駅名喫茶店(第179回:臨時駅の駅名)

Google AIで「駅名喫茶店とは何ですか。」と尋ねると以下のような回答がありました。

「駅名喫茶店」とは、同志社大学鉄道同好会OB会(DRFCクローバー会)のウェブサイト「デジタル青信号」で連載されている、駅名をテーマにしたコラム企画です。 
実在する店舗の名称ではなく、鉄道ファンである執筆者が、特定の切り口で日本全国の駅名を分類・紹介する読み物シリーズを指します。 
主な特徴と内容
  • 多様なテーマ: 「『寺』を含む駅名」、「読み方は同じだが表記が異なる駅名」、「鉄道むすめの名前の由来となった駅名」 など、独自の視点で駅名を紹介しています。
  • 長期連載: 2026年1月現在、連載は170回を超える長寿シリーズとなっています。
  • 駅名の研究: 単なるリストアップにとどまらず、開業年や改称の歴史、珍しい読み方など、専門的な知見に基づいた解説が行われています。 
なお、一般用語として「駅の中や周辺にある喫茶店」を指すこともありますが、特定の固有名詞的な文脈ではこのコラムを指すことが一般的です。

ようやくAIに認知された駅名喫茶店も今回が第179回です。それではどうぞ。 続きを読む

日本縦断の旅 番外編 再訪!枕崎駅

博多駅にて、ONE PIECE新幹線のルフィ号に遭遇。

2025年8月30日(土)

博多 8:30 ― <みずほ>601号 鹿児島中央行き → 鹿児島中央 9:46

鹿児島中央 10:02 ― 1333D 枕崎行き → 枕崎 12:56

枕崎 13:27 ― 5326D 指宿行き → 指宿 14:52

指宿 15:07 ― 特急<指宿のたまて箱>6号 → 鹿児島中央 16:00

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私の撮った国鉄ラストナンバー蒸機

昨年12月にフェースブックなるものに私が撮った蒸機のファーストナンバーを投稿したがこのジャンルは趣味の世界の先輩で当時愛知県立高校の先生であられた方がラストナンバーについても「SL末っ子物語」と題して鉄道ピクトリアルに報告されている。先生はわざわざ目的のナンバーを求めて撮影され報告されているので私の様に旅先で偶然出会った該当機の撮影とは真剣さが違うが私も二番煎じになるがラストナンバーをデジ青に投稿する。ファーストナンバーと比べラストナンバーはその時はわからず自宅で改めてその記録に気づくこともある。ご笑覧下され。

私の蒸機の撮影対象が1750ミリの動輪を持つ大型旅客機であったこともありラストナンバーも大型機が多い。まずC62は49号機がラストナンバーであるが1949(昭和24)年4月汽車会社大阪で製造番号2575ボイラーD52104で製造(改造)された。東海道・山陽型に対して東北・常磐型は後の北海道型とともに軸重軽減がなされている。その生涯は平機関区を中心とした常磐線であった。C6249は引退直前に装飾されて記念運行されたようであるが保存には至らなかった。廃車は1968(昭和43)年である。写真は1966(昭和41)年3月20日特急「ゆうづる」の約2時間後に同じく青森からやってくる食堂車付きの急行「第4十和田」で牽引機はC6249[平]であった。7時40分過ぎの通過で「ゆうづる」の時よりも陽も上って条件がよかったがうまくとらえられなかった。▼

もう一つのハドソン機のラストはC6133[鹿児島]で1949(昭和24)年3月日本車輛名古屋で製造番号1511ボイラーD511148で製造(改造)された。写真は1967(昭和42)年9月8日鹿児島本線水俣駅の八代発123ㇾ鹿児島行き牽引のC6133[鹿児島]である。九州に配属されたC61は12、13、14、31、32、33の6両でそのメンバーは最後まで変わることがなかった。主に鹿児島区にあって特急「はやぶさ」牽引は印象的であった。▼

C60はC59の従台車を2軸従台車に替えて軸重軽減化した機関車で戦前型のラストナンバー改造機はC6039[青森](奥羽本線で撮影済み)であるが戦後型改造機C60108[仙台]をトータルのラストナンバー機とみた。C60108は1946(昭和21)年10月製造番号2008のC59173を1961(昭和36)年3月に浜松工場で改造してできた。写真は1965(昭和40)年9月3日一ノ関で530ㇾ盛岡発郡山行き牽引のC60108[仙台]が14時14分に到着するところ。ホームは下校の学生で賑わっていた。▼

