行橋区のC5058のこと

以前にK.H.生さんからのコメントで行橋のことが話題になり、行橋機関区の名物だったC5058の写真を載せますと約束してから随分時間が経ってしまいました。やっとネガを探し当てましたので、ここに掲載いたします。
撮影した昭和42年当時、行橋機関区には、C50が5両配置され、田川線、日豊本線で旅客列車を牽くほか、入換用としても使われていました。当時、日豊本線は新田原まで電化が完成していましたが、一部はまだ蒸機牽引で残っていたのです。
写真のC5058には、門鉄デフに波と千鳥の装飾が入っています。門鉄デフ機に装飾のあるカマは九州で何両かあり、いちばん有名だったのは「かもめ」牽引用のC5711です。我らが山科の人間国宝が撮られた最盛期の貴重な写真が雑誌にも発表されています。ほかにも数両がありましたが、すべて旅客列車の先頭に立つC55、C57ばかりで、C50のような入換用が主務のカマに装飾が施されたのは唯一この58号だけと思います。
C50の牽く旅客列車は小山区の両毛線・水戸線が有名でしたが、ほかには行橋だけでした。それだけに客車列車の先頭を行くC50に少しでも華やかさを演出してやりたいという区の思いがあったのでしょうか。
蒸機の中ではいちばん地味で目立たなかったC50ですが、他区のようにトラ模様に塗られた入換のC50とは、別形式のような整備の行き届いた好ましいスタイルです。行橋に限らず、若松、直方、後藤寺と、筑豊の機関車はたいへん美しかったのです。
最近、「ばんえつ物語」用のC57180が門デフになり、しかも波と鴎の装飾入りと取って付けたような姿になったのには驚かされました。

デフに波に千鳥の飾りをつけたC5058

門司港発柳ヶ浦行1529レを牽いて夕方の行橋を出発(昭和42年3月)

 

行橋区のC5058のこと」への1件のフィードバック

  1. ああ行橋ですね。つい数年前に高架になるまでこの風景は40年前のままでした。
    電化直後なのでコンクリ柱が真新しいです。
    ヘッドライトも大型だし後端灯も円盤のついてない戦前型がそれも2基ついていて模型化したくなるような大事にされたロコですね。
    電化後も区間運転などにはSLが残っていました。僕が母と南小倉から下曽根まで潮干狩りに行くときにのった列車もSLが牽いていました。S41,42年頃です。
    恥ずかしながらS42年3月というと小学校1年から2年にあがる頃です。
    いつもいじめられて泣いてばかりいました。大阪時代が恋しかったり。
    でもこんな写真を見せていただけるととてもうれしいです。
    43年夏に家族で八幡から平戸に行ったとき、東唐津や山本のスイッチバック(唐津が2つに分かれていた)が面白くて父に時刻表の見方をその旅の間に教わりました。急行(準急?)「平戸」での長旅です。小3で人生の友「鉄道」に開眼。その前から好きでしたが。
    小5~中1の大分時代には姉を連れて北九州まで旅行に行くようになってました。
    今夜は自分の思い出ばかり書いてすみません。あまり懐かしかったもので。

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