国鉄若桜線時代の昭和48年に一度訪問して以来 40年ぶりに若桜を訪ねてみました。昭和48年当時はすでにDE10でしたが 混合列車は残っていて途中駅での入換え待ちをしながらの旅でした。今回は短時間の訪問でしたが、当時を思い出すには充分のドライブでした。在籍4両のDCが、全長19.2Kmを片道30分、1日10往復の若桜鉄道。こんな小さな鉄道が生き残っているのが不思議な気がします。
大半の列車が郡家から鳥取までJR因美線に乗入れているから、この小さな鉄道が生き延びているのでしょう。しかしこの鉄橋を見ると 枕木はしっかりしているものの、ガーダーはもう何年も塗装されておらず、苦しい台所事情が伝わってきました。
永く加古川線で活躍していたC12167が若桜に来て、圧縮空気を動力として動態保存されています。駅構内だけの運転ですが、集客力はあるようです。私にとっては若桜線や倉吉線はC11のイメージがしみついているので、C12は違和感があるのですが ぜいたくは言えません。
若桜駅構内にはJR四国から来た12系客車3両が留置されています。スロフ123+オロ129+スロフ126です。この3両を使った観光列車を走らせるために 鉄道総研で永年保存されていたDD167を譲り受けたようです。沿線途中の隼(はやぶさ)駅にも2両の保存車両があります。
C11とC12の違いは良いとしても、縁もゆかりもない北陸鉄道の電気機関車がなぜここにやってきたのか 不思議でなりません。オロ126はJR四国でオハ126をカーペット敷きにしてオロ12に改番した車両です。隼駅はスズキのオートバイ「隼」のライダー達が全国から集まる聖地になっていて、オロ12はそのライダー達の宿泊用に使われているようです。
無人駅ながら 旧事務室は売店になっていて、休日にはライダー達のための記念グッズなどを売っているようです。枕木オーナー制度をはじめあの手この手でなんとか収入を増やして存続を図ろうとがんばっている若桜鉄道の近況です。