ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part6  阜新炭鉱(阜新煤礦鉄路)その1

第5日目(訪中37日目) 3月26日


▲ 6:08
平安駅ヤードに到着しました。日の出前には撮影を始めたかったのですが、既に上がっていました。朝6時にホテルを出発しましたが、元宝山から東へ300キロ近くは来ていますので、日の出は13分早くなります。蒸気機関車は、SY1396号機

▲ 6:22、蒸気機関車が集まり始めました。左は1818号機


▲ 7:05、朝の目玉は、2両ですが唯一の蒸気機関車が牽引する通勤列車です。今日は、1012号機です。皆でそろって、折り返し回送まで撮影しました。踏切から近いこの場所は、最近訪問された方が追い出されたとネットでレポートが載っていました。日本人には躊躇するところですが、ドイツ人には関係ありません。一緒に付いてしっかりと、撮影できました。

▲ 7:50、一仕事終ったので、踏切近くの食堂で朝職です。さっぱりしたスープの麺で、美味しかったです。

▲ 朝食後は、近くの五龙炭鉱に上がりました。8:571378号機の空の石炭列車、9:01には1818号機ズリ捨て列車が発着しました。右側正向きで待機するは、1396号機です

 


▲ さて次は、五龙炭鉱上のズリ捨て山に向かうかと思っていましたら、撮影ガイドの谷満春(Gu Manchunさんは、今ズリ捨ては3ヶ所の分割されています。次の列車は、別の場所に行くかも・・・。山に向かうスイッチバック地点なら両方が狙えますと案内くださりました。

9:56、言葉通り1396号機の牽引する次のズリ捨て列車は、山に向かわずに直進していきました。


▲ 10:33、新しくできたズリ捨てを案内されましたが、元の海州露天鉱へのルートでした。広大な露天鉱の穴を埋めるためのようです。

10:57、次に案内されたのは昨日夕刻に行った機関区。左から1319、1378、988、1210号機の4両が待機中でした。
機関区には約40分も4両の機関車周りを歩いていました。その間、案内人の谷さんは、携帯電話で走行情報を聞いています。専用線には決まった列車ダイヤがないので、案内する方も大変です。


▲ 12:03、昼飯を食べに行くのかと思っていましたら、高徳駅に立ち寄りました。ドイツ人は、高い所からの撮影が大好きです。どこへ行ってもよじ登っていました。
12:19、ズリ捨て列車の予想が外れ、1378号機単機がやって来ました。
13:32、ついでにDL客車列車も撮って去ろうとしたら、踏切番からもう直ぐに石炭列車が来るから待つようにとの声がかかりました。谷さん、さすが地元です。コミュニケーションも十分です。
13:50、先ほどの1378号機がヤードから空の石炭列車を牽引して戻って来ました。そしてスイッチバックをして、画面右へと推進運転で去っていきました。谷さんは、3番目のズリ捨て場があると言われます。
こんな可愛いレールバスが昼間の職員輸送用に走っていました。

▲ 14:44、五龙炭鉱上のズリ捨て山に蒸気機関車が走るとの情報があったようで上がりましたが、ガセネタです。
谷さんも困ったらしく、蒸気機関車がいる機関区に戻って、特別ショーです。


▲ 15:26、3両並んでの機関区ショーですが、こんな事で承知するドイツ人ではありません。4両並んで一緒に向かってくるようにとの要求です。ちょっとな事では納得できない頑固なドイツ人気質が出ました。
左から988、1319、1210、941号機です。
ちなみに、特別ショー代ですが、200元(約2,500円)と聞きました。今夜の白酒代程度ですね。


▲ 16:39、朝に来ました平安駅踏切に戻って今日最後の撮影ですが、踏切番から離れろとの注意を受けました。しかし、少しすると警備局員が来て強制退去を命じられます。仕方ありません、今日の撮影は終了です。


▲ 移動回数が多かっただけに長~い1日だったように思えました。今夜も食欲が進むドイツ人です。中国は初めてだった人もすっかりと慣れた様子でした。
 Part7  へ続く

前へ 1 2 3 4 5

 

ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part5  平庄炭鉱から阜新炭鉱へ

今日は、337キロ先の阜新炭鉱へと向かいます。平庄駅からは9:29発昼行と、19:08発夜行の2本の列車があります。夜行は、阜新に02:02着ですが、一旦ホテルに入ってから早朝撮影に向かえば良いかなと勝手に思っていました。どちらになるのか史超さんに聞いてみましたら、列車は7時間もかかって遅いので乗りません。瀋陽から大型バスを呼んでいます。高速道路を走れば4時間以内で着きますので、昼食後に出発しますと言われました。

第4日目(訪中36日目) 3月25日
①  ホテル6:00(チャーターBus)→元宝山鉱_西駅→風水溝駅
② 風水溝駅7:40→8:58平庄装煤駅→五峰付近10:10→10:45西露天鉱
③ 
装煤駅12:40→市内13:30→13:45ホテル14:20→17:55阜新機務段
④ 阜新機務段18:15→夕食→20:00ホテル


