かなり深い積雪だが、線路には雪はない。その中に次々とD51重連列車がやって来る。俯瞰だと広い視野が得られるが、列車に接近した横構図だとかなり狭まり、35mmや28mmレンズの出番になる。
崖の上の、少し広いところで撮影していた時、珍しくも地元の人が話しかけてきた。素朴な老人だと見たが、いやはやどうして、欲だけは見事に突っ張っていたようである。というのは、小生が三脚を立て、マミヤC3に180mmレンズを付けてファインダーを覗いているのを見て、この欲深爺さまは、てっきりこの土地を国鉄が電化工事の為に購入するべく、我々は測量と現地検分に来た者だと信じこんだようである。つまりレンズ交換式2眼レフカメラを、測量機器=まだレーザー光線での測量機などない頃だから、望遠鏡式のトランシットだと思い込んだのであろう。
うっかり小生がその爺さまの相手をしたのが運の尽き。この管首相ですら顔負けしそうな、粘り強く、しつこく、けして諦めないジイさまは、それからずっと小生につきまとい、質問を繰り返し、放してくれなかったからである。
彼が聞きたく、粘りに粘ったのは、いろいろ言辞は弄したが、要するにこの土地を地主はいくらで手放したのか―国鉄はいくらで買うのか、に尽きた。適当にあしらっていたのが、そのうち相手のペースにはまりこみ、当方はしどろもどろ。それでも「滑ったの、転んだの」といなしたり、とぼけたり、風向きを変えようと、それなりに努めはした。ところがドッコイ、そんなヤワな戦術で引っ込むジジイではなかった。
そのうち流石に根負けしたのか、先方は作戦を変えてきた。国鉄は、電化が先か、複線化が先か、とまたもや蝮の粘りで小生にまとわりついたのである。これにも適当にあしらったのだが、温度は低かったから、いくらなんでも脂汗をタラーリ、タラーリとまではいかなかったとはいえ、純朴そのものの小生は、心底くたびれ、疲れ果て、酒でも飲まないと生命すら保証できない疲労困憊常態に陥ったのであった。
それなのに何ぞや。ハタで仔細漏らさず聞いていた某後輩は、時に噴出すのをこらえながら、助け舟も出さず、先輩が塗炭の苦しみからの脱出に必死こいでいるというのに、実に嬉しげにこの一件を楽しんでいたのは、下克上は世の常とは申せ、誠に怪しからん、嘆かわしい次第ではあった。