C59は最もスタイルのいい機関車と思っているが特に戦後製の大型船底テンダーを付けたスレンダーなスタイルが好きである。呉線に最後まで残った3両のC59が有名であったがその少し前山陽本線電化で下関区のC59やC62の一部が糸崎に転出しそのうち一両がC59のラストナンバーC59196であった。写真は1965(昭和40)年4月3日広島機関区で次の仕業を待つC59196[糸崎]である。同機は1947(昭和22)年製造番号2021で日立製作所で製造された。▼

C57のうち戦後製の4次型(190~201)はC59に雰囲気が似ていてファンも多かったが九州、北海道にそのほとんどが配置されていた。ラストナンバーC57201は小樽築港区にあって同区の他のC57と同様に根室本線釧路迄のロングランが有名であった。写真はそのラストナンバー201号で1966(昭和41)年9月7日の444ㇾ釧路発函館行きで日本三大車窓を堂々と通過して行くシーンである。感激で後補機新得区のD51の番号を控え忘れた。▼

もう一つ1969(昭和44)年3月17日石狩川峡谷の景勝の地神居古潭の322ㇾ稚内発小樽行きのC57201[旭川]で交換するのは下り貨物D5138[滝川]である。▼

C57201はその後この景勝地に9600、D51と共に保存されており2013(平成25)年7月2日に現地で撮影したがこの当時はデジ青で「保存蒸機とその現役時代」と称して各地の保存機を撮っておりその一環である。順番が後になってしまったがC57201は1947(昭和22)年9月三菱重工業三原で製造番号530で誕生し晩年の旭川を除き生涯殆んどを小樽築港区で過ごした。1968(昭和43)年9月に廃車、翌1969(昭和44)年11月に保存された。▼

C56のラストナンバー機C56160は1939(昭和14)年4月川崎車輛兵庫で製造番号2099で製造され戦前は津山、戦後は鹿児島、横浜、上諏訪、小海、飯山、七尾等を転々とし1972(昭和47)年梅小路にやってきた。その後は各地でイベント列車などでお呼びがあったようであり北びわこ号などでも活躍した。京都鉄道博物館でもスチーム号の代行運用に就くことが多かった。写真は2022(令和4)年11月13日のスチーム号のC56160[梅]であるが現役時代の写真はない。▼C55のラストは62号機で1937(昭和12)年10月汽車会社大阪で製造番号1462で誕生した。大鉄(大阪鉄道管理局)梅小路機関区で使用開始したが、その生涯も関西地区の福知山区に長い間在籍した。後に播但線に使用のため同じ福知山管内の豊岡機関区和田山支区に移り1966(昭和41)年2月同支区で廃車となった。写真は1962(昭和37)年12月16日豊岡駅に進入する城崎発播但線経由日曜運転の大阪行き3606ㇾ準急「ゆあみ」牽引のC5562[豐岡]である。▼

 

C型から貨物機D型に移る。

D52のラストナンバーは468号機で1946(昭和21)年2月に三菱重工三原で製造番号502で製造された。名古屋、沼津、吹田等電化前の東海道本線で活躍したが姫路1区で活躍していた1960(昭和35)年遠く北海道の五稜郭区に転属し以降1969年に廃車された。函館本線、室蘭本線で活躍したがなかなかこの機関車に出会うことがなく1969(昭和44)年9月19日迄待たねばならなかった。大沼で撮影した下り貨物の同機を横からの撮影である。ブローニー版のためかろうじて番号が読める。▼

D62はD52の軸重軽減機でわずか20両が改造された。D6220は1951年3月に三菱重工三原製のD52462をバークシャー(車輪配置1D2)化し稲沢区で東海道、山陽筋で活躍していたが1959(昭和34)年9月に郡山工場で正式に軸重軽減化して東北本線用として一ノ関に配置され1966(昭和44)年10月に廃車された。写真は1965(昭和40)年9月3日一ノ関の庫の前で整備されるD6220[一ノ関]である。▼

D60はキューロク使用の丙線あたりの活躍を期待して1951(昭和26)年から1956(昭和31)年にかけてD50から78両改造されたが皮肉にもキューロクの方が長生きをした。D6078は1956(昭和31)年3月浜松工場でD5067より改造された。写真は1966(昭和41】年3月21日郡山機関区でのラスト機パイプ煙突のD6078[郡山]で磐越東・西線で使用されていた。蒸気機関車がまだまだ使われていた時代の機関区の給炭・給水中の姿で広い郡山機関区も特に許可なしで入ることができた。▼

