広島から2題

広島市北部の土砂災害から2週間が経ちました。不通になっていた可部線が運転を再開しました。9月2日の中国新聞朝刊から写真とコラムをお届けします。コラム「天風録」は朝日の「天声人語」にあたるものです。

H26-9-2 中国新聞1面トップ

H26-9-2 中国新聞1面トップ  電車は呉線広行730M

H26-9-2 中国新聞1面

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広島県内の書店での売上げベスト10に常に顔を出しているのが「天風録書き写しノート」です。全国紙で始まったこの「書き写し」はいち早く中国新聞の読者にも広まっています。余談はさておき、このコラムを読むと かの三陸鉄道の復旧、運転再開がどれだけ沿線住民の心の支えになったかを思わずにはいられません。三陸とは比較にならない被害規模の可部線ですらこうなのですから。

もう1題は広島電鉄です。以前から話題になっていたJR広島駅前付近の広電路線変更について方向付けが決まったようです。工事完成は10年先だそうですから 急いで駅前や猿猴橋あたりの写真を撮る必要はありませんが、今 駅前再開発でどんどん景色が変わっているので それはそれで記録にとどめる価値はあります。

H26-9-3 中国新聞朝刊

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駅前大橋線は高架でJR広島駅に突っ込んで行くわけですから 駅ビルも建替えるようです。路面電車が2階から発着する景色は見たことがないので、10年後が楽しみです。全線を通じて勾配区間が殆ど無い広電ですから、勾配を登り下りする姿も楽しみです。さて 10年後のJRや広電にはどんな車両が走っているのでしょうか。意外と今と変わっていなかったりして・・・。ところで「循環ルート」の話がありますが、これはその気になれば すぐにでもできる話です。紙屋町交差点は現状のまま、皆実町六丁目交差点には定期系統はないものの比治山線から千田車庫に向かう回送電車のための渡り線があり、現状のまま。あとは的場町交差点の渡り線をループになるように付け替えるだけです。

可部線も2駅延長され、アストラムラインは白島新駅でJRと乗り換えが出来ている筈ですから 広島の人の流れはかなり変わっていることでしょう。それを見届けるためにも健康を維持しなければと思う次第です。

4 thoughts on “広島から2題

  1. よかったですね。これを読んで、阪神淡路大震災での、電車復旧時を想い出しました。電車が完全にストップし、数日後からバスが運行を開始。道路の混雑で三宮-西宮間を3時間半かかったこともあり、それも三宮から東の生田川までの約600mに1時間を要しました。やっとJR、阪急、阪神が部分的に動き出し、ともかく乗り継ぎ、乗り継ぎ、徒歩を何箇所か交え、往復で1日トータル10kmは歩いたのが何か月か続き、ウエストがしぼんでズボンがゴソゴソに。やむなくベルトを切り縮めたとたん電車が動き出してたちまち元の木阿弥。

    ともかく阪急が動き出し、夙川近くの山側幼稚園に「ありがとう」の手作り大看板が立っており、不覚にも涙を禁じ得なかったのが忘れられないです。その他の印象は、倒壊した阪神高速道路の取り壊しにズラリどころではなく並んだユンボと、鉄道の復旧にも多数の軌陸車―標準軌間とサブロク用とが勢揃いし、日本にこれだけの数の車両があったのかと、ホトホト感心したことでした。

  2. 湯口様
    さっそく心温まるコメントありがとうございます。三陸の前は阪神でしたね。そんな記憶も歳月の経過とともに次第に薄れてゆくのはやむを得ないのでしょうが、何事でも先人の苦労を忘れない世の中であってほしいと望むばかりです。

  3. 広島駅建て替えとなるようで、やったーの気持ちになりました。転勤で大阪営業所に慣れた頃、中四国地区担当となり中国地区代理店に上司と共に挨拶に向った1939年春、代理店では広島駅内装工事受注に向けて図面を広げてんてこ舞いでした。今度はどんなビルになるのか楽しみです。高知駅の時、土佐電はJR駅本屋下まで入ると聞いていましたが、ぶんしゅう氏に連れて行ってもらったとき、本屋手前の地上が終点となっておりがっかりでした。JR駅の高架化がないのなら、JR線下に広電線路を入れてほしいですね。10年後広島駅が変わる姿、1946年夏の姿を今も覚えているだけに楽しみです、と言ってもそれまで生きていられるかどうか、そんな年と身体になってしまいました。

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