▲ 西駅で数人を降ろしてから、橋まで連れて行かれましたが、風が強く気温も上がって来ていたので、狙ったカットにはならずでした。
7:37、通勤列車が
風水溝駅に到着しました。今日は、ヤードにセキの姿はなく、降りた大勢の職工達は迂回せずに炭鉱に直行して行きました


▲ 8:58、今日は、直ぐに平庄炭鉱装煤駅に参りましたが、機関車は1425と1017号機の2台だけです。毎日運用が違っています・
9:27五峰駅方面に移動しますと、1083号機が空車を回送して装煤駅へと向かってきました。


10:07、いつもの五峰~平庄南間の橋での撮影です。橋手前まで行きたかったのですが、皆さんのカメラ視界に入ってしまいます。多人数での撮影のデメリットです。風が強い日でした。この前後のカットは、全部風が前に吹いていて機関車を隠していました。牽引機は、1425号機です。


▲ 10:45、今日は、直ぐに西露天鉱行きです。またEL撮影かなとウンザリしていましたが、1764号機が作業車を牽引して上がってきました。これなら好し好しです。
▲ 空車のセキを牽引してELが降りていきます。ドイツ人には感激シーンなのでしょうね。

▲ 未舗装路を石炭を満載したトラックが通過するたびに、半端でない粉塵が舞います。通訳の史超さんもこれには参っていました。
踏切には、多くの注意看板が立っています。左から「火车小心=列車に注意」、左下は「紅灯停车・灭 灯停车=赤灯停車・点滅停車」、右上は「铁路道口・一停・二看・三通过=鉄道踏切・1に停車・2に確認・3に通る」、右下はZ型の変形道の様子です。真ん中下3つの看板はお分かりと思いますが、問題は「☓ ∧ 」。この標識が分かりません。どなたか教えてください


▲ 皆さんは、EL撮影に励んでおられましたが、O氏と私は一足先に露天掘を離れました。12:00、午前中の運行が終って休む1025と1764号機。この2両がズリ捨て専用でした。


▲ 平庄での最後の昼食は刀削麺でした。スープが美味しく結構いけました。ただ調理のスピードが追いつきません。
外国人が珍しいと近所からも人民が集まってきて記念撮影の連続でした。


▲ ホテルに戻って、シャワーで汚れを落としてから、大型バスに乗換えて、阜新へと向かいました。国鉄の新線建設が始まっています。沿線は、赤土のハゲ山、丘陵がおおく植林が進められていますが、数10年以上は必要ですね。


▲ 17:55、平庄から高速道路を約3時間半で夕日の阜新炭鉱機関区に到着しました。列車の半分の所要時間です。前回見つけられなかった機関区です。SY上遊型0941、0988、1210、1319号機の4両が休んでいました。12両が在籍のはずですが、みんなに会えるでしょうか・


▲ 夕食時には、明日から阜新と北台を引率していただく案内人の紹介がありました。阜新の住民だそうです。どんな撮影地を案内いただけるか楽しみです。
今日も皆さんの食欲は衰えることなく旺盛でした。  Part6  へ続く

前へ 1 2 3 4

ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part4  平庄炭鉱(元宝山の建設型と、平庄の上遊型) その2

第3日目(訪中35日目) 3月24日

① ホテル 6:00(チャーターBus)→6:50 元宝山鉱_西駅→風水溝
②  風水溝 →9:40 平庄

夜明け前に、ロビー集合に遅れることなく全員集合。元宝山鉱の通勤列車が出発する西駅に向かいました。夜が明けだすと雲一つない青空が広がっていきます。 ただ風は、昨日同様に強そうです。
▲ 7:00、建設型8249号機が牽引する通勤混合列車が、青空の下、西駅を発車しました

▲ 7:14、直ぐにバスに乗って追っかけです。途中の駅に止まっている間に追い抜かして、昨日、回送を撮った橋に着きました。
直ぐに木材を積んだ貨車は、炭鉱内に持っていかれました.坑内で支柱等に使用されるんでしょうね。どの炭鉱でも山積みにされた木材がありました。
朝のショーが終ったので、昨日同様に平庄へと向かうのかと思っていましたら、バスは途中で止まり線路沿いを歩いて行くように指示されました。どうやらヤードに止まっていた石炭列車を国鉄駅に牽引して向かうそうです。


▲ 8:15風水溝を発車して、国鉄との連絡駅、京通線の安慶溝に向かう長編成の石炭列車。元宝山で貨物を蒸気機関車が牽引するシーンは、通常見ることはありません。ラッキーでした。


▲ 9:45平庄に戻りました。1083号機は、ドック入りです。 ヤードでは、1425号機が満載された石炭列車を連結して発車待ちでした。

▲ 11:02、五峰~平庄南の橋梁に移動して待ち受けましたが、強風が吹き荒れ寒くて待つのはみなさん大変でした。


▲ 12:04、今日は朝から正向きで客車あり、石炭列車ありで、午前中だけで4連発でした。みなさんご満悦での昼食です。バス内でなく、落ち着いての食堂です。10数種類の餃子に皿まで平らげる勢いで食べておられました。

