平成最後は115系ざんまい 〈中〉

しなの鉄道北しなの線

信越本線鯨波で列車を撮影後、直江津まで乗車し、えちごトキめき鉄道に乗り換えて、終点の妙高高原から、しなの鉄道北しなの線に乗り換えました。えちごトキめき鉄道、しなの鉄道北しなの線ともに、もとは信越本線の一部で、2015年3月北陸新幹線長野~金沢の開業時に、並行在来線として経営分離された区間で、両線とも初乗車となりました。しなの鉄道は、すべてJR東日本から譲渡された115系で占められ、軽井沢~篠ノ井のしなの鉄道線とともに、両線で使用されています。外部塗装は、しなの鉄道発足時に制定された、ガンメタリック・グレーのオリジナル塗装ですが、「懐かしの車体カラー」と称した、国鉄・JR時代の復刻塗装など、多くのカラーバリエーションがあります。

黒姫~妙高高原を行く、湘南色に復刻塗装された、しなの鉄道のS3編成。同区間は、北しなの線では唯一の複線区間となっている(2019-4-24)。

しなの鉄道北しなの線は、全線でワンマン運転で、長野~妙高高原で21往復が運転されている。長野~豊野の区間運転があるほか、豊野からは、JR飯山線が乗り入れる。長野以南では、長野~篠ノ井がJRであり、しなの鉄道が乗り入れるのとは対照的である。また、しなの鉄道線との間では、長野を通り越し、小諸~妙高高原を直通する列車も設定されているが、えちごトキめき鉄道への乗り入れは行なわれていない。

115系は、3両編成15本(S1~4、6~16編成)、2両編成7本(S21~27編成)があり、いずれも115系1000番台とその改造車、北しなの線は、3両編成が基本で、ラッシュ時には3両+2両の5両編成も見られる。

「初代長野色」の115系S7編成が、小雨で霞んだ黒姫山バックに勾配を駆け下りる。初代長野色は信州の緑をイメージして1989年に登場した。長野オリンピックの際に新塗装に改められたが、しなの鉄道で復活した(古間~黒姫)。

「長野色」の115系S15編成、長野オリンピックを前に、上記の初代長野色に代わって1992年から採用された。JR中央東線では、つい最近まで同色の115系が見られた(古間~黒姫)。

基本、比較的短い北しなの線を往復する運用だから、目的の復刻塗装車は何回か撮影チャンスがある。当初は、古間~黒姫の黒姫山バックの道路オーバーお立ち台まで歩くつもりだったが、雨と強風ですっかり意欲消沈、駅近地点で済ませた。

◎ スイッチバック駅を観察する

信越本線時代には、二本木、関山とスイッチバック駅が連続していた。えちごトキめき鉄道になってからも引き継がれたが、その現状を観察してみた。

二本木

いまもスイッチバックが現存している。これは隣接する日本曹達からの発着があったため、信越本線時代から継続されていたが、北しなの線になってからは、スイッチバックである必然は無くなり、動向が注目される。

右のカーブが本線、引上線に入ったあと、左の二本木駅へバックで入線。▲▲二本木駅は島式ホームと地下道で続く駅舎があり、信越本線時代と変わっていない。

二本木駅では対向列車と交換。

▲▲スイッチバックの終端部分。

▲▲▲駅を出ると、いきなりの25‰勾配で、引上線とは高低差が出る。引上線には木造のスノーシェッドがある。

 

 

関山

開業以来100年にわたってスイッチバックが存続したが、国鉄時代の1985年に廃止されている。勾配の途中に島式ホームを新設したが、いまも旧駅構内には線路、ホームが残っていると言う。

右が本線、左が旧駅構内、先の二本木とよく似た構造だが、旧駅構内は車内からよく見えなかった。▲▲25‰区間に造られた島式ホームの関山駅、右手は引上線の跡。

 

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