阪急2300別掲 投稿日時: 2015年3月24日 投稿者: 準特急 3月14日雨天の桂車庫留置の2372~2313 ▼ エコノミカル空気バネの河原町行き急行が桂川橋梁に向かう。撮影は1969年3月桂~西京極。この頃の京都線特急はクロスシートの2800であったが時々ロングシートの2300が入りひんしゅくを買った。京阪特急は空気バネの1900で空くじはまずなかった。 ▼ 2300の3連の普通天神橋行き。3連の普通でのんびり見えるが、駅間距離の長い長岡天神~大山崎でかなり高速でやってくる。3連で4個パンタもすごい。1966年4月撮影。▼ この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 新幹線を走った阪急電車。
さよなら2300に合わせ、こんな場面はどうだ!と紹介せねばならないところ、何も出すものなしで申し訳ない。西向日で兎小屋を探しあてもぐりこんだのは1967(昭42)年5月6日で、ローン返済と土手下の小屋から脱出資金獲得でしばらく冬眠することにした。その頃2300は急行運用が主で日常の通勤はデイ100であった。準特急氏の2丁パンタの3連なんか記憶にない。朝夕乗るのはデイ一党が主で、たまに710の4連だと轟音と揺れにおさらばで、うれしかった。 万博で3300が大量増備で2300が各停に下りてくるのかと思っていたら、神戸線で走っていると教えてくれた人がいた。行ってみると6連で走っていた。それらは万博終了しばらくして、京都線に帰ってきたが、神戸線昇圧に伴う本来の神戸線車両の改造が一段落した後の事であった。桂川に向かう7連はその頃のものであろう。5300型の急行用が定着したころ、2300型はやっと京都線の主力になったように思う。しかしながら老人にとっては良い印象がない。オールカルダン車となっても空気バネでないだけ乗り心地も悪かった。これには道床がしっかり固まっていなかったのかも知れない。新1000型が登場した今日、やっと阪急も新車を各停用に投入できるようになったかと思っている次第である。 返信 ↓
準特急様 桂車庫での最後に近い2300、洗車されている姿は、「ご苦労さん、長い間おおきにな」と言われながら、洗われているようで、ちょっとうるっときました。有り難うございました。 その写真の左端に旧社章が車体に貼られているのが分かります。平成と共に、ブレーブスと共に消えていきました。思い出一杯です。(ちなみに、二枚扉右側のガラス面に貼られているのが現社章です) 返信 ↓
乙訓の老人様 デイ100の最大の特徴であるいかつい幌枠の2連の普通や4連の急行、710や1300のクロスシート特急はこの目で見たり乗ったことはありますが趣味の世界に入るのが遅くて残念ながら記録できておりません。長岡天神、神足界隈をうろついていた頃は普通は3~4連が主体で急行は5~6連で特急専用(長岡天神~河原町間の普通なんてのもありました)2800と普通専用になった1300を除くと各車両が急行、普通に使われていたように思います。2300はミンデンドイツトとアルストームリンクのコイルバネ台車が主体でして川向うの車両と比べると乗心地は落ちたのかもしれません。しかし、個人的にはあの時代の2300(2000や2100も同じ)の内装、車内の感じは通勤車としてはトップレベルにあったと思います。同じ会社なのにトップナンバーは京都線は1で神宝線は0、急行表示板の取付位置も両線で異なる時期があり、いろいろあったのでしょう。 マルーン様 先日2300にまつわる話を聴かせていただき有難うございました。今でも各車両の機器の取り付け位置が異なっているという話も非常に興味がありますが、その前に私には車両に関する基本的な知識が欠けているので理解できないとは思いますが。それにしましても関西の電車は高速運転している割には長生きしていますね。日頃大事に扱われているのかもしれません。阪急の車両は一部に車内の木目印刷が日焼けして醜いのもありますが概ね綺麗です。外板も一部たわみを感じるものもありますがどこかの特急車両のように塗装の部分がひび割れしたり、腐食を感じる様なものはありません。趣味的に申し上げると2300(2000、2100)で始まったスタイルがあまりにも完璧だったのか半世紀経っても同じような車両が多く少し変化球が欲しいところです。 返信 ↓
さよなら2300に合わせ、こんな場面はどうだ!と紹介せねばならないところ、何も出すものなしで申し訳ない。西向日で兎小屋を探しあてもぐりこんだのは1967(昭42)年5月6日で、ローン返済と土手下の小屋から脱出資金獲得でしばらく冬眠することにした。その頃2300は急行運用が主で日常の通勤はデイ100であった。準特急氏の2丁パンタの3連なんか記憶にない。朝夕乗るのはデイ一党が主で、たまに710の4連だと轟音と揺れにおさらばで、うれしかった。
万博で3300が大量増備で2300が各停に下りてくるのかと思っていたら、神戸線で走っていると教えてくれた人がいた。行ってみると6連で走っていた。それらは万博終了しばらくして、京都線に帰ってきたが、神戸線昇圧に伴う本来の神戸線車両の改造が一段落した後の事であった。桂川に向かう7連はその頃のものであろう。5300型の急行用が定着したころ、2300型はやっと京都線の主力になったように思う。しかしながら老人にとっては良い印象がない。オールカルダン車となっても空気バネでないだけ乗り心地も悪かった。これには道床がしっかり固まっていなかったのかも知れない。新1000型が登場した今日、やっと阪急も新車を各停用に投入できるようになったかと思っている次第である。
準特急様
桂車庫での最後に近い2300、洗車されている姿は、「ご苦労さん、長い間おおきにな」と言われながら、洗われているようで、ちょっとうるっときました。有り難うございました。
その写真の左端に旧社章が車体に貼られているのが分かります。平成と共に、ブレーブスと共に消えていきました。思い出一杯です。(ちなみに、二枚扉右側のガラス面に貼られているのが現社章です)
乙訓の老人様
デイ100の最大の特徴であるいかつい幌枠の2連の普通や4連の急行、710や1300のクロスシート特急はこの目で見たり乗ったことはありますが趣味の世界に入るのが遅くて残念ながら記録できておりません。長岡天神、神足界隈をうろついていた頃は普通は3~4連が主体で急行は5~6連で特急専用(長岡天神~河原町間の普通なんてのもありました)2800と普通専用になった1300を除くと各車両が急行、普通に使われていたように思います。2300はミンデンドイツトとアルストームリンクのコイルバネ台車が主体でして川向うの車両と比べると乗心地は落ちたのかもしれません。しかし、個人的にはあの時代の2300(2000や2100も同じ)の内装、車内の感じは通勤車としてはトップレベルにあったと思います。同じ会社なのにトップナンバーは京都線は1で神宝線は0、急行表示板の取付位置も両線で異なる時期があり、いろいろあったのでしょう。
マルーン様
先日2300にまつわる話を聴かせていただき有難うございました。今でも各車両の機器の取り付け位置が異なっているという話も非常に興味がありますが、その前に私には車両に関する基本的な知識が欠けているので理解できないとは思いますが。それにしましても関西の電車は高速運転している割には長生きしていますね。日頃大事に扱われているのかもしれません。阪急の車両は一部に車内の木目印刷が日焼けして醜いのもありますが概ね綺麗です。外板も一部たわみを感じるものもありますがどこかの特急車両のように塗装の部分がひび割れしたり、腐食を感じる様なものはありません。趣味的に申し上げると2300(2000、2100)で始まったスタイルがあまりにも完璧だったのか半世紀経っても同じような車両が多く少し変化球が欲しいところです。