ここはどこ?私はだれ?ー第2お彼岸臨時列車ー 投稿日時: 2021年9月10日 投稿者: 米手作市 DRFC探偵団の皆さんがすばらしいのか、それとも私の知識が乏しいのか、出題した車両の出自が瞬殺で解明されてしまいました。そこでさっそく波状輸送と言うことで、第2お彼岸臨時列車を増発することにしました。なぜか第1で連結し忘れた車両も繋ぎます。 ⑱土佐電鉄150型155号 ⑲「下松弁慶」1907年 東京石川島造船所製、762mm軌間の軽便蒸機、Baldwinコピーのサドルタンク機、海軍徳山練炭製造所(海軍燃料廠)で使用。写真は北勢線阿下喜駅で撮られたもの ㉘豊橋鉄道 デワ11 1973年にデワ11に改番されました ㉙大阪ガス京都工場の6号機 ㉚山陽電気鉄道800形 1948年川崎車輛製。特急用として投入され、戦後の私鉄で新造された車両としては最初の転換クロスシート車。 ㉛阪堺電気軌道モ205型モ217号 1938年、旧車のモーター・台車などを流用し南海天下茶屋工場で車体を新製。和歌山県立交通公園(和歌山市)にて保存 関連記事: ここはどこ?私はだれ?【臨4】 ここはどこ?私はだれ?【臨3】 ここはどこ?私はだれ?【臨】 ここはどこ?私はだれ?【増6】 ここはどこ?私はだれ?【増5】 ここはどこ?私はだれ?【増4】 ここはどこ?私はだれ?【増1】 ここはどこ?私はだれ?(2)
⑱土佐電150型155号 2018年7月8日付デジ青に米手作市氏が「乙訓の老人鉄道、つれづれ草ー土佐電鉄編ー」として投稿されている記事にも153号の写真があります。「昭和24年~25年にかけて自社で改造した140、150型。丹羽、加藤、三菱合資、梅鉢の4社が担当した。」とのこと。 ⑲「下松弁慶」 1907年 東京石川島造船所製、762mm軌間の軽便蒸機、Baldwinコピーのサドルタンク機、海軍徳山練炭製造所(海軍燃料廠)で使用。 1934年 下松工業学校の教材となる。 1981年 同校教職員、生徒による復元工事が終わり公開運転。 その後は下津井や北勢線をはじめ各地のイベントに貸し出される。 現在は下松市に寄贈され、下松市役所脇のグリーンプラザで保存。 写真は北勢線阿下喜駅ど撮られたものですね。 ㉘ 豊橋鉄道 デワ11 ㉙大阪ガス京都工場専用線 ㉛阪堺電気軌道モ205型モ217号 1938年、旧車のモーター・台車などを流用し南海天下茶屋工場で車体を新製。 和歌山県立交通公園(和歌山市)にて保存されています。 返信 ↓
紫の1863様 丹波口駅から大阪ガス京都工場への引き込み線ですが、昭和38年10月に校内火気厳禁となり、蒸機は追い出されています。㉙の6号機は立山重工業の乙C25型で、製番432,昭和22年8月製、同年11月28日に入線しています。もう1両の僚機7号機も同じく乙C25型で23年2月製、製番435、同年7月6日に入線しています。6号機の末期がよくわかりませんが、火気厳禁のお触れが出た後の昭和39年に7号機と日立製の8号機は安治川口駅から分岐する大阪ガス北湊工場に移っています。大阪では火気厳禁ではなかったのでしょうか?いずれにせよ㉙の6号機の写真は戦後のドサクサに誕生し、短命で終わった産業ロコの貴重な記録だと思います。米手様 仁鶴さんやオールナイトニッポンの深夜放送を聞きながらガリ切りした日々を思い出しながら、夜なべにお励み下さい。手ぐすね引いてお待ちしております。 返信 ↓
西村雅幸様 立山重工業製の6・7号のこと、良く判りました。ありがとうございます。私は国鉄B20に似た形態から立山製とアタリを付け、「機関車の系譜図」を見たのですが、詳細は分からずじまいでした。 撮影場所が気になって調べてみたところ、現在の京都リサーチパークの北側、というよりも巨大なガスタンクがあった場所の北側のようですね。七本松通りから東を向いて撮影され、千本通の東にあった2基のガスタンクが見え、遠くには東山連峰が写っています。 実はこれまで、引き込み線は山陰線より東にあるものと考えていたのですが、西側に大きく展開していたことは知りませんでした。 良い勉強になりました。 返信 ↓
