温田ユースで泊まった翌日7月27日は雨もあがってまずまずの天候だったようです。
各自思い思いの場所へ向かいましたが、私は天竜峡、飯田を過ぎて市田まで行ったようです。なぜ市田で下車したのか覚えがありません。
ED19がデッキの扉を開けたままで走行しているのは、乗務員の暑さ対策なのか、機械室内の通風のためなのかよくわかりません。他の列車でもED19が扉を開けて走行しているのを見ました。
このあと、上片桐から折り返して金野へ戻ったようです。
前報で温田1泊と書いてしまいましたが、温田で2泊したようです。そのためにこの日は上片桐から引き返したことが「青信号」の記事で判明しました。またこの記事には温田で1900生殿が合流されたとありますが、覚えておいででしょうか?(続く)
「記事の続きを読む」が挿入されていなかったので勝手ながら修正しました。
写真の挿入ですが位置は中央に、サイズはフルサイズにされた方が見やすくなります。
よろしくお願い申し上げます。
1枚目の写真と同じものが私も撮っているところから、2日目の朝に西村さんと一緒に撮ったものだったのですね。私は金野へ行って、それから写真の順番から天竜峡へ行っています。天竜峡でだれかさんと会ったようで・・・ところで、伊那大島-上片桐間のED19の撮影場所はひょっとしたら「イメージは木枯し紋次郎」と一緒かもしれませんね。あいまいな記憶がよみがえってきました。