 


▲ 13:04、昼食後は、古山二井(左上と下)と 古山三井(右上)に行きました。前回は、遠くて行けませんでしたので、どうなっているのか分かりませんでしたが、二井はズリ捨て列車が待機していましたので、それなりに活発なのかなと分かりました。一井は既に閉鎖されていました


▲ 14:25二井から三井には動きがないことが分かりましたので、装煤ヤードに戻ると、再び1425号機が石炭列車を牽引して、平庄南へと向かいました。てっきり追っかけをすると思っていましたが、彼らの関心はELです。

▲ もう、どうしようもありません。ELの運転席に乗ったり、好き放題です。午前中は満足しましたが、午後はドイツ風が強く、受け入れられません。


17:00、ズリ捨て路線が撮りたいのに、再び装煤駅ヤードで今日最後の撮影です。左は、今回のツアーの英語通訳の史超ShiChaiさん、26歳。吉林省吉林市の舒蘭で育ち、今はご両親と新京でお住いの生粋の東北っ子。留学して英語を勉強したとか、明るくハキハキしたお嬢さんでした。


▲ 早めにホテルに戻って、シャワーを浴びて汚れた身体を洗ってからの夕食タイムです。このパターンは、守って欲しいと全員の望みでした。1日過ぎるよ、マスクはいつも真っ黒になります。シャワーをすると、タオルが黒くなります。頭から黒い水が流れてきます。この地に住む人民は毎日こんなに最悪の空気を吸っています。よく我慢できると思わずにおられませんでした。   Part5  へ続く

前へ 1 2 3

ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part3  平庄炭鉱(元宝山の建設型と、平庄の上遊型)

瀋陽鉄道博物館は、広大な蘇家屯機関区内にあります。敷地内に食堂車を使った食堂がありましたので、みんなでバスを降りて撮りました。


▲  蒸気機関車は、博物館にも展示してあった工建型1018号機でした。1958年製造、軸配置;0-C-0、動輪直径;1,000mm、最高速度:35km/h。1959年に撫順化学工場に配属、1989年に 蘇家屯機関区に転属され、2009年9月に引退しました。、食堂車はCA23-890666+CA23-890888の2両でした。門の前の保線のモニュメントも立派です。機関車も客車も磨かれてピカピカでしたが、案内表示は日焼けして年月が経っているように見えます。食堂車は、1両定員は48人ですから全部で96人。使用されている様子がなく、単に展示してあるだけか分かりません

瀋陽鉄道博物館の場所はこちらです。列車食堂こちらです

続きを読む

ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part2 瀋陽鉄道博物館(沈阳鐡路陳列館) その2 展示車両

第1日目(訪中33日目) 3月22日

ドイツのツアーですが、我々日本人2名も入場拒否にあわず入れました。前回の時は、私とTaxiの運転手に館内案内人がピッタリと付きましたが、今回は総勢16人の団体に案内人1名です。監視が行き届かない事は明白です。できるだけ案内人に近づかず撮影に専念しました。前回途中から撮影を拒否された車両からご紹介します。

前回の訪問記はこちらをご覧ください


▲ GJ(工建型)、鉱線や入換用として、1957~1961年までに122両が製造されました。GJ型は、工建(GuoJian)の略です。


▲ SY(上遊型)満鉄のミカロ(JF6)のコピーで性能も同じです。1960~1996年まで1,769両が製造され、今も現役で数10両が地方鉄道で活躍中です。軸配置1D1、全長21,168mm、動輪直径1,370mm、1,500PS。韓国や米国にも輸出されました。韓国では901型として今なお休車扱いで店村駅に展示されています。


▲ JS(建設型)、 満鉄のミカイをベースに1957年から総数1,558台が製造され、上遊型と同様に今も現役で数10両が地方鉄道で活躍中です。軸配置1D1、全長23,053mm、動輪直径1,370mm、2,270PS。

▲ 正面にも置いてあった蒸気機関車と同じ、OJ(前進型)。今や数台がイベント用や工場専用線で働いているのみです。


EX9800(維修車)997310とあるが、種車が分かりませんが、間違いなく「大陸」号用の客車でしょう。ドアは、半円形のガラスが入っていて原型を留めていますが、改造されて、台車も換えられて、定員9名、自重42t、全長24.5mとなっています。製造は、1933年(昭和8年)満鉄鉄道工場です。

▲ GW997310(公務車)とあるが、前身は展望1等寝台車「テンイネ2」です。1936年(昭和11年)に満鉄工場で3両(?)が製造され、初めは奉天~北京間の急行列車に使われましたが、後に釜山~北京間の急行「大陸」として使われていました。豪華なダブルベットとバスタブまでついた客車で、黒河で見たあじあ号の展望1等車「テンイ8」と比べると内容的には豪華だったかも・・・。現在、北京に2両(G
W97347・GW97349)と合わせて3両が保存されています。この車両とよく似た特別車「トク2」が製造されていますが、詳しい資料がありません。鄭州世紀歓楽園に保存展示されているGW97351がそうではないかと言われています。


