国内、国外を駆け回っておられるぶんしゅう氏の、1970年の豊肥本線、高森線が出た。拙老も豊肥本線は何度か足を運んでいるので、ゴソゴソとブローニーのネガを取り出して、ご笑覧いただく。
時は1958年3月31日、目出度くドーヤン生になって1年から2年になる春休み。3月11日山科の自宅を出発し、山陽線電化試運転[臨試電2858T]を撮り、両備バス西大寺鉄道を皮切りに倉敷市交通局、井笠鉄道、尾道電鉄等山陽路私鉄をめぐって九州入り。均一周遊券をフルに使い、夜になると門司港、長崎、西鹿児島のどこかに行き、夜行各停に乗車して宿賃を節約。ステホは三田尻と大分だけだった。
その九州最終日、早朝熊本に着き、5時40分初発717レで立野へ。このとき豊肥本線は熊本-大分間直通列車は6本、熊本-宮路間が3本、宮路以東のローカルが3本。直通の内2本のみが2等車を連結で、その1本は快速「火の山」だった。これは翌年ディーゼル準急「ひかり」になる。
立野着6時48分。高森からの初発列車は2分前に到着しており、機周りを済ませ7時12分発113レが初発で、C12逆行を白川鉄橋で待つ。多分にオハナシめくが、この鉄橋のペンキ塗りだけで飯が食える塗装業者がいたとか。
スイッチバックを下ってきた716レC58115
前後3コマ719レ69686
立野のスイッチバックは大畑とともに雄大である。なにしろ景色が広く、おまけに天気がいいから撮影していても実に気持ちがいい。ただ翌年には、一番いい景色のど真ん中にナショナルのどでかい広告塔が建ち、ぶち壊しになった。
これは鉄道ピクトリアル第4回写真コンクールで推薦5点中に入り、賞金3000円也をゲット。87号に掲載された。その時の特選は佐竹保雄氏の「準急ひだ号」で5000円、小生は宮崎交通でのコッペル機牽引「軽便列車」も入賞し1500円也。
この頃はネガ提出がなく推薦にも何度か入ったが、その後ネガ召し上げが条件になり、それにしては賞金が「薄謝」に過ぎると判断し、以後応募はご辞退申し上げている。
なんとコメントしていいのか分からないくらいいい写真ですね!
なつかしく、しかもシンダと水蒸気の臭いが漂ってくるようです。
ところで蒸機の鉄道写真はなぜ白黒がいいのでしょうかね?
単なるノスタルジーなのか、写っている風景・風俗・施設が白黒でしか表現できないからでしょうか?影や光線の具合までも白黒の方がより現実に近いように見えてしまいます。
白黒でも頭の中でははっきり“総天然色”で再現されております。
湯口先輩様へ
当時の豊肥本線は、C58も客車列車を牽引していたのですね。
スイッチバックは、やっぱり補機付きが似合います。ドラフトの音が聞こえてくるようで最高です。
白川鉄橋を走る列車は、白い煙で見えませんが、混合列車ですね。ここで撮影されるには、当時行くのは、結構大変だったでしょうね。