【88624】 ◆ た~ちゃんの電車めぐり ②和歌山電気軌道

和歌山市内線は、和歌山市と海南市を結ぶ都市間連絡の使命も持つものの、国鉄紀勢本線と並行しているため、直通客は少なく、地域の生活路線的な色彩が強かったようです。また和歌山市の鉄道の成立から、和歌山市と東和歌山(当時)と二つのターミナルを持ち、両駅間の移動や、その中間に位置する官庁街・繁華街への往来と言った短距離輸送もかなりあったようです。それと和歌浦、紀三井寺へ向けて観光客輸送も特徴と言えます。とくに和歌浦は、万葉集にも歌われた古来からの名所でした。
老人が写された昭和30年代の半ばは、輸送の最盛期で、系統の重なる公園口~車庫前は本数が多く、ラッシュ時などは数珠繋ぎになって走っていたと言います。実は私は、この軌道線は見たことも乗ったこともありません。廃止が昭和46年ですので、行こうと思えば行けた年代でしたが、路面電車の撮影優先度は低かったのです。廃止の10年以上前の軌道線がいちばん充実していた時代に、2回に渡って貴重な記録を残された当時の老人の進取性には改めて敬服します。

△ 30形と60形が交換する。出自はどちらも創業時の1形だが、改造時期が違い、面相も異なる。撮影地は「車庫前」と判明。

△ 戦災焼失の206号の台車・機器を流用して車体新造した一形式一両の311形、前中扉、前照灯二灯の和歌山スタイルとなった。

昭和30年代の和歌山軌道線の隆盛に目をつけたのが、南海電鉄だった。南海は、難波から白浜へ直通列車を走らせるなど、南紀地方への勢力拡大に躍起だった。昭和36年、南海電鉄が吸収合併し、和歌山電気軌道の軌道線は和歌山軌道線に、鉄道線は貴志川線となった。ところが、合併された頃から始まったモータリゼーション化は和歌山でも例外ではなく、とくに市街地での併用区間での渋滞が槍玉に上げられ、凋落の道を進んだ。昭和46年秋には和歌山国体が控えているため、不要論が促進され、昭和46年1月に和歌浦口~海南駅前が廃止、同年4月に残り区間が廃止となった。なお、和歌山軌道線と言えば、秋田市電の251形、三重交通神都線の700形と、廃止された路面電車を譲り受けたことでも知られているが、訪問時は、まだ両者とも盛業中で、和歌山への導入はもっと先となる。(右図/停留場一覧 JTBパブ「日本の路面電車Ⅲ」より転載)。

△ 500形(502~506) 戦前から戦後に掛けて、南海軌道線の電2形の車体と、同鉄道線の台車・機器を組み合わせて出来た。車高が他車より高く、唯一のトンネルが通過できず、海南方面には顔を見せなかった。

△1000形(1000~1006) 300形以来、20年ぶりに昭和27年に登場の新車、2回に分けて製造されたため、前期型と後期型でスタイルが異なり、後期の1004~1006は張上げ屋根。△ 搬入されたばかりの連接車2000形(2001-2002、2003-2004)が車庫内に居た。当時の最新の車両で、前面は311形と同じ。ラッシュ時のみに活躍した。老人の2回目の訪問が昭和35年と訂正されたため、2000形の新造年と合致した。

 

 ◆ た~ちゃんの電車めぐり ②和歌山電気軌道” への6件のコメント

  1. 早速訂正箇所が出てきた。30型、60型の交差位置は車庫前。右先方の隣の商店は、今も名高い和歌山ラーメン発祥地だと思う。「旨かった!」。新造連瀬車は昭和35年に導入された。内緒ながら一部の走行装置を除き、うちが「東洋工機から下請けで造った}とのナニワ後期の内幕を聞かされた。どうもすみません!

    • 乙訓の老人さま
      撮影年月の訂正や、撮影地の訂正、承知しました。いずれも文字訂正しておきましたので、ご確認ください。車庫前では名物の和歌山ラーメンを食されたとのこと、私も4年ほど前、和歌山へ行った際に別の和歌山ラーメンの名店へ行ったのですが、意外とあっさりとした味で、こってり好きの私には、少し物足りない気分でした。

  2. 乙訓老人からは今朝、電話があり、和歌山2回目の訪問は、昭和35年3月7日から11日の間と連絡がありました。車庫内の2000形や321形は、この時に撮られたものです。ただ、7日から11日までの、いつの一日だったかは思い出せないそうです。60年以上の前のことを、昨日のことのように思い出すことができるのが、老人の得意技でしたが、さすがに記憶力が衰えてきたと述懐されていました。代理投稿は、このように意思疎通が疎らになり、誤記が生じますが、今後とも連絡を密にして正確な表記に務めます。

  3. 乙訓の老人様

    長年の『我が謎』がやっと解けました。

    和歌山電気軌道は小生にも思い出があって、1961(昭和36)年の3月に和歌山に居た友人を訪ねた時に撮影をしました。
    その時、車体側面にわざわざ大きめの扇形の窪みを作って、社章?を書き込んであったのが珍しく、結構な衝撃を受けたものです。

    それから〇〇年経った2、3年前の或る日、突然『確か・・・』とそれを思い出し、確認しようとして古~い写真を引張り出したのですが、どういう訳か窪みが写ったショットが見当たらず、それ以来ず~っと気になってしょうが有りませんでした。
    小生も後期高齢者講習を受けたドライバー故、ひょっとして『思い違い?』とボケ老人を意識したり・・・(笑)

    それがです。 和歌山電気軌道①の最後の一枚に窪みを発見! やっぱり未だボケてへんかった
    んや!とホット安堵した次第。

    続いて②では出るわ出るわ『窪み』ショットが。・・・と、つまらない個人的な話でスミマセン。
    でも、この『窪み』付きの標記は稀少性を感じますし、和歌山電気軌道の凝り様に、その裏話を研究してみたくなりました。

  4. 河さま
    さすがの鋭いご指摘です。私も写真を見ながら、“窪み”が気になっていました。古い車両には、同じ位置に社紋と英文表記があり、その立派な表記は、他社では見られないものでした。新車の“窪み”もたぶん社紋スペースと思うのですが、眼を凝らしても判明しませんでした。本稿の撮影時期から考えますと、南海に合併の1年前で、ひょっとしたら和歌山電軌の社紋を外して、南海の社紋を入れようとしていたのかと邪推していました。河さんが行かれたのは、昭和36年と言うことで、ちょうど合併の年ですから、その後の変化があったのでしょうか。

  5. 和歌山の新しい車両、側面のへこみが話題となっておるようですが、老人は戦後の新造車だけが新標識を付けるのだと思っていましたので、河さんから指摘されるまで意識したことあったかなと、ルーペを取り出し見ましたが分りません。おうせのように珍しい表示ですね。老人の巡った地方電鉄ではこれは和歌山だけのように思いますが、そこで藤本くーん、博学の貴兄の頭に他社での事例はなかったかぁーい!。

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