▲ YZ5-22436(硬座車)とあるが、前身は
鋼製三等車「ハ5」と思われます。2010年に天津地方鉄道を訪問した紀行記に掲載した客車と類似しています。

客車は他にも、YW22硬座寝台車、YZ5硬座車、 CA23(891113)食堂RW24(551436)軟座寝台車、YW25G(661613)硬座寝台車、YW25K(000001)硬座寝台車、最新のYW25T-000002硬座寝台車が展示されていました。


▲ 満鉄の貨車群です。

【ディーゼル機関車】


▲ 東方紅1型は、中国初の量産型液体式ディーゼル機関車として1966~1972年までに107両が製造されました。軸配置B-B+B-B、全長16,550mm、1,820PS、重連運用を前提とした型運転台です。1998年に退役しています。


▲ 北京3型は、1975~1991年までに358両が製造された液体式ディーゼル機関車で、1部永久重連型もありました。軸配置B-B、全長15,045mm、2,670PS、最高速度120km/h。2000年に退役しています。

▲ 東方紅3型は、東方紅1型の後継機として、1976~1988年までに268両が製造された液体式ディーゼル機関車です。1,350PSを2機装備しており、牽引両数に応じて、片方のみを使用できる特徴を持っていました。軸配置B-B、全長11,855mm、2,700PS、後期型は3,000PS、最高速度120km/h。2000年に退役しています。

ディーゼル機関車は、この他に東方紅5型、ND5型、東風4B型(DF4B)、東風5型(DF5)、東風4C型(DF4C)、東風6型(DF6)、東風7型(DF7)、最新の和階3型(HXN3)も展示されいました

【電気機関車】

▲ 電気機関車は、交流式の国産最初の韶山1型(SS1)が1両だけ展示されていました。ソ連と蜜月時代の1959年にソ連製のVL60型電気機関車をベースに製造しましたが上手くいかず、途中からソ連との対立関係に入りました。仕方なくフランスの技術を仰いで、1967年までに7台の試作車の製造を重ねました。ようやく、製造技術が確立して、1968年から量産体制に入り、1988年までに819両が製造されました。軸配置C+C、全長19,400mm、4,200kw、最高速度90km/hで、1961年に中国で初めて電化(交流25,000V、50ヘルツ)された、四川省と甘粛省を結ぶ山岳路線の宝成線宝鶏~鳳州間で使用されました
宝成線のこの区間は、敗戦国となった日本の満鉄職員が戦後徴収されて、調査設計をして建設した路線でもありました。


▲ かつて満鉄で活躍した貨車群です。


▲ 信号設備の歴史も展示されていました。

▲ レールや橋梁も今昔が展示されていました。

▲ 最新のCRH3(ICE3)も惜しげもなく展示されています。これを見たドイツ人は一言です。「コピー!」、卑下した表現でした。


▲ 前回、撮るなと言われたパネルもじっくり見てみれば、抗日戦線を表現するものではありません。目くじら立てて撮影を拒むようなものではなく、理解に苦しむところです。

撮影途中に、どこからか現れた前回の案内人が、カメラ前で阻止する姿を表現しましたが、今回はドイツ人が多数一緒です。黙って無視すると、そちらの方へ行ってしまいました。ドイツ人は、多少の阻止にもめげず、撮影を大胆なアングルからでも堂々と撮り続けます。案内人の監視はそちらに向いていきました。

ドイツ人を案内する中国人男性は、日本語の通訳でもありました。ここを案内したことはあるのか。手続きは簡単なのかと聞きますと、以前に2名と3名の2組を案内したことがある。しかし、ここは入場許可を取るのは難しい。30人以上の団体でなければ受け付けていない。
博物館の場合は入場料をとると、政府からの給料はそこでストップする。入場料収入だけでは、給与が出ないし安定しない。そのために。ここの職員は、入場料収入を求めない。だから入場者もさせないし、制限もすると言いますが、中国を知っている私としては、それだけの原因とも思えません。2~3人を案内したと言うのも、団体ならOKと矛盾する返答です。もっと違った真実があると思いますので、この通訳の発言は信憑性を欠くものと、無視してください。

▲ 夕食は久しぶりの中国料理のフルコースでしたが、やはり欧州人にとって、箸の持ち方は難しそうです。ちょっと可哀想でしたので、スプーンを取ってきて渡してやりましたが、中国人の案内人は、そんな気を使ったりせずに自分たちで、ワイワイと会食中です。日本なら即、クビですね。
まあ、この国の人民に、気配りを求めること自体無理なのも分かってはいますが・・・。

