“ヤマ線”のD51 倶知安・長万部区 (2)
倶知安・長万部のD51の活躍、まだ続けます。変わり映えのしない、地味な写真ばかり続きますが、ご辛抱ください。50年前の渡道は、ほぼ完全にC62重連目的でした。その後も、これらD51などは、ほとんど顧みることもなく50年が過ぎて、今回、初めてネガスキャンをして、「こんなん撮ってたんか」と、自分でも驚いた次第です。
▲ともにD51 367〔万〕 (上)41レから比羅夫に下車したスキー客が交換列車の発車を待っているところ。こんなローカル駅に蒸機列車に乗ってスキーに来る。今では到底考えられないようなシーンだ(昭和47年3月)。 (右)前回と同じく、仁山~大沼で右側通行していく127レ。当時の時刻表を見ると、下り普通客車列車6本のうち、4本が左側の本線の仁山経由、2本が右側の藤城線経由、普通DC5本はすべて仁山経由だった(昭和43年9月)。
▲長万部のD51は、前掲のように、函館まで足を伸ばし、噴火湾沿いを行くシーンも見られた。D51 234〔万〕 石倉付近(昭和46年3月)。▲上目名~目名で C62重連を撮り終えてホッコリした時に通過する1194レ D51 237〔万〕が牽引(昭和46年3月)。▲北海道独特の跨線橋が見える塩谷で、D51 320〔万〕の牽く136レが到着、タブレットの交換を行う(昭和47年3月)。
▲上目名のひとつ手前、熱郛で交換する124レ D51 394〔万〕 この時代では、まだデフの切り詰めが施工されていなかった(昭和43年9月)。
▲ともにD51 857〔倶〕 (左)小樽にて 42レを牽く。架線が見えてくると、やっと北海道の中央へ来た思いがしたものだ(昭和47年3月) (下)倶知安~小沢でD51320と重連で列車を牽く。この時にはもうC62重連は無く、気楽な気持ちで羊蹄山の見えるところまで来たが、山頂は姿を見せなかった(昭和47年3月)。
▲夜の長万部で発車を待つ125レ 牽くはD51 593〔万〕 この列車に乗って“蘭島ターン”をした。長万部18:35→蘭島22:21 20分ほど待って422レ乗車、蘭島22:45→大沼4:15と、下りC62重連を撮って、翌朝は早くから大沼で撮影のコースに重用した(昭和46年3月)。
▲角形デフが特徴のD51 942〔万〕の牽く124レ 次位はマヤ34 2504 倶知安 右はデフ付近のアップ 突き刺さりそうな角度だ。小樽築港(昭和44年9月)。
▲比較的珍しい戦時形、D51 1085〔万〕の牽く122レが上目名151キロポスト付近を行く(昭和44年9月)。
▲ここからは室蘭本線での活躍、長万部区のD51は、室蘭本線でもD52に交じって貨物を牽いた D51 756〔万〕 背後の線路際の土砂崩れ跡(?)が不気味 静狩~小幌(信)(昭和44年9月)
D51のシリーズに入ったので、なんとしてもチャチャ入れをして足跡を残そうと苦心しましたが特派員さんと同じで『北海道まで行って、なんでD51やねん!』とばかりほとんど撮っていません。その上、少し時代がズレているのか、ほとんどが番号違いでした。
ここでやっとアタリ!が出ました。
米手さま
いゃ~、きれいなD51ですね。北海道用の改造がされていない原型です。しかも整備も行き届いています。私は2、3年の差で北海道へ行っていますが、その間に、どんどん醜悪になっていて、こんなきれいな蒸機には出会いませんでした。237は、ずっと長万部でしたが、いまもJR北海道の苗穂工場に保存されているそうです。
もう一枚、めずらしくカラーで撮っています。
例によって場所はご推察ください。狩勝峠へ行く道です。
D51149
米手さま
このカラーは、下段とともに、上目名ではありませんか? 周囲に家一軒もない感じは上目名そのものです。
失礼しました上記はD51857です。
D51149はこちらでした。荒らしてしまって申し訳ありません。
米手さま
“荒らし”歓迎ですよ。年寄りはカン違い、間違いが多いですから!? だいたい投稿もコメントも、構えすぎのところもあり、私も責任(?)を痛感しています。間違ったら訂正すればいいのです。気負うことなく、気楽に続けたいと思います。
寛大な特派員様!
ありがとうございます。
せっかく美味しい題材をご提供頂いてるのに見てるだけではさみしい限りです。アルバムをめくり倒して関連する写真を自慢投稿するのも醍醐味である!と思います。
また探すぞ!
自慢投稿、大歓迎! 皆さん奥深いのか、遠慮していますょ。アルバムひっくり返し、ぜひお願いします。