2012年 春の中国鉄路の旅 Part8 阜新煤礦鉄路 その1

書き洩らしましたが、昨夜から泊まっているホテルでも問題を抱えていました。O氏と一緒ですので、訪中前にホテル予約を済ましておかねばと、一般的な海外ホテル予約サイトにアクセスしましたが、中小都市ですので、扱いがありません。それではと、現地で日本語対応が出来て、中小都市でも検索できる楽旅中国に紹介依頼メールを出しました。宿泊時に問題が出た場合、直ぐの苦情対応ができますので、最近よく利用しています。
すると、1軒だけ、キングベットで紹介してきました。いや、紹介ではなく部屋が取れましたとの確定です。いかにも、中国のサイトです。おいおい、いろいろと星等級別の各ホテル・部屋の料金を聞きたいのだ。まだ確定ではない。それに、宿泊は1人ではない、男2人だからツインでないと困ると、返信しました。しかし、労働節連休で他のホテルとも満室で、この部屋しか空いていませんとの連絡です。交渉の結果、4泊のうち2泊はツインになりましたが、後はホテルに着いてからの対応を余儀なくされました。O氏も貞操の危機だと心配しておられます。

チェックイン時に、その旨をフロントいる若いお姉さんにに伝えると、「分りました。大丈夫です。4泊とも同じツインの部屋でお泊りできます。」との日本語の返事が返ってきました。ほっとしたと同時に 「え~」 と、2人ともびっくりです。北京や上海等の日系ホテルとは違って、ここは普通の日本人なら名前も知らない東北の田舎町です。国際ホテルとは名乗っていても、日本語対応が出来るフロントマンがいるとは、考えられません。
聞けば、1年間日本にいましたと言われます。 どこにおられたのですかと問いますと、何とシシャモで有名な北海道の鵡川で、ジャガイモの芋掘りをしていたと返答で、納得です。所謂、海外からの農業実習研修生として、働きに来ていた中国人だと分りました。

チェックイン後にも部屋まで案内してくださり、食事をしている間も気を使ってくれていました。ありがとうございました。

第11日目 4月29日  阜新煤礦鉄路 その1

今日から、阜新炭鉱撮影開始です。3日間を予定しています。内、30日だけは、朝の蒸気機関車が牽引する通勤列車を追っかけ撮影と、前回連れて行かれなかった興阜炭鉱に走るナローゲージも撮りたかったので、前回の案内人、阜新地元鉄ちゃんの谷満春さんに一日案内をお願いしました。

前回3月に行った時に私は、フライアッシュ捨ての巨大な爆煙を近くから撮れませんでした。O氏も撮るには撮ったが、現場に行きついて、何も分らない状況下でシャッターを切った。落ち着いて、フレーズを決めて、しっかりと撮れたいとの希望です。この爆炎は、阜新以外では見られないものです。
朝4:30に起き上がりました。撮影に絶好の快晴のようです。O氏は、パワー全開ですが、私は、テンションが上がりません。昨日の精神的ショックと長旅の疲れが出だして、体が重く、動くのが辛い状態を感じました。今日は無理しない方が良いだろうと、O氏に後から行くと伝えて、ホテルでゆっくり朝食を食べてから出かけました。

身支度を整えてホテルを出発したのは、9時でした。Taxiを捕まえて五龙炭鉱のズリ捨て山を告げます。普通では行ってくれない未舗装の急坂の悪路を上がりますので、20元(約360円)で交渉成立です。下から1時間もの登山は、今日の体調からは辛いものがありましたので、これで助かったと思っていましたら、五龙炭鉱までの1本道が途中から工事中で、Taxiは通れません。

