連日高尚な記事が続くデジタル元祖青信号に個人的な「すかたん旅行」を披露するのはいささか気が引けるがお許し願いたい。今年は3月11日の地震で大変な年であった。私も「地震体験」という題でデジ青に投稿した。横須賀田浦の梅林であの大地震に遭遇し、横浜まで20kmを歩いた話であったが、また、同じ様な体験をしたので馬鹿(あほ)な行動を報告する。
朝、八王子から老春切符で塩尻経由で行くと12時48分に中津川に到着できる。今夏と同じルートで勝手を知ったコースである。今や貴重となった中央西線のEF641000重連が3本撮れる。13時13分始発の名古屋行きの快速まで広々としたホーム横の留置線の車両を撮影できるおまけつきで好都合である。その留置車両を1両、1両ゆっくりと撮影し終えてさぁー目的の列車に乗ろうとした時に何かざわざわとした音を感じた。最初は高速道路の車が隊列を組んで走行している音かなと思った。そのうちに架線がびゅんびゅんうなって一発ドカッと腹に響く様な揺れがきた。3月11日の長く続いた大揺れに比べて今回は一発だけであったがびっくりした。駅事務所に行くと倉本~釜戸間が線路点検で運休するという。点検により土砂崩れや架線切れを発見すると復旧に長時間がかかるとの説明があった。バスは1時間か2時間に1本くらい恵那まであるという。あとはタクシーであるが、貧乏旅行には使えない。今日の目的地はその釜戸で最近は名古屋近郊の手軽な撮影地としてよく紹介されている。釜戸は私の生誕地でもある。しかし、中津川~釜戸間は22.4kmある。線路に沿って歩いているうちに復旧するだろうと思い、どうせ歩くなら中仙道の宿場町見物をしようと歩き始めた。今日は豊中にホテルを予約してあるが、今日中に何とか着くだろうと心配であったが楽観的に考えた。途中バス停を見ると1時間に1本恵那まで行っていることが確認できたので美乃坂本から恵那まで360円で乗る。恵那からは瑞浪方向にバスがあることを期待したがない。恵那から武並にかけて峠があり、きつい坂を登ったのでD51時代は大変であったろうなと妙な感心をする。峠を越えたあたりで日没。釜戸手前では道を間違えて車の多い19号に出る。暗くて危ないので再び旧道に戻り、18時半頃に釜戸駅に到着。結局17.2km歩いたことになる。駅に着くや「ワイドビューしなの10号」が5時間遅れで通過。やっと復旧したのだ。そして名古屋行きは18時40分頃到着する。その後順調に走ったが最後の金山~名古屋間でまた30分かかってしまった。イライラしながら大阪には23時半に到着。23時48分発阪急宝塚行き最終急行にかろうじて間に合った。乙訓の老人様からよく「(お迎えが近いんやから)あまり無理すんなよ」といわれたことを思い出す。地震は13時1分の発生で震源地は恵那付近で震度4であったと人から聞いた。
11.12.14 中津川駅 右は乗る予定であった13時13分発快速名古屋行き2726Mクハ312ー404
翌日は福知山線生瀬~武田尾間6.4Kmの廃線跡探訪と草野~古市間での撮影をして京都七条の総本家さんの二人写真展をのぞいてきた。拙写併載する。
11.12.15 C54,C55,C57,C11等が走った廃線跡。懐中電灯忘れてえらい目にあう。トンネル内がカーブしており真暗闇でこわかった。右は武庫川渓谷。
11.12.15 草野~古市 2733M 丹波路快速篠山口行き223系
お疲れさんでした。2度あると3度あると古来言われているから、ご用心の程を!
老人は旅行中に地震に遭遇した記憶がない。その代わり台風で何度かひやひやの目にあっている。代表的なものが伊勢湾台風。東北均一周遊券で東京までたどり着き吉祥寺の高校同級生の下宿宅で転寝をしていたら起された。「今夜の夜行は駄目とラジオが言っているぞ」そこで上野駅に北陸線周りの米原行を訪ねてみたら出発すると言う。〆たとばかりに上野へ行った。ほぼ満員で座れた。その後5号瓶をチビリチビリやっていたら眠っていた。動いたり停まったりするうちに2夜目は敦賀での長時間停車であった。昼頃に田村に到着。坂田近くの川があふれ徒歩連絡とのこと。ゾロゾロ歩いて国道の橋を渡った所にキハ20が待っていた。帰宅して後期の登録して2週間の休暇を貰い、田舎へ災害復旧の応援に行った。集落の床下のドロ上げで、終わりの頃は麦の芽が出ていた。それにしても準特急氏は元気だなあ……
乙訓の老人様
伊勢湾台風とは随分昔のことですね。近鉄名古屋線が水没したり、名鉄が洪水で海の上を走っているような写真を見たことがあります。北陸まわりのチビリチビリ旅行も車中2泊ともなるとぐったりされたことと思います。お一人だったら気分的に疲れると思います。今年の8月に始めて羽越線に乗りましたが、酒田から「いなほ7号」を利用した時のことです。強風のため途中の海辺で停車してしまい、青くなりました。秋田で10分の接続で乗り継ぐ「つがる7号」に間に合わないなら予約した弘前のホテルに泊まることができないからです。この時は幸いに直ぐ強風がやんで無事弘前に辿り着きました。インドネシアでも夜出発の成田行きのJAL機がコンピュータ機器の故障により翌日に振り替えさせられたことがあります。この時は急ぎの旅でなくもう1日滞在することができ立派なホテルの食事付きでえらい得しました。暇な私と違い忙しいビジネスマンは大慌てでした。しかし、このようなラッキーなことは稀でして、一般的には自然災害には勝てないし、最近の交通機関はあまり無理しないように教育されているので今後もこういうことはあり得るでしょう。もっと辛い経験がおありの方もいらっしゃることでしょう。発表して下さい。