D61はニシン漁で有名だった留萌の機関区に6両のみいた国鉄最後の蒸機の新形式である。北海道の鉄道巡りでは1回は行っておかねばならないある意味では聖地であり私も1969(昭和44)年3月17日に列車乗り継ぎの合間に訪問した。D61は1959(昭和34)年から1961(昭和36)年にかけて国鉄浜松、郡山工場でD51を改造して丙線用機関車としてつくられた。留萌訪問時には生憎トップナンバーは出払っており、ラストナンバーもご覧の通りの位置で成果はなかった。総数6両では6分の1の当選確率であまり嬉しくもなかったが空振りではなかったのでラストナンバーの最後を締めくくりとした。▼

B20、C10、C11やC12等のタンク機関車、ハチロクやキューロクのラストナンバーは気にしていなかったし今でも何番がラストなのか頭にない。C51はファースト、ラストどころか機関車そのものをほとんど撮っていない。

残念なのは九州志布志にいた戦後製のC58427と最大両数を誇ったD51の最終ナンバーを撮っていないことである。

お付き合い有難うございました。

 

 

 

 

駅名喫茶店(第178回:錦川鉄道の駅名 ~岩日線に思いを馳せる~ どこでもドア発見)

山陽新幹線の新岩国で乗り換えが可能のためアクセスはよいのですが、なかなか乗る機会に恵まれないのが錦川清流線ではないかと思います。由利高原鉄道あたりも乗車難易度が高いですね。

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 京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [3]

廃止直前の加悦鉄道(3) 国鉄時代のキハ08 3 

末期の加悦鉄道で使われていた車両は、国鉄オハ62客車を気動車化改造したキハ08 3でした。前述のように昭和49年に加悦へ導入されました。もう1両、昭和54年に入線したキハ10 18もありましたが、末期、日常的に使われていたのは、キハ08 3でした。そのキハ08 3の国鉄時代の姿も撮っていたこと、今回の投稿で初めて分かりました。加悦に到着したキハ08 3、車体長は標準的な国鉄DCとほぼ同じだが、車体高は屋根が深いため4085mmもあり、もう1両のキハ10 18の3710mmより、375mmも高く、切妻もあって、デッカイ印象だった。機関は急行型DCにも使われているDMH17H、動力台車はDT22Aに換装されていた(昭和60年1月)。国鉄時代の客車改造のキハ08・09は各所で撮っていたが、今までナンバーも確認していなかった。改めて調べると、釧路に配置されていたキハ08 3を何回か撮っていたことが分かった。写真は、厚岸にて、根室発釧路行き236D、キハ08 3+キハ21 18 ただし、加悦は1位側、厚岸は3位側から撮っているので、逆の角度となる(昭和44年9月)。

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夏休み日本縦断の旅 最終日 人に翼の汽車の恩

このシリーズの最終回です。奇しくも113系の日の投稿となりました。

市電に乗って朝の鹿児島中央駅へ。

9月6日(金)

鹿児島中央 9:41 ― <さくら>550号 新大阪行き → 新神戸 13:45

新神戸 13:52 ― <のぞみ>26号 東京行き → 京都 14:19

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駅名喫茶店(第177回:地方交通線を駅名で巡る④(岩徳線、山口線、小野田線))

新年初めての投稿です、2026年もよろしくお願いいたします。今年の目標は第200回を達成することです。月2回のペースを維持できれば達成可能であります。

JR西日本の典型的な駅名標のため、地元感がありますね。唯一、「周防」が山口県にやってきたことを実感させてくれます。

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 京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [2]

廃止直前の加悦鉄道(2) 戻りは全区間歩いて 

一日4往復に減ってしまった、廃止前の加悦鉄道、昭和60年1月4日、午前2番の列車に乗って、9:53に終点の加悦に到着しました。まずは構内に置かれた蒸機、客車など車両や駅周辺を見学。これを終えると、午後一番の列車までは相当な時間があります。代行バスで戻る手もありましたが、途中の各駅も記録しておきたく、丹後山田までの5.7km、歩いて戻ることにしました。

行きのキハ083車内から見た加悦鉄道、途中ゆるやかなカーブがあるが、ほぼ一直線で加悦へ向かっていた。

9:53 加悦に到着した2番列車のキハ08 3、加悦の古ツワモノが構内に並んでいた。

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 京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [1]