夕食後、夜行列車に乗車するために瀋陽駅に向かいました。   Part3  へ続く

前へ 1

ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part1  瀋陽鉄道博物館(沈阳鐡路陳列館) その1

2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part26ですが、今日からは一人旅ではなくO氏とドイツTANAGO中国蒸気機関車の撮影ツアに参加します。TANAGOは、現在世界中に残る蒸気機関車や歴史ある内燃車の撮影ツアーを企画されています。昨年、東アフリカに行きましたのも彼らのツアーでした。今回は、元宝山・平庄・阜新・北台とまわりますが、北台では製鉄所内に3日間撮影する事ができます。
中国鉄路撮影に慣れている我々が、単独ではなく費用のかかるツアーに参加したのは、単独では行くことが不可能で特別なルートを通さねば許可が得られない、北台製鉄所撮影が含まれているのが、大きな理由です。勿論、日本のツアーにはありません。加えて、ドイツ人から見た中国鉄路撮影は一体どのような視野を持った内容なのか、好奇心がありました。
よってタイトルは、ドイツ風的 中国蒸気機関車 の旅として発表させていただきます。
続きを読む

北条鉄道へ行ってきました

クルマで京都・大津に出向いた帰りに北条鉄道を訪ねてきました。JR加古川線粟生から北条町まで13.6Km、かつての国鉄北条線です。車庫は終点北条町にあります。車両はたった3両しかありません。北条町駅は予想に反して近代的な駅でした。

北条町駅

北条町駅

車庫の中に1両(フラワ2000-2)が休んでいました。外に留置されているピンクのDCは1999年富士重工製のフラワ2000-1です。運行は1列車が片道22分で行ったり帰ったりしています。途中に交換設備はありません。

粟生へ向けてクルマを走らせました。次の駅は播磨横田駅です。ホームの桜はまだつぼみでしたが 咲けばきれいだろうなと思います。フラワ2000-3の615レが来ました。

��磨横田駅

播磨横田駅

このフラワ2000-3は平成20年3月末で廃止された三木鉄道のミキ300-104が平成20年12月に北条鉄道に移ってきたものです。当初は三木鉄道時代のままの塗色でしたが今は塗り替えられています。満開の桜に映える色です。平成13年12月30日に三木駅で写していました。

ミ��300-104 ⇒ フラワ2000-3

ミキ300-104 ⇒ フラワ2000-3

次の駅は長(おさ)駅です。大正時代に建てられた木造駅舎です。元は交換可能駅でここにも立派な桜がありました。

長(おさ)駅

長(おさ)駅

 線路は集落を結ぶように伸びていて、次は播磨下里駅です。ここもに交換設備があったようです。播州鉄道の王子駅として開業したそうです。

��磨下里駅

播磨下里駅

 北条町から7.5Km、4番目の駅が法華口駅です。法華口とは何だか抹香臭い駅名ですが、この駅から西方に西国二十六番札所天台宗法華山一乗寺があります。列車の来る時間待ちを兼ねてお参りしてきました。国宝の三重の塔などを有する立派な古刹でした。丁度前日に台風まがいの強風が吹き荒れたため 境内の桜の古木があちこちで折れて片づけに追われていました。

法華口駅

法華口駅の616レ   この運転士は若い女性だった

法華口駅も交換できる駅だったようで、向かいのホームの桜が咲いていないのが残念でした。

ところでこの駅から北東方向に陸上自衛隊の青野ヶ原演習場があり、ヘリが離着陸していました。実はこの演習場とは別に法華口駅のすぐ北側には姫路海軍航空隊の鶉野飛行場と川西航空機姫路製作所があったのです。敗色濃い昭和20年5月に完成した飛行場は 本土決戦を覚悟して急造され、川西航空機で作られた特攻機「紫電」「紫電改」が配備されていたそうです。その飛行場の滑走路跡や地下防空壕(地下指令所)が今も残っているのです。終戦後 広大な土地は民間に払い下げられて この防空壕も民家の敷地内にありますが、中を見学できます。

防空壕入口

防空壕入口  扉を開けて 照明を点けて階段をおりる。

今でこそ整備されて見学できますが、戦後66年間は水が溜まったまま放置されていて 中がどうなっているのかわからなかったそうです。2011年8月に地元の人たちが消防ポンプで水を汲み出し、入れるようになり 照明設備を付けたり、各種展示をして戦争遺跡として今日の姿になったようです。写真右手に写っているコンクリートが半地下構造の防空壕の屋根の部分です。ここからほど近いところに広々とした滑走路跡があり 一応自衛隊の演習場となっていますが出入り自由です。その一角に この飛行場から特攻機で飛び立った若き飛行兵を悼む慰霊碑もあり、 自衛隊旗が掲揚され 花も飾られていました。鉄道の引込線はなかったようです。

 

鶉野飛行場と川西航空機工場

鶉野飛行場と川西航空機工場

滑走路跡

滑走路跡

 

慰霊碑

慰霊碑

 さて 北条鉄道に戻って次の駅は田原駅ですが、写真は省略します。次の網引(あびき)駅に向かいます。ここは駅舎や交換設備もない小駅ですが、ここにも悲劇の記録がありました。

網引駅

網引駅

 

