短命だった三蟠軽便鉄道

三蟠(さんばん)軽便鉄道と言われても「えっ、どこにあった鉄道?」という感じかもしれませんが、1915年(大正4年)8月11日に開業し、1931年(昭和6年)6月30日に営業を終えた 16年という短命の鉄道でした。岡山市の南部 国清寺と岡山市の外港 旭川の河口にある三蟠港を結ぶ8Kmほどの鉄道でした。廃止が今から85年前の昭和6年ですから いかに歴史あるクローバー会と言えども、三蟠鉄道の現役時代を知っている会員はおられないでしょう。現在では瀬戸大橋線で四国に渡るのはあっと言う間ですが、かつては三蟠港から高松への連絡船が発着し、下津井などと同様四国への重要なルートとなっていました。明治42年に宇野線が開通し、明治43年には宇高連絡船が就航したことに加えて、旭川の浚渫が行われたことで大型船が岡山市部まで入れるようになったため三蟠鉄道の必要性がなくなり 短命な鉄道となって消えてしまったわけです。岡山県下の私鉄と言えば、東から片上、西大寺、岡電、玉野、下津井、水島、井笠と名前が出るのですが、三蟠は忘れ去られています。そんな悲運な軽便鉄道のことが以前から気になっていて、三蟠港には三蟠鉄道資料館があることは知っていたのですが クルマでしか行けない不便な地だったこともあって訪問が延び延びになっていました。

平成28年12月5日 三蟠鉄道資料館

平成28年12月5日 三蟠鉄道資料館

三蟠鉄道資料館と言っても 釣り具と釣りエサを商売にされている民家です。この建物はかつての桜橋駅がここに移設された二代目の三蟠駅舎です。そして三蟠駅長のご子息が釣り具商をされているというつながりです。資料館と言っても、右手がお店、そして正面のガラス戸部分がショーウインドウ式の展示コーナーになっていて、建屋の中に入るのではなくガラス戸越しに展示物を見るかたちになっています。

三蟠鉄道の沿革

三蟠軽便鉄道の沿革を記した看板

裏手に回ると こんなものがありました。

三蟠軽便鉄道の起点モニュメント

三蟠軽便鉄道の起点モニュメント

地元には三蟠軽便鉄道研究会があり、平成6年にモニュメントとして作られたようです。すでに10年以上が経っていて庭木が伸びて見落としそうな状態でした。

三蟠港の様子

三蟠港の様子

三蟠駅の前が四国への船乗り場だったようですが、高潮対策で高い堤防が築かれ、かつての船乗り場は堤防の下に埋もれてしまいました。

明治天皇御上陸記念碑

明治天皇御上陸記念碑

明治18年8月5日に明治天皇が全国巡幸の一環として山口・広島から軍艦春日と軍艦筑紫を従えて横浜号という船で児島沖に到着され 小型蒸気船でここ三蟠港に上陸され 馬車で後楽園に向かわれたそうです。三蟠鉄道開業の30年も前のことでした。

釣り具やさんの奥さんと話をしていたら、これをどうぞと資料を2部頂きました。

開通100周年記念行事の資料

開通100周年記念行事の資料

地元の歴史や史跡の解説書

地元の歴史や史跡の解説書

全ページを紹介することはできませんが、もし入手希望の方がおられましたらお知らせ下さい。コピーをお送りします。

三蟠軽便は短距離、短命だったため 車両も少数だったようです。機関車は雨宮のBタンク11号機、雨宮のCタンク12号機、コッペルのCタンク13号機の3両だったようです。13号機は日本硫黄沼尻に移っています。2両いた単端のガソリンカーはフジ1、フジ2という車番だったようです。2両とも井笠に移りジ10、ジ11となっています。湯口先輩、なぜ「フジ」なる名前がついたのでしょうか? 客車、貨車は不勉強でわかりません。

実はこの日、三蟠鉄道の他 下津井、玉野も訪ねましたので 別途ご紹介したいと思います。

短命だった三蟠軽便鉄道」への5件のフィードバック

  1. 追伸です。
    資料館で頂いた資料を読み進むと、三蟠鉄道は16年間に3人の社長が就任されていたことがわかりました。藤原譲太郎氏、藤原元太郎氏、藤原知道氏の3人です。2両あった単端フジ1、フジ2は社長の名前からきているのではないかとフト思ったのですが、そんなことって他にも例があるのでしょうか?

  2. 記号の「フジ」は、軽便マニアの間でも正直よく分からんとされていますが、常識通り「フ」とはブレーキを表すとの説が有力?です。しかし動力車にブレーキがあるのは当たり前(テンダー機関車にブレーキがなく、テンダーに付された手用制動機のみ、という希少例はありますが)ですから、俄かには納得しかねます。社長の苗字からというのも、いささか。
    鉄道省監督局技術課保管の竣功図綴、三蟠自体の車輌台帳からも回答は得られませんが、他の手用ブレーキ装着の客貨車には「フ」が頭に付されています(フロハ、フハ、フト、フテト)ので、渋々ながら、上の説に納得せざるを得ない?
    しかし「ワフ」だけは尻にふされているのが?ですが、これは独立した車掌室だから、使い分けたとも見られます。

    • yuguchi様
      早速のコメントありがとうございます。社長の苗字は考えすぎでしたね。フはブレーキだとして 「ジ」は「自働車」でよろしいでしょうか。

  3. 「ジ」はお説の通り日車の商品名「軌道自動車」からです。私鉄内燃動車の記号にはのち国鉄に倣って正統派?になる「キ」以外、「カ」(中勢鉄道、八日市鉄道、―レイルカーから)、「レカ」(播丹鉄道等、同)、「ガ」(南越鉄道等―ガソリンカー)、「ガス」(駿豆鉄道―瓦斯倫からか)、「シハ」(三重鉄道ジから濁音を脱したか?)、「ナ」(三重交通―内燃動車から)、「モ」(大和鉄道―ガソリン・モーター―カ―からか)、「ウキ」(宇和島鉄道―宇和島+キ)、「ミヤ」(筑前参宮鉄道―参宮のミヤか)、「クラ」(鞍手軌道)等々があります。ディーゼルカーを「ケハ」(軽油)とした例も。

    • yuguchi様
      ご丁寧な解説 恐れ入ります。「フジ」は謎のままとしておきましょう。申し遅れましたが、先般の釧路でのご講演お疲れ様でした。某誌のN編集長のブログで盛会だった様子がよくわかりました。思い切って釧路まで行けばよかったと悔やんでおります。

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