廃止直前の加悦鉄道 カラー版  昭和60(1985)年1月4日

京都府の北部に、昭和の時代、ちょっと浮世離れした二つのローカル私鉄が走っていました。北丹鉄道と加悦鉄道であることは、高齢世代なら先刻知っているでしょぅが、廃止・休止されたのは昭和46年と昭和60年とあっては、若い世代には理解できないかもしれません。両鉄道とも、DRFC現役時代、貸切列車を走らせたり、合宿で行くなど、ずいぶんお世話になりましたが、地元のため、いつでも発表できる思いがあったのか今まで満足な発表もできていませんでした。ちょうど、加悦鉄道の廃止を控えて、最後の訪問をしたのが、40年前の正月明けの今頃の季節、積雪があって、空は日本海側独特の鉛色に覆われていました。国鉄宮津線の丹後山田駅(現・京都丹後鉄道野田川)のホームで発車を待つ、加悦行きのキハ08 3、昭和60年3月を目途に鉄道廃止の方針が発表されていた。従来、13往復の列車が運転されていたが、ほとんどがバス代行になっていて、列車は午前3往復、午後1往復しかなかった。

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夏休み日本縦断の旅 10日目③ 煙はうすし桜島山

年が明けて、早7日が経ちました。今年もよろしくお願いいたします。引き続き、旅の続きをお楽しみください。

JR鹿児島駅のコンコースから眺める桜島。

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越南(ベトナム)統一鉄道の旅Ⅱ Part 15 帰国

第10日目 12月13日(土)後編

② ハノイ空港 01:40(VJ938)⇒7:50 関西空港

11:30 「HanoiTrain」の乗車は終わりました。この列車は午後13:00発の便もありますのでもし乗車してみたいと思われる方がおいででしたらこちらも選択できます。ツアー料金はNT$912(約4,559円)、ツアー会社はKlookです。他代理店でも予約は可能。
▲ 12:01 一旦ホテルに戻ってTrainStreetでハノイ発の列車を待ちます。
🕓Weekday 8:50 / 9:20 / 11:45 / 15:20 / 21:20 /22:00 🕓Weekend 8:50 / 9:20 / 11:45 / 15:20 / 17:30 / 18:20 / 21:20 / 22:00 運行ハ休日が2本多いです。
通過する列車時億は2025年末現在で上記のようですが当然当日に遅延や運休・臨時もありますので現地の店で確認する必要があります。

雨は小雨になってきましたので旧市街を散策です。 続きを読む

越南(ベトナム)統一鉄道の旅Ⅱ Part 14 イベント列車「Hanoi Train」に乗る

第10日目 12月13日(土)前編

今日はベトナムに来て滞在最終日です。一般にはあまり告知されていないハノイと中央駅から郊外駅へと走るイベント列車「ハノイ5クアオ ヘリテージ2階建て列車「Hanoi Train」132に乗車します。
▲ 最高速度80km/hにしか達しないメーターゲージとは思えない立派な客車です。見るまで本当なのかとワクワク楽しみでした。 続きを読む

越南(ベトナム)統一鉄道の旅Ⅱ Part 13 ニンベンへの日帰りツアー

第9日目 12月12日(金)

今日はハロン湾よりも評判の高いと言われる世界遺産のニンベンツアーを申し込みました。宿泊しているホテルでピックアップしてくれますが、このツアーは往復バスではなく列車利用もありました。申し込みをしたのですがニンベン到着後のツアーバスの予約が取れません。仕方なくホテル発着にしました。

7:50 部屋で待っていましたらホテルの従業員からバスが来たよとお呼びが来ました。
バスの写真はいつもナンバーが分かるように撮っておきます。ツアーバスは観光地に行った時にどれか分からなくなるので必需です。 続きを読む

 〝午年〟にちなんで 山陰線の蒸機を偲ぶ

新年も穏やかに明けました。本年も〝デジ青〟、よろしくお願いいたします。当特派員も、懲りずに古典ネタを載せていきます。今年の干支は「午」、動物を表す漢字として「馬」があります。奈良の駅名研究家さんが、駅名喫茶店「干支の動物を含む駅名」のなかで、「午」「馬」のつく駅名を挙げています。駅名喫茶店(第10回:干支の動物(の漢字)を含む駅名) | DRFC-OB デジタル青信号

「午」の駅名は存在しないものの、「馬」の駅名は56もあることが分かります。調べると、駅名に使われている動物名の漢字としては最多で、人の暮らしのなかに馬が身近だったのかも理解できます。ただ56のなかで、「うま」と読ませるのは、わずか3駅しかないのです。

小湊鉄道 馬立(うまたて)

山陰本線 馬堀(うまほり)

