「見納めの”三江線”の桜を見に行こうツアー」開催まで後2週間となりました。現在参加者は12名となっております。若干ですがまだ受け入れができますので、今からでもご参加されたいと思われる方はご連絡いただきたくよろしくお願い申し上げます。
先日、米手作市氏より「前略;・・・三江線なども津軽鉄道やえちぜん鉄道を大いに参考にするべきだと考えますがいかが?」とのコメントをいただきました。あれこれとコメント返信文を作成しておりましたが、長文になりましたので本文投稿とさせていただきます。
【 三江線 は、不死鳥 】
三江線は山陰本線がまだ全線未開通(開通は1933年(昭和8年)2月24日)だった明治末期の1912年(明治45年)に島根県選出の代議士4名から江津と広島を結ぶ陰陽連絡線として議案提出され、衆議院で可決されたことから始まります。
1926年(大正15年)に江津から工事が着工されましたが江の川沿いは崖路で難工事となり川戸までのわずか13.9㌔開通に約3年半を要しました。その後石見川越、石見川本、石見簗瀬と徐々に延伸され江津から50.1㌔先の浜原には1937年(昭和12年)10月20日に開業しましたが、戦争勃発でここで工事は中断しました。
戦後に工事は再開され、三次から式敷まで1955年(昭和30年)3月31日に開通しましたがこの先の建設予定線は江の川のダム建設工事に引っかかって紛糾中断、ダム建設が中止された5年後に工事は再開されましたが口羽への延伸は1963年(昭和38年)6月3日、中断後11年を経てとなりました。
これで未開通区間の工事に拍車がかかると思われましたが、1968年(昭和43年)には国鉄諮問委員会が提出した国鉄ローカル線を廃止しようとする「赤字83線」に指定されて再び工事は中断しました。1966年(昭和41年)、当時の営業係数は全国3番目の966円でした。
国鉄再建法による特定地方交通線として廃線に傾きかけた三江線(当時は三江北線・南線と称された)でしたが懸命の反対運動によって、代替えの道路未整備を理由に廃線を免れました。中断となっていた未開通区間の口羽~浜原は、1964年(昭和39年)に発足した日本鉄道建設公団により高規格で工事が始まり、終わったのは1975年(昭和50年)8月31日のことでした。建設開始から何と45年を経て、難産の末に誕生したのが三江線です。
しかしこの路線は江の川沿いを走るために豪雨による線路内土砂流入、のり面欠落、橋梁の流失等の被害を何度も受けて、度々長期間の運行停止を余儀なくされました。その度に廃止への瀬戸際に立たせられていましたがその度に不死鳥のごとく蘇ってきました。
【 現状・営業係数 】
民営化以降、JR各路線の営業係数は発表されていませんのでハッキリとは分りませんが週刊「東洋経済」では臨時増刊号において国土交通省や鉄道各社が公表している数値を基に試算して掲載されています。手持ちで最近(2014年)のがありますので抜粋転載します。
▲ 100円の収入を得るためにかかった費用が営業係数です。2011年度では三江線は752円と最も多く、JR各社全路線でも最高値となっています。三江線と同じく道路未整備で生き残っている廃線の噂が絶えない木次線も718.2円と同じく超赤字線です。他にも福塩線の府中~塩町、芸備線の三次~備中神代も利用客・運行列車が激減し終焉を迎えているように思われる路線があります。それぞれ危険減速速度15km/hの箇所があります。
かつては中国地方の陰陽連絡線として活況だった路線はいずれも高速道路の整備により所要時間で太刀打ちができなくなって高速バスや車への利用客シフトが既に終わり、万年赤字が増え続いています。
▲ 1990年10月の時刻表 当時の鳥取行は京都発が多く、最短で結んでいました。
その中でも1路線、創業開通して以来黒字なのは智頭鉄道です。以前は京都発山陰本線経由が最も早く鳥取に着くルートでしたが1994年(平成6年)12月3日に開業したこの路線は高規格・高速走行できる利点を生かして、鳥取~京阪神を最高速度130km/h・振り子式「スーパーはくと」を投入して結びました。
今まで約4時間かかっていた鳥取~大阪を約2時間30分、約3時間50分かかっていた鳥取~京都を約3時間で結び大幅な所要時間短縮を果たしました。結果、利用客は大幅増となり一時は途中で建設凍結した智頭線を蘇らせました。競争相手となる鳥取自動車道が開通して高速バスが走るようになりましたが、所要時間は約2時間50分と鉄道には及ばず、また冬季は降雪でバスは遅延するところからも今なお客足は衰えてはいません。如何に鉄道に高速化が求められているかが分ります。
▲ 三江線の一日あたりの利用者数を江津市の公式HPから見ますと、平成4年の1,409人から21年後の平成25年では175人と12.4%にまで落ち込んでいます。通勤客は住居移転、またはバス・マイカーに乗り換えたものと思われ、平成18年からは低水準で落ちついています。
