関西人は木造国電を知らないのが普通、配置がなかった。京都駅に出入りする国電は全て鋼製で、東京圏のように荷物電車は木造といった時代がなかった。それだけに老人は木造国電なるものに興味を持っていたのだが、琴電でも車庫で見ただけで乗ったことがない。それだけにThurukame氏が走行中の姿を撮影したことを知っており、紹介したかった。そこで箱詰めになっている琴電、それも半世紀以上前のものを取り出し整理してみたら「あった!」、1961年3月17日撮影となっている。その前年、老人の訪問時は車庫奥の留置で走る姿は見られずであった。調べてみると1967年2月廃車とある。富山から大阪へ転勤となったのが1963年秋で、この時から四国担当となり何度も出張しているが、お眼にかかれずであった。
1994年春に京阪特急3000系のボディが大井川鉄道に送られた。それを追って頻繁に行くようになったが、1996年6月に千頭駅の片隅に留置されている錆だらけの車両に気付いた。木造国電の糸を引いた簡易鋼体化車体である。そこで白井昭さんに尋ねてみたら「三信鉄道に払い下げられた木造国電モハ1型がルーツで、国有化後に当社に入線したものだ」、との返事が返ってきた。「客用扉が片側2ケ所で往年の姿でないのが残念。でもコントローラーはGE製の電磁式で貴重なものだけに捨てるわけにはいかん。JRさんが引き取ってくれるのを待っているのだが……」と、おっしゃった。ある年、忽然と姿を消したのでお尋ねしたら、JR東海が購入、復元の上、名古屋鉄道博物館で展示された、とか。まだ覗いたことなしである。