三岐鉄道北勢線 馬道(うまみち)

JR線のなかでは、「うま」の駅名は、「馬堀」だけだったことを初めて知りました。また山陰線が未電化で旧線時代の「馬堀」の駅名標、典型的な鳥居型、国鉄書体の駅名標だった。

馬堀、なんとも懐かしく思い出深い駅名です。蒸機が走っていた時代、何度、馬堀へ通ったことか。駅名を紹介するだけでは、もったいない。せっかくなので、馬堀を通り過ぎた蒸機列車、掲載済みもありますが、載せてみました(特記以外、昭和44~46年撮影)。

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越南(ベトナム)統一鉄道の旅Ⅱ Part 12 ラオカイからハノイへ戻る

第8日目 12月11日(木) 
今日は予定が変わってしまったのでラオカイからハノイへの移動日になりました。今夜の夜行列車で行けば効率的ですが車窓を見える昼間に移動したいと思いました。

▲ 駅待合室にはかつてのラオカイ站の様子が写真展示されていました。この機関車が中国昆明迄走っていたのでしょうか。
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 「信号場」を巡る  ⑮ (最終回)

〝三重連〟のメッカ 布原(ぬのはら)信号場

「布原の三重連」と言えば、蒸機時代を経験したことがない平成・令和世代にも、カーブした鉄橋をD51三重連が渡って行く、あのシーンかと頭に浮かぶことと思います。これほど左様に、布原信号場は、SLブームを象徴する撮影地として認知され、その狂騒状態は、SLブームの恰好のマスコミ素材ともなりました。いつも横目で見ていた私でしたが、話のネタにと、山陰旅行の行き帰りに三重連を見に行くことにしました(昭和46年9月)。

布原信号場は、伯備線新見~備中神代に昭和11年に開設された。備中神代から分岐する芸備線の列車も通るから、列車本数が多く、信号場の開設となったようだ。この時代、まだ客車列車があり、石灰岩輸送で貨物も多かったので、午前の時間帯では、一時間に3、4本の蒸機列車が見られた。布原付近には、両側から25‰勾配があり、とくに重量のある石灰岩輸送は、多くがD51の重連で、朝の1本がD51三重連となった。

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夏休み日本縦断の旅 10日目② 最南端の駅を訪ねて

このシリーズ、年内に終わるかと思っていましたが、もう少しだけ続きそうです。さて、ゴールまであと37.8kmのところで無念のダウンとなってしまいましたが、果たしてその後どうなったのでしょうか。続きをどうぞ。

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越南(ベトナム)統一鉄道の旅Ⅱ Part 11 ラオカイの中越国境 

第7日目 12月10日(水)

① サパ 8:30(路線バス)⇒9:45 ラオカイ駅

昨日サパ市内を十分に散策しましたので今日は朝からラオカイに戻って中越国境を越えてかつての河口駅を見に行くことにしました。

▲ 7:30 1階ロビーへ降りましたが朝食バイキングの用意はありません。昨夜宿泊したのは私だけだったのでフロントのお姉さんはフォを作って出しますと言われました。
▲ 選択肢はこれしかないようですし、美味しいので好きです。いただきました。
一応果物の付け合わせもでました。
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越南(ベトナム)統一鉄道の旅Ⅱ Part 10 サパの登山電車、ロープウエイ、ケーブルカー共、点検で運休! 大ショック!

第6日目 12月9日(火)

① ハノイ22:40(SP7)⇒6:25 ラオカイ

6:25 寝台列車に爆睡で定刻にラオカイに到着です。ホームには白バスの運転手が客引きを熱心にやっておられます。いくらが相場なのかが分からずで、100,000vnd(約600円)の提示に仕方なく支払ってしまいました。バスは小型のミニバスで乗客は欧州人夫婦との3名だけでした。ローカルバスならもっと安いのでしょうが失敗しましたね。
今日は「インドシナの屋根」と呼ばれるベトナム最高峰であるファンシーパン山(3147.3m)へ登山鉄道とロープウエイ、ケーブルカーに乗って参ります。今回の旅のメインハイライトなのです。
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駅名喫茶店(第176回:広島電鉄の駅名 ~駅前大橋ルート開業を記念して~) 

年内最後のメニューです。広電の駅前大橋ルート開業は2025年鉄道ニュースの上位にランクイン間違いなしの大きな出来事であったと思っています。秋旅行には参加できませんでしたが、先日乗車が叶いました。

今年は計55個のメニューを提供できました。来年もぼちぼち頑張ってまいります。

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