そしてローカル線で最も利用客の多い中・高校生ですが今なお落ち込みが続いています。三江線沿線には4つの高校と2つの中学校がありますが、少子化およびスクールバス、路線バスやマイカーによる送り迎えにシフトしたものと思われます。
既にかつて鉄道が担った沿線の旅客輸送の大半は、道路輸送に置き換わってしまっているのが現状です。
▲ すべては三江線を利用する対象者ではありませんが、沿線人口も減少を続けています。ただ、沿線人口以上に三江線利用対象者が急激に減少しているのが分ります。そして、今後とも減少続くのは明白です。
▲ 三江線利用者の多くを占める通学者の見込みですが、これも今以上の減少見込みが予想されています。
▲ このデータは平成22年7月16日(金)、7月25日(日)で全列車で実施された「三江線乗込み調査」からです。
三次市・安芸高田市・邑南町・川本町・美郷町・江津市の「三江線沿線地域公共交通総合連携計画」の素案からの転載です。詳細はこちらをご覧ください。
これらからも分るように今後将来的に三江線に利用客の減少が止まり増加するとは思えないのが数字上示されています。
三江線の経営母体は株式会社のJR西日本です。全体の健全経営を考えるには当然万年赤字線は切り離さざるを得ないのは宿命です。多くの株主に配当金を配る以上、少しでも利益の上積みが必要だからです。株価のアップにもつながります。経営の足かせとなる赤字線は廃線にしていくのは資本主義で動く世の中にあって当然の流れです。
しかし海外を見ますと、ドイツ国鉄等ではローカル線が赤字なのはどうしようもなくとも沿線住民からの要望が続く限り残すのが当然との基本的な考え方があります。
公共機関の赤字は税金を投入するのは”やむなし”と国民に理解浸透されています。残念ですが日本は利益至上主義の考え方が強く、赤字鉄道には弱者切捨て論が圧倒的です。今までも第3セクターで再出発したローカル鉄道が赤字経営を脱却できず廃線に追い込まれました。
【 三江線は沿線住民にとって本当に必要なのか 】
我々鉄ちゃん、また青春18きっぷを利用して鉄道旅を楽しむ人々にとっては三江線廃止は大きな損失です。しかし、廃線になる沿線住民にとって本当に鉄道が必要なのかを問う事も大事な事と思っています。かつて道路整備がなく移動が鉄道頼みだった時代には鉄道はなくてはならない移動手段でした。またローカルに住まいする住民にとって、都会へと続く鉄路は心理的にもかけがえのないものでした。しかし今は車社会になって道路網が充実、もっと早く、そしていつでもドアツードアーで都会へと結べるようになってきました。沿線住人の意識も変わってきているのではと思います。
三江線の全線開業は1975年(昭和50年)8月31日と、約40年の歴史しかなく他のローカル線と比べると若い路線です。そして江の川沿いを走るために何度も自然災害による運行中断を余儀なくしています。
左が運休日ですが頻繁に発生しているのがお分かりと思います。運休の間は代替輸送を利用されたでしょうが、これだけ発生して長期間になると利用者の皆さんはそれぞれに確実なバスや車を選ばれて、以後移動手段は、鉄道を利用することはなく固定化されていったのだろうと想像できます。愛着すら薄れていったろうと思われます。
問題は高齢者となって車を運転できなくなった住民の移動方法です。歩くには介護者も必要としますので、こうなると各種の老人ホームに入所するか、残念ですが医療・商業施設等がある町に転居せざるを得ません。都会に住む子供との同居も方法でしょう。
駅があっても自宅から遠く離れていて徒歩では時間がかかる。所によっては急坂がある駅への道のりは高齢者には辛いものがあります。
列車があっても都会のように待たずに乗れる間隔ではありません。通学・通勤・病院・買い物等の足となるには、むしろ自宅からドアツードアでの移動の方が待つことなく、いつでも行けますので便利で車が最適です。
広島県、島根県の1世帯当たりの自動車保有台数は、平成26年3月末で広島県1.109台。島根県1.397台となっていて、1世帯当たり1台以上を保有しています。移動にあえて鉄道を利用する必要はありません。
しかし長年住み慣れた土地や家を捨てていく、親しい近辺の人々と別れる事は、気持ちの面から難しく、またそれだけの蓄えを必要とします。用意できない老人もいるでしょうから国・地方自治体の受入体制に税金を向けるべきでしょう。小型のノンステップバスを運行して集落を回ることで、現在日中の運行なく散発している列車よりもドアツードアで便利になります。また鉄道の維持管理・運営費用よりも安くになります。
【 それでも残したい三江線の再生案 】
車社会になっても建設が続けられ、45年の歳月をかけてやっと全通開業した三江線です。この苦難の鉄路への沿線住民の思い入れも深いものがあります。しかし、便利な車社会の到来、沿線住民の過疎化から利用客減少⇒列車本数・編成の縮小⇒尚の利用客減少の負の連鎖が止まっていないのが現状です。これをくい止めるには、下記があげられます。
