国鉄モハ40型 投稿日時: 2013年9月30日 投稿者: 米手作市 祭日や休刊日で、約1ヶ月ぶりの掲載でした。 前回がモハ30型、今回がモハ40型。私にはこの40型、特にクハ55は印象に残っています。緩行電車のロ廃止の時は、京都駅から西大路まで乗りました。 関連記事: 関連記事がありません。
「へっこんちゃん」というのは、モハ63系ではなく、後年のクハ79中、運転手正面窓が斜めになり、上部がややへっ込んでいるグループのことを指し、スパルタンも極まった63系にそんな「うるおい」はなかったですよ。日頃の関センセにしたら珍しいチョンボですな。 返信 ↓
河 昭一郎より 大変ご無沙汰致しております。 そうですね。 『ふくらんちゃん』も、初めて聞いた(本で読んだ)時、我々関西人には何の事かと正直クビを傾げました。 私が知ったのは確か沢柳氏が、その著作の中で氏の『子供の頃にはそう呼んでいた』と書いてあったからですが、決してメジャーな表現とは思いませんでした。 さらに『へっこんちゃん』が記されていたかどうかは記憶にありません。 御大の仰るクハ79の前面傾斜窓車については言い得て妙ですが、へっこんちゃんと表現した記述も見たこと が無いような気がします。(御大には申し訳ありませんが・・・) 米手さんの仰る『合いの子』。 確かにその表記は見なくなりましたね。それには、もう旧国の時代は忘却の彼方にあるため話題にも出なくなったからかも知れません。 もっとも、本来の(?)『合いの子』が差別用語と忌み嫌われて消滅してしまっているのも事実ですが。 かく言う私も急電用43の事を『52と43の折衷形』と書いたりしております。不便な時代になりました。 返信 ↓
河昭一郎様、 お久しぶりでございます。 「ふくらんちゃん」と「へっこんちゃん」が対になっているのなら、40と79では時代が違いすぎますよね。なんか後付けの命名のようにも感じますね。 他にも鉄道では、その時代では聞いたことがないような愛称が、後年あたかも昔からそう言われていたかのごとく流布するのはなぜでしょうか?ちなみにC57を貴婦人とか、C56を高原のポニーとか呼ばれている、説です。どなたか戦前から昭和20年代にそういったご経験をお持ちの方はおられますか?買い出し列車を見て「おお、貴婦人が来たぞ-!」と言われたご経験をお持ちの方はぜひともご連絡下さい! 返信 ↓
「へっこんちゃん」というのは、モハ63系ではなく、後年のクハ79中、運転手正面窓が斜めになり、上部がややへっ込んでいるグループのことを指し、スパルタンも極まった63系にそんな「うるおい」はなかったですよ。日頃の関センセにしたら珍しいチョンボですな。
須磨の大先輩さま、
そもそもこんな呼び名があったとは知りませんでした。「合いの子電車」というのは知っていましたが、最近は差別用語なのか書かれなくなりました。
河 昭一郎より
大変ご無沙汰致しております。
そうですね。
『ふくらんちゃん』も、初めて聞いた(本で読んだ)時、我々関西人には何の事かと正直クビを傾げました。
私が知ったのは確か沢柳氏が、その著作の中で氏の『子供の頃にはそう呼んでいた』と書いてあったからですが、決してメジャーな表現とは思いませんでした。
さらに『へっこんちゃん』が記されていたかどうかは記憶にありません。
御大の仰るクハ79の前面傾斜窓車については言い得て妙ですが、へっこんちゃんと表現した記述も見たこと
が無いような気がします。(御大には申し訳ありませんが・・・)
米手さんの仰る『合いの子』。
確かにその表記は見なくなりましたね。それには、もう旧国の時代は忘却の彼方にあるため話題にも出なくなったからかも知れません。
もっとも、本来の(?)『合いの子』が差別用語と忌み嫌われて消滅してしまっているのも事実ですが。
かく言う私も急電用43の事を『52と43の折衷形』と書いたりしております。不便な時代になりました。
河昭一郎様、
お久しぶりでございます。
「ふくらんちゃん」と「へっこんちゃん」が対になっているのなら、40と79では時代が違いすぎますよね。なんか後付けの命名のようにも感じますね。
他にも鉄道では、その時代では聞いたことがないような愛称が、後年あたかも昔からそう言われていたかのごとく流布するのはなぜでしょうか?ちなみにC57を貴婦人とか、C56を高原のポニーとか呼ばれている、説です。どなたか戦前から昭和20年代にそういったご経験をお持ちの方はおられますか?買い出し列車を見て「おお、貴婦人が来たぞ-!」と言われたご経験をお持ちの方はぜひともご連絡下さい!
「ふくらんちゃん」「へっこんちゃん」を誌上で始めて書かれたのは、西尾源太郎氏だったと記憶します。確か鉄道ピクトリアル(しかなかった)ですが、それが何時頃だったか、思い出せません。
yuguchi様
言い出しっぺは、かの有名な西尾源太郎さんでしたか。それは勉強不足でした。