2019年桜前線追っかけ旅 長崎からのさくら紀行 Part3 松浦鉄道に乗る、撮る① 佐世保⇒吉井

第3日目 3月31日 その1

今日からは千住のヤスベーに同行して九州北西部を走る松浦鉄道から桜前線を追いかけます。ただ長崎ではまだサクラ満開とは行きませんでしたのでどこまで咲いてくれるかこれが問題です。足はありませんので乗り鉄しながら撮影地を探すしかなく運を自然に任せての旅になりました。

▲ 松浦鉄道の路線図です。(※ 公式HPからの転載)

【 松浦鉄道
1898年(明治31年)1月20日、九州鉄道が早岐~佐世保に開業して博多方面より佐世保まで全通なった翌年の1890年(大正32年)の伊万里鉄道(有田~伊万里)が開業しました。1920年(大正 9年) 3月27日には北松炭田で採掘された石炭を北松浦半島沿岸の港まで運び出すために佐世保軽便鉄道(相浦~大野(現;左右)~柚木(現;廃駅))が762㎜ゲージで開通、1921年(大正10年)10月7日 には大野より分岐して上佐世保(現;北佐世保の西方)まで延伸されています。その後九州鉄道に買収、戦争が拡大してきた1936年(昭和11年)には運炭重要路線として改軌、国有化されて伊万里から南下建設されてきた伊万里線とも1945年(昭和20年)3月1日につながり松浦線となりました。

戦後、沿線の内、伊万里地区、北松浦郡、佐世保地区は九州でも有数の石炭産出地域で、多くの炭鉱があり、沿線人口は 60 万を越えていました。昭和 30 年代がこれらの炭鉱の最盛期で、ピーク時には年間輸送人員が 735 万人に及んだそうです。しかし産業構造の変化により沿線の炭鉱は次々に閉鎖され、人口は激減し、沿線一帯は過疎地帯に変わっていきます。また、モータリゼーションの進展により、松浦線の乗客は減少の一途を辿り国鉄末期にはピーク時の4割、290万人、営業係数も901に落ち込んでいきます。
1984(昭和 59)年、他の地方路線とともに特定地方交通線の第二次線の指定を受け、鉄道存続かバス転換か協議が重ねられた結果、第三セクターに転換の道が選ばれ、1988年(昭和63年)4月1日 に全長93.8㌔の松浦鉄道株式会社が誕生しました。

▲ 8:14 昨夜泊った九十九湾のリゾートホテル前のバス停から佐世保駅へと向かいます。

▲ 8:35 佐世保駅に到着、駅前には干物や野菜販売の朝市が開催されていました。

▲ 8:49 ホームに上がるとMR600形607号が発車待ちです。

◀ 掲示されていた時刻表です。
単線のローカル鉄道ですが佐々までの区間は利用客が多いようで、朝夕にはほぼ20分間隔で運行されています。
馬蹄形に松浦半島を回ってJRと接続する伊万里までの80.8㌔は1時間に1本程度の運行で最終は19:23と早めです。佐世保~伊万里の所要時間は2時間半程度かかります。

▲ 切符売り場はホームの端にありましたがまだ開いていません。ドアを叩くと駅員のお姉さんが出てこられましたので1日乗車券(2,000円)を注文しました。

① 佐世保 8:53(快速)⇒9:11 本山

▲ 8:53、佐世保発車した佐々行きの快速の車内です。発車してからはトンネルも多い山腹を走ります。沿線の桜は8分咲きで今日晴天で暖かくなれば満開になるだろうとの期待が持てました。
快速は朝のラッシュ時のみ上り佐々行きが3本、下りの佐世保行きが4本運行されています。競合する国道を並走するバスとの所要時間競争のために設定されています。

▲ 9:06 広い構内の左石に到着、佐々始発佐世保行きの普通列車MR-613号と交換です。
かつては沿線の炭鉱から採炭された石炭を運ぶために佐世保軽便鉄道が建設した柚木線(3.9㌔)が分岐していましたが、1967年(昭和42年)7月の水害で不通となってからは運炭輸送はトラックに切り替えられて復旧されることなく廃止されました。

▲ 9:17 中里本山 途中桜か菜の花が咲いていれば降りて撮ろうと千住のヤスベーさんと相談して下車したのは本山です。ちょっと咲いている程度でしたが松浦鉄道最初の撮影です。

▲ 9:32 中里本山  佐々へ向かう普通126D、MR-609がやって来ました。

▲ 本山駅の後方にそびえるのは標高259mの愛宕山(相浦富士)、山頂には京都愛宕神社から勧請された地蔵菩薩が祀られ、山腹には戦国時代に築かれた城跡もあるそうです。

▲ 9:45 中里駅に向かい伊万里行きのMR-614、328Dへ乗車です。

② 中里 9:49⇒10:07 佐々

 

▲ 9:51 交換する平戸口始発佐世保行きの227Dが遅れてきました。これを待っての発車でした。MR-603号の運用です。

▲ 9:58 大学~相浦 撮影地でも有名な相浦川橋梁を渡っていきます。

 

▲ 10:04 真申伊万里佐世保行きの129Dと交換です。MR-601の運用です。

▲ 10:10 終着佐々に入線していきます。右側に広がる機関区ヤードにはMR-600形が多数留置されていますがかつてはC11形蒸気機関車を主力に18両ものの蒸気機関車が配属されて6両の車両を格納できる扇形車庫と転車台も設置された佐々機関区がありました。また今は廃線となった世知原線・臼の浦線・柚木線の客運用としてキハ04キハ02形気動車もいました。

▲ 10:11 佐々駅で運転手の交代です。

一旦下車して千住のヤスベーが以前に撮影されたという小浦~佐々の道路橋へ行く事にしました。
▲ 佐々駅は単式2面2線が設置されています。ここから発車を撮った方が良かったですね。

▲ 10:30 佐々川の土手に桜並木がありますので来てみましたがソメイヨシノと河津桜が交互に植えられていますが河津桜は既に開花が終わり散っていました。7分咲のソメイヨシノを入れてのアングルを捜しますが中々見つけられません。そうしているうちに列車がやって来ました。

▲ 10:38 小浦~佐々の道路橋へ上がって小浦から来た佐世保始発佐々行きの130D、MR-401を撮影です。MR-401は1998年(平成10年)に新潟鐵工所で1両だけ製造された松浦鉄道では初めての18m車(330PS )ですが旧車両の置き換えには強力型(355PS)のMR-600形になりました。

▲ 佐々駅に入線していく130Dの後追い撮影です。左側の佐々川川堤はご覧の通り桜並木ですがまだ満開には至ってはいなく全体的には5分咲き程度です。次を撮る気力はなくなり佐々駅に戻ることにしました。

▲ 佐々駅舎は木造ログハウス風の2階建て、国鉄時代は線路の反対側にありましたが1991年(平成3年)に町中心部方向側に新しく駅舎を建築されました。

◀ 窓口と待合室です。

▲ 11:06 伊万里行き6332Dが入線してきました。これに乗車して先へと向かいます。

▲ 11:11 次の清峰高校前です。ここも桜は綺麗です。アングルは取れますので次回は降りて撮りたいですね。

▲ 11:17 そして次の次の駅の吉井です。ここも桜並木がありました。
Part 4へ続く

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