山陽本線のタクアンに続いて、福塩線のタクアンもご紹介します。以前にデジ青に登場した写真も含まれていますがご勘弁を。
三原城と同様に、山陽鉄道が福山城内に線路を敷設し、駅を作ったため駅とお城が隣接しています。福山城は昭和20年8月8日の福山大空襲で建物の大半は焼失し、写真中央の月見櫓、少し低い鏡櫓、右の天守閣とも戦後再建されたものです。線路上の鉄骨屋根の陰に隠れているのが戦災を免れた伏見櫓で、伏見桃山城から移築された櫓です。一方の現在の三原城趾は石垣だけしか残っていないため、新幹線や山陽本線の車窓からは全く見えません。
5年前にはタクアンとは言え青帯を巻いた「福塩色」も残っていました。
次回は呉線の105系をご紹介致します。
教えてください。
105系は私の貧弱な電車知識が途切れる時期にできた電車で、たしか新製となにかからの改造型があったように思いますが、違いましたかね?
米手作市様
私も貧弱ですが、2013年8月31日に和歌山で撮ったクハ105-3で元は103系と思われます。正面の顏は常磐線の顏に見えます。新製の105系の4扉に対し3扉です。
思い出しました!
和歌山線も105系ですが103からの改造でしたね。
西村雅幸様
おやっと思って福山城横の福塩線電車を見ました。DRFC-OB長老の皆さんが競って投稿した「こんなんあった」「わしも撮ってるぜ」という気分で76系300番台を載せます。撮影は1980年11月9日です。
準特急様
いつもながら、素早いコメントをありがとうございます。1980年と2016年の新旧対比ができるのはクローバー会ならではで、感激です。当時福山駅北側はまだ整備されておらず、古げな瓦屋根が見えています。しかし8番線の様子は変わっていませんね。京都にいた頃も含めて70系には縁がなく、1枚も写真がありません。福塩線や呉線にもいたのでしょうが、その頃は仕事と子育てに追われて鉄分が欠乏していた時期で、セノハチのEF59や80系電車、EF15など殆ど撮っておらず今になって悔やんでおりますが、あとの祭りです。
西村雅幸様
西村さんこそ Quick Response でいつも嬉しく思っております。この写真は以前デジ青でお城とからめた鉄道写真が話題となりその時にストックしたものの一つです。そういう意味では冒頭の西村さんの写真は9割を城郭が」占め、しかも説明付きで好感の持てる作品と思います。福山に泊り、福塩線は横尾あたりまで行って走行写真を撮り、その後山陽線、呉線にも行っていますが70系は福塩線以外では見ておりません。
西村雅幸さま
70系は東海道・山陽緩行線の茶坊主を除き、写真でしか見たことがありませんが、阪和線時代の阪和色70系に好感を持っていたので、福塩線転属後の姿を撮りに行く計画を何度か立てました。しかしその都度仕事の都合や諸事情から実現せずに終わってしまいました。やはり東海道線で見慣れていた80系湘南電車は飯田線まで追いかけて、撮影と録音に勤しみましたが、70系にはついに縁が無かったようでした。111系や113系が登場した当時、横須賀線や阪和線で余剰になった70系を信州の「ある線区」へ転属させることが検討されたものの、現場の反対にあって実現しなかったということを聞きました。その後飯田線には80系が入ったので、検討されたのは恐らく信越線か大糸線ではなかったかと推測していました。70系も福塩線ではちょっと役不足だったのではなかったでしょうか。
西村雅幸様
大変寒い御用納めの日になりましたね。
タクアン色はブツ切り115系はともかく、105系にはよく似合っていると私は思うのです・・・。私はこの色は嫌いではありません。
さて、今年も貴重な情報の数々を有り難うございました。それにしても今年は大変でしたね。災害の傷跡が早く回復されるよう願うばかりです。
どうか、良いお年をお迎え下さい。
マルーン様
明知、鈴蘭台やHCDなど今年もあちこちで乾杯することができ、楽しい1年でした。クローバー会のおかげで田舎に閉じこもっていることなく、都会の空気を吸う機会が増えて喜んでおります。来年も当地の通信員としてローカルニュースをお届けしたいと思っております。1年間ありがとうございました。