第22日目 5月22日
① ホテル5:40(Taxi)→6:20復州湾(チャーターTaxi)→五島運輸駅
② 五島運輸駅12:30(Bus)→13:40普蘭店駅
今日は、昨日ちょっとだけ訪問した復州湾で塩田を走るナローを撮影予定です。このナローは以前から注目していて、いつかは行こうと思っておりましたが中々機会に恵まれずでしたので、今回の旅のメインとして日程を空けての訪問としました。
【 復州湾塩場ナロー 】
大連からは車で約2時間、約90キロにある復州湾一帯は古くからの塩の産地で、広大な塩田が広がっている地域です。日本統治下時代には大連は自由港であったため関税収入が見込めず代わりに塩税が関東州の財政を支えていたそうです。関東州も積極的に塩の生産拡大を図り、やがて塩田の90%以上は日本企業の経営となり、ソーダ工業の原料用として内地に大量に輸出され、日本の化学工業を支えていました。
天日製塩のために広大な塩田が造られ、その輸送のために762㎜のナローゲージ鉄道が敷設されました。機関車は当初からDLだったようで蒸気機関車はなかったそうですが、北碚のグースが牽引したのと同じような小さなトロッコを牽いて海を渡る姿はとても可愛いと、ナローファンが訪れる所となりました。
5:10、朝目覚めて外を見ますとさわやかな青空で、絶好の撮影日和です。
張り切ってホテルを出ましたが、駅までのバスが中々来ません。するとホテル前でたむろしていたTaxiの運転手からどこへ行くのかと声がかかりました。復州湾というと80元(約1,300円)でどうかと言います。
考えましたが、現地には早く着いた方が動きに余裕が出ます。OKを出しました。
途中の町中を除いては、片側1車線の田舎道ですが路面状況も良くTaxiはぶっ飛ばします。
6:00、バスの半分の約40分で復州湾の町中に着きました。
ナローが走るには十分余裕です。まずは腹ごしらえと市場の食堂に参りました。
▲ お粥は1種類で後は焼き餃子です。これで3元(約50円)、納得のお値段とお味でした。
市場前の路上はとりたての海産物が一杯並べられていました。
← 一生懸命に牡蠣をむくおばさんです。
日本ではこの時期の牡蠣はないのですが大丈夫なのでしょうか。
海のミルクと言われる牡蠣です。生で食べない中国では火を通すのでいいのかも。
並べられた魚介類はちょっと日本で見るのとは違っていますが新鮮です。
▲ 多分、漁師の奥さんたちなのでしょうね。旦那がとってきた魚貝類を並べてお客を待っておられます。
▲ 写真を見られてお分かりのように、復州湾の女性のファッションは特徴があります。皆さんスカーフ着用です。マスクをつけた方もおられます。これは風よけ、それとも日焼けよけなのでしょうか。普蘭店市内では見られなかった光景でした。
7:10、案内にはこの辺りを知り尽くしているであろう地元Taxiを一日200元(約3,300円)で、チャーターしました。可愛い三輪Taxiに乗って、まずは五島運輸站を目指します。
▲ 曲がりくねったアップダウンの地道を走ると国鉄線と並行します。
整備された土盛りの路線は何と新しく電化されています。しかし肝心の塩田ナローが見えません。
途中でオーバークロスしましたので降りて撮りましたが、全く新しい路線のようにリニューアルされていました。
電化工事までされているのは、それだけ塩輸送の重要で多いのか、それともこの先の港までの需要が多くなったのだと思われます。
▲ 7:50、走ること約20数キロ、約40分でやっと五島運輸站に到着しました。しかし入るには門があります。Taxiを降りて許可を取りに参りますが誰もおられません。
門を入ると何やら作っている集団がおられました。作っておられたのは、コンクリート枕木です。
親しくコミュニケーションが取れましたので、これなら入っても良いだろうと先に進みました。
▲ 機関区が見えました。近づいてみましたが車庫の扉は閉まっています。名取編集長が来られた時には車庫前に可愛いロコが沢山いる写真を撮っておられましたが、静まりかえっています。
ネット情報では夏に動いてはいなかったが、12月ぐらいからは動くとの情報があったと思います。しかし、12月になって動いたという情報はつかめませんでした。
来て見て確認するしか方法はなったのですが・・・、動いていないのか~、綏芬河から遠路はるばる1,500キロ余りをかけて来たというのに・・あぁ~あ・・・、ガックリです。張り切っていた気持ちが一気に萎みました。
