準特急先輩の103型電気機関車の投稿を拝見して、古い資料を探してみました。コメント欄にも書かせていただいたのですが、1973年2月28日から4月3日まで初めての海外旅行でヨーロッパを廻りました。行きはロンドンに到着、パリまでの数日間はホテルも決まったグループ行動、パリからは、ユーレールパスを使っての自由旅行、3月末にローマの指定のホテルに集合して一緒に帰国するという自由度の高いツアー旅行でした。大まかな旅程は決めていましたが、途中のホテルは行き当たりばったり、トーマスクックの時刻表を頼りにイギリス、フランス、スイス、ドイツ、オランダ、イタリアなどをめぐりました。同行者は鉄道に興味ないので観光地中心の旅でしたが、移動の方法は時刻表を持っている私に任されましたので、有名列車を選んで行程に組み込みました。その中でラインゴールド号にも乗車しました。フランクフルト中央駅で撮った103型の写真が1枚見つかり、これがラインゴールドを牽引していたのかと思っていました。
ところが資料の中に旅行中のメモ書きが見つかり、それによると乗ったのは、ジュネーブからベルンまでの1時間半あまりの間だけでした。当時始発はジュネーブでアムステルダム行き、バーゼルからドイツに入った列車はライン川沿いにマンハイムからマインツに抜けフランクフルトにはよらず、この写真は後日乗ったラインプファイル号(ラインの矢号)だったようです。
メモによると、ジュネーブから乗ったラインゴールド号は機関車の後に2両の1等座席車があり、その後に食堂車と展望車が続いて更に、コンパートメント式の1等車が数両連結されていると書いていました。展望車はラインゴールド号の特長だった2階建て展望車だったと思うのですが、残念ながらメモにも記憶にも残っていませんでした。ところでラインゴールド号は当時オール1等車で、学生の分際で1等車に乗ったのかと思われるかもしれませんが、このころユーレイルパスはすべて1等運賃で、2等用には14歳から26歳の学生に限るスチューデントレイルパスと言うのがありました。このスチューデントレイルパスはTEEやICに乗るには別料金が必要で、それらを考えると、1等の乗れるユーレイルパスの方が断然お徳で、ツアー料金にはこのパスがすでについており、当然のことながら、乗るときは1等を使うことになります。ところが、ステイタスシンボルの1等に若者の旅行者が乗るものですから、本来の1等客からは不満が出たため、その後一般用の2等のパスができたそうです。
準特急先輩に投稿していただいたおかげで当時の資料も見つかり、メモと写真、時刻表を頼りに当時の行程を振り返って、おぼろげながら40年前の記憶もよみがえりました。ありがとうございました。
大津の86様
早速見つけて投稿していただき有難うございます。
当時のTEEは最高クラスの列車でそれに若干とは言え乗車されたのはいい思い出になりましたですね。TEEの資料も有難うございます。フランクフルト・マインの103型は菱形パンタグラフで、私の撮影したのはシングルアームに変更後の姿です。何れにしまして貴重な記録と思います。
準特急様
コメントいただきありがとうございました。諸先輩方の投稿を拝見すると、昔のことでも詳細に書かれていて、記録と整理をよくされていると感心いたします。最近の旅では、行程と日記はつけるようになったものの、以前のものはちゃんと記録したものがなく、これを機会にメモや写真を参考に、まとめておきたいと思っております。