西村さんのコメントを読んでみて、わかったことがあります。映画「悪名」で勝新太郎さん演じる朝吉親分が対立するヤクザの親分と対決する場面で遠景にガスタンクが写っていたのですが、これは一体どこやろかと悩んでいたのです。子供の頃住んでいた大阪の家の近所にガスタンクがあったのですが、どうも大阪ではありません。ヒントはDVDの中にある田中徳三監督が対談している中で、京都の梅小路でロケをしたと語っておられました。大映京都撮影所に近いのとロケ地の雰囲気がよかったそうです。梅小路周辺でガスタンクがあるか調べたところなかったのです。ところが今回の西村さんのコメントで丹波口駅の近くに大阪ガス京都工場があるとわかり地理院の古い地図で概略を見てみるとガスタンクがありました。多分このタンクが遠景になるところで撮影したのでしょう。映画には跨線橋から見下ろした線路が写っていましたが残念ながら列車は写っていませんでした。あまり、関係ないコメントでした。 返信 ↓
米手作市様 やはりしっかりと写しておられましたね。敬意を表します。機関車が非常にきれいに手入れされているのに驚きました。実は私が中学生頃には五条坂で料理旅館をやっていて、父が中央市場に買い出しに行っていました。父が「中央市場の近くに小さな蒸機がいるぞ」と教えてくれていたのですが、結局一度も訪ねなかったことが悔やまれます。もう1枚の写真はC51ですね。124号機でしょうか?現在の地図を見ても大阪ガスの工場がどこにあったのか、痕跡がわかりませんね。貴重な写真ありがとうございました。 返信 ↓
米手さんの写真を見て、「悪名」で線路や跨線橋が写っていた場面は丹波口駅のような気がします。監督の話によると撮影日程が詰まっていたので俳優のスケジュールがうまくいかずに替え玉俳優で後ろ姿の撮影でなんとか乗り切ったとかいう話でした。早く現像処理をして間に合うように撮影所の近くで撮影したのかもしれません。撮影は名キャメラマンの宮川一夫さんでしたからどんな所でも大丈夫だったのでしょう。ところで大阪ガス京都工場跡ですが今でも新しい球形のタンクが2基あり大阪ガス関連のKRPガスビルがありました。地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」から昭和26年の地図を閲覧して比較するとほぼ間違いないと思います。痕跡と言えば痕跡なのでしょうか。 返信 ↓
どですかでんさん、 「悪名」は“不良映画禁止”の家訓で見たことがありませんが、勝新太郎と田宮二郎のコンビがおもしろかった、と風の便りに聞いたことがあります。ところでついでに丹波口駅の南方向、京都駅方向の写真も見て下さい。懐かしい「角屋」や西の大門も見えています。 返信 ↓
米手作市様 ありがとうございます。丹波口駅と京都市場駅の様子がよくわかりました。ところでうろ覚えながら、七条通りから市電の線路が中央市場の中に入っていたと思うのですが、それがわかるような写真はないでしょうか? 返信 ↓
ところで思い出したことがあります。 紫の1863さんとどですかでんさんが書いておられる「ガスタンク」です。いまは七本松通の西側に球形のタンクが2基ありますが、昔は山陰線の東側にも大阪ガスの工場があり、そこに円筒形のガスタンクがありました。このタンクはガスの残量に応じて高さが変わる伸縮式でできた当時は話題になっていました。その写真を探していたら菱屋の藤田さんが撮っておられました。これなら駅構内で撮影した映画にガスタンクが映り込むはずです。 写真は丹波口駅を発車する下り列車 返信 ↓
