近畿地方は、例年になく早い梅雨入りとなった。
この10日間ほどは、夏を思わせる晴天続きで、毎日のように撮影に出かけたものだが、しばらくは籠りの生活が続きそうだ。“晴耕雨読”が信条の生活とあらば、雨は、外出・撮影意欲を喪失させてしまう気象条件だ。近距離なら、撮影を中止することも出来るが、長期の撮影旅行で雨に降られると、お手上げだ。撮影はあきらめて、“乗り鉄”で時間をつぶすことが多かった。
しかし、やっかいな雨も、写真の対象として見れば、雨による車体やその周辺の反射、また人物のカットなど、雨でしか表現できないこともある魅力的な気象とも言える。要は、雨にも決断する行動力だ。
過去、雨のなか、意欲的に(?)カメラを向けた、いくつかの写真を思い出とともに並べてみよう。▲初めて訪れたウワサの函館本線上目名駅。昼間はまだ曇りで、撮影は順調に進んだが、下りのC62重連を撮った夕方から、空が一転掻き曇り、駅に着く頃には、土砂降りの雨になった。同業者も居ない、山間の駅で、一人心細くなってくる。ホームの軒先で雨を避けながら、乗車する列車を待った。写真からも、雨筋が分かるほどの豪雨だった。(昭和43年8月)▲ところ変わって九州、愛用の夜行鈍行1121列車に乗って、早暁の肥薩線坂本駅に着いた。天気予報が当たって、しっぽり降りだ。川筋を歩いて撮影する計画も、あっさり断念、駅撮りと決め込む。やがて到着したC5748の牽く貨物列車は、通票の授受を終えると、慌ただしく発車して行った。列車全体が白煙に包まれて、雨にけぶる彼方へ向かっていった。(昭和46年12月)▲こちらは、宮津線丹後山田駅(現・北近畿タンゴ鉄道野田川駅)。鉄道同好会の面々と、加悦鉄道へ行った日だった。朝、京都を出て、丹後山田に着く頃には、雨になってしまった。列車を降りて、加悦鉄道ホームへ向かうと、ちょうど乗車列車が発車しようとしていた。何気ない写真というか、気にも留めていなかった写真だが、客車のナンバーが読み取れるサイドから、人物を手前に置いた写真、何でも撮っておくべきだと思わせる写真だった。(昭和45年9月)▲雨の草津線貴生川駅にD51841の貨物列車が到着する。出迎えの駅員の影が、濡れたホームに映る。ローカル線の交換駅では、必ず見られた光景だが、雨がうまく演出してくれた。背後の跨線橋は今はなく、橋上駅が上を覆っている。駅全体がすっかり変わってしまった貴生川駅だった。(昭和47年6月)
昨今全盛の晴天順光下7-3の角度(勿論ピントバッチリ)写真と対局をなすシーン、感動します。単に昔を懐かしく思い起こさせるだけではなく生活が読み取れます。私は専ら乗り鉄(呑み鉄?)を決め込んでしまい殆ど写していなかったのが今悔やまれます。
今年は早くも梅雨入りとなりました。台風はどうなのでしょうか。1958年初秋、四国から九州にわたりましたが、連日大雨で、なすことなく1週間ただひたすらに乗り鉄となりました。特派員と異なり電車屋ですから、台風が上陸しないので乗り回しを楽しみました。鳥栖駅で9600の入れ替えを見ながら2夜明かしました。でも帰京してクリーンヒットがありました。川崎製の「こだま」試運転に乗せていただきました。星-奥野ラインのお蔭でした。あれから間もなく55年になります。
歌舞伎役者に対してではありませんが「ヨー待ってました、総本家屋!」という感じ。何度も同じコメントで恐縮ですが、駅での乗り降りはボケーとしていてはあきませんな。わざわざ有名撮影地までテクテク歩いて同じ様なのを撮りに行くよりもこういう普通の風景の描写の方が面白いですそこにどういう撮影視点を持つかで差が出てくるのでしょう。上記コメントのお二方のように楽しく酒を飲めないかわりに、これからも駅や車内ではきょろきょろしてシャッターチャンスをうかがうようにします。梅雨もたまにはチャレンジしたいですが、雨と雪の時、カメラを濡らさないように気を付けたいですね。故障させたことがあります。何れにしましても今後も懐かしい時代の作品を期待しております。
総本家青信号特派員様
最近はホームに駅員の姿を見られることが少なくなってしまいましたが、ローカル線に駅員の風景はよく似合いますね。貴生川駅は3つの路線のジャンクションとして良い雰囲気をかもし出していたのですが、昨年久しぶりに訪問して当たり前の駅になっていたのでがっかりしました。
当時撮った写真見ると、車両中心で(今もそうですが)、もっと鉄道施設や、その地域の生活が分かるようなものを含めて撮っておくべきだったと反省しています。総本家様の写真拝見して、これからはそちらにも目を向けて写真を撮りたいと思っています。
続編楽しみにしております。
村樫様
ウン十年も前から存じ上げています村樫様から、親しくコメントをいただき、感激しています。台湾でのご活動も、準特急さんから逐一聞いております。実を言いますと、このテーマを書こうと思った発端は、鉄道ファン71号に村樫様が著された「夜も楽しく」でした。夜景を撮る楽しさ・技法を教えていただき、今もよく覚えています。“夜があるなら、雨もあるではないか”、畏れ多くも、その思いで、自分なりに写真を選びました。奇遇なことですが、今後ともよろしくお願いいたします。
乙訓の老人様
「こだま」試乗会のことは、以前の掲示板でも拝見しています。トレランス号で、星・奥野さんと再会され、“こだま試乗は一生の思い出です”と言われたことも覚えています。その星-奥野ラインですが、いずれも永眠されましたね。たまたま、先週、神戸で会合があった時、奥野さんの車両の自筆図面の整理に携わった方かから、その膨大な量について、聞かせてもらいました。
準特急様
いつも暖かいお言葉・励ましをいただき、ありがとうございます。おっしゃるように、一日一本の列車のために何キロも歩いて撮った写真より、駅でチョイ撮りした写真のほうが、ウンと価値があります。でも、それを実感したのは、最近のことです。やはり、年月の厚みが、そうさせるのでしょうね。
台湾では、準特急さんが今昔対比をされているように、自分なりのテーマが、掲示板投稿では、肝ではないかと思っています。私も古いだけが取り得の人間になりつつありますが、古い写真も味付け(テーマ)ひとつで、今の時代にも通用する投稿になるのではと思っています。
大津の86さま
いつもコメント、ありがとうございます。貴生川については、たまたま別のところで原稿も書いていて、私自身も急に注目した駅です。すっかり近代的な駅になりましたね。昔は、草津線も貴生川まで来ると、ローカル線そのものの雰囲気でした。駅前に、中国鉄道の社紋がついた貨車の廃車体がありました。それも撮っておけば貴重な記録だと思いますが、私は撮っていません。このように、私も撮っていないものは、いくらでもあります。それだけに、皆さんが撮られた、あらゆる写真を、ぜひ掲示板で拝見したいと思っています。
あと、こんなところでナンですが、ご案内いただいた芦屋の写真展、土曜日に行かせていただきますよ。