事故の概要

事故の概要

昭和20年3月31日 上記飛行場に着陸しようとした紫電改がエンジントラブルで滑走路手前の北条線線路に後尾輪を引っ掛けて田んぼの中に墜落。その直後、引っ掛けられたレールが大きく変形していることに気付かず C12189が牽く満員の列車が通りかかり C12や客車が転覆し 死者12名、重軽傷者104名を出す大惨事になったそうです。まだ戦時中のことゆえ報道されなかったようですが、大変な事故だったようです。
現場見取り図、紫電改、C12189

現場見取り図、紫電改、C12189

踏切の向こうが事故現場です。

事故現場  飛行機は左手から右手の田んぼに不時着

事故現場  飛行機は左手から右手の田んぼに不時着

C12189は事故直後ではなく、昭和35年10月15日に加古川区で廃車されています。客車の形式、番号、両数などはわかりません。

地元ではよく知られた史実かも知れませんが、私は戦跡や列車転覆事故のことを知らなかったので、あえてご紹介しました。北条鉄道に行かれたときには 訪ねてみてください。

網引、田原間を行く617レ フラワ2000-1

網引、田原間を行く617レ フラワ2000-1

終着 粟生駅は神戸電鉄も乗り入れている近代的な駅なので今回はパスして 三原へと帰りました。古い木造駅舎、今頃では珍しくなった木の枕木、のどかな田園風景の中をゆっくりと走る単行DCなど 懐かしさ漂う北条鉄道でした。このミニ鉄道がいつまでも走り続けてくれることを念じつつ。

2012年 冬から春への中国鉄路一人旅 Part25  大連市電(大连軌道交通)

第31日目 3月20日

大連駅前(路面電車)~ 华乐广场

今日で1ヶ月を経過しました。北の黒竜江省の黒河や鸡西から雲南省の昆明までの、南北5,000キロを横断往復して戻ってきました。マイナス7℃から30℃と温度差37℃を2度も体験しましたので、還暦を過ぎた身体には応えないわけがありません。これからウィグル自治区へ向かいますので、身体を慣らすための大連入りです。部屋でアップロードに努めて、あまり動かずお散歩程度にしようと思っておりましたが、鉄ちゃん魂はじっとしていられません。

▲ 昨日、大連駅前電停には市電の姿がありませんでした。それもそのはず、電停には何らかの原因で故障が発生したので昨日(19日)と今日(20日)は、兴工街~大連駅前の間は運休してバス代行にします。华乐广场方面へは、100m東に臨時の乗降所がありますのでご利用くださいと掲示してありました。

続きを読む

2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part24  一旦出国、再入国で大連へ

昨夜、ようやく中国鉄路への44日間の長い旅を終えて、無事帰国しました。途中で中国鉄路通で有名な小竹直人さんが、東北奥地で2000年に廃止された阿里河森林鉄道C2型蒸気機関車を復活チャーターされるので参加しないかとの連絡がO氏より入りました。勤め人の方を対象にされているので5月の連休予定です。中々こんなチャンスはありませんので、即決で参加申込をしました。
問題は往復の航空券代です。結構しますので、このままどこか田舎の安いホテルでゆっくりと休んだ方が安くつきます。家内にもしばらく中国にいるかもと了解を取りましたが、現在ノービザ(15日間)で滞在中です。30日ビザなら公安に延長申請できるそうですが、ノービザでは申請不可と分かりました。また出国しなければなりません。ベトナム、ロシア韓国北朝鮮のどちらかにしようかと迷いましたが、持病持ちですので日本で車体検査にも行かなければなりません。不本意ですが選択肢が消えました。

今回、宿泊したホテルでは、香港を除いては全て無料でインターネットが使用できましたが、接続安定性が確保できなかったり、疲れて就寝する方を選んでしまったり、夜行列車も多かったので、即日の投稿ができませんでした。申し訳ございません。随分と遅れていますが、紀行記を続けさせていただきます。

第29日目 3月18日

① 淘金12:00→12:25广州東駅13:52(T809次)→15:57紅磡(九龍)
② 紅磡16:20(MTR)→16:36油麻地


▲ 鄭州鉄道日記さんとは一緒に广州の5つ星ホテルに宿泊しました。60㎡以上はある広い部屋で、バスルームだけでも6畳以上はあります。久しぶりにゆったりとしました。
彼は、若いですが、鄭州にある大学の日本語先生です。 明日は授業があるので帰られます。私も30日ビザの失効日まであと1日です。ノービザで行けるベトナムへ列車に乗って、出国と入国という選択肢もあったのですが、どうも風邪が完治していなくて、くしゃみが止まりません。微熱もありますので、慣れている香港にしました。

続きを読む

2012年 冬から春への中国鉄路一人旅 Part23  簡単便利に購入できる中国国内線航空券と鉄道切符

第27日目 3月16日

① 蜜蜂岩7:57(芭石鉄道)→8:11躍進(三井)8:27 (Bus)→9:06犍為
② 犍為バスターミナル 9:30(高速バス)→11:40石羊バスターミナル
③ 石羊 12:15(Bus28路)→12:55成都市内(徒歩)→13:40ホテ

▲ 朝1番の列車で成都に向かいました。まずは終点1つ手前の躍進駅で下車して、始発の犍為行きバスに乗ります。石渓駅の長い階段を降りる重労働は、還暦を過ぎた者には辛いものがあります。 犍為まで坐っていけるのも魅力でした。小学生も降りました。ここからは来た時と逆コースです。

犍為から成都石羊間の高速バス運賃ですが、75元と往路より8元高くなっていました。バスの大きさも一緒なのにどうしてバラつきがあるのでしょうか?

