囚人電車はランランラン行くよ♪

汽車の窓からハンケチ振れば~と歌うのは岡本敦郎の『高原列車は行く』ですが、この歌の舞台が沼尻鉄道だと言うことを知らない人でもメロディーはご存じでしょう。
先日の関三平先生との飲み会で南海電鉄の話題が出たとき、突然関先生から『南海に囚人電車があったのを知らんやろ!』と発言があって座が一瞬静まりかえりました。各自の頭の中には「鉄格子窓にしがみつく囚人達を乗せて走り去る電車」や「囚人が運転する電車」だったのではないでしょうか?
関先生から貴重な写真が贈られてきたのでご覧に入れます。

撮影日時:1959年4月10日(何の日?)住之江車庫関先生の説明では、モハユ752が堺にある大阪刑務所の囚人達を野外の作業に連れ出すために臨時運行され、普段は堺東駅に停まっていたとのことです。
囚人輸送車に使用時は「◯に囚」のサボが掛けられたとか。・・・・・ウソです

▲モハユ752車内 鉄格子は無いようだ

▲撮影日時:不明

モハユ752用ブリル27MCB2

このモハユ752は、以前に掲載した「昭和の電車・高性能試験車モハ1」のお仲間だそうです。

その他にお仲間の木造南海電車をご覧に入れます。
なお、これらの写真は複製コピーのため、画質が悪いのをご了承ください。

クハ101 和歌山市駅 1950年10月6日

モハ705 加太 1950年10月6日

終戦からまだ5年、資材不足は窓ガラスに現れています。101はガラスが半分に分けられていました。

6 thoughts on “囚人電車はランランラン行くよ♪

  1. 最初の写真、住之江車庫での「撮影日時:1959年4月10日:(何の日?)」とは、皇太子(現.上皇)のご成婚の日ですね。この日は臨時の祝日だったのでしょうか?
    5枚目の写真には「臨」のサボが付いていますので、実際の囚人輸送ではこの状態で運行されたのでしょう。奥に客車(サハ4801?)が見えますので、あるいは車庫内での入換にも使われていたのかもしれませんね。

    • ご明察!
      昭和34年4月10日は皇太子殿下と美智子妃のご成婚日でした。この日は臨時の祝日となり国民みんながテレビの前に釘付けとなっていました。これを見るためにテレビが普及して、日本中に一気に広まったと聞いています。
      都心には多くの都電軌道があって馬車の車輪がとられないように砂が詰められていたのを不思議に思って見ていたのを覚えています。中学に入った年でした。

  2.  近鉄の鮮魚電車や京阪の新聞電車は知ってますが、囚人電車がランラン走ってたなんて聞き始めです。南海以外にもあったのかな?
    野外作業とは囚人の遠足だったのか、行ったとこは何処で何をしていたのか知りたいものです。刑務所から駅までは護送車の送迎だったらそのまま野外作業に行けばいいものを、遠く高野山まで行ったのか、線路際の草むしりが作業だったのか。看守や囚人だったなど関係者さんの回顧談はありませんか。
     この電車の仲間は新型台車を履いて高性能試験車として働いていたけど、走行試験で重し代わりに囚人を載せたことがあったかもしれませんね。重しの加減が簡単で、加速減速時の人が倒れる様子が手に取るよう分かったでしょう。囚人はもちろん出所真近い模範囚でお駄賃ももらっていたでしょうか。南海も刑務所一石二鳥。不要不急の外出を控える昔を知らない老人の戯言でした。

    • 現場は高野線の沿線だったのでは?と関先生が仰っていたので、たぶん沿線の道路工事の手伝いか、高野山で教誨の説教を聞いていたのではないでしょうか?なお、刑務所から最寄り駅までは鎖でつながれて徒歩か駆け足だったのは間違いありません。

  3. 『難解電車』を調べるのに手間取り、遅くなってしまいました。
    モハユ752は吉野線用の「電6形」として大正12年に誕生し、当初125~129の5両の仲間がありました。3両がモハユ751形に改造され、751~753となりました。北丹鉄道にいたハニ11はモハユ751ですから、兄弟電車と言えます。
    モハ705はモハ701形の一員で、元をたどると大正13年製造の吉野線用「電8形」で、130~144の15両の仲間がいました。一番違いのモハ706が「昭和の電車」で紹介された『モハ1』です。
    クハ101は加太電鉄から南海に出戻った車両で、元は『たまご型』の元祖「電2形」らしいのですが、鋼体化で不要となった木造車体を加太へ行ったとか、出戻ってからもモハ701型の車体と振り替えただとか、とにかくややこしいのです。
    モハユ752の車内は初めて見ました。大正生まれの電車らしく、優雅な雰囲気が漂ってますね。小さいころに乗った叡電を連想します。
    モハ705とクハ101は撮影日が同じですので、コンビを組んで加太線を走っていたのでしょう。
    モハ705の台車はブリル27MCB2ですが、クハ101の方はブリルはブリルでも27E1½のように見え、「電2形」と同じ台車です。しかし、車体だけが加太へ行ったはずなので、訳が分からなくなります。また、10年後の1960年に撮影された同型車のクハ102の台車はブリル27MCB2を履いており、この間に交換されたのか、それともクハ101だけが特別だったのか…。「うわっ!古い電車や!」で済ませておけば良かったのですが、足を踏み入れてはいけない領域に入り込んでしまったようです。アカン、夜も寝られへん。
    長々と下らない文章を書いてしまい、大変失礼しました。

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