桜の三岐鉄道へ
ことしの桜は天候には恵まれなかったものの、気温が低かったぶん、長期間楽しめました。デジ青でも、各位の活動ぶりを拝見しています。18きっぷの消化・駆け込み撮影は、毎度のことですが、今年は18きつぷ最終日4月10日でも、十分に桜撮影に間に合い、今回は三岐鉄道へ行くことにしました。三岐はかなり行っていますので、今回は、「前パン電機重連の上り貨物」と「北勢線復刻色編成」の二つに絞ったサックリ撮影となりました。
▲桜並木の横を行く、三岐鉄道4714貨物列車、三岐線沿線には桜は多いが、線路に沿った桜並木は、ここ梅戸井駅下車、徒歩5分のJA横しかなく、以前にも訪れた。晴れていれば、バリ順の地点だが、今日は雲が厚い。
“三岐が東海道?”と訝れるだろうが、18きっぷで降り立ったJR関西本線富田駅の真ん前には、ちゃんと「東海道」の石碑が立っていた。JR関西本線と近鉄名古屋線に挟まれた細い道が旧東海道に当たる。東海道踏破を目指しておられる準特急さんは、以前、近鉄伊勢朝日付近で止まっていると聞いたが、ちょうど、この富田のあたりだろうか。 いつもどおり三岐鉄道フリーきっぷを買って、近鉄富田発の列車に乗り込んだ。三岐線、北勢線の両方使える、このきっぷ、前は1000円ポッキリだったが、100円値上げされていた。三岐線は昼間ほぼ30分ヘッドだから、各駅に降りて何度も写すことができる。
▲おなじみ宇賀川の鉄橋を行く502貨物列車。ここは、どこを向いても桜、桜だ。以前は荒廃したED222が公園に展示されていたが、補修されたうえ、西藤原駅に移転展示された。三岐の貨物は、日中ほぼ一時間ヘッドで運転されているから、その間を走る電車に乗って移動できるから、たいへん効率がいい。こだわりの前パンは上りのみ、すべて重連だが、時おり貨車のない回送になることももある。
▲晴れていれば藤原岳が良く見える三里~丹生川の直線区間へ。ただ直線区間は過去何度も写しているので、あえて丹生川寄りのアウトカーブの、やや低い位置から前パンを強調する形にまとめた。この丹生川駅では三岐のグッズ類が販売されているが、そのなかには、貨物も載った最新のダイヤも販売されていて、撮影には便利だ。ただ、毎年4月末からセメント工場の定期点検のため、セメント列車は運休になってしまう。
三岐線と北勢線は、員弁川を挟んでほぼ並行している。中間地点にショッピングセンターができたりして、両線を結ぶ路線バスも充実してきたが、やはりアテになるのは自分の足だ。伊勢治田で降りて、北勢線阿下喜まで歩くことにした。 楽しみにしていたのは、阿下喜駅前にある食堂だった。以前、乙訓老人さん、INUBUSEさん、Wakuhiroさんと行った時は愛想のいいおばちゃん達と記念写真も撮ったのだが、残念なことに戸が閉まっていた。平日は夕方のみの営業だそうな。
最初は、例の眼鏡橋へ行こうと思い、楚原で下車した。駅で本日の復刻車の運用を聞くと、楚原ではあと2時間近く待ちと分かった。天気も良くなく、より早く撮れるように東員まで行って待つことにした。
▲大したアテもなく東員に降りたが、幸い西桑名方を眺めるとカーブがあって、そこで本命の復刻車を待つことになった。 グリーンとクリームの復刻塗装は、北勢鉄道として開業した北勢線が百周年を迎えたことを記念して、200系連接車を三重交通時代の塗装に戻したもの。当初は、200系に連結された277号は、黄色のままだったが、検査時に復刻塗装になり、4両編成すべてが、同じ塗装に戻された。やっぱり、単色より、上下塗り分けの二色塗装はいいものだ。
東海道未だ伊勢朝日で止まったままの準特急より総本家青信号特派員様へ
アウトカーブの前パンや桜の配置はいつものことながらよく計算されていてお見事ですね。前パンと言えば阪急電車を撮る時にいつも悩みます。日頃ほとんど前パンのない関東の電車を撮っているので同じ調子で電車を引き付けるとほとんどパンタが外れてしまい失敗しています。10日は天候が今ひとつではなかったでしょうか。私もその日は出雲と岡山で撮影して帰りましたが曇天でした。
準特急さま