1、経営母体のJR西日本からの独立⇒第3セクター設立、上下分離方式の経営。
2、魅力ある三江線づくり
1、上下分離方式による第3セクター化
JR西日本が営利1企業として存続は難しい、手が打てないと表明していますので存続するには第3セクターによる運営しかありません。但し経営はどうあがいても赤字は必至ですので、路線維持管理、運営車両・設備を公的資金投入する上下分離方式が欠かせません。道路には建設から維持管理に至るまで税金が投入されていますが、鉄道にも同じく公道として投入する事が必要不可欠です。これには運転手・駅員等の人件費、車両の動力費用だけを新会社の負担とします。運営だけになれば民間企業でも身軽になります。それでも赤字になるようでしたら助成金を出す覚悟がないと存続は難しいと思われます。
2、誰でもが乗れる、乗りたい魅力ある三江線への蘇生づくり
① バリアーフリー化
三江線は営業距離が108.1㌔と長いわりに沿線住民が少なく減少は続き、高齢者比率が高くなっています。今後、高齢者しか住まない集落も出てくると思われます。多分、三江線存続への熱意あるのはこの層が多いと思われますので、存続への熱意表現をしていただくためには高齢者でも乗りやすくするための駅のバリアフリー化は必要不可欠です。
階段のある跨線橋は廃止して、ホームへは線路を横断する渡り通路にする。列車本数は数えるほどで通過する列車もありませんので安全面の問題は少なく、乗りやすくなりなります。また、宇津井のような高架駅にはエレベーター設置は必要不可欠です。
ホームに着いてからの乗降も車椅子でもできるように車両乗降口ドアとの段差、及び車両内のステップはなくすべきです。
② アテンダントの乗車
バリアフリー化を実施できても車内へ入った高齢者の利用手助けには介護人が必要です。観光客への案内を含めてアテンダントの乗車です。津軽鉄道やえちぜん鉄道と同じく乗り降りドアの開閉、安全確認は運転手の業務としてアテンダントは車内での切符販売・車内改札を行います。京都丹後鉄道や津軽鉄道のように観光客に車内で駅弁や各種グッズ類を販売しても喜ばれるでしょう。えちぜん鉄道と同じく救世主となって欲しいものです。
③ 魅力ある鉄道
沿線住民の皆さんや観光客・鉄ちゃんたちにも乗ってみたい鉄道にするためには「仕掛け」が必要です。
駅⇒駅舎は地元の方々に委託して、列車に乗られなくとも皆さんが集まって憩えるスペースにしていただけるようにしたいものです。現在、石見川本の待合室がそのように利用されていますので、全駅に拡大する。花壇や地域の掲示板の設置等です。(例;えちぜん鉄道)
列車
イ、旧型気動車を集める⇒鉄ちゃん受け(例;いすみ鉄道)がしますが、中古車だけに故障も多く保守・補修代が高くつきます。
ロ、低床式トラム型車両の導入⇒駅のかさ下げ工事が必要ですが、乗降が飛躍的に楽になる。ドイツでは郊外への非電化区間で運行されています。こんな車両なら路面電車のように駅も作りやすく、走行する沿線の集落ごとにもっと駅数を増やすことも可能です。
イメージとしての候補車両はドイツ・ノルトハウゼンで使用しているシーメンス社の Combino Duo ディーゼルタイプです。
ハ、片方向運行⇒両端駅にループ、デルタ線(スイッチバック)、または転車台が必要になるが、後方車両後部は展望車となって三江線の四季の自然美豊かな車窓を十二分に楽しめる。また片方向車両では座り席を多く確保できる。車両回しは珍しく”ウリ”にもなります。
ニ、座席の転換クロスシート化⇒顔なじみの多い乗客が向かい合って会話が楽しめる。2対1のゆったりとした座席配置にして、片側は1人掛けシートにする。なじみ客、観光客対応。
ホ、自転車・車椅子スペースの設置⇒買い物客や通勤・通学者が出発地⇒駅、駅⇒目的地まで自転車が利用できて便利になります。(例;欧州各地の鉄道)
ヘ、自動飲料販売機の設置⇒コンビニにあるコーヒーミル付き販売機やお茶のサービス機を設置して乗車客のくつろぎを援助する。(例;ドイツのローカル線)
ト、信用乗車方式の採用⇒欧州では当たり前の乗車方式で、乗客が自己申告で車内で清算します。乗客がマナーを守ると信用に基づいた乗車方法です。
黙っていれば無賃乗車も可能ですが時折、検査係員が乗車して切符を購入していない乗客には10倍もの罰金が科せられます。運転手はワンマンカーでの現金精算から解放されます。日中はアテンダントによる車内改札とし、早朝・夜間は乗客が車内券販機で清算します。日本では根付いていない乗車方式ですが今後のローカル赤字線再生のモデルケースとなるように試みます。
まだまだ書きたいのですが終わりません。今回はここで止めて次回の投稿とさせていただきます。皆様方の三江線蘇りへのご意見、ご発案がありましたらご投稿またはコメントにお書きください。よろしくお願い申し上げます。