すると運転手さん、客の乗っているバイクTaxiを捕まえて、身売りです。これ以上は、この車では行けないので、自分は7元(約100円)で良い。バイクTaxiは、五龙炭鉱まで3元(約40円)を支払ってくれと言って、走り去りました。おいおい、ズリ捨て山の上まで行くと言っていた話はどうなったんだいと思っても、これは無理と諦めるしかありません。しかし、道は工事用のダンプカーやブルトーザが作業中なので、どうして行くんだろうと思っていると、直角に曲がって炭住が並ぶ幅1m余りの狭い軒下道を右往左往に走ります。上からも同じバイクTaxiが来ますが、日本と同じ上り優先です。上から来た車は、バックして道を譲ります。

五龙炭鉱に着いて、もう少し上まで上がれないかを聞きましたが、この車のパワーでは無理との答えです。ごもっともです。

約40分をかけて、O氏がお待ちのズリ捨て内側線新線)最高地点まで上がりました。まずは、朝食を食べておられないO氏にお好きなゆで卵のお届です。聞けば、1日1~2回のフライアッシュ号は、まだ未到着のようです。

来ても、問題はどの位置で止まって、捨てるかです。O氏は、前回たまたま自分が構えていた場所近くに来てくれたので、何とか撮れたが、折角走って上がってきた人でも、場所が離れていて6人中3人しか撮れなかった。あらかじめの撮影場所の予測設定が極めて難しいと言われます。これは、でも泣きましたので、ズリ捨て線撮影のネックです。また、ズリ捨て線は内側線(新線)と外側線(215-3線)の2本あって、どちらに来るかが分りません。「ぶんしゅうさんならどうしますか?」と、過去にズリ捨てがあったと思われる場所を、2人で歩きながら確認して、お互い悩みました。ベストポジション選びは、大変困難を極めました。

決定案を出すのは不可能ですので、第1回目は今いる内側線に賭けて、2ケ所の捨て場跡を選び、2人バラバラになって、運の良い人が撮れる事にしました。勿論、朝早くに来られたO氏に最優先で場所を選んでいただきました。下から上がってきて、この辺りに到達するまでは結構時間を要しますので、それからの移動はもう一方の線では無理ですが、同じ線に来れば、アップは無理でも、遠くからの光景は撮れるかも・・・。いずれにしても、今日を入れて3日間あります。最初は余裕のスタートで、中国鉄ちゃん話をしながらも、耳を澄まして待ちました。

12:40、私が来ての最初の列車は、外側線でした。内側線から撮れる位置での撮影です。ここは、空気が澄みきっていれば、バックが綺麗ですが、晴れてはいても、このように霞んでいるとどうしようもありません。

▲ 13:05、続いての列車は、待っている内側線に入ってきましたが、これも普通のズリ捨て列車です。


13:40、前の列車が山を下りた約35分後、3連発目が上がってきました。待望のカブース(緩急車)を付けたフライアッシュ号です。しかし、入ってきたのは、順番の外側線です。 O氏が早朝から待っておられた第1号です。固唾を飲んで、お皿から落とされるFA(フライアッシュ)の乱舞を期待しますが、何事も起こりません?? ウソでしょう! どうして!!

前回3月に来た時に谷満春さんから、「FA」は、阜新にある3つの発電所から出ます。環境問題対策が、中国でも叫ばれ始めて、2つの発電所では、水をぶっ掛けて拡散しないように処理されていますが、残り1つは、まだ対策設備がなく未処理で、ズリ捨てに捨てられています。」と、説明を受けていました。
「ひょっとして、残りの1つにも処理対策が実施されたのかも、それとも昨日の雨で野積みされていたFAに自然のシャワーが降ったかのどちらかではないだろうか・・?」と、私達は推測しました。

▲  フライアッシュ号は、FA捨てを終えた後、O氏がもう1つの捨て場ではないかと思われていた場所で停車して、全車のお皿を傾けて、底に残ったFAを再度振るい落していました。 どおりで、FAがたくさんあるわけです。


