)は丸妻3枚窓で、2次車以降は2枚窓となったが、3枚窓(1次車)⇒2枚窓(2次車)の設計変更時に丸妻台枠のままで窓のみを2枚窓化した2両(21、22)が1次車と2次車の折衷デザインとなっていて面持ちに独特感があった。
「またか!」と思われるでしょう。はい、またやります京都市電写真展。ある筋から急に依頼があり、「頼まれ事は断わらない、最大限やってみる」を、老齢テーマに掲げている手前、必死になって準備し、何とか設営を終えました。会期はたった三日間、今日始まって、明後日にもう終わります。急なお知らせです。決して無理な強制はしませんよ。ヒマを持て余して困っておられる方だけに、そっとお知らせしておきます。
京都市電写真展「秋、そして冬へ~四季をめぐる京都市電~」
11月13日(金)~15日(日)11:00~18:00
会場「高瀬川・四季AIR」京都市下京区西木屋町通仏光寺下る天満町456-27(阪急京都河原町駅から南へ徒歩5分、高瀬川の西側に沿う細い道路が西木屋町通です。)
勘秀峰さんが、祖父、父、本人の三代に渡って収集された、京都市電の戦前からの乗車券、記念乗車券、乗換券なども展示されます。たいへん狭い会場ですが、感染症対策は十分に施したうえで実施します。どうぞ安心してお越しください。
▲「高瀬川・四季AIR」 昔は炭問屋をしていたと言う西木屋町通の京町家、画廊オーナーが古民家の再生をされている方と出会い、ギャラリー兼文化教室の会場になった。「高瀬川ききみる新聞」という地域の文化情報紙も発行されている。
コロナ騒動発生により4月9日以降の鉄ちゃん活動を一時休止していましたが、残り少なくなってきている人生、このままでは精神・心理的的にも良くはありません。しかし、高齢者で基礎疾患のある身です。感染した若者だと無症状の方も多いと報道されていますが、高齢者は一旦感染すると死が待っていますので生死を賭けた鉄ちゃん活動になります。3人の息子たちは医療関係に従事していますので職場で厳しい指導を受けています。当然私にも同じ眼を向けてきますので鉄旅に出るなど許してもらえません。悶々とした日々を過ごしていましたが、とうとう我慢も限界に達しました。密閉、密集、密接の3密を避け、ソーシャルディスタンスを守ることで感染予防をしながら鉄ちゃん活動が復活しようと思い切りました。
【 目的地はどこへ、いつ行くか 】
目的地ですがこの時期なら紅葉真っ盛りを狙いたいと以前から思っていた東北の只見線を第一候補にあげました。地元の観光協会に電話をしてみますと紅葉は今が一番との返答です。これは早くに行かないと落ち葉になってしまいます。急いで行程を組むことにしました。
▲ 第一候補の有名な只見線の紅葉絶景ポイントの第一只見川鉄橋です。
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高感度機とHandycam(Round 1)
『闇鉄(やみてつ)』は低光量下で動いている貨物列車を撮ろうと言う、過酷な撮影条件での映像を扱うジャンル(?)です。
夜の空港で旅客機の発着を流し撮りされている方に教えを請い、「レンズは出来るだけ明るい物を使い、ISO は 1000以下、1/10秒で撮ってみては?」とのアドバイスを頂きました。
その教えを守ったのが、この写真(F 1.8)です。何とか機番が読み取れます。

京阪京津線を走っていた800形の水色オリジナル塗装色が昨日ラストランとなりました。2017年から京阪本線と塗装色を合わせるということで塗り替えが始まり、2020年度末までに完了の予定でした。まだ年度末には少し時間がありますが、昨日がラストランだったとの記事が、今朝の読売新聞滋賀版に載っていました。京都市営地下鉄東西線に乗り入れるために新造された京阪800形は琵琶湖をイメージした水色で、本線とは全く異なるコンセプトの色で親しまれてきました。本線色もだいぶんなじんできましたが、やはり、前の色の方が好きですね。大津線は本線とつながっておらず、独立しているということで、独自の色でも良かったのではと思いますが、少々残念です。600形の旧塗装色も残り少なくなりました。今のうちにカメラにお納めください。オリジナル塗装800形の思い出の写真を並べてみました。
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