それでも気を取り直して錆びた線路の先を見ますとDLらしき姿が見えます。人影も見えます。
門の前に待たしたTaxiを呼んで行ってみました。
▲ 8:11、作業員輸送の列車が止まっていて、作業員が何やら軌道横の配管を修理されてます。
持ってきました名取編集長の記事やKさんが以前に撮られた写真を見せて、このナローを撮りに来ましたと説明しますと、フレンドリーに接してくださり、作業員車やDL内を見せていただきました。
← 最後部に連結されていた客車です。小屋の中のようにストーブが設置されています。
始めは休憩所として留置されているのかと思いましたが、これに乗ってきたと申されエンジンをかけて動かしてもしていただけました。
今日は作業を行いながら沿線パトロールのようです。ソルトトレインが走っていないのならこの列車を追いかけても良かったのですが、私のつたない語学ではスケジュール等を聞き出せません。こんな時は通訳が必要です。1日通訳を雇えばよかったと悔いてもどうしようもありません。
撮影するのは問題ないようですので、駅構内を散策しながら撮り始めました。
▲ 運輸站の発着ヤードです。塩を輸送する木製トロッコが数10台留置されていました。
▲ 可愛いタンク車が連結されています。何を入れて運んだのでしょうね。▲ 留め置き車両が置かれた留置線ヤードです。
▲ 貨車の向こうにはトロッコで運搬された塩を降ろして積み上げる移動式のラダーエキスカベーターが見えます。ここで国鉄線の貨車に積替えしていたと思われます。▲ ずらりと並ぶトロックの後ろは機関区と事務所になっています。
▲ 機関区の横は検車区のようです。
順調に撮影を続けていましたら事務所の方から責任者らしい方が2名来られました。撮影許可をとってはいませんので叱られるかなと思いましたが、持って来た印刷物を見せて説明しますとフレンドリーな対応をしめされて戻っていかれました。
やはり何をしに来たかを証明できるものを持っていると大変に役に立ちました。
▲ 9:13、五島運輸站での撮影を切り上げて第8塩場方面へと向かいました。
ナローに沿った道を走りますがご覧の通りの整備された道です。ただし1台も車とすれ違いませんでした。
▲ 9:30、是非とも撮りたかった撮影地に参りました。ここでソルトトレインを、できれば夕刻に撮りたかったのですが・・・・。
塩田の中に伸びる1本のレール、絵になる光景です。
温度はとても快適な20℃です。しばし、ぼおっと塩田を眺めていました。
そして、悔んでいても仕方がないのでもう一つの塩場、金城運輸站へと向かいました。
まずは工場に入って運行状況を聞きますと走行しているとの返事です。工場内の撮影許可を求めましたが、却下されました。しかし、工場外だったらどこでも良いとの返答をいただきましたので早速積み下ろし場に向かいました。
▲ 10:42、うず高く積まれている塩の山の下にソルトトレインが見えました。
評判通り、中々可愛いDLです。
トロッコには塩が積まれています。
ここでも同じ移動式のラダーエキスカベーターが使用されていました。
これで金城塩場ではソルトトレインが走っているのが確認できました。次の列車がどこかで撮れるはずです。沿線を走り回りました。
ところが、どこへ行っても見つけられません。
とうとう運転手さんも私の知っているところは回った。もう行くところはないとギブアップです。
元に戻ってソルトトレインの運転手さんに聞きますが、上手くコミュニケーションが取れません。やはり通訳がいないと難しい状況でした。
昼飯を食べてから仕切り直しをしようかと思いましたが、粘り根性がなくなってしまっていました。今回は是非とも撮りたかった撮影地には列車の運行がありませんでした。今回で様子が分かりましたので、次回に万全の態勢をしようと思い引き上げを決断しました。
帰りは路線バスにしました。昨日乗車したバスと同じ運転手で、「こいつは俺の朋友だ」と、いつの間にか朋友にされていました。聞くとこの時期にはソルトトレインは休み時期に入るそうです。天日製塩法に閑散期があるとは初めて知りました。本当なのでしょうか。
いずれにしても次回来る時は製塩工場に前もって連絡を入れてからでないとハズレになる可能性があることだけは分かりました。
普蘭店駅に着いてからは、明日午前中の鉄路切符を買い求めました。5月末のこの時期は大連のアカシア祭りが開催されます。路面電車とアカシアも撮ってみたいと予定を変更することにしました。 Part 23 へ続く