▲ 内側線と外側線のポイントを手動で換える信号所小屋に行ってみることにしました。すると、昨年5月に来た時のおじさんがいるではありませんか。大きな声で、「你好、你好、好久不見!」と言いますと、向こうも覚えていたらしく、熱烈歓迎で小屋に入れてくれました、早速、運行表を見せてもらいました。上の表が、最新の24時間の運行実績です。FA号(赤文字)は、1日2回の運行となっていますが、毎日運行は変わりますので、参考資料としてご覧ください。

当分は、FA号がやってくることはないだろうと、一旦山の中腹まで下りて、食堂でカップラーメンとビールで昼食です。そして、また山に上がり、今度は夕日をバックに撮ろうと挑戦しました。
▲ 17:27、まだ陽は傾いてはいませんでしたが、待望のフライアッシュ2号がやってきました。ゴクリと喉を鳴らしてシャッターボタンに指を置きます。連写を始めましたが、またまた何も起こりません。皿を傾けると、ボトンと落ちておしまいです。
どうして何だろうと、首をかしげましたが、上の写真を見ていただくと、皿にはFAのこんもりといくつもの小山が出来ています。サラサラのFAだと、こんな風にはなりません。水分を含んでいるからこそ、こんもりとなるのです。先ほどのフライアッシュ1号も同じ状態でした。がっくりです。

夕日は傾いてきましたので、こちらぐらいはまともに撮りたいと念願しましたが、沈む前に厚い雲の中に入ってしまいました。もう上がってきても、ロクな写真になりません。18:10過ぎに失意の中で、下山しました。
19時前に五龙炭鉱まで下りましたが、既に夕闇が迫っています。BusもTaxiもありません。正門前の雑貨屋にTaxiは来るのか聞いてみましたら、店主が出てきて、正門前に泊まっている乗用車の運転手を呼んでくれました。これから夕食を食べに行きたいので、解放広場近くの飲食街まで送って欲しいと申し上げると、20元(約260円)で交渉成立しました。


▲ 19:45、昨年5月に行った鍋屋に直行です。今日の腹いせ、験直しに頼むのは、鶏一羽とスッポン1匹が入った豪華な鍋です。野菜やビールを頼んでも一人約100元(約1,300円)。日本で食べたら、数倍もするでしょうね。腹だけは満足にできた一日でした。  Part9  へ続く

2012年 春の中国鉄路の旅 Part8 阜新煤礦鉄路 その1」への2件のフィードバック

  1. ぶんしゅう様
    ダブルベッドでの「貞操の危機」がなくて本当によかったですな。小生の場合ずっと以前「おじん2人ヨーロッパ軽便」に書いたかと記憶しますが、旧東ドイツのツイッタウで、散々探しあぐねた末に見つかった超超安宿(安酒場の二階でどうも以前売春ルームだったらしい)での悲劇?が思い浮かびます。湿った藁布団のダブルベッド、しかも真ん中が凹んでいて、相棒と体がくっついてしまうのを避けるのに、どれだけの努力が必要であったか。いや、おめでとうございます。これも貴兄の日頃のご仁徳、あるいは欠かさず上げているお神酒の効用か、はたまた新島譲のご加護でもありましょうか。そういえば、貴兄は校祖墓参に参加されましたかな。今からでも遅くないですぞ。

  2. 湯口 大先輩 様
    コメントをいただきまして、どうもありがとうございました。
    ツインからダブルに部屋を変わらなければいけなかったのも苦痛でした。場合によっては、現地案内人に他の宿を探してもらう事も選考の1つだったのですが、ほっとしました。広い部屋でセミダブルのベットが並んでおりました。
    校祖墓参には、まだ図們におりますので、直ぐには参れません。いずれ機会を見てと思っていますが、山を登るのは苦手です。
    ここは、朝鮮族の多い町で、店先には必ずハングル文字が並んでいますので、韓国に来たような錯覚さえ感じます。今夜の夜行列車で、次は長春(旧;新京)へと参ります。

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