いつも速攻コメント、ありがとうございます。三岐へ行くときは、JR富田から近鉄富田まで歩くのですが、近い距離なのに、道が複雑で迷うことがあります。これは昔からの東海道に沿ったできた街路であること、今回初めて分かりました。さて、三岐の前パン電機ですが、同じ私鉄電機の秩父鉄道では、冬季、霜取りのため、両パンになるようですが、三岐は年中、片パンです。やはり、絵になるのは、前パンですので、今回は、富田方面行きの上りを中心に狙いました。電車の場合、前パンか、後パンか、各社の事情があるようですが、国鉄時代では、空気の抵抗を和らげるため、後パンにしたと聞いています。確かに関東では、ほとんど前パン見られませんね。準特急さんは、本欄で独自のテーマで電車を横断的に見られています。過去の名文「電車は4両がええ」シリーズにならって、「電車は前パンがええ」シリーズをぜひお願いいたします。
総本家青信号特派員様
交流電気機関車は後パン(2基あるパンタグラフのうち後ろをあげて前は折りたたんだスタイル)が基本でしたが札幌に1年赴任してその時撮ったED76-500は全て前パンでした。いつも残念に思いながら撮り続けていました。交流機は後パンという固定概念があったのかもしれません。電車につきましても小・中学時代の通学時に利用した阪急今津線の500、380、320は今津側前パンで同時期に見た宝塚線は両運の380、320が宝塚寄りの先頭に出た後ろパンの姿でそちらの方に強い魅力を感じていました。阪急では初代1000系以降はパンタグラフは運転台の上ではなく連結側よりで後ろパンが基本であったように思います。「走る窓から」という素晴らしい本を出された元京阪電鉄で運転もされたNさんはその著書の44頁で「私は2000系スーパーカー以降の近代的なスタイルの電車は先頭にパンタグラフの無い、所謂”後パン”の方が格好が良いと思います」と述べられています。私自身は電車のパンタグラフに関しては2丁パンタが好きですが、初期の阪急2000系のように後年2丁パンタのうち後パンを外し前パンのみにしたスタイルは好みではなくゲテモノに見えました。ゲテモノと言えばJR総武本線など千葉方面にいた211系はシングルアームと菱形の2丁パンタでこの方がもっとゲテモノでしたが好んで撮っていたのも事実です。前パン、後パン各自いろいろ好みがあるようですね。失礼しました。
やはりパンタは前ですよ、と昔からの固定観念にとらわれている1900生です。仰るようにこれはもう各自の好みでしょうが、特に写真を撮る場合には前面デザインとパンタはワンセットのように思えてなりません。
京阪の1900系にも2両だけ前パンでないのがありました。両運を京都向き片運転台車に改造した1905・1925号車がそれでしたが、特に1925の場合あののっぺりした顔にパンタが無いのは「異様」にさえ思えました。
思うに1905は旧1810系からの継承車で、同系にはオデコにパンタの無いTc車が多くあったため、既にデザインとして見慣れていたためにそう違和感を感じなかったのかも知れません。
ということは、もちろん各自の好みもありますが、「見慣れて」いるかどうかも多分に影響しているはずで、結局各自各様の事情ということになりましょうか。
旧国鉄の後ろパンについては、万一破壊した場合に前パンでは後方機器(特に交直流用)にも影響が及ぶのを防ぐため、と聞いた記憶があります。もちろん気流の影響による離線防止もあったと思いますが、こう考えてくるとED76-500の前パンは説明がつきませんね。どなたかご存知の方がおられればご教示願えませんでしょうか。
1900生様
総本家青信号特派員さんには反旗を翻したようですが1900生さん仰られる通り見慣れた姿がいいということは各自に言えることだと思います。スタイルだけでなく前パン、後パンにはそれぞれ理由があると思いますが、私の場合は阪急の初代1000以降の所謂高性能車が後パンであったために後パンが格好いい、速そうだという固定観念を持ったのかもしれません。だから両運の旧性能車の320、380、900等が後パンの姿で現れると新性能車と同じように格好よく見えたのかもしれません。また、編成によってはパンタグラフが近接してある種の異様な感じをもったこともありますが、パンタを全部あげたオール電動車は格好良く感じました。パンタグラフは永らく見慣れた菱形の方が好きでしたが、最近のシングルアームにも慣れてきて違和感を感じなくなりました。菱形=旧型という風にとらえて旧型も追いかけてもいます。自分の好みも変わっていくような気もします。