藤田さんの写真は、それ以前のようですね。60年の写真では右のタンクは球形二つのようで、+マークの付いている円筒形は新型の今あるタンクのように見えます。藤田さんの写真にあるタンクは蛇腹タンクでガスが無い状態です。場所は現在の「京都ガスメータ」の位置です。 返信 ↓
⑱は土佐電鉄の140形ではないかと思います。場所は不明。
⑱土佐電150型155号
2018年7月8日付デジ青に米手作市氏が「乙訓の老人鉄道、つれづれ草ー土佐電鉄編ー」として投稿されている記事にも153号の写真があります。「昭和24年~25年にかけて自社で改造した140、150型。丹羽、加藤、三菱合資、梅鉢の4社が担当した。」とのこと。
⑲「下松弁慶」
1907年 東京石川島造船所製、762mm軌間の軽便蒸機、Baldwinコピーのサドルタンク機、海軍徳山練炭製造所(海軍燃料廠)で使用。
1934年 下松工業学校の教材となる。
1981年 同校教職員、生徒による復元工事が終わり公開運転。
その後は下津井や北勢線をはじめ各地のイベントに貸し出される。
現在は下松市に寄贈され、下松市役所脇のグリーンプラザで保存。
写真は北勢線阿下喜駅ど撮られたものですね。
㉘ 豊橋鉄道 デワ11
㉙大阪ガス京都工場専用線
㉛阪堺電気軌道モ205型モ217号
1938年、旧車のモーター・台車などを流用し南海天下茶屋工場で車体を新製。
和歌山県立交通公園(和歌山市)にて保存されています。
⑲のターンテーブルの写真がありました。平成29年5月の撮影です。
㉚ 山陽電気鉄道800形(820番台)
821は姫路向きのクハ
1948年川崎車輛製。特急用として投入され、戦後の私鉄で新造された車両としては最初の転換クロスシート車。
山陽の820型の改良型850の晩年の写真です。
1980年5月須磨
㉘は豊橋鉄道のデワ11ではないでしょうか。
1973年にデワ11に改番されましたので、それ以降の撮影ですね。
皆様、ご協力ありがとうございます。
でも早すぎます。
私が夜なべしてコツコツと選りだした写真を一瞬で解明するとはなんてこった!
まだありますのでお待ちください。
長老様の甥御さんのコメントに気付かず失礼しました。
㉙の大阪ガス京都工場の6号機ですが、立山重工業製の25トンCタンク機で、同型機の7号もいたようです。
紫の1863様
丹波口駅から大阪ガス京都工場への引き込み線ですが、昭和38年10月に校内火気厳禁となり、蒸機は追い出されています。㉙の6号機は立山重工業の乙C25型で、製番432,昭和22年8月製、同年11月28日に入線しています。もう1両の僚機7号機も同じく乙C25型で23年2月製、製番435、同年7月6日に入線しています。6号機の末期がよくわかりませんが、火気厳禁のお触れが出た後の昭和39年に7号機と日立製の8号機は安治川口駅から分岐する大阪ガス北湊工場に移っています。大阪では火気厳禁ではなかったのでしょうか?いずれにせよ㉙の6号機の写真は戦後のドサクサに誕生し、短命で終わった産業ロコの貴重な記録だと思います。米手様 仁鶴さんやオールナイトニッポンの深夜放送を聞きながらガリ切りした日々を思い出しながら、夜なべにお励み下さい。手ぐすね引いてお待ちしております。
西村雅幸様
立山重工業製の6・7号のこと、良く判りました。ありがとうございます。私は国鉄B20に似た形態から立山製とアタリを付け、「機関車の系譜図」を見たのですが、詳細は分からずじまいでした。
撮影場所が気になって調べてみたところ、現在の京都リサーチパークの北側、というよりも巨大なガスタンクがあった場所の北側のようですね。七本松通りから東を向いて撮影され、千本通の東にあった2基のガスタンクが見え、遠くには東山連峰が写っています。
実はこれまで、引き込み線は山陰線より東にあるものと考えていたのですが、西側に大きく展開していたことは知りませんでした。
良い勉強になりました。
もう少し、敬老精神を持って頂きたい!
