福塩線下川辺駅について

JR福塩線は福山から府中までの23.6Kmは両備軽便鉄道によって建設され、府中から塩町までの54.4Kmは国鉄によって建設されたという歴史はご存知の通りです。福山・府中間は電化されていて列車本数も多いのですが、府中・塩町間は非電化で6往復しか設定されておらず、主な利用客は高校生であり、三江線と同様に廃止が取り沙汰されている線区です。さてその非電化区間、府中の次の駅が下川辺駅です。

2019-10-5 下川辺駅

 自動券売機もなく 駅前に通学生の自転車が数台置かれているだけの どこにでもあるような無人駅です。

下川辺駅 府中方向を望む

下川辺駅 塩町方向を望む。キハ120の単行しか走らないのに長いホームがある。

なぜこの駅を採り上げたかと言いますと、昭和29年4月10日に府中・下川辺間は電化され、昭和37年3月15日に電化廃止されるまでの約8年間、この下川辺駅まで電車が走っていたことはあまり知られていないと思われるからです。昭和36年の時刻表を見てみましょう。

時刻表 昭和36年6月号より

福山ー府中は電車と注記がありますが、日に3往復 下川辺折り返しと府中・下川辺間の区間運転1往復があったことがわかります。これが電車です。余談ながら福山・三次間の直通列車が2往復あったこともわかります。

何を意図して下川辺まで電化区間を延伸したのか調べてはいませんが、下川辺と次の中畑駅間に広島鉄道管理局と岡山鉄道管理局の境界がありました。下川辺は岡鉄局管内です。現在は広島支社三次鉄道部の管理下にあるようです。そんなことも関係しているのかもしれません。

ここが広鉄と岡鉄の境界であったとともに、かつては広島藩と福山藩の国境でもありました。駅前の自転車置き場の裏側に石碑が2本建っています。

広島藩と福山藩の藩境を示す石碑

右側の「廣嶋領」と彫られた方が古い石柱(福島正則時代?)、左の「藝州領」の方が新しいもの(浅野家時代?)です。いずれも広島藩側にあったもので、福山藩側のものはありません。ブラタモリ風に言えば「きわ」の証しですね。

さて所用のために府中へ行ったのですが、数少ないDC列車が通る時間帯でしたので芦田川鉄橋で撮ることにしました。

2019-10-5 1724D 三次発府中行き キハ120-320

丁度キハ120が通過しているあたりの流れの中に、2つ円柱状の構造物があります。昭和30年2月15日に府中・下川辺間は線路変更されており、これは旧線の橋脚跡のようです。府中側の土手にも古い橋台跡が遠望できました。

古い橋台跡が残る

府中近辺の芦田川には、多くの吊り橋や沈下橋が残っています。新しい上前原橋の下流にも吊り橋が残っています。

芦田川に架かる吊り橋。さすがに現在は通行止めになっている。

最後に、府中・三次間と芸備線三次・備後西城間(以前は備後落合だった)には 沿線の高校の登校日を考慮した臨時列車が運転されていることは、以前にもご紹介しました。特に昼間に福塩線を乗り通したい人にとって、この列車は大変有難く、また走行写真撮影を計画するにも重要な情報です。下川辺駅に掲示されていた運転日を示すカレンダーを添付しておきます。残念ながら11月以降は不明です。10月の芸備線での運転は終了していますが、福塩線はまだ多くの日に走るようです。

三次行き8726D, 府中行き8727Dの運転日を示すカレンダー

大変ローカルな話に長々とお付き合い下さり、ありがとうございました。

福塩線下川辺駅について」への2件のフィードバック

  1. 興味深い事実なので背後関係を考えて推理しました。
    まず1954年4月10日の下川辺電化延伸は、同年3月31日発足の府中市誕生の際に下川辺村の編入が行われており、選挙の公約だったのではないでしょうか。
    それから電化廃止の1962年3月15日は、1961年9月6日の山陽本線三原電化に伴う、福塩線の600V→1500V昇圧に拠るものと思われます。
    この際にクモハ11等の省電17m車が大量に府中に転属し、社型電車は淘汰が進み、下川辺まで旧省電を入線させるのに、効率的に見て無駄な運用と考えられて、電化区間は8年で廃止。
    しかし当時は気動車が破竹の勢いで活躍を始めました。社型のオンボロ電車の代わりにキハ20系を投入すれば、苦情も無く、乗客は喜ぶ。そんな所がこの歴史経緯の事実の裏側だったのではないでしょうか。

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