本欄でも、2年前の広島豪雨の爪痕が残る山陽本線を行く、観光列車「エトセトラ」のレポートが西村さんからありました。ことし7月にも豪雨があり、肥薩線、久大線などの沿線では、復旧半ばの様子が報道されています。実は、京都でも、この7月の豪雨で不通になったまま、開通の見込みすら立っていない叡電鞍馬線があります。7月8日の早朝、二ノ瀬~貴船口で土砂崩れが発生したもので、復旧作業にも着手できず、現在、鞍馬線は、市原で折返し運転、以降は京都バスによる振替輸送が行われています。現場の様子が気になっていましたが、先日、歩いて現地を訪れることができました。▲土砂崩れの現場、鞍馬線貴船口から二ノ瀬寄り約400mのところで発生した。(ネットニュースから転載)
▲このため鞍馬線は市原止まり、市原~二ノ瀬~貴船口~鞍馬は、京都バスによる振替輸送が行われている。市原に到着した電車は、「出町柳」を出して折り返すが、ダイヤに変更はない。
▲平日午後の市原到着前の車内。観光客・行楽客も少なく、沿線の大学もまだ通常にも戻っていないから、以前と比べて車内は閑散としている。車内の案内テープは「電車は市原まで、鞍馬方面はバスに乗り換え」とあり、相当な不通を覚悟している様子だった。▲▲市原に到着、市原行きは通常でもあるので、方向幕は常備されている。折返しの客を載せて電車は発車する。
▲市原駅のポスター、バス輸送は、あくまで振替輸送で、代行輸送ではないため、運賃は別途支払いとなる旨が強調されている。▲▲市原を出てすぐの鉄橋の向こうには車止めが設置され、雑草が生え始めていた。
▲市原駅から徒歩3、4分のところにある市原のバス停、通常の定期バスのほか、電車の到着に合わせた振替輸送バスが発車する。▲▲例年なら、11月になると“もみじのトンネル”で賑わう二ノ瀬の鉄橋にも電車は来ない。代わりにバスだけが何度も通る。
▲旧鞍馬街道を歩いて二ノ瀬へ向かう。この区間は、バイパスのトンネルで抜けていて、旧道を行くのは京都バスのみ、クルマは一台も通らず、人すらも、わずかにランニング中の一人だけに出会うだけだった。▲二ノ瀬に着いた。線路はすでに錆を浮かべているが、信号は点灯していて、ICリーダーも通電していた。
▲駅へ上がる石段は鎖で封鎖中。▲▲しかし、ホーム横のトイレにも電気が点き、水も出た。
▲貴船口駅の南にある朱塗りの橋から見た鞍馬線の線路、左の林の向こうが土砂崩れの現場、道路からは林に覆われて現場が見えない。道路の横では、復旧用の駐車スペースが造成されている様子だが、全く工事には掛かれていない。間には、貴船川も流れていて、アプローチするだけでも大変な場所で、果たして、いつから工事が始まるのか、報道されていない。
▲貴船小学校の南にある、京都バスの貴船口乗り場。左手の山には、二年前の台風の倒木がまだ放置されたまま、その時も鞍馬線は長期不通になった。この時は、一日も早い復旧を目指す会社・地域の熱意があった。その様子を伝える記録が鞍馬駅に展示されていた。今回の二の舞の不通は、地元でもほとんど話題に上らないし、復旧の熱意も伝わって来ない。まさか、災害不通→廃止の道をたどるのではと思わせるほど、不気味さが現地には漂っていた。帰りのバス停では、GoToキャンペーンで東京方面から来たと思われる女性客が、何の違和感もなく、静かに振替輸送のバスを待っていた。
総本家青信号特派員殿
鞍馬線が不通になっていることは頭の隅にもありませんでした。現地取材ご苦労様でした。鞍馬線の魅力は市原を過ぎて、二ノ瀬辺りから山に分け入って行き、貴船口を経て鞍馬に至る区間が四季を通じて絵になるので、コロナでお客が少ないとは言え、一刻も早い復旧が望まれます。昭和44年4月にBOXでF本氏、K林氏、今は亡きS村氏と急に行ってみようということになって二ノ瀬に出かけた時のひとコマです。302が山を下ってきて二ノ瀬駅に着くところです。
