大西顧問とC61を撮影に行った日

関東連絡網でのロギング太郎さん、掲示板【3295】での準特急さんの書込みの通り、伊勢崎市華蔵寺公園遊園地に保存されているC6120が現役に復帰することになった。関西では梅小路蒸気機関車館にC61の2号機が動態保存されており、館内展示運転に使用されている。

今から36年前の昭和49年5月12日、C612の引く臨時列車「白鷺号」が京都~姫路間に運転され、青信号特派員さん、井原 実さん、私の3名で加古川まで撮影に出かけた時、現地で偶然大西顧問にお会いし、その後も同一行動を取られた。撮影場所を加古川にしたのは、下り列車と上り列車の間に別府鉄道に行こうと考えたからである。当日の行程を振り返ると、加古川到着後、駅の姫路寄りで下りの「白鷺号」を撮影。その後加古川機関区を見学して高砂線野口経由で別府港へ。機関区を見学後、DD1351の引く土山線の貨物列車と近くを走る山陽電鉄を撮影。野口に戻り、徒歩で山陽本線の線路際に出て上りの「白鷺号」を撮影した。当時、大西顧問は「鉄道友の会京都支部」の支部長の要職に就かれており、休日は友の会の行事、模型の運転会、ライフワークにされていた京電の研究等でご多忙な中お付き合いいただき楽しく1日を過すことができた。

 

下り「白鷺号」加古川駅西方

 

上り「白鷺号」加古川~東加古川間

 

下り特急「しおじ2号」広島行

 

下り新快速

 

上り貨物列車 

下り「白鷺号」を撮影後、加古川機関区を訪問、さすがにキハ06はいなかったが、当時の配置はキハ20/16両、キハ25/1両、キハ30/12両、キハ35/5両、キハ36/2両、キハユニ15/3両の計39両で、ラッシュ対策で通勤型が約半数を占めていた。

 

キハユニ153/キハユニ15は3、6、9が配置されていた。3は、昭和27年8月汽車会社で新製された電気式気動車の試作車キハ44002が前身で最初の配置は木更津区。昭和32年12月大宮工場で液体式と車体の前半分を郵便、荷物室に改造し、鳥取区に配置。その後岡山に移り、昭和48年に加古川区に配置され、昭和55年7月に廃車になるまで在籍した。正面の窓ガラスが小さいものに取り替えられ、不細工なスタイルになってしまった。

 

キハユニ156/昭和28年3月日車で新製された電気式気動車の量産車でキハ44005が前身で最初の配置は木更津区。上窓がHゴム支持の2段窓となった。昭和33年3月大宮工場で液体式と車体の前半分を郵便、荷物室に改造し、加古川区に配置され、56年2月廃車になるまで在籍した。

 

キハ2038/昭和32年9月東急車両で新製され、和歌山区に配置、その後亀山区を経て加古川区の配置となり昭和55年9月の廃車まで在籍した。

 

スエ3165/書類上は昭和44年高砂工場でマニ3274を救援車に改造したことになっているが、現車は張上げ屋根で明らかに違っており、実際の種車はマニ3211である。

 

加古川から高砂線野口から別府鉄道に乗換え、終点の別府港で機関区を見学した。次の列車で野口に戻っても上りの「白鷺号」まで時間があるため、直ぐ近くを走る山陽電鉄を撮影した。

 

285+271+270/250形として旧100形の機器を流用して誕生した形式で、昭和26年~29年にかけて250~257、34年~26年にかけて270~289が川崎車両で作られた。前者と後者ではスタイルが大きく異なることと、車号が離れているため、便宜上270形と呼ばれていた。

 

318+317+316/300形として旧200形の機器を流用して誕生した形式で、昭和37年~43年にかけて、300~321、330~335の28両が川崎車両で作られた。

 

3016+3017+3556+3608/昭和42年に神戸高速鉄道を介して阪急、阪神電鉄との相互乗入れ対応車として作られた車両で、中間の3556を除き現在も健在である。

 

DD1351牽引の土山線貨物列車/元江若鉄道のDD1351で昭和32年12月汽車会社製。国鉄のDD13に先駆けて作られたことで有名な機関車である。別府鉄道には昭和45年2月に入線した。

 

DC301/元江若鉄道のDC301で昭和29年12月新三菱三原車両製。江若鉄道が昭和39年廃止された熊延鉄道よりDC25を購入したため余剰になり、別府鉄道に売却されたものである。

 

キハ2/元三岐鉄道のキハ5で昭和6年7月日車製。昭和40年6月に入線し、昭和59年1月31日廃止まで在籍した。元野口線円長寺駅付近の公園に保存されているが状態は悪そうである。

 

キハ3/元三岐鉄道のキハ二6が前身。更に前身があり佐久鉄道キホハ二56として誕生、国鉄買収によりキハ40605→キハ二40706となり昭和17年に廃車、昭和19年に三岐鉄道に入線した。製造年はキハ2より1年早く昭和5年11月日車製である。廃止後は佐久市に里帰りし、キホハニ56に復元の上、成知公園(小海線滑津駅徒歩5分)に保存されている。

 

ハフ7/元三岐鉄道のハフ16が前身。更に前身があり、神中鉄道(現在の相模鉄道)の開業に際し、ハ24として大正14年に汽車会社で作られた車両で、昭和24年三岐鉄道に売却、別府鉄道には昭和34年に入線した。入線以来土山線の混合列車に使用され、最終日まで健在であった。廃止後は相模鉄道に里帰りし、かしわ台車両基地で小名浜臨港鉄道から里帰りしたSL3号機(大正15年汽車会社製)と連結されて保存されている。

 

野口駅での記念撮影/折り返し時間待ちのキハ2のデッキで記念撮影をした。左から青信号特派員さん、大西顧問、大西顧問と同行の友の会会員、井原 実さん、私。大西顧問は外出される時は必ずスーツ、帽子着用の正装であった。よく館林まで東武の蒸機の撮影に出かけられていたが、その時も正装で行かれていたのであろう。

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