北海道は遠かった、広かった(その3)

昭和50年2月に標津線を訪ねています。札幌発21:30の狩勝4号のハザで6:15に釧路に着き、多分駅弁でも買って、6:34発釧網線622Dで標茶に着いたのが7:36でした。標津線根室標津行き323Dの発車8:31までの小1時間をどうして過ごしたか、まったく覚えがありません。323Dで次の駅泉川で下車しています。丁度泉川で標茶行き324Dとの交換風景を撮ったのがこの写真です。それぞれキハ22の単行。民家もまばらな根釧原野の小駅にも国鉄職員が勤務されていた時代でした。

昭和50年2月13日 標津線泉川駅での交換風景

この泉川駅から次の光進乗降場へ向かって線路を歩きました。幸い好天に恵まれたのは良いのですが、サングラスなどしゃれたものは持ち合わせておらず、まぶしい雪中行軍でした。

C11単機回送

C11171

白煙を残して走り去る

どこまで行っても同じような風景が続くだけで、ただ歩くだけでした。犬走にウサギやキツネ?の足跡が縦横にあるのを観察できるのは、積雪期ならではでした。夏ならヒグマに襲われるのでしょうが。

キハ22の2連 列車番号不明

C11171牽く貨物列車

ある程度ダイヤを調べて行っていたのでしょう。上のキハ22とほぼ同じ場所のようです。積雪期は待ち時間に座って待つということができないので、リュックをおろして立って待つことが多かったように思います。単機回送で行ったC11171が貨車を牽いて戻ってきました。転向してきたようで逆行ではありません。

チキの上には雪上車?

目の前を通過する貨車を見ると見慣れない車両が積まれており、思わずシャッターを切りました。西春別には陸上自衛隊別海駐屯地がありますので、その関連なのでしょう。日本の戦車は1067mmゲージの貨車に積載できるサイズで設計され、一時期は青函トンネルも通過できましたが、最新の陸自戦車は幅が広く、積める貨車もなく新幹線と併用トンネルとなったため、津軽海峡はフェリーでしか渡れなくなったと聞いたことがあります。閑話休題。

C11227牽く貨物列車

ようやく目指す光進乗降場に着きました。

光進乗降場を通過してゆく急行「しれとこ2号」釧路行き

道内各地にはこのような乗降場がどれくらいあったのでしょうか。北海道の地名・駅名にはアイヌ語を漢字化したものが多いのは当然として、「光進」「栄丘」「北進」など開拓民の想いを込めた地名、駅名が多かったと思います。

さてこのあとどのように過ごして、どちら方面に向かったのかメモがなくよくわかりません。光進乗降場に次に停車するのは、13:42の標茶・釧路行きか14:00の根室標津行きまでなく、ここでボンヤリ過ごしたのか、また歩いて泉川まで戻ったのか、更に先の西春別まで歩いたのか さっぱり覚えがありません。

C11176牽く貨物列車  場所不明

標津線には中標津から根室本線厚床に向かう47.6Kmの支線もありました。列車本数も少なく、乗ることはかなわないまま廃線となり、年月が過ぎました。約40年後の平成26年に道東を旅した折に、気になっていた乗り損ねたその線区の奥行臼駅跡を訪ねました。

平成26年6月9日 奥行臼駅跡

かつてはここから別海村営軌道も出ていましたが、昭和46年に廃止され、ディーゼル機関車、自走客車、ミルクタンク車がこの近くに保存されているのがせめてもの救いです。木造駅舎と島式ホームだけが時間が止まったように原生林の中にあり、独特の景観でした。

奥行臼駅名標

厚床・奥行臼間11.5Kmの間には乗降場はなく、反対方向12.3Km先の駅は西別の筈なのです。またその間に乗降場な無かったはずです。それなのに「べっかい」と書かれているのは腑に落ちません。確かに別海村の中心が西別だったでしょうが、西別を別海と表記してはいけないように思います。何か事情があったのか、ご存知の方があれば教えて下さい。

8 thoughts on “北海道は遠かった、広かった(その3)

  1. 昭和49年3月、新婚旅行にかこつけて標津線を走破しました。
    朝に根室を出たのは間違いないのですが、どのようなコースをたどったかは忘れ去りました。

  2. 米手作市様
    私も、新婚旅行にかこつけて、渡道しました!
    もっとも、車+フェリーで行きましたので、乗り鉄はゼロです。
    しかし・・・
    もちろん無煙化後なので、保存車めぐりを敢行!
    道東のC11をめぐりました。1991年

    • 1974年とでは二十年近い差がありますのでやむを得ないことです。私の時代でも蒸機牽引の客レには乗れませんでした。

  3. 西村雅幸様
    西別は昭和51年12月1日に別海へ改称されておりますので、廃線時の駅名標がそのまま残されたのではないでしょうか。

    • 紫の1863様
      西別は別海に改称されたのですね。それなら合点がゆきました。ありがとうございます。

  4. 奥行臼駅は、4年前の平成29年10月29日、釧路市立博物館が開催した「簡易軌道バス見学会、アンコール、浜中、別海編」に参加した時に訪れました。駅が丸ごと保存されており、今にもC11が到着しそうな雰囲気でした。
    別海町は、史跡の保存には非常に熱心で、奥行臼駅の他、簡易軌道の車両も美しい状態で保存されており感激しました。その他にも鉄道開通以前に存在した駅逓所を復元中でした。

    • 藤本様
      釧路博物館は雄別鉄道や簡易軌道など鉄道関連の企画が多いですね。平成26年に奥行臼を訪ねた際には、駅逓や簡易軌道の車両も撮っています。

  5. 奥行臼駅のジオラマです。国鉄と簡易軌道の位置関係がよく判ります。
    ジオラマの中の青い屋根の建物の中にありました。

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