「B」の時代 ④

「利尻」を撮る

つぎは、機関区での止まり撮影ではなく、列車の「B(バルブ)」撮影例を、北海道の夜行で見てみました。優等列車と言えども、夜行列車は停車時間が長いものです。眠いのをガマンして、この停車時間を利用して、カメラと三脚を担いで、ホームに下りて、列車をよく写したものです。以下は、宗谷本線を走ったC55時代の「利尻」です(昭和44年9月)。
この日は、DRFCの仲間と、豊富で日曹炭砿の96を撮り、上り「利尻」に乗り込んだ。牽引はC55とあれば、そのまま寝付く訳にもいかず、駅に停車するたびにホームに飛び降りて「B」撮影を行なった。写真は、幌延に停車中の「利尻」、手帳を見ると、露出は定番の絞り8、30秒となっていた。

同じく幌延に9分間の停車中の「利尻」、本日のカマは、C5543〔旭〕、密閉式のキャブも、寒い時期以外は不要で、開け放たれていた

「利尻」の停車時間が長いのは、始発・終着時刻を、適切な時刻とするための調整の意味もあるが、当時の時刻表を深読みすると、次のような、キメの細かい接続間が行なわれていることも理解できた。上り札幌行き「利尻」で見ると、幌延は21:57~22:06の停車、羽幌線825Dが 21:58着で接続。音威子府は23:32~23:45の停車で、天北線730Dが23:33着で接続。さらに名寄は0:47~0:58の停車で、名寄線634Dが23:54着で「利尻」に接続していた。下り稚内行き「利尻」でも同様で、音威子府は3:13~3:30の停車で、天北線721Dがなんと3:44発で接続していた。幌延には4:57~5:08の停車で、羽幌線830Dが5:20発で接続していた。

羽幌線、天北線、名寄線とも、昭和60年代に廃止された路線で、当時でも、それほど旅客需要は無かったと思われるが、「利尻」に接続するために、朝の3時台や、深夜23時台の列車が、たとえ一人でも「利尻」に乗り換える旅客のために運転されていたのだ。このように「利尻」を幹として、ローカル線の末端までのフィーダー輸送が行なわれていた。いかにも、国鉄らしい、地方にも優しい、損得抜きのダイヤが組まれていたのだ。

こちらは音威子府13分の停車の間の撮影、手帳に絞り8、40Sとあり、周囲の光量も意識して露光時間を調整していたようだ。動輪まわりを点検する機関士によるライトの光跡が見える。以下は、その後、「利尻」がDL化されたあとも普通列車の牽引に残るC55、名寄に到着した323レで、木造の駅舎はその後も残り、昨年訪れた時もまだ健在だった(昭和47年3月)。

323レは名寄が終着、客車から切り離されたC55だけ区へと向かい、整備を受ける。アッシュを落とすシーン。C55が庫に入ったあとも、ピットに落としていった灰の取り除き作業が黙々と続く。名寄機関区の庫には、C55や96が休んでいた。寒冷地の機関区は、尻を向けて入庫するため、写真にはなりにくい。

静かな庫内に、蒸気の洩れる音だけが聞こえる。C55は、翌朝の仕業に備えて、もう寝入っているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名寄機関区と言えば、名著「北辺の機関車たち」の冒頭ページを飾ったのも、名寄機関区で、上とほぼ同角度から撮られていた。庫内にも雪が入り込む過酷な夜景だったが、この時は、暖かいぐらいの日で、雪は全くなかった。過日、著者と話ができて、撮影談義もすることができた。

6 thoughts on “ 「B」の時代 ④

    • 米手さま
      夜行列車の途中の停車時間は、このように撮影もしましたが、編成調べもやりましたから、寝るヒマもないほど忙しかったですね。「利尻」も調べましたが、撮影の時期(昭和44年)にマロネロ38は無く、やはりオロハネ10でした。

  1. 総本家青信号特派員様
    バルブに蒸機はあわないと申し上げて謝らないといけないですね。北に南に正しく夜の蒸機時代を堪能させていただきました。夜行の「利尻」は当時のカニ族や鉄ちゃんの必須列車でしたので各自思い出があると思います。私の時は準急「利尻」でC5559でしたが、総本家さんのように夜通し起きて、ここぞという停車駅や機関区を訪問することは頭にありませんでした。抜海で夜を明かす兵の話も私にはできませんでした。寒いところでは機関庫に入る機関車はお尻を出すとは初めて知りました。それにしても次々と投稿されるとはどのようにフィルムやスキャンしたデータをストックして出せるのでしょうか。

    • 準特急さま
      ことしもコメントをたくさん頂戴して、ありがとうございました。投稿はいったん途切れてしまうと、なかなか元に戻すことができません。一気にやってしまいます。そのためには、事前の準備も大事で、思いつきの投稿では無く、企画→写真選定→スキャン→原稿→投稿というフローを大事にしているつもりです。

  2. いつもながら素晴らしい写真をありがとうございます。このような光景を実見されたこと、羨ましい限りです。
    稚内で利尻の発車待ちがてら、稚泊ドームで保存C55のバルブ撮影をしたのを思い出しました。火はもちろん入ってないものの、何となくできなかったSL撮影の疑似体験をした感がありました。
    今、ググると稚内の保存C55も動輪を残して解体されたようです。

    • 宇都家さま
      年が改まってしまいましたが、いつも見ていただき、ありがとうございます。本年もご愛読お願いいたします。稚内でたしかにC55が保存されていましたね。もう解体されていますか‥‥、あと北海道でのC55の保存機は手宮の博物館だけですね。ホンモノの「利尻」の夜間撮影では、稚内は構内が狭くてやったことがありません。やはり中間駅での停車中のほうが、広くて時間もあって、いい写真が撮れました。

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