西村雅幸様
さっそくのコメント、ありがとうございます。そうでしょう、京都ですら、叡電が不通になっていること、ほとんど話題にもなっていません。ましてや、ほかの地域では、鉄道に関心のある層にも伝わっていないと思います。二ノ瀬の光景、木は成長していますが、全く変わっていませんね。300形は当時の最新車両で、乗り合わすことができると、京阪・阪急と同じ気分が味わえたものでした。叡電は、BOXからいちばん近い鉄道でしたから、私も時間ができると撮りにいったことがありました。
総本家青信号特派員様
電車の不通区間3.5km、徒歩で踏破すると4~5kmはあるでしょうか。詳しいご報告ありがとうございます。もうすぐ紅葉のシーズンを迎えるというのに、一昨年のような復旧への熱意が感じられないのは気がかりですね。コロナ禍の影響で、早期に復旧できたとしても乗客は期待できないということなのでしょうが、観光客や地元の皆さんの重要な足、そして我々鉄趣味人にとっても、四季を通じて良き被写体を提供してくれる電車だけに、復旧が遅れバス代行が長くなるのは大いに気になります。
学生時代から何度か「撮り鉄」しに訪れた線ですが、紅葉真っ盛りでピーカンの好天に恵まれた日の写真を添付します。2013(平成25)年11月12日、終点鞍馬へ向かう「きらら」第1編成を貴船口駅ホームから後追いで撮りました。
追伸
撮影日を間違えておりました。2013年11月18日です。お詫びして訂正いたします。
まほろばの鉄趣味住人さま
紅葉真っ盛りの貴船口の写真、ありがとうございました。不通区間は貴船口までしか歩きませんでしたが、市原で道を間違えて違う方向へ行ってしまい、おかげで1万5千歩歩くことができました。前回は小規模な土砂流入と倒木でしたが、今回は、山の頂上からの表層土砂崩れですから、斜面を固めたうえでしか土砂撤去ができませんし、現場は川が流れていて、近づくことすら困難な場所です。工事着工の目途さえ付いていないようです。紅葉時など、いっときは行楽客・観光客で超満員になりますが、普段の叡電は、閑散としています。このままだと、北海道や九州のように、災害廃止になってしまうのではと本気で危惧しています。
総本家青信号特派員様
叡電鞍馬線には2017年の夏に乗りました。
貴船参りと「川床料理」と洒落込んだ積りが、結局「川床」は一人旅の小生に取っては贅沢で取り止め。
貴船口からはバスが有ったのに、何故か延々と続く登り坂をテクテクと歩く事となりました。
上に行くにつれて道幅は一車線位と狭まり、車で車でごった返す中、右に左に体をかわしながらの参拝でした。
その帰途、「電車も撮らなきゃ」とパチリ、が添付写真です。
そう言えば、2008年夏から毎年「京都参り」していた小生も、年々増える隣接国の「ガラ悪観光客」を避けて、この年以来パッタリ京都にはご無沙汰です。
河さま
“青もみじと叡電”、いいですね、ありがとうございます。貴船口駅が見違えるようにきれいな駅舎になりましたが、これも、いまは封鎖されています。鞍馬線は、かつては鞍馬が目的地でしたが、いまは、断然、貴船です。とくに若い人たちには人気があるようで、これは、テレビの旅番組の影響も大きいでしょう。川床料理は、景色も料理のひとつとして、人気が高いようです。それに惑わされ富裕層(?)が、高級自動車で、どんどんやって来るものですから、狭くて行き止まり状態の道路は、フン詰まりで、大混乱しているようです。根っからの京都人は、心苦しく思っていることでしょう。
“京都にぞっこん”の河さまに、またお会い出来ること、楽しみにしています。当分は、大陸のガラ悪観光客もゼロですよ。
総本家青信号特派員様
叡電が不通になっているとは知りませんでした。貴船口の朱塗りの橋から見た風景は気に入った場所です、毎年のクローバー会総会の前にはよく行っていました。今年もまた行けるかなと思っていましたが残念です。復旧工事に手が付いていないようですが、存続が気になります。写真は2016.11.4で紅葉には少し早かったです。