西村さんのコメントを読んでみて、わかったことがあります。映画「悪名」で勝新太郎さん演じる朝吉親分が対立するヤクザの親分と対決する場面で遠景にガスタンクが写っていたのですが、これは一体どこやろかと悩んでいたのです。子供の頃住んでいた大阪の家の近所にガスタンクがあったのですが、どうも大阪ではありません。ヒントはDVDの中にある田中徳三監督が対談している中で、京都の梅小路でロケをしたと語っておられました。大映京都撮影所に近いのとロケ地の雰囲気がよかったそうです。梅小路周辺でガスタンクがあるか調べたところなかったのです。ところが今回の西村さんのコメントで丹波口駅の近くに大阪ガス京都工場があるとわかり地理院の古い地図で概略を見てみるとガスタンクがありました。多分このタンクが遠景になるところで撮影したのでしょう。映画には跨線橋から見下ろした線路が写っていましたが残念ながら列車は写っていませんでした。あまり、関係ないコメントでした。
紫の1863さん、どですかでんさん、西村雅幸さん、
この機関車ですね?
旧丹波口駅北側の跨線橋から撮りました。大阪ガスの引き込み線です。
米手作市様
やはりしっかりと写しておられましたね。敬意を表します。機関車が非常にきれいに手入れされているのに驚きました。実は私が中学生頃には五条坂で料理旅館をやっていて、父が中央市場に買い出しに行っていました。父が「中央市場の近くに小さな蒸機がいるぞ」と教えてくれていたのですが、結局一度も訪ねなかったことが悔やまれます。もう1枚の写真はC51ですね。124号機でしょうか?現在の地図を見ても大阪ガスの工場がどこにあったのか、痕跡がわかりませんね。貴重な写真ありがとうございました。
大阪ガスへの引き込み線は、前方の白い家の向こう側から左(西)へ曲がる線路です。
大阪ガスの工場は、ここから西へ300Mほど行った七本松通の西側にありました。いまのリサーチパークです。
米手さんの写真を見て、「悪名」で線路や跨線橋が写っていた場面は丹波口駅のような気がします。監督の話によると撮影日程が詰まっていたので俳優のスケジュールがうまくいかずに替え玉俳優で後ろ姿の撮影でなんとか乗り切ったとかいう話でした。早く現像処理をして間に合うように撮影所の近くで撮影したのかもしれません。撮影は名キャメラマンの宮川一夫さんでしたからどんな所でも大丈夫だったのでしょう。ところで大阪ガス京都工場跡ですが今でも新しい球形のタンクが2基あり大阪ガス関連のKRPガスビルがありました。地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」から昭和26年の地図を閲覧して比較するとほぼ間違いないと思います。痕跡と言えば痕跡なのでしょうか。
どですかでんさん、
「悪名」は“不良映画禁止”の家訓で見たことがありませんが、勝新太郎と田宮二郎のコンビがおもしろかった、と風の便りに聞いたことがあります。ところでついでに丹波口駅の南方向、京都駅方向の写真も見て下さい。懐かしい「角屋」や西の大門も見えています。
米手作市様
ありがとうございます。丹波口駅と京都市場駅の様子がよくわかりました。ところでうろ覚えながら、七条通りから市電の線路が中央市場の中に入っていたと思うのですが、それがわかるような写真はないでしょうか?
手元にはないですねぇ。
中村進一さんか菱屋の藤田さんに聞いてみると有るかも知れません。
ところで思い出したことがあります。
紫の1863さんとどですかでんさんが書いておられる「ガスタンク」です。いまは七本松通の西側に球形のタンクが2基ありますが、昔は山陰線の東側にも大阪ガスの工場があり、そこに円筒形のガスタンクがありました。このタンクはガスの残量に応じて高さが変わる伸縮式でできた当時は話題になっていました。その写真を探していたら菱屋の藤田さんが撮っておられました。これなら駅構内で撮影した映画にガスタンクが映り込むはずです。
写真は丹波口駅を発車する下り列車
この航空写真でガスタンクの位置が分かります。
これは何年の写真ですか?
すみません!
1960年らしいです。
藤田さんの写真は、それ以前のようですね。60年の写真では右のタンクは球形二つのようで、+マークの付いている円筒形は新型の今あるタンクのように見えます。藤田さんの写真にあるタンクは蛇腹タンクでガスが無い状態です。場所は現在の「京都ガスメータ」の位置です。
昭和43年4月5日、豊橋鉄道花田貨物駅のデワ11です。
藤本哲男さん、お久しぶり!
デワ11のきれいな写真をありがとうございます。
長老様の写真整理がまだまだ続きますので、これからもお助け下さい。