石羊バスターミナル
からのバス(28路)も同様に辛かったです。乗車前に教えてもらったバス停で降りましたが、乗り継ぐ空車Taxiが全く通りません。ホテルまで約10分と聞き歩きましたが、実際は徒歩20分以上を要しました。

高速道路が出来て飛躍的に早く到達できるようになった
芭石鉄道ですが、それでも成都市内からは約5時間と、辺境には変わりありません。
続きを読む

2012年 冬から春への中国鉄路一人旅 Part22  芭石鉄道 その3

第26日目 3月15日

① 蜜蜂岩6:35(芭石鉄道)→6:55菜子坥
② 菜子坥站 (徒歩)→18:00蜜蜂岩站


▲ 今回は、撮影地を蒸気機関車が正向きで走行する区間に絞ろうと決めていました。今日は一番列車で菜子坥下車して、朝の貨物を狙いました。
▲ 7:19、朝の下り貨物です。今日はドレインを目一杯吹き出してくれました。
続きを読む

2012年 冬から春への中国鉄路一人旅 Part21  芭石鉄道 その2

第25日目 3月14日

① 蜜蜂岩6:35(芭石鉄道)→7:10芭沟
② 芭沟站 8:30(徒歩)→16:00蜜蜂岩站

6:35 今日は朝1番の列車で芭沟に行ってみることにしました。着いた芭沟駅は駅舎の工事中です。観光路線として着々と新しい施設が建設されています。

芭沟駅では、昨日菜子坥でお会いした中国人鉄ちゃんがいました。芭沟の市場で朝食を共にしました。お名前は彭さん、仕事はコンピュータプログラマーで、休みを7日間取って北京からやってきたと、若くて熱心な鉄ちゃんです。英語が堪能でしたので、汽車を待っている間、中国の蒸気機関車についての話をしました。最近撮った写真を見せてくれましたが、その中にフラルジの発電所専用線の写真がありました。私が今回の旅で最初に訪れたチチハル近郊の町です。しっかりと爆炎を上げて走っています。私が行った時はDL化されていたので、いつ撮ったのかと聞いてみましたら、昨年12月中旬と言います。わずか2ケ月の差で撮り逃したようです。今後、情報交換をしようと約束しました。
彼は今日のお昼の列車で帰るというので、分れて 菜子坥を目指して歩き始めました。まずは定番の沼が見える撮影地です。
続きを読む

2012年 冬から春への中国鉄路一人旅 Part20  芭石鉄道 その1

第24日目 3月13日

① 犍為5:20(Taxi)→5:38芭石鉄道石渓駅
② 石渓6:00(芭石鉄道)→6:32蜜蜂岩

夜明け前の5時20分に予約しておいたTaxiに乗車して、芭石鉄道の石渓駅に向かいました。電話連絡しておいた蜜蜂岩の民宿に今日から3連泊して、撮影に励みます。

6:32、明るくなり始めたホームでは、民宿のご主人陳さんが待ってくれていました。荷物を運んでくれますので助かります。 荷物を部屋に入れて、朝食を食べたら早速行動開始です。
蜜蜂岩駅構内には、昨年まで機関区に置いてあった古いDLが移動されて展示されていました。
▲ 7:35、1番列車が山に上り、降りてきた折り返し列車は、蜜蜂岩駅から下に住む小学生の通学列車でもあります。 元気に乗って行きました。駅には昨年にはなかった駅名板が建っていました。毎年、生き残りをかけて観光鉄道へのグレードアップも進められています。
続きを読む

2012年 冬から春への中国鉄路一人旅 Part19  重慶から芭石鉄道へ

第23日目 3月12日

① 重慶北 8:00(D5101次)→9:55成都東
② 成都東駅10:22(Bus91路)→11:25石羊バスターミナル
③ 石羊バスターミナル12:00(高速Bus)→14:15犍為南門バスターミナル

今日は、毎年恒例となった菜の花咲く芭石鉄道へと向かいます。朝1番の高速列車で新しくできた成都東駅まで参りますが、いつもの成都駅と違って、初めての下車駅です。ここからどうやって犍為行きのバスが出る成都市内の石羊バスターミナルまで行くか課題でした。


▲ 重慶駅に隣接した食堂で朝食、平打ち麺の朝食。毎日のように食しましたが、薄味で辛くなく安くて一人旅にはもってこいです。
続きを読む

鉄路の北前船と六文銭の里を走る電車 その3 長野電鉄ぶらぶら(午後の部)