wakuhiroさま
ホームカミングデーの時は、叡電に寄られること、直接お聞きしたことがあります。そろそろ紅葉が色づく季節ですか、ことしは行くこともできないのは、本当に残念です。ちょうど、この写真の左側の色づき始めた紅葉の向こう側が土砂崩れの現場です。
“釈迦に説法”と思いつつ、知ったかぶりを一つ聞いて下さい。
河さんのお話にあった「川床」は鴨川畔(三条ー五条)にもあります。ところが読み方が違うのはあまり知られていません。テレビでもアナウンサーが言い間違えるくらいですから。
貴船のは「かわどこ」で鴨川は「かわゆか」略して「ゆか」です。
これを混同してはいけません。「ゆか」で一杯やろか?は鴨川に突き出た板張りの座敷です。「かわどこ」へ涼みにいこか?は貴船です。
同じように間違えられるのに「大文字」があります。これは「大文字送り火」が正式で、ときどき東京からの放送では「大文字焼き」と言うことがあります。全国的には「大文字」の行事が散見されますが京都のはれっきとした宗教行事で、盂蘭盆のお精霊(おしょうらい)様をお見送りするものですから送り火なのです。今川焼きの仲間でも、奈良若草山山焼きの仲間でもありません。
今年、誰かが中止となった行事の隙を突いて懐中電灯で「大」の字を描きましたが、京都の人々は大憤慨をしました。それは大切にしてきたお盆のご先祖供養をバカにした、との想いからです。
そんなこと知ってるワイ!とのお叱りもなくご静聴下さったことを感謝致します。
懐中電灯で「大」の字を描いた事件が今年にありましたが、私が学生だった1970年から1973年ごろだと思いますが同じように「犬」と描いた事件があったことを思い出しました。新聞にも写真入りで報道されていたと思います。なにぶんにも1970年頃の話ですので、当時としてはあってもおかしくない時代でした。結局、だれがやったか、わからなかったようです。ただし、よく見ないとわからないような、ほのかな明かりだったようです。今は50年前とくらべものにならないような明るさだから懐中電灯の技術も進んだのですね。
そんな昔でしたかね。
その時は白い布かなんかを持って立っていたようで、当然昼間でした。
米手作市様
「川床」と「床」、知ってました。
で、「床」は2008年の7月に、やっと初体験しました。
この時は祇園祭での京都訪問時でしたが、やはり一人旅でフラリと憧れの「床」を訪れ、一杯やりながらの「京都」を実感したのを覚えています。
小生、元々関西人で、母の里は修学院だったのですが、幼少の頃から京都は関西でも別格の地で縁遠い感じでした。
「送り火」については「大文字焼き」と耳にした事も有りますが、若草山の山焼きとは違うヤロ!との違和感が満々でした。
関東に来て、小田原に「大文字焼き」の行事があるのを知りましたが、饅頭でも有るまいし、何言うとんねん!でしたヨ。(笑)
河 昭一郎様
小田原でしたか!
他にも東北や中国地方にもあったような気がします。
いずれにしても早く復旧して欲しいものです。
米手作市様
小田原の「大文字焼き」。 正確には小田原から山奥の箱根が正解で~す。
行った事も無いクセに、ソソッカシい小生は「小田原の方」と大雑把に記憶していました。
この行事は、京都から比べると高々100年ほどの歴史しか無く、イワユル観光の色合いが濃いものの様で、近年の観光騒ぎで急に脚光を浴びた感が有ります。
以上、訂正してお詫びです。
どこかで聞いた話なので、不確かで申し訳ないのですが、土砂崩れの背後の山が、叡電の所有ではないので、そこの土留めを勝手にする事が出来ないのが、復旧が進まない理由だそうです。
国が本気でやれば、1か月もあれば出来そうに思うのですが。