瀬戸内マリンビューがゆく

呉線の観光列車として2005年10月から走り始めた「瀬戸内マリンビュー」は全線電化された線区を走るディーゼルカーとして珍しい存在です。土曜、休日のみ広島ー三原間を1往復します。車両は2両編成で、広島方が指定席のキハ477001、三原方が自由席のキハ477002です。快速列車として主要駅だけに停車し、広島・三原間を約2時間半で走ります。今日はクルマで少し追いかけをしてみました。

三原駅の配線は1番線が呉線着発用、2番線が山陽本線下り、3、4番線が山陽本線上りとなっていて、呉線は1線しかありません。呉線の一部の列車は糸崎まで足を延ばすのですが、大半は三原折り返しです。列車本数も少なく すぐ折り返すので1線でこと足りているのですが、マリンビューは三原折り返しの間 約1時間の待ち時間があるのです。しかし三原駅には留置線がなく、この1時間の間に定期列車が1本折り返すため、1番線を空けて、逃げなければなりません。2.4Km先に糸崎駅があるので、糸崎に逃げればよいと思うのですが そうはしないのです。わざわざ17.2Km離れた忠海駅まで今来た道を引き返し、回送で忠海を往復するのです。なぜそんなことをするのか不思議なのですが、三原は広島支社管内、糸崎は岡山支社管内なので 広鉄と岡鉄には見えない壁があるのかと勘ぐってしまいます。でもそのおかげで 約2時間ほどの間に回送を含め クルマがあれば4ヶ所で撮影できるのです。

安芸長浜駅を通過する8232D三原行き

安芸長浜駅を通過する8232D三原行き

安芸長浜駅は忠海・大乗間に平成6年10月に開業した新駅です。呉線にC59,C62を追いかけた時代には無かった駅です。この駅は写真左手に広ろがる 地元ではデンパツと呼ばれている電源開発竹原火力発電所の正門前に作られました。昭和42年に1号機が稼働開始、2号機が昭和49年、3号機が昭和58年と現在3基が運転中です。初号機は老朽更新も計画中とのこと。この火力発電所は石炭火力で、写真のうしろに見える薄緑と白の大きな構造物は貯炭ドームです。石炭は船を横付けして陸揚げされます。原発が停まっているためフル稼働のようです。

須波・安芸幸崎間を行く下り回送列車

須波・安芸幸崎間を行く 忠海行き 回送列車

三原から戻ってくる下り回送列車を須波海浜公園のそばで待ちました。この海浜公園には人工の砂浜の他に淡水のプールもあるのですが、なぜか海辺の淡水プールの方が人気があるようです。

安芸幸崎駅で143Mと交換する上り回送列車

安芸幸崎駅で143Mと交換する 上り三原行き回送列車

 

安芸幸崎駅の141M 広行き

安芸幸崎駅の141M 広行き

安芸幸崎駅のうしろに見えるのは 幸陽船渠という中堅造船所の800Tonクレーンです。安芸幸崎に限らず、各駅には昼間の閑散時間帯の105系2連にはもったいない 昔ながらの長いホームが残っています。

須波・安芸幸崎間を行く8235D 広島行き

須波・安芸幸崎間を行く8235D 広島行き

幸陽船渠で進水した大型タンカーが丁度試験航行中だったので このタンカーを入れて下りマリンビューを撮ろうとしたのですが 間一髪タンカーが画面から外れてしまいました。手前の道路は呉線と並行する国道185号ですが、昔は線路ぎわまでが海で国道は線路の山側でした。撮影ポイントを探そうと 山側の旧道に入ってみたのですが、これが国道だったのかと驚くほどの狭さで通れず バックで引き返しました。

NHK大河ドラマで平清盛をやっていたときには 清盛マリンビューとして宮島口まで延長運転されていましたが、今は元に戻って広島までです。今は夏休みだからかもしれませんが、この日はまずまずの乗車率のようでした。電化区間にわざわざディーゼルカーを走らせるという変則運用がいつまで続くのかが気懸りです。

4 thoughts on “瀬戸内マリンビューがゆく

  1. 西村様
    呉線のルポ、ありがとうございます。私にとっての呉線は、C59・C62時代から完全に止まったままです。それだけに、新駅ができたり、おしゃれな海浜公園が出来たことは驚きです。
    須波~安芸幸崎間の変貌ぶりも、蒸機時代に現地へよく行った人間にとっては、全く景色が変わってしまいました。お書きのように、当時の国道は、呉線の山側にありました。それが、埋め立てられたのでしょうか。海側に広い国道が出来たのですね。ちょうど、撮影に行って、三脚の取り付けネジを、この付近で落としてしまい、何の役にも立たない三本の金属棒を持って、とぼとぼ須波まで戻ったことを思い出します。安芸幸崎駅裏の幸陽船渠という造船所は、当時からあったような気がします。
    105系2連とは、長い客車編成を知る世代にはさびしい限りですが、これがローカル線の現実なのでしょうね。

  2. 特派員殿
    さっそくの思い出話をありがとうございます。須波・幸崎間に限りませんが、海岸線を走る列車は車窓からはすばらしい景色を楽しめますが、いざ海岸で海を入れて列車を撮るとなるとこれが意外と難しくいつも苦労します。架線柱や架線もやっかいです。ところで 4枚目の写真の線路と道路との境界の石積みは弓なりの断面の護岸そのものです。このあたりから須波まで歩くとなると結構な距離があります。当時はこれぐらい歩くのが普通でしたが、今になるとよくこんなに歩いたものだと驚くことが多くなりました。歳なのでしょうネ。さて幸陽船渠は昭和24年創業ですから ご記憶のとおり当時からありました。今回は800Tonクレーンをかろうじて入れてみたのですが、本当は建造中の船を入れたいと思っています。尾道の尾道造船、安芸川尻の神田造船など線路ぎわの造船所は絵になるのですが 言うは易しでなかなか実現しません。マリンビュー以外はありきたりの電車であまり魅力はありませんが 是非呉線の40年の変化を実感しに来て下さい。

  3. 西村様
    見たことのあるような、記憶にあるような風景に出会いまして、そうそう私にも呉線の画像があると思い出しました。『奥山さんの機関区巡り』C62編の驀進編で呉線があり、そこに2枚ほど載せていますが大多数は未公開でした。1966年当時広島-広間の旅客列車は数多く、C62がプッシュ運転、もしくは後ろ向きで牽引する列車の画像があります。あの大型機がどうせてこのような運転方式だったのでしょうか。一方広島-糸崎間の列車や、呉線通過の急行などのC62は正常運転です。広駅の転車台の有無とか、その他の理由でしょうか。ご存じなら教えて下さい。それよりも早期に、画像を見て頂かねばなりませんね。準備します。

  4. 呉線広島口にはC62のバック運転がありましたね。小屋浦のトンネルからいきなりテンダーが飛び出して来て、客車にはロングシートのオハ63を連ねているので すごい客レがあるものだと驚いたことを思い出します。呉駅構内や広駅構内に転車台はなかったように思いますが、定かではありません。呉線を通して走る列車は広島と糸崎で転向できるので正常でした。

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