湯田中駅前の「楓の湯」でひと休みしてから活動開始です。まず旧湯田中駅の見ることにしました。これは有形登録文化財になっています。訪れたときは雛祭りの季節なので段飾りの雛人形が飾っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

続きを読む

2012年 冬から春への中国鉄路一人旅 Part18  重慶モノレール(重庆轨道交通)

第22日目 3月11日

【重慶モノレール】
坂の多い町の重慶市に2005年6月に日本からの円借款で建設開業されました。2編成が日立製作所製で、2編成が日本で製造されて輸出されましたが、後は技術供与での現地製造です。大阪モノレールと同一設計で、現在まで2号線と3号線の2路線があり総延長距離はモノレールとしては世界最長となっています。1号線は普通の地下鉄車両が使用されています。▲ ホテルから見える獅子坪駅を出るモノレール。6両編成の3号線です。すぐに地

下に入り、直角に中国国鉄の重慶北駅地下に向かいます。そして空港へと延伸されました。

続きを読む

鉄路の北前船と六文銭の里を走る電車  その2 長野電鉄ぶらぶら(午前の部)  

3月7日 直江津駅を5時26分発の快速「妙高」で長野に向かうために、しばらく待合室で待つことにしました。直江津から長野までの切符は持っていないので買う必要があります。しかし、切符の自動販売機が5時30分から販売開始ですので車内で購入することになります。少なくても乗客がいるのにどういうことなんでしょうかね?189系の快速「妙高」は定刻に直江津駅を発車しました。最近は○△?系とかに疎くなっているのでさっぱりわかりません。

 6時49分に長野到着、長野電鉄の駅に急いで行き、長電フリー乗車券を購入しました。2日間有効で、2260円なのでかなりお得です。購入した切符は「~さようなら屋代線記念~」となっていました。7時13分発の信州中野行で須坂へ、ここで屋代行に乗り換えです。須坂までの電車の中は通勤通学の時間帯のため、特に小学生、中学生が多く混雑していました。付属中学前駅には信州大学付属小学校、中学校があるからです。

続きを読む

2012年 冬から春への中国鉄路一人旅 Part17  北碚(ベイベイ)から重慶(重庆)へ

第21日目  3月10日

北碚(Bus)→重慶市内→15:00重庆北站
▲ 北碚では朝飯の定番、お粥も屋台で食べられます。

北碚4連泊で中3日間のグース乗り鉄・撮り鉄旅を終えて、重慶市内へと戻ることにしました。重慶には大阪モノレールと同じタイプのモノレールが走っています。これを見る撮るが訪問目的です。

政府直轄地の大都市、重慶は初めての訪問地ですので、土地勘はまったくありません。ホテルのネット予約を試みましたが、多すぎて絞り切れません。日本語対応できる旅行代理店の楽旅中国に電話をして、町の中心部でモノレール駅に極めて近いホテルを注文しましたら、後からの移動にも便利な重慶北駅駅前をお勧めしますと返事が来ました。
北碚に来る時も乗車した所です。同じ507路バスに乗って、北碚 を出発しましたが、着いた所は重慶北駅とは違って、重慶の市内中心部でした。同じ経路バスなのに終着駅が違っています。いったいここはどこなの?の世界です。現地人民に聞きながら地铁駅を探しますが、約20分以上かかりました。
続きを読む

鉄路の北前船と六文銭の里をはしる電車  その1 「日本海号」で直江津へ

鉄路の北前船「日本海号」と「きたぐに号」の定期運行が終了して1週間以上となりました。3月16日は各TV局が取り上げていました。NHKがニュースウォッチ9で青森駅発の「日本海号」を鷹ノ巣駅で生中継をしていたのは、なかなかいいものでした。さて、私はと申しますと、さる3月5日から8日まで船中八朔(ちょっと違った。じつは私は八朔がすきなのです。)でなく船中1泊、車中2泊の久しぶりの大旅行です。

いろいろ考えたあげく、まず新日本海フェリーの敦賀を出て新潟、秋田を寄港して苫小牧行に乗船して新潟へ。新潟から列車で酒田を経由して秋田へ行き、秋田から「日本海号」に乗って直江津で降りることにしました。直江津から長野に行き、長野電鉄の屋代線と湯田中で温泉にいって旅の疲れを癒すことにしました。再び、直江津にもどり「きたぐに号」で敦賀で降りて「日本海号」の写真撮影と敦賀の町を見物をして帰ることにしました。

3月5日は朝から天気が悪く、雨模様でしたが大雪よりは良いだろうと思って、大阪より敦賀行新快速に乗りました。新快速は12両編成で前4両が敦賀行きで後8両が近江今津まで、案内が不十分なため敦賀まで行く乗客にはわかりづらいものでした。やはり、それで右往左往している人がいました。

 

車窓を眺めているうちに終点の敦賀に着きました。階段を下りると地下連絡通路のカニがお出迎えです。

フェリー乗り場行のバスの発車まで時間があるので街をぶらぶらして、ポイントカードの持っている平和堂があったので、そこで弁当などを買ってからバスでフェリー乗り場に行きました。

 

続きを読む