北のC62 全記録 〈12〉

C62ゴールデンコンビの牽く「ニセコ1号」に乗る 昭和44年9月10日

いえいえ、私は店仕舞いしませんよ。まだ続けます。
上目名151km地点で撮ったあとは、北海道各地を転戦し、“現地闘争”と称した撮影会を抜海、常紋で行いました。当時のメモ帳を見ると、12人のDRFCメンバーが記されていました。均一周遊券を握りしめて、夜行列車を何日間も乗り継いで、やって来たのです。こんな時代に、12人もの仲間が集まったこと、当時の連帯感を感じました。
私は、ほかの撮影地にも寄って、10日ぶりに札幌に戻って来ました。後半は、C62重連に集中することにしました。まず撮影地の下見も兼ねて、札幌から長万部まで「ニセコ1号」に乗車することにします。窓を開けての撮影に適した座席を確保するために、早めに並びますが、難なく、右手進行方向の席をゲット。札幌からのヤマ線経由の乗車客は少ないことを改めて知りました。
札幌10時05分発、つぎは小樽に停車で、電機はここまで、C62に交代する。いそいそと先頭へ行き、近づいて来た牽引機を確認すると、「2」と「3」のプレートが。


単純に計算すると、12分の一の確率でしか見られない、前補機2号、本務3号のゴールデンコンビに狂喜した。

札幌発車時の編成は
ED76513+オユ102508+マニ602538+スロ62502+スハ4548+スハ4534+スハフ4423+スハ4550+スハフ4424
食堂車が消えたのは残念なものの、当時でも貴重な昼行の客車急行の編成だった。10時45分、小樽を発車、さっそく20‰勾配に掛かり、長万部までの約2時間、羊腸の道を挑み続ける。

右側の座座席を選んだのは交換列車も撮る目的だったが、光線的には左側の座席のほうが順光になる。そこで、進行方向左の洗面所の窓を開けて、左からのアングルも確保、列車がカーブするたびに、座席と洗面所を往復した。
銀山にて41レと交換する。牽引は珍しいナメクジの64号、ちょうど駅長がタブレットを装着している。
倶知安には12:01到着、4分の停車時間にC62は整備に余念がない。線路端に飛び出して、「ニセコ1号」の全編成を写しまくる。
やや霞んでいるものの、巨体の向こう側には羊蹄山の稜線が見える。

つばめマークもじっくり観察。マークだけはいつも磨き込まれている。
ニセコでは列車交換のため運転停車、ホーム端から後部をとらえる。
目名を通過して、撮影で何度も訪れた151km付近のカーブを通過する。
蕨岱でも、急行「宗谷」の通過待ちで数分の運転停車、向かいのホームへ渡って、編成全体をとらえる。駅長が時計を見て確認するなか、機関士は、線路端に腰を下ろして休憩タイム。

13時50分、長万部に到着。前年にKさんと一緒に乗った時には、口を開けて寝ていたKさんの舌が真っ黒になっているのを見て驚いたことがあるが、今回は、それほどのシンダを浴びなかったものの、真っ先に駅の洗面所で顔を洗い、やっと生き返った。
長万部で前補機のC622は切り離されて、すぐ区の転車台に乗り、方向を変えて、戻りの運用に備える。しばし休憩のC622の向こうにD51、さらにその向こうをD52貨物が発車する。前部か陰ったが、形式写真も撮影。C622は特別な蒸機ではなく、ごく当たり前の風景のなかに溶け込んでいた。戻りの「ニセコ3号」の時刻が近づいて来た。下り「ニセコ3号」は、二股~蕨岱にある鉄橋で撮る。河原に下りて、真横から列車をとらえる。長笛二声、ギラリとつばめマークを輝かせて、倶知安、小樽を目指す「ニセコ3号」。

 北のC62 全記録 〈12〉」への1件のフィードバック

  1. 「コメントなし」を一掃するため、一人コメントします。
    この当時のC622は、北海道のカマのone of themでしたから、煤だらけの汚れ放題でしたが、ツバメマークだけは燦然と輝き、その周りのデフだけが、きれいに拭かれた状態でした。やはり整備、運転に携わる人たちにも、名門機関車の誇りがあったと思います。

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